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12:君を置いて(2)
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あと一週間――。
その事実を里玖に伝えるべきなのか、海斗は昨夜からずっと、出口のない迷路を彷徨い続けていた。
もしも、伝えたら――。
伝えた後のことを想像するだけで、胸の奥が鋭利な刃物で抉られるように痛む。
里玖を悲しませたくない。
ようやく取り戻した彼女の笑顔が、自分の言葉ひとつで絶望に染まる瞬間を見たくない。
いっそ何も言わず、静かに消えてしまった方がいいのではないか。そんな考えも頭をもたげる。
だが――そう思いかけたとき、まぶたを腫らした里玖の顔が脳裏に浮かんだ。
海斗が消え、二日間だけ中身が翔生に戻っていたあの時のことだ。
里玖は、どれだけ泣いたんだろう――。
黙って消えれば、彼女はまた同じように、あるいはそれ以上に泣くかもしれない。
しかも、何も事情を告げずに消えた場合、里玖はもしかすると待つかもしれない。
いや待つだろう。海斗が行方不明から死亡宣告となっても『ずっと待っていた』といっていた里玖だ。
いつかまた、翔生が海斗になるのを待つに違いない。根拠もない希望を抱いたまま、ずっと。
それは里玖のこれからの人生にとって残酷な枷(かせ)になるし、この肉体の持ち主である翔生にとっても不幸なことだ。
「……海斗? なんか言いたいことあると?」
里玖の声に、海斗は弾かれたように我に返った。
どうやら、海斗は里玖の顔を見つめたまま固まっていたらしい。
日曜日の昼下がり。里玖の家のダイニングテーブルには、遅めのブランチが並んでいた。
テーブルには、里玖が腕を振るったフレンチトースト。こんがりきつね色に焼けたそれに、七海はメープルシロップをこれでもかと垂らして、嬉しそうに頬張っている。
「あ、うん。ちょっとぼーっとしてた」
里玖は「ふーん」と小さくいうと、アイスコーヒーを一口飲んで、頬杖をつく。
「……教え子を家に連れ込んで、泊めてブランチなんてね。でも……これができるのも、あと少しだね」
「えっ!? 里玖、知っとうと?」
海斗は衝撃のあまり持っていたフォークをカチャンと皿の上に落とした。安光和尚に聞いた「期限」が、なぜ里玖にバレたのか。心臓が早鐘を打つ。
「……何言ってるの? 担任だもん、当然知ってるよ。朝倉翔生くん、夏休みからアメリカ留学に行くんでしょ? 保護者の方から正式に連絡があったよ」
「……あ。なんだ、そっちか」
海斗は脱力して、ため息をついた。
「そっちって何よ。海斗は行かないって言ってたけど、先週、翔生くんに戻った時に、行くことにしたみたいよ」
「え、そういうことになっとったと?」
「うん、本人希望って書いてあった。行き先はマサチューセッツ州?とか言ってたかな。アメリカ、留学費用高いのにさすがはお金持ちだよね」
(そうか、朝倉翔生は留学することに決めたのか)
海斗はなぜか、少しだけ救われたような気がした。
この体がアメリカに行って、物理的に会えない状況になって……その間に、いつの間にか「海斗」がいなくなって「翔生」に戻っていた――そういうことにすれば、里玖はあまり悲しまずに済むかもしれない。
「海斗、行かないって言ってたやん」
「……本人が行くって返事しちゃったんだから、今さら変えられないやん」
納得できないのか里玖は、けげんな顔をして海斗の顔を見つめてきた――目と目が合う。
海斗はさりげなく目をそらすと、付け合わせのソーセージにマスタードをつけた。
「で、海斗はどうすんの。アメリカとか行って……大丈夫?」
「あ……うん。まあ、俺、英会話は仕事で慣れとるし。外国での生活もなんとかなるんやないかな。……自衛隊、なめんなよ」
精一杯の虚勢を張って笑ってみせる。
「そう……せっかく戻ってきたのにね」
「そうやね」
「さみしいな」
「……」
海斗は無言でソーセージを口に運ぶしかできない。
「アメリカから……ときどきは、メールちょうだいね。写真とかさ」
「うん」
短く答えた。
けれど、自分がマサチューセッツから里玖にメールを送る日は、永遠に来ない。
その頃には、自分はこの世界のどこにもいない。アメリカではなく、あの世へと旅立っているからだ……。
「海斗、泣いてるの?」
「あ、いやソーセージにマスタードつけすぎてツンときたわー。あ~」
と涙をごまかした。
その事実を里玖に伝えるべきなのか、海斗は昨夜からずっと、出口のない迷路を彷徨い続けていた。
もしも、伝えたら――。
伝えた後のことを想像するだけで、胸の奥が鋭利な刃物で抉られるように痛む。
里玖を悲しませたくない。
ようやく取り戻した彼女の笑顔が、自分の言葉ひとつで絶望に染まる瞬間を見たくない。
いっそ何も言わず、静かに消えてしまった方がいいのではないか。そんな考えも頭をもたげる。
だが――そう思いかけたとき、まぶたを腫らした里玖の顔が脳裏に浮かんだ。
海斗が消え、二日間だけ中身が翔生に戻っていたあの時のことだ。
里玖は、どれだけ泣いたんだろう――。
黙って消えれば、彼女はまた同じように、あるいはそれ以上に泣くかもしれない。
しかも、何も事情を告げずに消えた場合、里玖はもしかすると待つかもしれない。
いや待つだろう。海斗が行方不明から死亡宣告となっても『ずっと待っていた』といっていた里玖だ。
いつかまた、翔生が海斗になるのを待つに違いない。根拠もない希望を抱いたまま、ずっと。
それは里玖のこれからの人生にとって残酷な枷(かせ)になるし、この肉体の持ち主である翔生にとっても不幸なことだ。
「……海斗? なんか言いたいことあると?」
里玖の声に、海斗は弾かれたように我に返った。
どうやら、海斗は里玖の顔を見つめたまま固まっていたらしい。
日曜日の昼下がり。里玖の家のダイニングテーブルには、遅めのブランチが並んでいた。
テーブルには、里玖が腕を振るったフレンチトースト。こんがりきつね色に焼けたそれに、七海はメープルシロップをこれでもかと垂らして、嬉しそうに頬張っている。
「あ、うん。ちょっとぼーっとしてた」
里玖は「ふーん」と小さくいうと、アイスコーヒーを一口飲んで、頬杖をつく。
「……教え子を家に連れ込んで、泊めてブランチなんてね。でも……これができるのも、あと少しだね」
「えっ!? 里玖、知っとうと?」
海斗は衝撃のあまり持っていたフォークをカチャンと皿の上に落とした。安光和尚に聞いた「期限」が、なぜ里玖にバレたのか。心臓が早鐘を打つ。
「……何言ってるの? 担任だもん、当然知ってるよ。朝倉翔生くん、夏休みからアメリカ留学に行くんでしょ? 保護者の方から正式に連絡があったよ」
「……あ。なんだ、そっちか」
海斗は脱力して、ため息をついた。
「そっちって何よ。海斗は行かないって言ってたけど、先週、翔生くんに戻った時に、行くことにしたみたいよ」
「え、そういうことになっとったと?」
「うん、本人希望って書いてあった。行き先はマサチューセッツ州?とか言ってたかな。アメリカ、留学費用高いのにさすがはお金持ちだよね」
(そうか、朝倉翔生は留学することに決めたのか)
海斗はなぜか、少しだけ救われたような気がした。
この体がアメリカに行って、物理的に会えない状況になって……その間に、いつの間にか「海斗」がいなくなって「翔生」に戻っていた――そういうことにすれば、里玖はあまり悲しまずに済むかもしれない。
「海斗、行かないって言ってたやん」
「……本人が行くって返事しちゃったんだから、今さら変えられないやん」
納得できないのか里玖は、けげんな顔をして海斗の顔を見つめてきた――目と目が合う。
海斗はさりげなく目をそらすと、付け合わせのソーセージにマスタードをつけた。
「で、海斗はどうすんの。アメリカとか行って……大丈夫?」
「あ……うん。まあ、俺、英会話は仕事で慣れとるし。外国での生活もなんとかなるんやないかな。……自衛隊、なめんなよ」
精一杯の虚勢を張って笑ってみせる。
「そう……せっかく戻ってきたのにね」
「そうやね」
「さみしいな」
「……」
海斗は無言でソーセージを口に運ぶしかできない。
「アメリカから……ときどきは、メールちょうだいね。写真とかさ」
「うん」
短く答えた。
けれど、自分がマサチューセッツから里玖にメールを送る日は、永遠に来ない。
その頃には、自分はこの世界のどこにもいない。アメリカではなく、あの世へと旅立っているからだ……。
「海斗、泣いてるの?」
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