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13:残された時間(2)
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あと一週間――。
一分一秒、片時も離れたくない。
それが二人の想いだったが、現実には容赦なく、営むべき日常が横たわる。
夏休みが始まるのは二十日の終業式からで、里玖には教師としての務めがある。
ゆえに、海斗もまた「朝倉翔生」として登校しなくてはならない。
里玖がいるホームルームと英語の授業だけは生きている実感を感じられたが、その他の授業—―里玖の姿が見えない時間は、ただただ空虚だった。
せめて夜だけは一緒にいたいと、海斗はこの一週間、里玖の部屋で暮らすことに決めた。
車で出勤する里玖と、バスで通学する海斗。
時間差があるから、同じ家から出ても怪しまれない。
夕方、里玖と七海が帰宅すると、三人で連れ立って「実家」である沖島食堂へ向かい、両親と共に食卓を囲む。
それがこの数日間の、守るべき大切なルーティンとなった。
朝倉家への工作には、家政婦の志乃さんが協力してくれた。
「留学までの間、別れを惜しみたい年上の彼女がいるんです。たった一週間だけ、親にごまかしてもらえませんか?」
志乃さんは、驚くほどあっさりと頷いた。
「まあ……青春ですねえ。任せてください」
その優しさが胸にしみた。
「海斗、教師としてはあるまじき発言だけど……」
ある夜、里玖が少しいたずらっぽく、けれど真剣な目で言った。
「もし学校をサボってでも、生きているうちにやりたいことがあったら遠慮なくやってね。悔いがないように」
やりたいこと。
そう言われて考えてみたが、驚くほど何も浮かばなかった。
生前の海斗は、釣りが好きだったし、ゴルフもした。ドライブもだし、もちろん料理は店を出したいほど好きだ。趣味はそこそこある男のつもりだった。
でも――。
改めて考えてみても、やらないと心残りになるほどのものはない。
死を目の前にして、心に浮かぶのはただひとつ。
――里玖と七海と一緒にいたい。できるだけ長く。
シンプルにそれだけだった。
料理だって、自分が思う美味しさの追求だけじゃない。誰かが喜ぶ顔が見たいから工夫してきた。
つまり、海斗にとっての喜びは、常に「誰か」――里玖や家族――と共にあるものだったのだと思い知る。
学校では、アキトが週末のブレイキンの大会に向けて本気で調整していた。
ランチは、いつもの学食 A 定食をやめ、サラダチキンバー、オイコス、おにぎり二個。
授業の合間には BCAA を溶かしたドリンクをあおる。
そんなアキトは、翔生がアメリカに行くと知って、ひどく寂しがった。
「……実はな」
海斗は、そんなアキトだけに、真実を話してみる。冗談めかして。
「……俺、朝倉翔生じゃないっちゃが。俺の正体は、五年前から来た、二十五歳の自衛隊員なんよ。バイク事故で意識を失った翔生くんに乗り移ったと」
「……はは、なんそれ。ウケる」
案の定、アキトは冗談だと受け流すようにいったんは笑った。
しかし、すぐにその笑いを途中で止めて
「……でも、言われてみれば、事故前のショウと違いすぎるんよね。まさか……ほんとだったりして」
といぶかしげに海斗を見た。海斗は続ける。
「で、俺はもうすぐいなくなって、もとの朝倉君に戻る。朝倉君はアメリカ留学するけど……たまには連絡してやってん」
アキトはしばらくあっけに取られたように海斗を見ていたが、少しだけ視線を逸らし、鼻をすすると、
「よくわからんけど……でも、最近のショウ、俺好きだったよ。元の世界に戻っても元気でな……なんちって」
言い終わると照れて、茶化すように海斗の肩を小突いた。いつものように。
その拳の痛みと温かさに、海斗の胸が熱くなる。
自分の存在を覚えていてくれる人間が、ここにも一人増えた。
砂時計の砂は止まることなく落ち続けているが、その一粒一粒に、確かな愛着が刻まれていくのを感じていた。
こうして、海斗の“最後の一週間”は、静かに、確実に、終わりへ向かって進んでいった。
一分一秒、片時も離れたくない。
それが二人の想いだったが、現実には容赦なく、営むべき日常が横たわる。
夏休みが始まるのは二十日の終業式からで、里玖には教師としての務めがある。
ゆえに、海斗もまた「朝倉翔生」として登校しなくてはならない。
里玖がいるホームルームと英語の授業だけは生きている実感を感じられたが、その他の授業—―里玖の姿が見えない時間は、ただただ空虚だった。
せめて夜だけは一緒にいたいと、海斗はこの一週間、里玖の部屋で暮らすことに決めた。
車で出勤する里玖と、バスで通学する海斗。
時間差があるから、同じ家から出ても怪しまれない。
夕方、里玖と七海が帰宅すると、三人で連れ立って「実家」である沖島食堂へ向かい、両親と共に食卓を囲む。
それがこの数日間の、守るべき大切なルーティンとなった。
朝倉家への工作には、家政婦の志乃さんが協力してくれた。
「留学までの間、別れを惜しみたい年上の彼女がいるんです。たった一週間だけ、親にごまかしてもらえませんか?」
志乃さんは、驚くほどあっさりと頷いた。
「まあ……青春ですねえ。任せてください」
その優しさが胸にしみた。
「海斗、教師としてはあるまじき発言だけど……」
ある夜、里玖が少しいたずらっぽく、けれど真剣な目で言った。
「もし学校をサボってでも、生きているうちにやりたいことがあったら遠慮なくやってね。悔いがないように」
やりたいこと。
そう言われて考えてみたが、驚くほど何も浮かばなかった。
生前の海斗は、釣りが好きだったし、ゴルフもした。ドライブもだし、もちろん料理は店を出したいほど好きだ。趣味はそこそこある男のつもりだった。
でも――。
改めて考えてみても、やらないと心残りになるほどのものはない。
死を目の前にして、心に浮かぶのはただひとつ。
――里玖と七海と一緒にいたい。できるだけ長く。
シンプルにそれだけだった。
料理だって、自分が思う美味しさの追求だけじゃない。誰かが喜ぶ顔が見たいから工夫してきた。
つまり、海斗にとっての喜びは、常に「誰か」――里玖や家族――と共にあるものだったのだと思い知る。
学校では、アキトが週末のブレイキンの大会に向けて本気で調整していた。
ランチは、いつもの学食 A 定食をやめ、サラダチキンバー、オイコス、おにぎり二個。
授業の合間には BCAA を溶かしたドリンクをあおる。
そんなアキトは、翔生がアメリカに行くと知って、ひどく寂しがった。
「……実はな」
海斗は、そんなアキトだけに、真実を話してみる。冗談めかして。
「……俺、朝倉翔生じゃないっちゃが。俺の正体は、五年前から来た、二十五歳の自衛隊員なんよ。バイク事故で意識を失った翔生くんに乗り移ったと」
「……はは、なんそれ。ウケる」
案の定、アキトは冗談だと受け流すようにいったんは笑った。
しかし、すぐにその笑いを途中で止めて
「……でも、言われてみれば、事故前のショウと違いすぎるんよね。まさか……ほんとだったりして」
といぶかしげに海斗を見た。海斗は続ける。
「で、俺はもうすぐいなくなって、もとの朝倉君に戻る。朝倉君はアメリカ留学するけど……たまには連絡してやってん」
アキトはしばらくあっけに取られたように海斗を見ていたが、少しだけ視線を逸らし、鼻をすすると、
「よくわからんけど……でも、最近のショウ、俺好きだったよ。元の世界に戻っても元気でな……なんちって」
言い終わると照れて、茶化すように海斗の肩を小突いた。いつものように。
その拳の痛みと温かさに、海斗の胸が熱くなる。
自分の存在を覚えていてくれる人間が、ここにも一人増えた。
砂時計の砂は止まることなく落ち続けているが、その一粒一粒に、確かな愛着が刻まれていくのを感じていた。
こうして、海斗の“最後の一週間”は、静かに、確実に、終わりへ向かって進んでいった。
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