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最終章:祭りのあと(1)
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タクシーの窓に映る街灯が、涙でにじんで揺れていた。
頬には、あの一瞬の口づけの温度がまだ残っている。
タクシーのデジタル時計が、23 時 59 分になった。
どうやら、海斗があの世へ行き、この体が翔生に戻る瞬間はタクシーの中で迎えそうだ。
海斗は目を閉じる。最後の瞬間まで瞼の裏に里玖を思い浮かべるために。
そして、無意識に息を止めていた――。
タクシーのラジオ CM が「〇〇が午前0時をお知らせします」と知らせ終わると同時に、ポーンと時報がなった。
その瞬間、自分に何が起きるのか……身構えていた海斗だったが、何も起きなかった。
おそるおそる目を開ける。
あの世ではない。視界は相変わらず、夜の街のままだ。
マンションに近い準繁華街。人々はまだ楽し気に夏の夜の解放感のままに笑って騒いで歩いている。
海斗は手を見た。すでに見慣れた朝倉翔生の手が視界に入る。
思わず胸に手を当てる。
脈がある。呼吸もできる。意識もはっきりしている。
――あの世へ行っていない。生きてる。
(……なんで?)
混乱と安堵が同時に押し寄せてきて、海斗は震える指でスマホを開いた。
-『海斗です。まだ生きてるんだけど』
送信した瞬間、スマホが震えた。
-『本当に? 海斗なん?』
そのメッセージを着信したところで、タクシーがマンションに到着した。
料金を払って外に出ると、蒸し暑い熱帯夜の空気が重たく体を包んだ――それすらも海斗がまだこの世にいる証左のようで、海斗は安堵する。
-『今、タクシー降りた。部屋に着いたら電話する』
里玖は、七海のそばで、スマホを胸に抱きしめ、天を仰いだ。
(海斗が、まだ生きてる……)
安堵のあまり、七海の隣に崩れるように一瞬横たわったが、むくりと起きる。
テーブルには、先ほどまで「最期の別れ」の象徴だった冷めた紅茶が残っていた。
一口含んでみる。冷え切っているはずなのに、先ほどよりもずっと甘く、華やかな香りが鼻に抜けた。
絶望の味から、希望の味へ。世界の色が、一瞬で塗り替えられたようだった。
やがてかかってきた、海斗からの電話。
「里玖……!俺、まだ生きとう。朝倉君に戻ってない」
その声を聞いた瞬間、里玖の息が安堵で震えた。
「よかった。……海斗、本当によかったね」
里玖の頬を、さっきとは違う涙が新たにつたう。
「これって、奇跡なんかいな……?」
「奇跡なのかな。でも……海斗とまた話せて、まじで嬉しい……」
二人はしばらく、言葉にならない呼吸のような小さな笑いだけを共有した。
「……でも」
受話器から里玖の、不安げな声が聞こえる。
「もしかしたら……夜明けとともに、ってことはないよね」
「……」
「一日の始まりを、日の出の時間として考えるって……ありそうやない?」
海斗は、考える。
四十九日説はそもそも安光和尚からもたらされた情報だ。
仏教のことはよくわからないが、日本時間で0時での日にちの切り替わりより、日の出を一日の始まりとする説はいかにもありそうだ。
「……ありえるな」
海斗はスマホで夜明けの時間を調べた。午前5時 21分。
せっかく「生き延びられた」のに、たった数時間だけで、ぬか喜びの可能性があるとは……。
「……5時 21分まで、このまま電話繋いでいようか」
海斗は、冗談めかして、でも半分本気で提案した。
里玖はそれを冗談だと捉えたようだ。小さく笑う声が聞こえた。ため息のような笑い。
「……いいよ、そんな。5時 21分になっても海斗のままだったら、またメッセージちょうだい」
それでも、里玖の声は、涙のせいなのか、少し鼻にかかっていた。
「わかった。アラームかけとく」
「……メッセージ、待ってるね」
そのあと、何往復か会話して、通話は切れた。
電話の音声だけだからか、さっきのような悲壮感は感じられず、淡々と切れた。
もしかしたら夜明けとともに、二人は今度こそこの世とあの世で引き裂かれるかもしれないのに。
その「悲壮感のなさ」こそが、まだこの世に留まれる予兆だったと海斗は数時間後に知る。
里玖との電話が終わった後、海斗はベッドに横たわっていた。
眠れるはずがない――そう思っていたが、極限の緊張から解放された反動か、いつのまにか意識を手放し、深い眠りに落ちていた。
"ピピピッ! ピピピッ!"
けたたましいアラーム音が鳴り響き、海斗は弾かれたように飛び起きた。
5時 20 分。
カーテンの隙間から、白み始めた空の光が差し込んでいる。
急に覚醒したせいか、胸がどきどきと脈打っている。
ベッドから降りると、寝室を出て、リビングのカーテンをあける。——明ける直前の空が青い。
あくびをしながら、スマホを見る。5時 21 分。自分は変わらずここにいる。
鏡に映った自分は、あいかわらず黄色い髪の朝倉翔生だが、意識は沖島海斗のままだ。
里玖にメッセージを打つ。
-『まだ生きてる。今からそっちに向かう』
一本だけメッセージを送り、海斗は部屋を飛び出した。
始発のバスの窓ごしに、朝陽が海斗を照らす。
昨夜見た冷たい月光とは違う、生命を祝福するような力強い光。海斗はその光を全身に浴びながら、里玖のもとへと急いだ。
里玖の部屋のドアが開いた瞬間、二人は吸い寄せられるように抱きしめ合った。
「海斗……!」
「里玖……!」
実体がある。体温がある。
昨日の別れの涙が、嘘のように溶けていく。
そこへ、寝起きの七海が目をこすりながら起きてきた。
「ぱぱ……?」
「七海!」
海斗は七海を抱き上げると、里玖を再び抱き寄せた。三人で、固く、固く抱き合う。もう二度と来ないと思っていた、幸せな朝——。
やがて、朝の光の中で、三人そろって朝食の時間となった。
コーヒーの香りに、トーストの香ばしい匂い。里玖と七海の笑顔。
――この光景を、もう一度見られるなんて。
海斗は胸が熱くなった。
「これって奇跡が起きたってこと? どういうことなん……?」
里玖が海斗のマグカップにコーヒーをつぎ足しながら訊いた。
「わからんわ」
「もう朝倉君に変わらなくてもいいってこと……?」
里玖が、見つめてくる。彼女の瞳に映っているのは朝倉翔生の姿だが、その中にいるのは間違いなく海斗の意識だ。
「それもわからん。……どういうことか、このあと安光に聞いてくるわ」
海斗はバターを塗ったトーストを口に運び、噛み締めた。
クリスピーな歯ごたえも、焼けたパンの香ばしい香りも、バターのまろやかな味も、すべて、まだ海斗が生きている実感になった。
頬には、あの一瞬の口づけの温度がまだ残っている。
タクシーのデジタル時計が、23 時 59 分になった。
どうやら、海斗があの世へ行き、この体が翔生に戻る瞬間はタクシーの中で迎えそうだ。
海斗は目を閉じる。最後の瞬間まで瞼の裏に里玖を思い浮かべるために。
そして、無意識に息を止めていた――。
タクシーのラジオ CM が「〇〇が午前0時をお知らせします」と知らせ終わると同時に、ポーンと時報がなった。
その瞬間、自分に何が起きるのか……身構えていた海斗だったが、何も起きなかった。
おそるおそる目を開ける。
あの世ではない。視界は相変わらず、夜の街のままだ。
マンションに近い準繁華街。人々はまだ楽し気に夏の夜の解放感のままに笑って騒いで歩いている。
海斗は手を見た。すでに見慣れた朝倉翔生の手が視界に入る。
思わず胸に手を当てる。
脈がある。呼吸もできる。意識もはっきりしている。
――あの世へ行っていない。生きてる。
(……なんで?)
混乱と安堵が同時に押し寄せてきて、海斗は震える指でスマホを開いた。
-『海斗です。まだ生きてるんだけど』
送信した瞬間、スマホが震えた。
-『本当に? 海斗なん?』
そのメッセージを着信したところで、タクシーがマンションに到着した。
料金を払って外に出ると、蒸し暑い熱帯夜の空気が重たく体を包んだ――それすらも海斗がまだこの世にいる証左のようで、海斗は安堵する。
-『今、タクシー降りた。部屋に着いたら電話する』
里玖は、七海のそばで、スマホを胸に抱きしめ、天を仰いだ。
(海斗が、まだ生きてる……)
安堵のあまり、七海の隣に崩れるように一瞬横たわったが、むくりと起きる。
テーブルには、先ほどまで「最期の別れ」の象徴だった冷めた紅茶が残っていた。
一口含んでみる。冷え切っているはずなのに、先ほどよりもずっと甘く、華やかな香りが鼻に抜けた。
絶望の味から、希望の味へ。世界の色が、一瞬で塗り替えられたようだった。
やがてかかってきた、海斗からの電話。
「里玖……!俺、まだ生きとう。朝倉君に戻ってない」
その声を聞いた瞬間、里玖の息が安堵で震えた。
「よかった。……海斗、本当によかったね」
里玖の頬を、さっきとは違う涙が新たにつたう。
「これって、奇跡なんかいな……?」
「奇跡なのかな。でも……海斗とまた話せて、まじで嬉しい……」
二人はしばらく、言葉にならない呼吸のような小さな笑いだけを共有した。
「……でも」
受話器から里玖の、不安げな声が聞こえる。
「もしかしたら……夜明けとともに、ってことはないよね」
「……」
「一日の始まりを、日の出の時間として考えるって……ありそうやない?」
海斗は、考える。
四十九日説はそもそも安光和尚からもたらされた情報だ。
仏教のことはよくわからないが、日本時間で0時での日にちの切り替わりより、日の出を一日の始まりとする説はいかにもありそうだ。
「……ありえるな」
海斗はスマホで夜明けの時間を調べた。午前5時 21分。
せっかく「生き延びられた」のに、たった数時間だけで、ぬか喜びの可能性があるとは……。
「……5時 21分まで、このまま電話繋いでいようか」
海斗は、冗談めかして、でも半分本気で提案した。
里玖はそれを冗談だと捉えたようだ。小さく笑う声が聞こえた。ため息のような笑い。
「……いいよ、そんな。5時 21分になっても海斗のままだったら、またメッセージちょうだい」
それでも、里玖の声は、涙のせいなのか、少し鼻にかかっていた。
「わかった。アラームかけとく」
「……メッセージ、待ってるね」
そのあと、何往復か会話して、通話は切れた。
電話の音声だけだからか、さっきのような悲壮感は感じられず、淡々と切れた。
もしかしたら夜明けとともに、二人は今度こそこの世とあの世で引き裂かれるかもしれないのに。
その「悲壮感のなさ」こそが、まだこの世に留まれる予兆だったと海斗は数時間後に知る。
里玖との電話が終わった後、海斗はベッドに横たわっていた。
眠れるはずがない――そう思っていたが、極限の緊張から解放された反動か、いつのまにか意識を手放し、深い眠りに落ちていた。
"ピピピッ! ピピピッ!"
けたたましいアラーム音が鳴り響き、海斗は弾かれたように飛び起きた。
5時 20 分。
カーテンの隙間から、白み始めた空の光が差し込んでいる。
急に覚醒したせいか、胸がどきどきと脈打っている。
ベッドから降りると、寝室を出て、リビングのカーテンをあける。——明ける直前の空が青い。
あくびをしながら、スマホを見る。5時 21 分。自分は変わらずここにいる。
鏡に映った自分は、あいかわらず黄色い髪の朝倉翔生だが、意識は沖島海斗のままだ。
里玖にメッセージを打つ。
-『まだ生きてる。今からそっちに向かう』
一本だけメッセージを送り、海斗は部屋を飛び出した。
始発のバスの窓ごしに、朝陽が海斗を照らす。
昨夜見た冷たい月光とは違う、生命を祝福するような力強い光。海斗はその光を全身に浴びながら、里玖のもとへと急いだ。
里玖の部屋のドアが開いた瞬間、二人は吸い寄せられるように抱きしめ合った。
「海斗……!」
「里玖……!」
実体がある。体温がある。
昨日の別れの涙が、嘘のように溶けていく。
そこへ、寝起きの七海が目をこすりながら起きてきた。
「ぱぱ……?」
「七海!」
海斗は七海を抱き上げると、里玖を再び抱き寄せた。三人で、固く、固く抱き合う。もう二度と来ないと思っていた、幸せな朝——。
やがて、朝の光の中で、三人そろって朝食の時間となった。
コーヒーの香りに、トーストの香ばしい匂い。里玖と七海の笑顔。
――この光景を、もう一度見られるなんて。
海斗は胸が熱くなった。
「これって奇跡が起きたってこと? どういうことなん……?」
里玖が海斗のマグカップにコーヒーをつぎ足しながら訊いた。
「わからんわ」
「もう朝倉君に変わらなくてもいいってこと……?」
里玖が、見つめてくる。彼女の瞳に映っているのは朝倉翔生の姿だが、その中にいるのは間違いなく海斗の意識だ。
「それもわからん。……どういうことか、このあと安光に聞いてくるわ」
海斗はバターを塗ったトーストを口に運び、噛み締めた。
クリスピーな歯ごたえも、焼けたパンの香ばしい香りも、バターのまろやかな味も、すべて、まだ海斗が生きている実感になった。
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