月誓歌

有須

文字の大きさ
125 / 207
修道女、女は怖いと思う

4

しおりを挟む
 きらびやかなシャンデリアの明かり。
 色とりどりのドレス。
 ひらひらと舞い踊る紳士淑女たち。
 世のお嬢さん方が夢に見るような、豪華絢爛な舞踏会は、メイラの目にはひどく現実感に乏しく、まるで遠くで繰り広げられている劇のように思えた。
 聖職者である猊下のエスコートは本来不要で、こういう場では大抵お一人らしい。
 では今回もそれでよかったじゃないか、と恨みに思うのは、ものすごい数の視線に現在進行形でさらされているからだ。
 好意的なものはほとんど感じられず、厳しい目だけを浴びせられて、扇子の下で引きつった半笑いを保つのが精一杯。
 出来るだけ早く退散しようと心に決めつつ、猊下の腕をぎゅっと握る。
 ホールから一階層高い位置から入場し、独特の抑揚で高々と名前を呼ばれて。舞台女優のように注視されながら階段を降り、誰にも頭を下げない猊下の隣で、深々と淑女の礼を取る。
 猊下が最後の入場であり、そのあとすぐにオーケストラによる楽器演奏が始まる。ファーストダンスは一番上の異母兄とその第一正妻が務め、メイラがしていた事といえば、猊下の腕につかまって空気になっていただけ。一応は序列二位の主賓格なのだろうが、ひたすら気配を殺してその場をやり過ごそうと努めた。
 しかし、特に悪意のある者たちはメイラの存在を忘れていてはくれなかった。何が恐ろしいかと言うと、一見極めてまっとうに、誇り高き貴族としての態度を崩さないところだ。
「初めてお目にかかります、妾妃メルシェイラさま。以前からお会いしたいと思っておりましたのよ。わたくし、リリアーナ・ハーデスと申します」
 その女性を一目見た時、あまりにも父の第二正妻によく似ていたので呼吸が詰まった。
 幼いころにかの奥方に受けた仕打ちはひと際ひどく、最も心身に後遺症を残すものだった。髪を掴まれ、階段の上から突き飛ばされた時には、花を活けていた大きな壺と一緒に落ち大けがを負った。
 まだ古い傷跡は消えていないし、あの落下するときの恐怖は忘れられない。
 噂によると病を得、長く療養していると聞くが、できるならば二度と見たくはない顔だった。
 当の本人ではないと頭で理解していても、悪意の欠片も感じさせず淑女然と微笑みかけられても、あの方に瓜二つの容姿だというだけで相いれないと感じてしまう。
 リリアーナといえば、公爵家一の美姫として有名だ。
 市井にも聞こえてくるほどに才色兼備で、彼女が未婚なのはおいそれと口にはできない方との婚姻が内々に決まっているからだろうと囁かれていた。
 二番目の異母兄が後宮に押しかけてきたときに、陛下のお側に上がらせたいと言っていたのは彼女の事だ。
 先ほど父に引っ張って行かれたシェーラジェーンなどは、あきらかに自制のきかない典型的な我儘娘だが、今目の前にいる胸も尻もゴージャスで華やかな美女は違う。
 貴族女性としての微笑みを顔に張り付け、むしろそれが作り物だとは誰も思わないであろう完璧さでメイラに礼を取っている。
「先ほどは妹が恥ずかしい態度をとってしまい、申し訳ございません」
 丁寧な仕草で頭を下げ、控えめに微笑む。
 ため息が出るほどに卒のない、美しい容姿に美しい所作。
 妾腹のメイラに対して頭を下げることを厭わず、むしろ下手にでる謙虚さは、もし容姿があの方に瓜二つでさえなければ、仲良くできると錯覚できたかもしれない。
 にわか妾妃のメイラと比べると何もかもが勝る、生まれながらの高貴な令嬢だった。
「噂は聞いているよ、リリアーナ嬢。毎年寄付をありがとう」
 生粋の公爵家の姫君に圧倒されて、何と返答するのが正解かと迷っているうちに、救いの手を差し伸べてくれたのが猊下だった。
「あなたの姪はね、いつも中央神殿に心付けをくれてね」
「……まあ」
「敬虔な神の子たらんとするのは素晴らしい事だ」
「さようでございますか。中央神殿に寄付を」
 いや、悪いとは言わないのだけれども。
 中央神殿の総本山はこの国にはない。
 淑女のたしなみである慈善活動は、主に自領でするもので、寄付と言えば地元の修道院であったり、孤児院であったり、せいぜい命名式や葬儀などで付き合いのある教会ぐらいまでだ。
 領主でも後継でもなく、言ってはなんだがたかが次男の娘がそこまでするなど聞いたことがない。
 それを極めて敬虔だと捉えるべきか、何か別の思惑があると取るべきか、
 メイラがちらりと視線を向けると、リリアーナはその美しい面に満面の笑みを浮かべ、キラキラ光る目で猊下を見上げていた。
 若い娘らしい、贔屓の舞台俳優でも見ているかのような表情だ。
 普段は完璧に作り上げられている淑女の可愛らしいその隙を、世の男性であれば微笑ましく思うのかもしれない。
 不意に、彼女の美しい琥珀色の目がメイラの方を見た。
 にっこりと、邪気ない美しい笑みを向けられて……わかってしまった。
 その隙ですら計算し尽くした、美しい外見にそぐわぬ油断ならない相手だと。
「妾妃メルシェイラさまは長く慈善活動に携われ、孤児の保護に心を尽くされてきたとか。わたくしの寄付など些末なものです。いろいろとご教授下さいませ」
 勘弁してください。
 メイラは、精一杯の虚勢を張って微笑み返した。
「……わたくしでよろしければ」
 でもきっと忙しいので無理です。体調も悪くなる予定だし。
「リリアーナ」
 心の中で撤退の準備をしながら、更に追撃が来るだろうと身構えていると、低いどこかで聞いたような声がリリアーナの名前を呼んだ。
「猊下にご迷惑をおかけしているんじゃないだろうね?」
 それはとても甘く、やさし気な口調だった。
 聞き覚えがあると感じたのは気のせいか、確実に初対面の男だ。
「初めて御意を得ます、リオネル・ハーデスと申します」
 父の継嗣である一番上の異母兄の、今最も後継者の椅子に近いところにいると言われている長男だ。リリアーナとは従妹同士だが、確か婚約していたのではなかったか?
 いや、後宮に入るつもりでいるなら、婚約というのはただの噂なのだろう。
「妾妃メルシェイラさまにおかれましては」
 ありきたりな挨拶を受けながら、いとこ同士並ぶ二人の、あまりの違いを思う。華があり誰の目にも英邁とわかるリリアーナに対して、男性にしては線が細く、小柄で、平凡な顔立ちのリオネルはひどく凡庸に映る。
 まっすぐにメイラを見るその目は、柔らかな口調に反して冷ややかだ。意図せず、その濃い茶色の目の奥を覗き込んでしまい、不意に理解した。
 父に似ているのだ。とても。
 メイラが何を思ったのか正確に察したのだろう、父と全く同じ角度で唇を歪め、無作法と言われないギリギリの仕草でリリアーナの手を握った。
「一度だけダンスを踊るよう言われていただろう?」
「挨拶の途中ですわ、リオネルさま」
「お祖父様の御命令だよ」
 ふくり、と白皙の美貌が片頬を膨らませた。ちらちらと彼女の美貌に見惚れていた男たちが顔を赤らめる。
「一度だけよ」
「ああ」
 リリアーナは丁寧にメイラたちに礼を取ってからダンスフロアーに下がっていった。
 男性としては小柄なリオネルと、抜群のプロポーションを誇るリリアーナが踊る様子は、多勢の視線を集めていた。
 その視線に混じる一定数の侮蔑は、リリアーナよりも背が低いリオネルに向けられたものだ。
 当の本人たちは慣れているのか、まったく気にする素振りもないが、将来公爵になるかもしれない相手に、よくそんな態度が取れるものだ。

しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】王妃を廃した、その後は……

かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。 地位や名誉……権力でさえ。 否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。 望んだものは、ただ一つ。 ――あの人からの愛。 ただ、それだけだったというのに……。 「ラウラ! お前を廃妃とする!」 国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。 隣には妹のパウラ。 お腹には子どもが居ると言う。 何一つ持たず王城から追い出された私は…… 静かな海へと身を沈める。 唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは…… そしてパウラは…… 最期に笑うのは……? それとも……救いは誰の手にもないのか *************************** こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

処理中です...