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小さな友達

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 お嬢さん、お嬢さん。
 その声は男のものだった。
 シャーロットは男の声というものに不快感を抱きながらも、重い瞼を開ける。そして目の前に飛び込んできたを見て、酷く痛む体と共に飛び起きることになる。
「可哀想に。あのクソアマがややこしい結界なんて張らなければ早く来れたのに!そうしたらお嬢さんが純血を散らすこともなかったのに!今度こそ八つ裂きにして殺してやる」
「イタチが喋ってる」
 シャーロットはまじまじとその生物を見つめた。
 それは栗色の毛並みを持つイタチだった。大きさはごく普通のイタチ程度。しかし普通のイタチと大きく異なるのは、人間の言葉を話しているという点だった。若い男の声だが、柔らかでしなやかである。イタチは短い前足を伸ばし、シャーロットの膝を優しく撫でる。
「堕胎薬は必ず用意する。ひとまずここから逃げよう」
「待って。あなたは何者?これは現実?」
「辛く悲しいけれど現実なんだ。でも君は悪くない。何も変わらない。君のいた世界は変わるけれど、
 イタチは優しく笑う。
 シャーロットは耐え切れず、声を上げて涙を流した。その時やっと自身が何一つ身にまとっていなかったことに気付き、近くに捨てられていた薄汚れたワンピースを手に取った。
「ごめんね、お嬢さん。あの日の恩返しをしたくて駆けてきたけど、君の苦しい時には間に合わなかった。ごめんね」
「何であなたが謝るの」
 シャーロットはイタチに手を伸ばす。その小さな頭を撫でると、イタチは更に愛らしく笑みを深めた。
「ところでお嬢さん、の陣は覚えてる?」
「ごめんなさい、もう一度言って?」
だよ。君が小さい頃、僕に書いて見せてくれたやつ」
「小さい頃?」
 シャーロットは首を傾げた。そしてはっと目を見開くと、イタチを両手で抱き上げた。シャーロットの顔に喜色が滲む。
「まさかあの時、庭に来ていたイタチ?」
「そうだよ」
 イタチは大きく尻尾を振った。
 シャーロットが七歳か八歳くらいの年齢の時、よく王城の庭先に一匹のイタチが出入りしていた。シャーロットやシャーロットの母親以外はこのイタチを害獣と言って追い払っていたが、シャーロットは何とも言えぬ奇妙さをこのイタチだけに感じており、よく構っていた。当時は人懐っこいイタチもいるものだと思っていたが、今思えば人間の言葉を理解していたから、シャーロットの遊びに付き合っていたのだ。しかしいつの日から、このイタチを見かけなくなった。どこか遠くに行ったのか、最悪駆除されてしまったのか。シャーロットは数ヶ月ほど悲しい思いをしていたことを思い出した。
「あなた生きていたの。良かった」
「クソアマのせいで死にかけたけどね」
「あなたの度々言うクソアマって誰のことなの?アマって女性のことを罵って言う時に使う言葉でしょう」
「それは後で話すよ。それよりも天地転瞬の陣は覚えてる?」
 シャーロットは頷く。
「あなたにはよく書いて見せて自慢してたけど、本当は母に誰にも教えてはならないって言われていたのよ。どうして誰にも教えてはならないかは教えてくれなかったけど」
「人間の中でもが操れる術だからだよ。の僕が陣を書いても正しく使えない。」
 シャーロットは僅かに目を見開いた。
「お嬢さん、見張りがいない今しかない。早く逃げよう」
「もしあなたがあの時のイタチだとして、あなたが魔物だとして、どうして私を助けてくれるの?それに、私はここから逃げられたとしても生きることは出来ない。恥ずかしいけれど、私は無知であり無力すぎる」
 シャーロットは険しい顔付きでイタチを見つめた。イタチを抱き上げる指先に無意識に力が入る。
 しかしイタチは愛嬌が溢れた顔のまま、シャーロットを見つめていた。
「あの日、僕を手当してくれたこと忘れちゃった?君だけだよ、僕を助けて、僕と遊んでくれたのは。美味しいクッキーも分けてくれたね。ままごとはよく分からないけど、君はとても楽しそうだった。僕は人間が嫌いなんだ。同胞は害ある獣として殺された。僕の両親も兄弟も。君以外の人間は嫌いだけど、君になら裏切られても良いくらい好きなんだよ。だから大丈夫。君が遠くへ、君の知らない土地に行けるまで一緒に行くよ。僕ね、君が思っている以上に長生きなんだ。悪知恵はたくさん働くよ。だから君が這ってでも生きていけるようにするさ」
 イタチは朗らかに笑う。
 シャーロットは嗚咽を漏らしながら、イタチを抱き締めていた。シャーロットの体は酷く冷えていた。だからイタチの体温は心地好く、同時に母がまだ生きていたあの頃を思い出し、息が詰まるほど苦しかった。
「人間だろうと魔物だろうとただ生きるだけは難しいよ。目標が無ければ、どんな苦難にも勝てない。お嬢さん、生きてに復讐してやろう。君を穢した人間を殺して根絶やしにしよう。君の物語はここで終わらせるには短すぎる」
 イタチはシャーロットの首に巻き付いた。
 シャーロットはかつて、しんしんと雪が降る日もイタチを首に巻いて外で遊んだことを思い出す。今の己は誰も何も信じられず、信じたいとは思えなかった。しかし突如現れた旧友の言葉は、シャーロットの冷えた心に強く響いた。
「ありがとう、私の大事な友達」
 シャーロットは顔を上げた。二度と涙は流さない。シャーロットにとってここは清らかで美しい世界ではないけれど、だからこそ燃え上がる怒りと憎しみがあった。
「あの陣は己の血と肉体に書くことで完成する。母はそう言っていた」
 シャーロットはワンピースをたくし上げる。そしてその場に落ちていた石を手に取った。牢獄の一部が崩れて落ちた石だった。石の尖った部分を太腿に突き立てる。シャーロットは深い呼吸を数度繰り返した。
『この身は天地に縛られず自由に飛ぶ者』
 シャーロットは太腿に石を突き立て、記憶の通りに陣を書いていく。そして激しい痛みに耐えながら、母から伝えられた一言一言を丁寧に口にした。
『天地転瞬!』
 シャーロットの体は光に包まれる。
 そして転瞬。冷たく暗い牢獄には誰の姿もなかった。
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