生死の狭間

そこらへんの学生

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繰返死

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「仕事切り上げたから、今から帰るよ」
 言葉にすると、それだけで十分すぎるほどの解放感が私の体を包んだ気がした。定時で仕事を切り上げるのはいつぶりのことだろうか。私の受話器越しの言葉に、妻はやや嬉しそうに「分かったわ、気をつけてね」と返してくれた。ささいな会話だと言うのに、随分心地良い会話だった。会話はそれだけだった。ただ帰宅するという連絡をするだけで、それをするのとしないのとでは、私にとって気持ちに大きな違いがあった。
 私は今から家に帰るのだと、愛する妻と子供達が待つ我が家へと、寄り道などすることもなく、あぁ、妻へのプレゼントは忘れず、子供達が喜びそうなお菓子も買って、急いで家に帰るのだと、強く意識する。そうすることで、自然と足は前に出るし、寒さで凍えそうだったはずの指先にも熱い血が通っているように思えた。
 役割を終えたスマホをポケットにしまいながら、少し早足で私は帰路を進む。会社から我が家までの距離は徒歩にして15分、途中ケーキ屋と花屋が都合よく隣接しているので、そこでプレゼントを選んでも30分はかからないだろう。2年目の結婚記念日である今日この日のために、ケーキと花束は予約してあった。勿論それだけでは足りないから、妻には好きなものが買えるようにカタログギフトを家の箪笥に仕舞い込んでいる。あれをだして渡せば、きっと喜んでくれるに違いない。
 ウキウキしながら、三車線道路の歩道橋の階段を登っていく。七時とは言え、もう冬で、この時間にはもう夜中と言って差し支えないほどに闇が降り、歩道の灯りと車のランプだけが煌々と光っている。
 少し哀愁を感じながら、私は歩道橋の丁度真ん中あたりで、道路を見下ろした。普段忙しくて見ることなんてない景色が、こんな身近に広がっていたんだと少し驚く。寂れつつあるこの街で、それでもたくさんの住宅街とビルが立ち並び、大型ショッピングモールと中央駅が地下で繋がっているこの街が、私にとっては第二の故郷になりつつあった。地方出身、田んぼばかりの地域から大学で上京し、この地に就職した私にとって、この場所は未だ大都会というに相応しい場所だった。車は昼夜滞りなく走り、街灯が24時間あたりを照らし、いつも動いている人たちがそこにいる。ビルの明かりが全て消える日なんて、おそらく年中ありはしない。1日の始まりと終わりが曖昧になって、そして一つになる。そんな風に私は感じていた。そしてそれを心地よく思い、自分がその歯車となることを許容していた。
「あの、ちょっと良いですか?」
 いかん、思索に耽っている場合では無かった。一刻も早く妻の元へと、子供たちの元へと帰らねば。
「聞いてます?」
 妻とは学生の時に出会った。互いに惹かれ合い、入社してから2年目で結婚した。勿論不安はあったが、私がたくさん働いて彼女を楽にさせてあげることは出来たように思う。子供もすでに四つ足で歩け、言葉を発せるようになりつつある。私たちの人生はこれからが本番だ。
「あなたの人生は曖昧ですか?」
「え?」
 いつの間にか、#__・__#はそこに居た。
 何か言っていたような気もする。こんな人二人通るのがやっとの歩道橋で、この人が話しかけているのは、私以外の誰でも無い。
「僕、いや、私。探してるんです」
「探してる・・・?」
 何を探しているのだろう。忙しなければならないが、どうやら困っているようにも見える。それでいて、どこか落ち着いている。
 指先が悴んでいるのを感じた。車の走る音が歩道橋の下からうるさいほどに聞こえてくる。神経が研ぎ澄まされていくのを感じる。
「手伝ってくれますか?」
 にこり、とその人は音を立てて笑った気がした。さもそれが当たり前のように、返答など待たないと言うように、笑ってみせた。
 人助けは良いことだ。
 私はそう思った。結婚記念日の食卓に遅れるわけにはいかないが、みすみすこの人を助けずに帰っては後味が悪い。出来ることは、やらせてもらおう。探し物?とやらが見つからない時は、諦めてもらうしか無いが、それでも手は尽くすことにした。きっと妻も許してくれよう。妻が好きになってくれたのはきっと私のこういうところなのだから。
 ケーキはドーム状のクリームケーキ。花束は妻の好きなカーネーションをベースにした。きっと、喜んでくれるだろう。そう思えば、帰り道の少しの人助けくらい頑張れる。いつもパソコンの受注発注画面とにらめっこしなれけばならない仕事よりキツく無い。
「良いですよ、手伝います。なにをさがしているんですか?」
 出来るだけ柔和な笑みで、私はそう言葉を返した。
 だが、ふと違和感を持った。
 
 私はこの人の顔を見ていない。

 私はこの人の姿を見ていない。 

 私は歩道橋の下を眺めていた。車の音を聞いていた。街灯を見つめていた。

 私は断定した。この人が笑ったのだと、口が開く音のような何かの音で、そう判断した。

 この人は、笑っていたのだろうか?

 この人は、誰なのだろうか?

 どうして、そんな疑問が今になって、異様なほど異常に湧き上がってくるのか?

 考えるまでも無かった。

 それは、はっきりとした、何かだった。
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