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137 ドレイファスの一歩

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 朝食を済ませると、久しぶりにルジーと一緒に離れに向かう。
いつもならまず畑だが、今日は厨房に行ってボンディに蓋のある瓶と牛乳をくれるように頼んだ。

 小さな手で蓋を捻り、しっかりしまっているのを確認する。

 ルジーが不思議そうな目をしているのを見て、ニッと笑ってみせると、猛烈な勢いで瓶を上下に振り始める。

 バシャバシャバシャバシャ

 牛乳が瓶にぶつかり音を立てるが、まったく気にせずに振り続ける。
ボンディとルジーは唖然と見ているだけ。

 音が少し鈍くなったきた頃、ドレイファスの動きが悪くなってきた。腕があがらなくなってきて上半身の力でなんとか振っているのだが、諦めたくない。
顔や首筋には冬だというのに大量の汗が流れるも、それも気にせずに髪を乱して瓶を振った。

 音や振った時の感触が明らかに変わった。
 ルジーがタイミングをみてタオルを渡そうとしたが、ドレイファスは瓶の蓋を外すことに気を取られている。
手に力が入らず、しっかり締めた蓋がうまく開けられない。

「開かないの」
「貸して」

 ルジーが瓶を受け取って蓋を外したのだが、小瓶の中が見えたルジーが覗き込んで首を傾げる。

「あれ?固まってる!」
「貸して貸して!」

 瓶を取り返して、ドレイファスも中を覗くと

「できたぁ!できてるよ~!やった!やーったぁー!」

 ボンディとルジーは顔を見合わせ、そしてドレイファスが振り回す小瓶の中を覗いた。
白っぽい塊と薄く濁りのある液体が少し入っているが、これはなんだ?

「ボンディ!これ、塊を瓶から出して!」
「これをか?」

 ボンディが棒を差し込んで掻き出し、皿にこてっと載せられた牛乳の塊。

「これはなんだ?」
「わからないんだけど。んーとね、ウィーの粉を溶いたの焼くでしょ?」

 ボンディが頷く。

「そのときね、鍋にこれをいれてから焼くの」
「ほうほう、じゃあ早速やってみましょかね」

 ウィーの粉を溶くと薄鉄鍋を温める。
いつもならここにどろりとウィーを流し込むのだが、まずはドレイファスが作った塊を適当に掬ってポトンと落とす。
するとあっと言う間にさらーと溶け出して、香ばしい匂いに鼻をぴくぴくさせながらボンディは今度こそウィーを流した。
いつものように端からぷつぷつと小さな穴があき、焼き上がっていくのだがいつもとは香りがまったく違う!

「ああ、なんて美味そうなにおいだ!」

 ルジーも鍋をじっと見つめている。
焼けた面をひっくり返すときに、ボンディがうれしそうに

「なんて美味そうな焼き色だ!」

 ドレイファスにぐっと親指を立てた。

 肉を焼くときは、捌く際に脂も取ってそれを使うのだが、肉にしか使わない。肉のにおいをつけたくないものもあるからだが、しかしこれならそのにおいさえも食欲をそそる。
 焼きあがりは、今までになく美しくこんがりだ。

 早速試食する。

「んっ、うっまい!」
「うんっおいしいねっ、すーっごく」
「香りもよく、ふっくらだけどしっとりもしていて、実に風味がよいな」

 ボンディは満足そうに分析した。

「ドレイファス様、これはなんですか?」
「夢でみたの。いつも誰かが作ってくれるけど、自分でやってみたかったんだ」

 ボンディに負けず劣らず満足そうに笑ったドレイファスに、なんでも先回りしてやってしまう自分たちが少年の挑戦する機会を奪っているのかもしれないと、遅まきながら気がついた使用人たち。

「しかし、これ作るのは大変そうだ」

 ルジーがドレイファスの頭を撫でつつ、指先で髪を整えてやると、気持ち良さそうに目を細めて、小さな頃と変わらない表情をみせる。

 ─相変わらずかわいいな!帰ったらメイベルに教えてやろう!─

 ルジーの妻メイベルが侍女だったときはお互いにドレイファスかわいい自慢をしていた二人だが。
 サイルズ男爵家の後継として仕事を始めたメイベルは、

「ドレイファス様が足りない」

と言って、ルジーから話を聞くのをとても楽しみにしているのだ。

「ボンディ、これでウィーなん枚焼けるかな」

 今度はルジーとボンディ、厨房の者も協力して瓶に入れた牛乳を振った。やってみて、さっきのドレイファスがどれほどがんばったかわかる。

「これはなかなか大変だなあ」

 ちょっと恰幅がよくなったボンディは大汗を拭って手を休めたが、ドレイファスは手を緩めない。
 初めて自分の手ずから生み出した物が、みんなを喜ばせたことが力になっているのだ。

 みんなをもっと喜ばせたい!
 みんなが喜ぶってうれしい!

 ドレイファスの世界では古くからあるものをあるがままの姿で作り続け、長くその形を変えないものが多い。変化を好まないわけではなく、そのままでも十分だと特に新しい工夫をしようとは思わないだけだ。
 ローザリオのような錬金術師でも元あるレシピを踏襲し、より精度や質の高いものを作り出すものが優秀と評価されている。
 フラワーウォーターやフラワーオイルを売り出したことは、錬金術師としてもとても異例のことだった。

 自分にはシエルドやトレモルのような、コレ!というものがないと悩んでいたが、あったのに気づいていないだけだったと理解したドレイファスは、次からは自分で試して作ると決めた。
無意識のスキルを、意識した瞬間でもあった。

 牛乳の塊の夢はそのあとも何度か見た。
あるときドレイファスは夢の中の人々がそれをバターと呼んでいることに気づいて、ボンディに

「これの名前はバターにする!」

と告げた。

 バターは薄鉄鍋で野菜や肉を焼くときも使われ始め、公爵家の食事は見事になる一方だ。
 但し、バター自体を作るために毎日誰かが大汗をかいている。
 ボンディは楽に作ることができる機械をローザリオ・シズルスに依頼することにして呼びつけ、バターとその料理、バターの作り方を披露してみせると翌日作り上げた機械を持って現れた。

「上下に振り続ければいいなんて、いままでで一番簡単だった!」

 そう言いながらその場で試作したバターは、なんとローザリオがすべて持ち帰った。

「本当に!あの錬金術師はちゃっかりしているな」

 ボンディが笑いを噛み殺す。

「まあ機械の代金だと思えばいい」

 その場に居合わせたタンジェントはローザリオに慣れているせいか、軽くスルーした。

「それより早速作ってみよう!」

 テーブルに乗るほどの、たいして大きくもないそれは見た目より重い。瓶を振るときにバランスを整えるためわざと重くしたとローザリオが言っていた。
 瓶をクッションのついた板で上下挟んでロックをかけ、魔石で魔力を流すと凄い勢いでバシャバシャと振り始める。

「誰も汗一つかかないというのが素晴らしいな!」

 塊が出来始めた音にふたりは満足そうに・・・ボンディは新しいレシピを、タンジェントはあの香ばしい食欲をそそる匂いを頭に浮かべていた。
 その日、学院から戻ったドレイファスがタンジェントからボンディのところに寄るよう勧められ、レイドと一緒に厨房へ向かうと、中からバシャバシャとあの音がして、誰かがバターを作っているんだなとそっと覗いたのだが。

「なにこれ?」

 変な機械がものすごい勢いで瓶を振っているのだ。

「ローザリオ様に作ってもらったんですよ。バターを食べさせたらすぐ作ってくれました」

 ボンディが笑う。

「へえ!すごい、簡単になった!」

 褒め言葉を口にしながらも、ドレイファスがちょっぴり残念そうに言ったのを見逃さなかったボンディがフォローする。

「ドレイファス様が最初に作って見せてくださったからこそ、この機械もすぐにできたのですよ!本当に素晴らしいものを作り出してくださった!薄鉄鍋もウィーの粉も、卵焼きもなんでもドレイファス様がいらっしゃらねば今ここにはありません。私は料理人としてドレイファス様に最大限の感謝を申し上げます。ドレイファス様にお仕えできることを心から誇らしいと思っております!」

 いつしか熱く語っている自分に気づいて、ボンディは顔を赤らめたが、ドレイファスは碧い瞳で見つめていたと思うと、今度こそうれしそうに笑って

「ボンディありがとう。うん、ありがとう」

 二回礼を言って、ボンディに出来たてバターを使っておやつを焼いてもらい、満足そうに腹をぽんぽんと叩いて屋敷へ戻って行った。

 これ以降、ドレイファスは自分のスキルで見たものを自分が作り上げることにこだわりを見せるようになる。
 もちろん、庭師や料理人、錬金術師の力を借りるのだが、以前のようにぼんやりとした夢の話をして任せっぱなしにするのではなく、例えば自らローザリオのアトリエに出かけて行き、作業を見ながら夢との相違点を直接指摘したり、気づいたことや思い出したことなどを随時話すようになった。そのためそれまでより格段に早く目的の物を作り出せるようになっていく。
 ドレイファスも、仲間のこどもたちと同じように、自分はコレと言えるものをようやくつかみ始めていた。
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