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一話 不穏

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 「おらっ! これで終わりだ!」

 競技場を模した地下施設の一角。魔法によって空間拡張され擬似的な陽光の浮かぶ、野原の如く広大な升目模様の盤面下。少年の勝ち誇った叫びが木霊すと共に、燦然と輝く赤の光を帯びた人間大の歴戦の騎士駒が駆り、淡い青の光を帯びた一回り大きな王将駒と衝突する。
 一閃。騎士駒の剣の一振りが王将駒を盾と鎧ごと真っ二つにして勝敗は決した。空間は収縮し、元の少年二人が相対して座る席の間に置かれた机上の盤面に戻る。

 「はっはー! ボ、我の勝ち! 最近ギャラリー多いからなぁ、我こそ最強だって知れ渡っちゃうなぁ!」
 「……フン、今朝一番は負けた癖にいい気なもんだな」
 「はん! 偶々だったんだろそりゃ、最近はお前の方が負け越してるんだぜ?」
 「ならもう一戦やれば分かるだろう? 今の一回も、僅かに勝ち越している事も偶然かもしれない」
 「おー上等だ!」

 当時レイト十二歳、チハヤ十三歳。同世代の若い少年二人は、幼少の頃出会ってから当時のその日まで、機会が有れば毎度あらゆる勝負で互いの優劣を競う仲であった。
 魔術師の家系では子供は生まれた時点でその魔力と知力を他者と競わされる運命にある。
 彼ら二人はその競争の中で抜きん出た世代のトップ。もとい、史上でも類を見ない程に傑出した麒麟児だった。

 二人の戦いを見に集まった周囲のギャラリー。その中でも特待的な場所で眺める老若様々な男性の一団は語る。

 「相変わらず凄まじいな……」
 「両者共競技形式上ではもう我々が束になっても敵いそうにありませんな、ほっほっほ」
 「これで盤術戦の通算戦績は一体幾つになった?」
 「直近三ヶ月では先程の試合を含めると、64戦中二つの引き分けを省いて32対30。レイトが僅かに勝ち越していますが、然程差は無いと言って良いかと」
 「短期間にそれだけ戦っているのも驚きだが……そこまでやって差が見えないのか」
 「確か実戦形式の模擬戦に於いてもほぼ五分だったな」
 「はい。互いに片方の得意項目を競わせると一方的な結果が出たりはしますが、総合力を競わせると拮抗します」

 純粋な魔力量や魔法の出力に於いてはレイトが勝り、魔力の操作精度、操作可能時間はチハヤが勝る。徒手に於いても同様。体格自体は一回り劣るものの力や瞬発力ではレイトが、上背を活かしつつ精度と持久力でチハヤが優れていた。知力、精神戦でもその傾向は顕著。メンタル面でややレイトが劣るものの短期戦で彼が勝利する事もままあり、逆に長期戦で最終的にはチハヤが圧倒する事もあった。

 「良い加減両者欠点は知り尽くしているでしょうに、こうも噛み合いますかな」
 「対策の張り合いが高度だわな。不思議な程同じ展開を見ん。そのせいだろう」
 「一体何処で読み漁ったのか、先程は国外のマニアックな戦術を披露していたな。しかもかなり洗練されていた」
 「らしいな、探究心が窺える……」
 「彼らのスコアを初めて見た時は目を疑いました。ついて行ける者は、恐らく大人を含めてもこの国には居ないでしょう」
 「他国でも怪しいだろう。前回の国別対抗戦ではやり過ぎて不正を疑われたそうじゃないか」
 「はい。お陰でレイトの方は性格的な難を多分に露呈させてましたが、それでも全く問題にならず圧倒的な勝利を収めました」

 得手不得手有れど、それは両者を比べた場合にのみ表れる程度のもの。他者と比べれば全て高次元で凌駕している。
 双方互い以外に並び立つ者無し。故に彼らは競い合う。己が比類なき一番になる為に。故に高め合う。その争いにある種の決着が付く日まで。

 「ほっほ、この国の未来は明るいですなぁ」
 「ふっ、そうも言ってられんわ」
 「ああ、そうだな……」

 しかし、だからこそ。一団は懸念した。

 「確かに、優秀過ぎて頭を抱える問題も多いのも事実です」
 「そうだな、あの成金玄霧め。日増しに声がデカくなってないか?」
 「魔道具製造業の世界シェアを握るだけでは飽き足らず、国内外でかなりの資金を集めているそうじゃないか。次は一体何を始める気なのやら」

 少年達の躍進が世に喧伝される程、彼らの家の力も大きくなる。
 この世のパイは有限だ。特定の家の力が過剰に強まれば、既得権は脅かされる事になる。

 「チハヤ君、人気ですからなぁ。例え優秀な魔術師で無くともあの容姿とクールな性格なら、金は幾らでも集まってしまいそうだ」
 「アレはまだ良い、立場が弱い頃に取り決めた長女と次女の国側の名家との縁談が効いておるし、次男坊も我が家の大事な孫娘と許嫁になる話が進んでおる。まだ御せる。最悪なのは白神の方だ。目障りな古豪がいよいよ潰れるかと思っていたが、唯一の嫡男であるレイトがあの調子だ。最悪、過去一強と言われた頃の力を取り戻しかねんぞ」

 そうならないよう、彼らは古来知恵を働かせてきた。互いにパイを分け合う為、また牽制し合う為に、親族同士を血縁とする。それは争いの中で生み出された最もポピュラーな手段の一つであり、かつ昔から変わらず一辺倒に多様される程の最も強力なワンパターンであった。
 一様に地下施設の空間を挟んだ向こう側、少年達の血縁者が座る席を見据え、表情を険しくした。

 「はぁ、確かに。チハヤ君は弁えてますが、白神のガキの方は生意気で尊大な態度が目に余る。アレは相当我々を舐めてますぞ」
 「やる事成す事全て成功していますからね。幼稚な振る舞いもそのせいか、或いは計算も含めてか。兎に角怖いもの無しでブレーキが有りません」
 「アレで致命的な隙を全く晒さんのが腹立たしい。うつけ当主の方を突こうとしたがしっかり守っておった」
 「噂では白神の最近の差配、全てあの坊主が取り仕切っている可能性があるとか」
 「保険、銀行、鉄道、都市開発、エトセトラ、エトセトラ……手広く食い潰していただけの過去の遺産を幾つか手放し、統合出来るものは統合。黒字化した資金を新規事業に振り大躍進とはまあ見事な手腕だが、あんな幼い少年に可能なのか?」
 「あの兎や猫の類の愛玩動物的顔貌に騙されてはなりませぬぞ! アレは可愛さのカケラもない狡賢い生き物、小動物の皮を被った化生だ!」
 「あの金にルーズな現当主がある日を境に急に無駄の無い経理を行うとは到底思えない……コンサルタントを雇った形跡も無い、悍ましいがあり得る話だ」
 「そろそろ、何か手を打つべきやもしれんな」
 「ほほっ、今更白々しい。既に皆各々打てる手は打ってませんかな? これ以上何かあると?」

 皆押し黙る。と、その中で「あの」とこれまで発言の無かった一番の若輩が声を上げた。「レイト、チハヤ両名に直接縁談を持ち掛けるというのは」と。
 提案は一同の失笑を買った。

 「ふっ、何も知らぬボンクラの阿呆が。既にそんな事やっとるわ。それが出来たら今苦労しとらんわい……」

 そして溜め息が漏れる。彼らの常套手段が直接両名に通用しない理由。それもまた彼らの傑出度合いが原因していた。
 魔術師は基本その血筋でないと魔力を扱えない為、技能を絶やさぬ様子孫を残す事を生来国から義務付けられている。婚姻はそれを前提として行われるのが決まりだ。
 そこにハードルが存在する。魔術師は魔力的にある程度釣り合いの取れた者同士でない限り、子を作る事が出来ない。

 「せめて魔力だけでも奴らに追い付くレベルの子女を育成しようと挙って費用を投じたのだがな。無駄に終わった」
 「近頃も成長著しいですからな、追い付く事は不可能でしょう。ほっほっほ」

 一般的には十歳に入る頃には魔力成長が落ち着き、大方の将来の魔力量に推測が付く。そこで釣り合う候補を決め許嫁を設定。婚約可能な十四歳に入った所で結婚が決まる。
 しかし、レイトとチハヤは十歳に入る段階で既に釣り合う候補は皆無。しかも魔力成長も未だ留まる事を知らず伸び続けている。

 「でも、だったらそうだ、白神は嫡男が彼しかいないのでしょう? 一代で潰えるのでは」
 「親の当主がまだ生殖可能な年齢だドアホ。兄が完全に手を付けられなくなってから弟が産まれたらどうする?」
 「その点の解決手段は当主主導であれば幾らでもある。お飾りは黙って口を閉じてろ」
 「…………」

 釣り合う相手を用意出来ない以上、婚約は成立しない。子孫を残すという義務の弊害になるという理由から子供を残す以外の意図の婚約も禁止されている為、ただ結婚するだけというのも無論不可能である。
 国の決まりという本来味方する筈の強制力にも見放され、最強のワンパターンを完封された一同。それだけでまさかここまで手詰まりになるとは、その場の誰一人として予期しなかったであろう。

 「しかし勿体無いですなぁ、これだけ優秀な者が子孫を残せないとは。国家の損失では?」
 「片割れが女子であれば良かったのやもな、ははは」

 話題は崩れ、冗談に興じる雰囲気へと流れかけたその時。何気無い一言で閃いたかの如く、新顔一人が動いた。

 「……成る程な」
 「む、なんだ? 何か有るのかそこの」
 「この場では話せない。様なのでな。場所を移そう」
 「何だと⁉︎ 何処のどいつだ⁉︎」

 俄かに色めき立つが、老声による静止が入り静まるのは早かった。

 「落ち着けい。とっとと動くぞ」
 「ほっほっほ、ですな。恐らく探してみても証拠は有りません、時間の無駄ですぞ。とっとと退散致しましょう」

 一団が去って行く。盗聴魔法によって聞き耳を立てていた盤術戦中の少年二人は静かに舌打ちした。

 「クッソ、お前のせいで気付かれたじゃねえか」
 「何がだ」
 「とぼけんじゃねえよ、盗み聞きしてただろ。一瞬混線したせいで」
 「ふん、そんなヘマはしない。第一耳が腐る様な老人達の会話など聞いてられるか」
 「聞いてんじゃねえか!」
 「それより良いのか? 手筋が散漫なお陰であと数手で詰みそうだが」
 「……はっ、言ってろ。こっから巻き返す!」

 結局その日の戦績も五分。決着付かず時間が彼らを分つ。
 優秀な二人である。忍び寄る悪意にも薄々気がついてはいた。
 しかし彼らはまだ若く、甘く見ていた。大人達の執念深さを。


 
 翌週。思わぬ一報が入り、国の直轄する競技会場、その待合所で二人は顔を合わせる事になる。

 「おう、チハヤ」
 「……やはりお前か」

 お互い認識は同じ。相手を知らされず最低限の言伝だけ伝えられて呼び出されたものの、大方の想像は付いていた。
 
 「急な御前試合とかわけ分かんねえよな」
 「ああ。だが形式上は確かに国が主宰の催しだ。断れない」
 「はぁ、最近は忙しいんだけどなぁ」
 「だろうな……何か分かったか?」
 「いんや、連中の動きが何か慌ただしいって事以外殆ど収穫無し」
 「……そうか」

 情報共有を始めて分かったのは、互いに些か露骨で大規模な統制が行われているという事のみ。
 裏で何かが大胆に動いている事は明白。ただその尻尾を掴むには彼らはあまりに多忙で、時間が足りなかった。
 煮え切らずモヤモヤする二人。間も無くドアが開き、国側の使用人の女性による呼び出しがかかる。

 「ま、お互い気を付けるっつーことで。行こう」
 「ああ」

 一定の不安はありつつも、己に絶対の自信を持つ二人は堂々と向かった。
 仰々しい廊下を進んで一つ門をくぐり、もう一つ。大きな門の前に立つ。暫くすると合図と共に開き、その先に進むと足元に大きな魔法陣があった。
 間も無くもう一度合図が来て、視界は光で満たされる。目を瞑ると一瞬内蔵が浮いてかき混ぜられるかの如き錯覚に襲われた後、直ぐに元に戻った。
 徐に瞼を開くと、眼前に厳かで絢爛な、コンサートホールの如き広大な空間が広がる。飾り付けられてはいるものの構造は競技場そのものであり、騒つく数多くの人間の気配があった。
 彼らは入場を果たした事を知り見合う。と、その時。

 「よく来た。玄霧千早 くろぎりちはや特等、白神黎人 しらがみれいと特等」

 目の前に実体無き国家元首のシルエットが浮かび上がり、老成した威厳ある声音を発する。二人は反射的に片膝を折り頭を下げた。
 レイトは真顔を取り繕いながら微細な魔法によりチハヤへ思念を飛ばす。

 (び、びびった。元首が名指しで話し掛けて来るのかよ)
 (やめろ、バレるぞ)
 「両名噂は予々かねがね聞いている。此度はそれを確かめる為招集した」

 共に心音が跳ねる。二人が過去に幾度か賞与を賜った際でも元首は訓示の際に声音を晒すのみで、彼らへの賞賛は筆頭配下による言伝だけだった。元首が直属の部下以外の相手に直々に話をする事などほぼ前例のない異常事態。
 しかし果敢にもレイトは切り込む。

 「閣下、発言の許可を」
 (おい馬鹿っ)
 「許可しよう」
 「有難う御座います。して、此度の招集、御前試合とだけ伝えられておりますが」
 「その通りだ」
 「御前試合は半年前に行われたばかりです。当時は確か千早と自分の二人を含めた六人の総当たり戦でしたか」

 探る様に問うその態度はあまりにも危険に見え、チハヤは耐えかね思わず「やめろレイト!」と叫び割り込む。

 「お許し下さい閣下! レイトは魔術師としては非凡ながら人としてはまだ未熟で」
 「よい。前例の無い招集に思う事があっても無理は無い。疑問に答える」

 一呼吸置いて元首は答えた。

 「改めて明言する。此度の御前試合は両名の真価を問う為、特別に催した物だ。先の総当たり戦で両名は抜きん出ていた。故に目を付け調べたのだ」

 そして張り詰めた空気を続く言葉が裂く。

 「断言しよう、両名はこの国の未来だ。そしてそれ故に宣告する。この場で雌雄を決し、頂点を決めよ」
 「っ…………!」

 直後、ホールの観衆たるお偉方が一斉に盛り上がった。
 なんと理不尽な大義名分か。突然一方的に槌が振りかざされ、机が叩かれてしまった。二人は何も言えずただ息を呑む。
 伝える事を伝え、盛り上げるだけ盛り上げた元首はそのシルエットを消した。
 アナウンスがホールに響き、競技内容が伝えられる。
 引き返し難い大きな流れに呑まれた二人が出来る事はもう、勝負だけ。

 「……やるしかないのか」
 「ふん、やるからには勝つ。勝って、それからだ!」

 そうして行われた五番勝負はつつがなく進行。当然の如く双方は拮抗し、二勝同士で最後の模擬実戦へともつれ込む。

 「はぁ……はぁっ……」

 展開されたのは、数ある競技用の空間の中で最も広大な密林を模した場所。圧倒的にレイトの不利な空間だった。
 両者競い合う中でそこはかと無い違和感を膨らませながらも、終ぞ訴えるには確信を持てず。不平不満を漏らす事なくいつも通りかそれ以上に真剣に戦った。
 一方的になるかに思われたが、レイトの必死の抵抗により展開は二転三転。観衆を散々沸かせ、そして。

 「勝負有り! 勝者、玄霧千早!」

 軍配はチハヤに上がった。
 歓声の中空間が元に戻っていく。

 「はぁっ、くっ……」
 (……クソ、クソッ!)

 肩で息をして地に背を付けたままのレイト。そこへ滝の様に汗を流しながらも涼しい顔をしたチハヤが無言で手を伸ばす。

 「…………」
 「……はっ、何か言えよ」
 「……すまん、何も」

 言葉を遮る様にしてレイトは強く手を取って立ち上がると、鼻息荒く熱り立った様子で入場の際使用した転移魔法陣へ向かい、半ば逃げる様な形でその場から立ち去った。
 ただ敗北を引き摺っての行為では無い。無論悔しさが彼を突き動かしてはいたが、それ以上に嫌な予感がして外聞を気にする余裕が無くなった。

 「レイト様」
 「どけ!」

 引き留めようとする国側の使用人を退け、慌てて後をついて行こうとする白神側の使用人も振り千切る勢いで家路を急いだ。
 競技会場を出てすぐ、道端にあった普段滅多に乗らないタクシーカラーの魔動車に飛び乗り「出せ! 早く!」と指図までして。早る。焦る。

 「はっ……はっ……!」

 浅い呼吸と共に元首の言葉が脳裏で回った。“この場で雌雄を決し、頂点を決めよ。”
 勝った方は明確だ。しかし、負けた方はどうなる?
 聞くわけになどいかなかった。戦いの場で、そんな事。考える事も憚られた。
 しかし聞いておけば、考えておけば良かったと今一瞬思ってしまった。恥だ。恥だ恥だ恥だ。
 たった一回の敗北が重くのし掛かる。元来戦いとはそういう物だとレイトは知っていた。重要なのは負けた後だという事も。
 ただ直感が告げる。巨大な力が信じられない程の速度で振りかざされ、潰されたのは────

 違う! まだだ! これからどうなる? 考えろ。考えて答えを出せ。そして対処しろ。考えろ考えろ考えろ考えろ────────

 「──客様、お客様!」
 「……あ?」
 「着きましたよ」

 動悸と眩暈の中、夢の無い眠りの間の如くあっという間に家に着いてしまった。

 「ああ……」

 半ば憔悴した様子で少年は雑にカードで支払いを済ませると、ドアを開けてふらふら。白神家特有の古風な平家の屋敷の門をくぐった。

 「はぁっ……はぁっ……」

 敷地内に異変は無い。静かに呼吸を整えつつ、正面玄関から入る。
 ガラガラ、ピシャリ。スライドのドアを開閉した後、気もそぞろに靴を脱ぎ、部屋履も履かずに木目の床を靴下を履いた足で歩く。
 そうだ、まず母。母上に会おう。

 滑る足取りで廊下を進む中、背筋はどんどん寒くなる。
 使用人が一人も見当たらない。誰も居ない。
 屋敷は死んだ様に静かだった。胸騒ぎが酷くなる。

 「母上……」

 母の居そうな部屋の襖を片っ端から開け放つが見当たらず。遂に父の書斎のドアに差し掛かった。
 あまり気の進まない場所の為後回しにしようかと思ったその時、ガタとドアの向こうで音がした。
 ようやく誰か居た。彼は藁にも縋る思いでドアを開ける。

 「あ……父上……」
 「…………」

 部屋の奥、椅子に座って背中を丸めた父が居た。
 彼は徐に振り向く。と、過程で肘が当たり、机の上の酒瓶が倒れた。

 「んなっ、父上、何故……」

 昔は酒浸りになっていた父だが、近頃はすっぱりと酒を断ち更生していた筈。なのに何故。
 濁った瞳が息子を写す。瞬間、その瞳は血走り、酒臭い口が開かれる。

 「なんで負けた……」
 「えっ」

 弱々しく震える声。だが次の言葉は違う。

 「なんで負けた! 何で負けて帰って来た⁉︎ 何でだ、何で!」

 この世の恨み辛み全てをぶち撒けたかの如き狂った怒声がレイトへ浴びせられた。
 父は息子へ飛び付くが如く迫る。が、足がもつれて直ぐに転倒。

 「もう終わりだ! 全部! 全部終わりだ! お前のせいで! 全部! あ゛あああああああああ!」
 
 その場で赤子の如く転げ回り始めた。
 みっともない絶叫が耳をつん裂く。レイトは紅の瞳を凍り付かせながら静かに後退りして、震える手をドアに掛けそっと閉めた。

 「はは……」

 これは夢だ。何かの悪い冗談だ。
 少年は乾いた笑いを浮かべ、覚束ない足取りで自室を目指し歩いた。
 模擬実戦の疲労がここに来てどっと出ている。恐らく現実の自分は、何処かで寝ているんだろう。
 だとしたら何処からが夢で何処からが現実なのか。そんな野暮な事を考えている内、自室のドアの前に来ていた。ゆっくりと開ける。

 「っ、ぇっ……」
 
 ギイ、ギイ。気味の悪い軋む音。縄を首に掛けて天井のライトにぶら下がる、母の姿。
 何だこれは。何かの当てつけか。

 「母上、何をやってるんですか? 何を……」

 現実が希薄で掴めなかった。するりと指の間を抜けていく感覚。
 一歩も動けずレイトは立ち尽した。頭の中は真っ白で、目の前は真っ暗。
 最中遠くから大量の足音が迫り、乱暴にドアを破壊する音がした。
 ハッとして身構える。木の床板を踏み壊す勢いの重い足音が津波の如く迫り来る。

 「居たぞ! ここだ!」

 会敵。相手は、国家警察だった。

 「白神黎人! 当主同様、国家反逆罪の罪で逮捕する!」

 ああ、意味が分からない。
 ぞろぞろぞろぞろ。大の大人が部屋の中まで入って来て、首吊り死体に目もくれず少年を取り囲む。

 「何を言ってるんだ……? 我が反逆の意志などいつ見せた……?」
 「罪状は固まっている、大人しく来て貰おうか」
 「大人しくして欲しいならまず貴様らが筋を通せカスどもお゛おおおおおおお!」

 レイトは激昂し、怒りに任せ全力で抵抗した。男達を家の壁をぶち抜く勢いで吹き飛ばし、家の外に出て意識を刈り取る魔法の雨霰受け、尚もそれを弾き返し包囲網と戦いを繰り広げた。
 しかし既に消耗し切っている上多勢に無勢。150人余りの警察側の魔術師をのした所で力付き捕縛されると、麻酔薬を注射される。

 「くっ、う……!」

 くそっ、だれか助け……?
 あれ? 誰かって、誰だ?

 哀れにもその時人生で初めて誰かに助けを求めた彼の脳裏に頼れる他者の存在は無く。虚しさの中闇の底へと沈んでいった。
 
 
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