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十六話 過酷

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 国の黒い思惑に関しては分かりきっていた。
 唯一無二の好敵手レイト。彼との最後の御前試合の決着と、その後の訃報。
 勝利の喜びなど一切無い後味の悪い結末に、腹が立たないワケが無かった。

 「父さん! これは一体どういう事だ⁉︎」
 「……チハヤ」
 「訳を話してくれ! こんなの納得が」
 「ショックなのは分かる。しかし、そうやって感情任せに詰め寄って何が分かる?」
 「っ……!」

 らしくないことをしている。そう自覚させられ、掴んだ襟を離すと、父はそれを正して言う。

 「聡いお前なら分かる筈だ。発言と行動に気を付けろ」

 父は国の上層部の事情を知っている。そういう役職だ。
 しかしだからこそ口を噤む。余計な情報を漏らせば、危ういのは家族だけでは無いから。
 理解していた────理解、していたんだ。

 (……アイツが簡単にくたばる筈は無い。国側が粛清に動くとしても、命を奪うより何らかの手段であの魔力量を利用しようとするだろう)

 チハヤは情報集めに奔走した。個人事務所の探偵を雇い、己は鍛錬の合間に家を抜け出し、密かに国とレイトの背景事情を片っ端から探った。
 そうして分かったのは、レイトの家、古豪と称されていた白神家の危うい実態。

 「噂にはあったが……本当なのか?」
 「ああ、間違いねえぜ。外見こそ取り繕えてたが、白神家はもう、殆ど中から腐って堕ちる寸前だったんだ」

 掃き溜めに鶴だったのだと、探偵は語った。
 彼の曽祖父にあたる白神六助ろくすけ名代。その人が血縁抗争の末勝ち残った所から、家の失墜は始まっていた。
 野心家だった六助は多くの血縁者を内々に殺し回り、宗家の血筋が途絶。暴君である彼もまた長生きは出来ず、早晩他界し、その息子である弥禄みろくは若くして当主の座についた。

 「ミロクは……残念ながら若過ぎたんだ。負債は膨らんで、徐々に御家事業の傀儡化が進んだ」

 悪い流れは断ち切れず、その下の代にも引き継がれた。ミロクも早晩に死に、その弟も立て直しに失敗。レイトの父である明羅あきらに家督が移った頃にはもう、再興は困難という所まで来ていた。

 「親父さんが一時期酷い飲んだくれだったってのは、この界隈じゃ有名な話さ。この住所の飲み屋に行って店主に訊いてみるといい。色々ぶち撒けてたみたいだ」
 「でも、アイツが生まれてからは……」
 「ああ。傀儡化を目論む入洲いりす家の令嬢との子、かのレイト君がとんでもない神童だった」

 彼の出生を境に、まるで天地がひっくり返ったかの如く白神は急速な体制の健全化を見せた。
 余りの様変わりに、レイトがある時から家の全てを取り仕切る様になったのではと、そう噂が立ち、彼を神聖視する人間も現れていたとか。

 「まあでも、性急過ぎたんだろうなぁ。入洲や国からやっかまれて、結果はアレだ」
 「……そうか」

 影響力が大きかったが故、そして突ける隙があったが故潰されたのだと。結局、そんなありきたりな結論に終着した。

 彼は納得いかなかった。
 簡単に言うが、歴史ある魔術師の家を取り潰すのは相当なケースである。
 恨みを買った、というだけでは説明が付かない事が数多あり、彼は更に調査を続けようと試みた。しかし、

 「悪いな、これ以上は俺も危ういんでね……お兄さんも気をつけな」

 それ以上の情報は、何一つとして出ては来なかった。

 何があったのか。どうしてこうなったのか。
 御前試合の決着も、露骨に自分の有利に働く様な意志が働いていた事は確かだ。
 どうして、レイトが犠牲になったのか。どうして、自分はここまで徹底して情報隔離されているのか。

 気になるが、これ以上踏み込めば、どうなるか……。

 警鐘は鳴らされていた。監視員増加、妨害工作の顕著化等々。これ以上は、ただでは済まないと暗に知らせている様だった。
 失敗すれば、父、母、弟、妹二人。それだけではなく、玄霧に属する全ての人間に危機が及ぶ。
 過去、国の上層部の大人に忠告された記憶が過ぎった。「出過ぎた事をすれば、迷惑を被るのは君と親しい人間達だ」と。
 蛮勇を行うには、彼は背負うものが多過ぎた。

 そうして結局答えの出ぬまま、その日が来てしまった。



 「はぁっ……っ……はぁっ……!」

 トイレの個室で晩を明かした。一睡も、出来なかった。
 憔悴した脳内に残るのは、かの甘ったるい少女の匂いと声。そして、好敵手レイトの魔力の痕跡。
 決して一致してはならない情報が延々と巡っては、それが現実であるという答えに至る。

 「はぁっ……なん、なんだっ……!」

 ここまで情緒を掻き乱され、平常心を失ったのは初めてだった。
 まるで便座を除き、足場が全て消え失せたかの様。未だ平衡感覚が無く、目眩が治らない。
 目元に手を当てると、脂汗がまた一つぽたりと落ちた。着たままの寝巻きが肌に張り付き、不快感を催す。
 その感覚の中にも、昨晩の少女が居る。自分の汗の匂いの中に、彼女の匂いを見つけてしまう。
 
 「っ、うああぁっ!」

 寝巻きを脱ぎ捨てた。嫌悪感が止まない。
 高潔に思われた同性の名を騙る、不潔不純な異性も、それに一時興奮した自分も。意識をすれば、内側から食い破るが如き名状不能の不快に苛まれる。
 何なんだこれは一体っ……!

 「────さん、にいさん!」
 「ッッ!」

 ノックの音と、男児の声に驚き、連呼される「にいさん」という言葉によって急速に日常に引き戻される。
 それはチハヤの弟、晴希ハルキの声だった。

 「にいさん! ねえどうしたの? お腹いたいの?」
 「っ……ああ、そんな、感じだ…………」

 彼は心底兄を心配した様子で、ドアの向こうから言葉を投げ掛けて来る。
 昨晩の異常な光景が嘘の様な平穏だ。個室の外に恐怖したまま強張っていた彼は、徐々に緊張を解く。

 「お医者さん、呼ぶ?」
 「いや、そこまでじゃない、大丈夫だ……」

 兄として、この状況はあまり好ましく無かった。着たくない寝巻きを再び着て、表情を取り繕い、恐る恐るドアを開く。

 「あっ、にいさ……うわっ、酷い顔だよっ⁉︎」

 未だ幼げで愛らしい弟の顔が見上げていた。
 彼は思わずホッとして、微かに腰を抜かしてふらついてしまい、近くの壁に手をつく。

 「それにちょっと変なニオイするっ……やっぱりお医者さん」
 「大丈夫だって……」
 「ぜんぜんそう見えないよっ!」

 廊下を警戒する。点在する使用人に、怪しい人影は無し。
 アレは悪い夢だったのでは。一瞬そう救いを求めた所に、『にいさま』とハモる声が。

 「父さまが呼んでますよ」
 「酷いお姿です。お世話係を呼びます」
 「っ、マリと、サラか……」

 双子の妹、万理マリ沙羅さらが、揃ってそっくりな仏頂面を並べていた。

 「……愚弟の心配は尤もです。寝巻き姿のまま、その様な憔悴なされたお姿では」
 「ああ、心配させて悪い……」
 「くんくん……これは……まずお身体をお清めになった方がよろしいかと」
 「ああ、そうする……ありがとう……」

 程なく使用人が来て、彼は弟妹達に感謝し、慌ただしくその場を後にする。
 残された三人は、兄の姿が見えなくなると話した。

 「……愚弟よ、気付きましたか?」
 「? 何に?」
 「やはりですか……にいさまの弟失格です」
 「えぇっ、何⁉︎ 何なの⁉︎」

 「聞くばかりでなく考えなさい、だから貴方は愚弟なのよ」と辛辣な言葉を吐いた後、マリの方が少し顔を険しくして言う。

 「これはお家の危機。我々も、何か行動しなくては」



 身だしなみを整え、父の書斎の前に辿り着いたチハヤは、一つ深呼吸をしてノックする。
 ドアが開き、いつもの黒のスーツ姿の父の顔が上から覗く。黒縁眼鏡の奥のその目は、暫し吟味するかの如く息子の憔悴した顔を見るが、それに関しては何も告げず。ただ「入れ」と促した。

 「はい……」

 そこで、彼は目を背けたくなる様な現実を目の当たりにした。

 「っ……こっ、これはっ……!」

 父の机の上に置かれた一台のモニター画面。特に説明も無く「見てみろ」と言われた彼は、液晶の向こうに昨晩の少女を見た。
 数人の白衣を着た人間と、二人程の給仕服を着た人間に囲われた彼女は、カプセル容器の様な物に包まれた寝台の上に仰向けになり、瞼を閉じたまま苦しげに息を吐いている。
 その肢体には、痛々しい真っ赤な痣の如き刻印が刻まれており、呼吸に合わせて静かに明滅を繰り返していた。音声は無い。が、その様だけで周り含め、状況を察するに余りあった。

 「まず初めに、謝ろう。こうなるまで、お前に何も話してやれなかった事を」
 「いや、それは……」

 仕方の無かった事だと口にしたかったが、声に出なかった。
 父は出来る限り冷淡に努める様に抑揚を抑え、その上で語尾を微かに震わせながら、残酷な言葉を並べていく。濁さずはっきり、整然と。

 「彼女は、あのレイト君だ。戸籍や家柄全てを抹消され、今は国に帰属する存在、国家管轄母胎零番と呼ばれている」

 直後、画面の向こうが俄に騒がしくなる。赤い明滅、アラートが鳴っている様だ。
 容器の中の肢体が苦しみ、もがいている。股倉から鮮血の混ざった液を垂れ流し、蕩けた紅の瞳を上擦らせ、背筋を逸らしたり、くねったりしている。寝返りを打ち、透明な容器の面に乳汁を湛えた胸を押し付ければ、浅ましく擦って、擦って、擦って────

 「我々玄霧は、時限的に彼女の身柄を管理する立場を引き受けた。その上で一つ、プロジェクトを……」
 「母胎、孕ませる……俺の、精子で……」
 「そうだ。お前は国から唯一基準を満たす、種子として選定された」

 視界が歪んで回り出す。机の上についた手が震え、脚はたたらを踏んだ。

 「父として、出来る事がこんな事しかないのは心苦しいが、頼」
 「勝手過ぎる、だろ……!」

 彼は父の言葉を、押し殺した震える怒声で遮ってしまった。

 「これは、人がどうこうしていい領域の話じゃない……!」

 揺れる青の瞳が、同じ色の瞳を真っ直ぐ射抜く。
 「そうだな」と、父親は観念した様に目を伏せた。

 「そうだなってっ……父さんはっ……!」
 「すまない。私は、お前や家族を守るので精一杯だったんだっ……」

 変わらぬ様に思えた鉄面皮が、悔恨の念で歪んだ。息子の見た事のない、父の顔だった。
 そうして彼は懺悔した。かの御前試合、自分はチハヤとレイトの対戦情報を国に提供し、その上でチハヤが有利になる様操作した事。白神敗滅の折、その情報操作に加担した事。レイト母胎化の法案可決に際し、優位な立場を維持すべくそれを承諾した事。

 「っ、もういい……やめてくれ……」
 「っ……はぁ……わかった」

 チハヤはただ静かに項垂れた。大小の差はあれど、その選択は自身の取ったものと同じ故、責めるに責められなかった。
 己と同等かそれ以上に狼狽える大人の姿を見たお陰で、彼は多少の冷静さを取り戻し、少し先の方へ頭を回す。

 「で、孕……妊娠しなかった場合はどうなるんだ? 期限は二年、とか言ってたな。これだけの事態を看過しておきながら……口振りからして、避けなければいけない事態が待っていそうじゃないか」
 「ああ。その折には、母胎は決戦兵器に改造され、この国は刹那的に世界最強の軍事力を得る事になる」

 なんだ、いいことじゃないか。などという楽観的な軽口が聴こえた気がした。
 無論、そんな訳が無い。

 「刹那的に、ね」
 「そうだ。軍部と、それを煽る伏魔は『永久化は可能』などと宣っているが、奴らの運用方法では実際の所母胎の、レイトの身体は保って十年が限界だろうと推測している」
 「十年か。その兵器の内容を知らないから何とも」
 「人々の、潜在意識の上書きだ」

 随分あっさりと。機密情報では無いのか。
 彼は少しキョトンとした後、それが己が当事者として認められた合図だと解釈した。
 「…………詳しく頼む」と、話を促す。

 そこでチハヤはまた一つ知った。好敵手の隠していた秘密を。



 五年前の四月九日。灰原病院。
 そこには一人の、夢破れた男が横たわっていた。
 伏魔財閥系列の某建設企業役員、灰原桐尾はいばらきりお。初老に差し掛かろうという彼の身体は病に蝕まれ、己が中心となって携わった事業の完遂を見ないままに、その生涯を閉ざそうとしていた。

 が、その日。その病床へ一人、花束を手に持ち、足を運ぶ小さな少年の影があった。
 周囲の誰もが、彼を親類縁者の誰かだと勘違いした事だろう。目深に認識阻害術式の組み込まれたパーカーのフードを被って、「見舞いに来た」と。それだけ受付に言って、彼は病床を訪ねた。

 「……なんだい、また君か」
 「すみません、またボクです」

 灰原はハハハと笑った後、優しい目をして、まだ何も言われていないのに断った。

 「答えは変わらないよ。何度も言ったろう? あっしは、君の役には立てない」
 「そんな事は無い。都市開発事業の根幹を担っていたのは、間違いなく貴方だ。まだ役職も役員のままでしょう?」
 「席だけね。こんなザマじゃ、だーれもついてこないよ」

 少年の顔貌はあまりに幼く、まだ初等教育も終えてない年頃にも見えた。
 微かに笑みを浮かべる口元もまだ小さくあどけない。しかしそこから発せられる言葉はあまりにも明朗であり、大人以上にも聴こえた。
 その上珍しい紅の瞳に、白銀の頭髪。見るものが見れば、人外だと怯えすくんでもおかしく無かったであろう。
 だが灰原は物怖じしなかった。窓の外へ視線を移し、静かに言った。

 「お引き取りを。あっしは、もう満足なんだよ」

 怯えず一片の曇りも無く、嘘を吐いて見せた。それが見抜かれているとも知らずに。

 「いいや、やはり貴方は不満に思っている。自分の掲げた事業が、他の誰かに横取りされて完遂される。その事をね」
 「…………あっしの何をご存知で?」
 「隠匿された功績は全て」
 「だからどうしたというのだね? 若い君には理解出来んだろう? この無念が」

 逆撫でされ、弱った肺で目一杯老人は声を荒げた。
 少年はそれを見逃さない。

 「ええ、理解することは難しいでしょう。しかし、その無念を晴らす事は出来る」

 フードを外すと、その身から魔力を発し、告げる。

 「ボクなら……我ならば、貴方に悔いなき生涯を全うする力を与えられる」
 「……どう、やって」
 「悪魔に魂を売って、願いを叶えて貰う……簡潔に説明すると、それに似た様なものだ」
 「君は、悪魔なのか?」

 老人はそう問うてから、顰められた童顔を見て「いや、違うか……」と呟いた。

 「そんな嫌そうな顔をして、堕落を進めるのかい?」
 「……ふん。白状するとこれは、最終手段だ。今回ばかりは、これ無しで勝てる算段が立たなくてな」
 「なら、何も言わずにやればいい。こうして許可を取るのは……許しが欲しいのかね?」
 「…………」

 少年は何も言わず目を伏せた。
 この時、灰原側にも、少年側にも選択肢など用意されていなかった。にも関わらずやり取りが生じたのは、偏に彼らが情のある人間だったからなのだろう。
 老成した声は、それら全てを悟ったかの如く言った。

 「いいよ、許そう。君の目的に、あっしを捧げなさい」
 「っ……!」
 「どうなるかはイマイチ想像が付かないが……まあ良いさ、このまま終わるよりは良い」
 「良い……のか?」

 困惑する少年を見て、老人は少しばかり勝ち誇る。

 「やると決めたら躊躇うな。なんて、月並みなアドバイスだろう?」
 「……ああ、わかったよっ」

 密やかに病床に光が満ちた。そしてその日その瞬間を以て、灰原桐尾はいばらきりおは個人としての純粋性を失った。

 「……我こそ絶対だ」
 「そうだ。貴方こそ絶対だ」
 「……始めよう」
 「ああ」

 数週間後、某建設企業は伏魔財閥と手を切り、白神、入洲の系列傘下に入る。
 それを皮切りに更に幾つかの業者が離れた事により、伏魔は都市開発事業のシェアを大幅に失った。
 事の起点が当役員にあった事は明らかだが、彼とレイトに繋がりがあったという確証を持つ人間は、ある時まで埒外な手段を持つただ一人だけだったという。



 「……父さんは、いつそれを知ったんだ?」
 「母胎化計画始動後、比較的すぐだ。裏を取るのにも、あまり苦労はしなかった」
 「伏魔が、先に」
 「いや、恐らくはほぼ同時期だろう。先程言った通り、情報提供者が特殊なんだ」

 胸騒ぎが、収まらなかった。

 「俺は、なんて怠惰な……」

 決心を迫られ、父とそっくりな青の瞳が揺れる。
 そこに希望の道筋は未だ見えず。葛藤の日々の始まりを暗示していた。
 
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