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1巻

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 ■プロローグ 『アルカナ』


「残念ながら君は不合格だ」

 儀式による目眩めまいも収まらぬうちに、俺に浴びせられた言葉がこれである。

「そんな……」

 ステンドグラスから光が差し込む、荘厳そうごん彫刻ちょうこくほどこされた石造りの部屋。
 俺はいまだにグラつく頭を無視し、かすむ視界で目の前の人物へ顔を向ける。

「聞こえなかったか? 少年……いや、アストルだったか。お前はここを去らねばならない」

 豪奢ごうしゃで立ちの男――バーグナー伯爵はくしゃく――が俺にそう告げた。

「きっとお役に立ちます! 俺は魔物学も魔法薬学も誰にも負けていません!」

 必死に食い下がるが、伯爵の表情を見る限り、状況はかんばしくない。

「しかし、☆1ではな。私が新設した『バーグナー公式調査団』はただの学術調査をしにいくのではない。王家の悲願である『エルメリア王の迷宮ダンジョン』攻略をになうための組織だ。えある我が調査団に加わる資格があるのは、最低でも☆3の『アルカナ』を宿した者。☆1ごときにその資格があると思うかね?」

 厳然げんぜんとした返答を前にして、俺はだまるしかない。
 一体、なんのためにこれまでやってきたのか。
 ……いや、楽観視しすぎていた俺がおろかだったのだろう。
 きっと自分なら☆3……いや、☆4も堅いだろうとおごっていた部分は確かにある。
 それがふたを開けてみれば☆1だったなんて……笑い話にもならない。

「君は優秀な成績だと聞いていたから、実に残念だよ」

 バーグナー伯爵は表情一つ変えずに俺に告げた。
 これは事実上の退学処分である。
 この『バーグナー冒険者予備学校』は、『バーグナー公式調査団』のための施設しせつだ。
 ☆1の判定が出た時点で、俺がここに留まることは許されないだろう。
 伯爵はあごをしゃくり、退室を促してくる。
 俺はうなだれたまま、ふらつく足取りで部屋を後にした。
 外で待機していた担当教師が、俺の腕から学生証代わりの腕輪を乱暴に抜き取り、背中を突いて押した。
 昨日までは優しかったのに、そんな振る舞いは☆1には不要ということか。

「アストル。明日までにりょうを出ろ、いいな?」
「……はい、わかりました」

 冷たい教師の言葉に頷いて、俺はその場を後にする。
 どうしてこうなった?
 俺は長い廊下をフラフラと歩きながら、走馬灯そうまとうのように流れる記憶をただ呆然ぼうぜんと思い返した。


 ――俺は、バーグナー伯爵領の東に位置する小さな村の生まれだ。
 父は腕のいい猟師りょうしだったらしいが、狩りの途中に運悪く魔物と遭遇そうぐうし、あっけなくその命を散らしたと母から聞いた。
 俺がまだ物心つく前の話だ。
 それから生活に困窮こんきゅうしたものの、俺が四歳になったばかりのころ、母が隣村に住む男と結婚することになって、家族は住み慣れた村を離れて少しだけ裕福な隣村に引っ越した。
 男は流行はややまいで妻をくしており、三歳の娘の面倒を見る母親が必要だった。
 母が結婚を決めた理由はそれだけだが、養父は俺のことをとても可愛かわいがってくれたし、息子の俺から見て二人の仲は良好だったと思う。
 急に環境が変わって驚きはしたけど、妹はとても愛らしくて、すぐに打ち解けた。
 しかし、そんな幸せもつか
 十歳の時、今度は養父が死んだ。
 家具職人だった養父は、作った家具を運送する途中で盗賊とうぞくに襲われて帰らぬ人となった。
 たくわえた財産でしばらく生活することはできたが、女手一つで子供二人をやしなうのは難しい。
 さらに、夫を二人も亡くしたとあっては、縁起えんぎを気にする田舎いなかの男達が母をめとるはずもなく、生活は徐々に苦しくなっていった。
 そして俺が十三歳の時。
 俺は、自分の扶持ぶちを稼ぐべく、家を出る決意をした。

〝バーグナー公式調査団 冒険者予備学校 人員募集中〟

 そんなしらせが村の掲示板にり出された時、「これだ!」と歓喜したことを鮮明に覚えている。
 賃金は出ないが、三度の飯が食えて、寝床ねどこがある。
 俺一人が家を出るだけでも生活はずいぶん楽になるはずだ。
 我ながら良いアイデアだと思った。
 募集要項は〝読み書きができること〟と〝十三歳以上であること〟のみ。
 成績優秀者は〝選考〟をて、伯爵お抱えのダンジョン攻略組織、『バーグナー公式調査団』の団員として雇用する、とも書いてあった。
 伯爵のお抱えになれば、賃金もたくさんもらえるはず。そうすれば、母と妹がひもじい思いをしなくて済むのだ。
 母も妹も「危ないことはやめて」と反対したが、俺は説得に説得を重ねてなんとか同意を取り付け……ここ、バーグナー領都ガデスの一画にある『バーグナー冒険者予備学校』に来た。
 自作の家具のあきないもしていた養父の教えで読み書き計算は一通りできたし、面接でもしっかりした受け答えができていたと思う。
 すぐさま入学が許可され、俺はダンジョン攻略に必要な知識を学びはじめた。
『バーグナー冒険者予備学校』に入学してからというもの、俺は必死がむしゃらに勉強して、常に結果を出した。
 魔物学、動植物学、魔法薬学、地形学、医学……
 体を動かすのはあまり得意ではなかったけど、それでも毎日剣を振ってきたえた。
 ここに来て初めて発覚したのだが……驚くべきことに、俺には『先天能力インヒーレント』が眠っていた。
 それも、比較的珍しい【魔法】のスキルだ。
 本来【魔法】は儀式で『アルカナ』を得てから発現することが多いスキルである。
『アルカナ』にらないスキルは『先天能力インヒーレント』と呼ばれていて、【魔法】はその中でも花形のスキルだ。
 そのため、俺には大きな期待がかかっていたはずだ。
 残念ながら、結果はこの通り……散々であったが。
 俺の『アルカナ』は、☆1の『魔術師』。
 ☆5まである『アルカナ』の中では最低ランクである。
『アルカナ』を宿す儀式は、この世界――レムシリアに古くから連綿れんめんと受けがれている伝統的な成人の儀式だ。
 この儀式によって、レムシリアを守護する二十二柱の神々から祝福を受け、その力の一端いったん下賜かしされる。
 通常、儀式は最寄もよりの二十二神教会で受けるものだが、俺はここ、『バーグナー冒険者予備学校』の中にある教会施設で受けた。
 ――さっきまでいた場所だ。
『アルカナ』の☆の数は、その人にかけられた神からの期待だとされている。
 二十二柱のうち、最も自分に期待を寄せる神から、☆という形で才能の度合いが示され、それにともなってスキルが最大三つまで付与される。
 ある意味、この世界の住人はスキルによって自分の生き方を神から提示されるとも言えるだろう。
 スキルのあるなしによって、仕事の能率や質ががらりと変わってくるからだ。
 たとえば、【伐採ばっさい】のスキルしか持たない木こりがりをしても、【釣り】のスキルを持った本職の漁師にはかないっこない。
 逆もまたしかり。
 そして何より、☆は人間の価値の基準でもある。
 社会的保障や物事の優先順位、ける職業……それらすべてが☆によって左右されるのがこの世界レムシリアだ。
 ☆1であるというだけで犯罪者か何かのようなあつかいを受けることもあるし、差別意識のひどい田舎や、体面を気にする貴族の生まれであれば、☆1の判定が出た瞬間に処刑や幽閉ゆうへいき目にうなんてこともザラである。
 落伍者らくごしゃ烙印らくいんを押され、生きる資格がないとされる者……それが☆1おれという存在だ。
 俺の目指していた公式のダンジョン調査団の団員では、特に☆の数が重視される。
 何せ、ダンジョンなんて危険地帯を踏破とうはするための戦闘や探索のプロフェッショナルだ。
 ☆のランクが高い『アルカナ』に与えられる希少で強力なスキルや戦闘能力は、それこそ人外ともいえる力を発揮はっきするので、ダンジョン攻略には欠かせない。
 現に、今最も多くのダンジョンを攻略している〝英雄〟グランゾル子爵ししゃくは☆5。
 ☆の高さがその才能に直結するのは、疑うべくもない事実なのだ。
 俺には『先天能力インヒーレント』としての【魔法】があった。
 魔法が使えるということは、それだけでダンジョン攻略に有用だ。
 傷をやしたり、飲み水を生み出したりすることもできるし、炎や電撃で魔物を倒すこともできる。
 もし俺が☆3以上であれば、明日にでも調査団に入れただろう。
 ……しかし、俺は、何かをしくじったのだ。
 どうやら神々は、俺になんの期待もしていないらしい。
 華々はなばなしく活躍して、金をかせいで……母や妹をこの豊かなガデスの町に迎える。
 そして、いずれ『迷宮貴族』に登り詰め……
 いや、今となっては詮無せんないことだ。
 これ以上考えるのはやめておこう。
 ただの田舎者が分不相応な願いを持ったばちが当たったのかもしれない。
 さいわい、俺には『先天能力インヒーレント』の【魔法】と、今回の儀式で得たスキルがある。
 この領都ガデスは☆1だからといって表立って排斥はいせきするような土地柄とちがらでもないし、自分にできることをしていこう。
 俺が『アルカナ』の儀式で得たスキルは三つ。
 魔法の効果を高める【魔法強化:C】。
 魔法薬の製作を助ける【魔法薬作製:C】。
 そして、【反響魔法エコラリア:A】。
 ……おそらくこれは俺のユニークスキルだと思うが、どんな効果なのかは不明だ。
 どうやら魔法に関するものらしい、というくらいしかわからない。
 ちなみに、スキルのランクはS~Eに分けられている。
 きっと☆4や☆5の人達は、ここにSがずらりと並んでいるんだろう。
 まあ、☆1でCランクのスキルを得られただけ万々歳ばんばんざいだ。
 ユニークスキル以外は平々凡々へいへいぼんぼんとしていてとがったところがないものの、ダンジョン向きのスキルではある。
 たとえば、冒険者ギルドで居つきの治癒ちゆ魔法使いをしたり、得意の魔法薬で商売をしたりできるだろう。
 ある程度依頼をこなして『レベル』が上がれば、ダンジョンの浅層せんそうもぐるのも不可能ではないはずだ。
 村に帰って母と妹の顔を見たい気持ちもあるが、しばらくはガデスに居座いすわってみよう。
 上手うまくすれば、二人を呼ぶくらいの稼ぎを得られるかもしれない。
 ……それに、☆1の俺が戻ったところで迷惑になるだけだしな。
 直接ダンジョン攻略に参加できなくとも、俺の技術や魔法はきっと金になる。
 少し気持ちに余裕ができた俺は顔を上げて、いくぶんかしっかりした足取りで、あてがわれた寮の部屋へと戻った。
 善は急げだ。
 荷物をまとめて、今日中にここを出よう。
 自室のとびらを開けると、赤毛の男が椅子いすに座ったままこちらを振り返り、ニヤリと口角を上げた。

「お、どうだったよ? 天才魔法使い殿。☆4か? それとも夢の☆5か?」
「よう、リック。お前とは二年間楽しくやらせてもらったよ。出会えて良かった」

 俺の言葉に、きょをつかれたように呆然とする赤毛の男――リック・カーマインは同期で同室の俺の友人だ。カーマイン男爵だんしゃく家の六男坊らしい。
 ☆3の『皇帝』を宿したことで、来期から調査団に入ることになっている。

「☆1だった。残念ながら、俺はここまでだ」
「え……マジ、かよ。……んなわけねぇだろ!」
「こればっかりは時の運だ。『アルカナ』に努力は通用しないらしい」
「そんなバカなことがあるかよ!」

 リックは机を叩いて、まるで自分のことのように感情を爆発させる。
 こうやってしんでくれるヤツがいるから、俺は冷静でいられる。
 貴族なのにリックはいいヤツだ。

「仕方ないさ。まあ、しばらくはまだ領都ガデスにいるから」
「どうすんだよ?」
「ああ……冒険者ギルドに登録して、居つきの治癒魔法使いとして置いてもらえないか聞いてみようと思う。俺には魔法薬作製もあるしな」
「そっ……か」

 リックは俺の言葉に得心がいったのか、少し落ち着いた表情で微笑ほほえんだ。
 コイツは、俺がしたたかで金に汚いことを知っているからな。

「たまには魔法薬ポーション買いに来いよ?」
「負けてくれるなら行ってもいいぜ?」
「ケチ貴族め!」

 軽口を叩きあっていると、ノックもなしに乱暴に扉が開け放たれた。

「おい、聞いたぞ! お前☆1なんだってな!」

 突然部屋に踏み込んできたのは、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうな体にオーガも目をそむけそうな不細工ぶさいくな顔を載せた大男。

「ゴッグ……」

 ゴッグ・マーレグ。
 こいつも家督かとくを継げない田舎貴族の五男坊だが、リックと違って実に貴族意識の強い男だ。
 平民の俺に座学で劣っていることが気に食わないらしく、毎度のようにつっかかってくる、面倒臭いヤツ。
 誰から聞いたか知らないが、こいつが知ってるなら……もう寮のヤツ全員に知れわたっているだろうな。
 伝える手間がはぶけて良かったと、前向きに考えておくとしよう。

「そっちはどうだった、ゴッグ?」
「聞いて驚け! 俺様は☆4の『戦車』だったぞ!」

 それを聞いて、ズキリと胸が痛むのを感じた。
 その栄光を、俺もつかみたいと……今でも心の奥ではあきらめきれない気持ちがくすぶっている。

「……そうか、良かったな」

 なんとかしぼり出した俺の返答がお気にさなかったのか、ゴッグは俺のえりを掴んで軽々と持ち上げた。
 ずいぶんと力持ちじゃないか。
 怪力の自動発動型パッシブスキルでもさずかったか?

「スカしやがって!」
「そうキレるなよ。今日で予備学校ともお前ともおさらばだ。勘弁かんべんしてくれないか」

 俺はため息をつきながらも、指先でゴッグに小さな電撃を浴びせる。

「オグァ……」

 突然の痛みに驚いたゴッグが悲鳴を上げて手を放したため、俺は床にストンと降りる。
 ――俺の努力の結晶の一つ……無詠唱むえいしょう
 これはスキルではない。
 単純な技術だ。
 魔法という技術は極めてロジカルなため、魔力マナと魔法式の組み立てさえあやまらなければ、詠唱など必要ない。
 俺がそれに気付いたのは、魔法が使えるようになってすぐのこと。
 それ以来俺は毎日睡眠時間を削ってその確立を目指し、魔力マナ切れによる目眩と吐き気の中で、時には気を失ったりしながら……なんとかここまでもってきた。
 単純な魔法ならこの通り、ごく短時間の集中で発動可能だ。
 ダンジョン内で無防備に詠唱するリスクを減らすためにみ出した技術だが、ダンジョンに潜らないのであれば、これも無意味になったな……
 無駄むだ洗練せんれんされた魔法技術など、ギルド居つきの治癒魔法使いには必要ないのだから。
 ずっと秘匿ひとくしていたんだけど……せっかくなので、今この場で披露ひろうしておくのも悪くないだろう。
 さぁ、これが☆1の悪あがきというやつだ。
 栄光の☆4に、俺の努力でどこまで食らいつけるかな。
 あまりにも練習しすぎたせいか、俺は今では簡単な魔法なら三つばかり発動待機ストックできるようになっている。
 きっと、☆4のゴッグは何か強力なスキルを得ているだろうけど……やられっぱなしというのもいささか落ち着かない。

「テメェ……なんだ今の……☆1のなけなしのスキルか?」
「努力で身につけた地味じみな技術だよ。いくぞ、ゴッグ……さん? ☆4の胸を貸してくれ」

 ケジメは大事なので、一応〝さん付け〟しておいた。

「ほざけ! ☆1ごときががががががが……」

 再度、電撃を浴びせる。
 さっきよりもちょっと強めのヤツを、長めに。
 さすが☆4の『戦車』さん!
 タフさが違う。
 これで倒れたりはしないんだな。

「くそがぁぁぁ! ぶっ殺してやる!」

 激昂げきこうして丸太のように分厚い腕を振り上げたゴッグに、そっと〈麻痺パラライズⅠ〉の魔法を放つ。
 明らかに肉弾戦闘型であるゴッグは、魔法に弱そうな印象だ。
 それでも☆の違いによる抵抗力はあるかもしれないが……うん、かかった。
 今のは少しリスキーだったかな?
 まぁ、結果オーライってことで。
 俺は一息ついてから、準備していた最後の魔法をしびれて動けないゴッグにかける。

「おやすみ」

 瞬時に〈眠りスリープⅠ〉の魔力が広がり……ゴッグはゆっくりと床にくずれ落ちた。

「やれやれ……☆1に完封かんぷうされるなんて。せっかくの☆4がもったいないぞ?」

 俺は机から筆を持ってくると、赤いインクをたっぷりつけてゴッグの首に線を描く。
 それに矢印を引いて〝首ちょんぱ〟と丁寧ていねいに書字しておいた。
 これが実戦なら命を落としていたという教訓として、今後に活かしてほしい。
 ……うそだ。
 単なる嫌がらせのためにやった。
 今までさんざん嫌がらせをされてきたのだ、このくらいのお茶目ちゃめは去り際のジョークとして受け取ってもらおう。
 さわぎを聞いて集まった他の寮生達が遠巻きに見守る中、俺はリックと協力して眠るゴッグを引きずって部屋の外に出し、扉を閉めた。
 今度はきちんと鍵をかけて。

「それだけできるのに、ダメ……なのか?」

 リックの質問に苦笑するしかない。

「これができるだけじゃ、ダメなんだよ。きっと、俺の才能はここで頭打ちなんだろうな」

 いくら努力しても☆は変えられない。
 努力なんてものを簡単にくつがえすのが、『アルカナ』の祝福だ。


「さてと……荷物もそう多くはないし、俺はそろそろ行くよ」

 俺の私物といえば、着替え、魔導書、いくつかの魔法薬触媒しょくばい……それらを背負せおかばんに入れれば、荷造りはもう終わりだ。
 普段節約に節約を重ねて、実家にも仕送りをしていたので、余計な物は何もない。
 鞄にはまだ少し空きがあるくらいだ。

「アストル……その、なんだ。またな?」

 リックは名残なごりしさを隠そうともせず、遠慮えんりょがちに手を差し出してくる。

「ああ、俺こそ。たまには顔を見せてくれ……リック」

 ひとみうるませる友人に握手あくしゅで別れを告げて、俺は二年間過ごした部屋を後にした。
 ゴッグの姿はすでに廊下にはなかった。
 誰かが起こしたのか、あるいは引きずっていったのか。
 この二年の間に何度通ったかもわからない廊下ろうかをスタスタと歩いて、俺は一階の守衛室に向かった。


 寮の入り口付近にある守衛室のベルを小さく鳴らすと、すぐに返事があった。

「はいよ」
「アストルです。退寮するのでカギを返却しに来ました」
「ああ、アストル……その、残念だったな」

 足を引きずるようにしてカウンターに出てきた年老いた管理人に、俺は頭を下げる。

「今までお世話になりました」
「ワシはさみしいよ……お前さんみたいな優秀なヤツが出て行っちまうなんて……」

 管理人はそう言って俺の手を取り、小袋こぶくろにぎらせた。
 ズシリと重い。

「これは?」
「お礼さ。お前さんのおかげで足の具合がずいぶん良くなった。今では杖なしでも歩けるくらいじゃ」

 大げさな。
 回復魔法や魔法薬の実験台になってもらってただけなんだけど。
 ……いや、せっかくの厚意だ、ありがたくいただくことにしよう。
 これを元手に町での生活基盤を整えさせてもらおう。

「☆1だろうとなんだろうと、お前さんがワシの恩人であることは変わらんよ。元気での」
「ありがとうございます。そちらもお元気で」

 もう一度頭を下げて、俺は管理人室を後にした。
 ☆1になった途端とたんに態度を一変させる者はままいる……たとえば俺の担当教師のように。そんな中、管理人が見せた変わらぬ態度は、旅立つ俺を後押ししてくれた気がした。


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