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6巻
6-2
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「──徒花と散れ」
てっきり【必殺剣・抜刀】を使うのだろうと思っていたのだが、違った。
殺気が膨れ上がり、それが実体化するかのような鋭利さをもって周囲を威圧する。
「我……全ての戦場で駆け、全ての戦場で斬り、全ての戦場を絶つ者也」
それはあまりにも非現実的な剣技だった。
神速の抜刀斬りから回転斬撃、流し斬り……そして最後は飛翔するが如き斬り上げ。
そのどれもに、一撃必殺の要素が詰まったものであるのは誰の目にも明らかだった。
「──殺撃の太刀、『花鳥風月』。ここに相成らん」
「クカッ……ギギギギ……ギ、キィ……」
斬られた『竜従者』が徐々に傾いていく。その体がいくつかに分断されてズルリと転がるのに、そう時間はかからなかった。
「まずは一つじゃ。アストル、お主は行け」
「でも……!」
「構わぬ。ワシもな、いささか頭にきておるのよ。今宵は、侍ではなく武者として立たせてもらう」
ちらりと見ると、エインズとリックが俺に目配せしてくる。
「この程度ならオレらで充分だ。ただし無茶すんじゃねぇぞ!」
「……わかった。先行する!」
俺は三人に頷いて、野営があると思われる方角へ街道をひた走った。
◆
焚火に照らされた数台の馬車が見える。
周囲には物々しい様子で警戒している者がいるが、幸い俺は気付かれることなくそれらを視界に入れられた。
付近の背の高い草むらに隠れ、〈望遠〉の魔法で様子を窺う。
そこに、チヨがするりと影から姿を現した。
「……ざっと見てまいりましたが、どの馬車かは見当が付きませんでした。申し訳ありません」
「手薄なところは?」
「裏に回り込めば多少手薄ですが、馬車は一箇所に固まっておりますので……」
「正面突破しかないか」
『魔法の小剣』を握りしめて、妙案がないか模索する。
弱々しいとはいえミントの気配がする以上、あの集団の中に姉妹が囚われているのは間違いないはずだ。
「お父様達は?」
「変異した連中と戦闘中です」
チヨがはてと首を捻る。
「変異……? 人ではないのですか?」
それに関しては、俺にもよくわからない。
あの『竜従者』が人に化けているのか、人が『竜従者』となるのかは不明だし、体を構成する理力を別物へと作り変えるのは、熟達の魔法使いでもないかぎり、簡単なことではない。
「とにかく、奴らのうちの何人かは馬車くらいのデカさの小型の竜に変異すると思ってください」
「承知いたしました。さて、どうしましょうか」
このままエインズ達が追いついてくるのを待つのも手だが、集団の様子が少しおかしい。
警戒態勢が厚い上に、何か作業をしているようにも見える。
「……まさか」
「はい。一部を先行させる準備に見えます」
その〝一部〟に姉妹が含まれているとすれば、待っている間に逃げられてしまうかもしれない。
『竜従者』の耳障りな咆哮でこちらの馬は逃げてしまったし、一度軽い馬車で走り出されれば、疲労した俺達では追いつけない可能性がある。そのまま船になど乗られたら、ミントの命は確実に失われる。何しろ、以前一度死にかけたミントは、俺との〝繋がり〟がないと魂を維持できないのだ。
それに、そんな事情がなかろうと、ユユだってどうなるかわかったものじゃない。
「仕掛ける」
「はい。わたくしが撹乱と陽動を行います。おそらく出発の準備をしているあの馬車に二人がいるのでは?」
たしかに、今荷物を下ろして軽くしている馬車に二人がいる可能性は高い。
あの馬車さえ足止めできれば――あるいは、馬と馬車を使い物にならなくすれば、二人を運ぶ手段がなくなるだろう。
「あの馬車を押さえて、残りの馬車には火を放つ。馬は可哀想だが、殺してしまおう。足を奪えば容易に動けないはずだ。〈煙幕〉の魔法で視界を悪くして、騒ぎに乗じて二人を奪還する」
「了解いたしました。では、これを」
チヨが丸い何かを俺に差し出した。
「これは?」
「煙玉です。魔法の〈煙幕〉のように視界を遮りますが、魔法ではないので〈魔法解除〉で散らされません。おそらくですが、魔法使いが潜んでいると思われますので」
煙玉を受け取って頷く。そして、ありったけの強化魔法をかけて、タイミングを計る。
「距離と場所の確認はよろしいですか?」
俺は頷いてチヨに答える。
「魔法で視覚を確保しますので、大丈夫です」
「では、参ります」
続けざまに二つ煙玉を投げ込んで駆けていく彼女に続いて、俺も馬車の方向へ向かって煙玉を放り投げる。動くものにぶつけろと言われれば難しいが、これを投げるくらい俺にだってできる。
……少し逸れたけれど問題はない。
魔法で強化された敏捷性でもって、目標の馬車へと走る。
護衛らしい人影は二人。立ちこめる煙に警戒して周囲を見回しているが、俺の姿は見つけられていないようだ。
俺は発動待機していた〈麻痺Ⅱ〉をユニークスキルの【反響魔法】による繰り返し込みで護衛一人に対し三度ずつ放つ。
この深度の麻痺になると、ちょっとした呼吸困難などを引き起こすかもしれないが、いきなり命を取るよりはましだろう。抵抗するならそのまま魔法で窒息死させればいい。
「ギギギギッ」
麻痺しているはずの一人が、例の金属質な唸り声を上げる。
馬車の護衛に変異できる者を一人付けていたか……!
距離を詰め、変異しはじめた頭部に向かって二度、〈魔突杭〉を撃ち込んで沈める。竜の眷属といえど、さすがに頭を吹き飛ばされては生きてはいないだろう。
変異しない見張りについては、放っておいて馬車に近づく。
準備をしていた馬車には、騒ぎの中で慌てながら作業する者達の姿があった。
武装はしていないので、おそらく護衛ではないと思うが、邪魔をされても面倒なので、〈眠りの霧〉の魔法を周囲に流しておく。
数人がふらふらと動きを止め、膝をつく。魔法の効きからして、やはり非戦闘員だろう。
……ただ一人を除いては。
「ネズミがいるようだな?」
馬車の最も近くで指示を出していた褐色の肌の若い男が、鋭い視線で俺を捉えた。
手練れであることが一目でわかるほどに、その所作は洗練されている。
武装はしていない。魔法使いの類だろうか。
「……二人を返してもらう」
「ああ、そういえば……あの時『運命子』と共に居た小僧か。返すも何も、『カダールの子ら』は元より我らの血脈の者。一族の定めを果たすために国へ戻るのは、当然の務めであろう? 簒奪者の末裔の薄汚い法に従って手切れ金までくれてやったというのに」
「マルボーナのことを言っているなら見当違いだ。あいつは人でなしの人攫いで、俺とはなんの関係もない!」
俺の言葉に、男は盛大にため息をついて見せる。
「鱗なき者よ、痴れ者よ。お前が、お前達がどう取り繕おうが、カダールの『運命子』は我らの宝で財産だ。不当に奪われたものを取り戻すことになんの問題がある? お前達は土地を奪った上に一族、家族まで奪い尽くそうというのか?」
平行線どころじゃない。話自体が通じていないようだ。
「どういうことだ、二人は王都の出身だぞ! お前ら『ダカー派』となんのかかわりがあるって言うんだ!?」
「お前達薄汚い簒奪者が島に入り込んで奪い取っていったのだよ! 『運命子』の血族であるカダールの女をな! あの髪と瞳……それに香りでわかる。あの二人は我らが悲願となるカダールの『運命子』だ」
二人が以前話していた〝母親の故郷〟とは……まさかダマヴンド島だったのか?
しかし、ユユ達の母親は逃げ出したと言っていたはずだ。
……となれば、母親が逃げ出したような場所に二人を戻すわけにはいかない。
「二人の意思を無視して連れ去ることに、一族も家族も悲願もあるものかッ! 二人を返してもらうぞ!」
踏み込んだ俺を前にして、男が構える。
「愚かな。話も通じぬとは……。蛮族の簒奪者どもは、相も変わらず厚顔無恥というわけか」
次の瞬間、目の前に男の姿があった。
「遅く、拙い」
「ぁぐ……?」
その拳が俺の右頬を捉え、俺は回転しながらその場に転倒する。
発動待機していた〈風圧〉を利用して即座に体勢を立て直したが、これはまずい。
顎がガタつく。口の中が切れて、徐々に血の味が広がっていく。
……武器を持っていないのではない、徒手空拳に特化したタイプだったようだ。
しかも、相当な手練れ。レンジュウロウのような、強者の佇まいがあの男にはある。
だからと言って退くわけにはいかない。ユユもミントもすぐそこだ。
「珍妙な技を使う。しかし、それでは吾には勝てんぞ。見逃してやる……と言いたいところだが、同胞を討たれたのだ。ただで帰すわけにはいかんな」
「逃げるものか。そうはさせない。……ユユも、ミントも返してもらうぞ」
「何度も言うが、あれらは我らがアズィ・ダカーに捧げられるべき大切なカダールの『運命子』だ。お前のものではない」
……捧げる? 生贄だというのか?
「バカな……イカレてる! 野蛮なのはお前達の方じゃないか! 二人をなんだと思っているんだ!?」
〈魔法の矢〉を連射しながら、駆ける。
「我らの悲願を達成するカダールの『運命子』だとも。最高の栄誉と幸福が約束されている。我らの信仰を、愛を、理解できぬからと糾弾し、追いやったお前達簒奪者にわかってもらおうとは思わぬがな!」
男は魔法弾を素手で弾き飛ばしながら、俺をゆっくりと追う。
一人で相手取るのは難しい。エインズ達の助けが必要だ。
とにかく、今は逃がしさえしなければいい。この膠着状態をできるだけ長く続けるのが最善手だ。
「時間稼ぎ……のつもりか? こちらも準備は整ったので、構わないがな」
「なに……?」
男ばかりを追っていて、馬車の方を確認していなかった。
いつの間にか、馬車に繋がれていた馬が消え、代わりに荷台に複数のロープが掛けられている。
そして、その上空では二匹の翼竜が翼をはためかせていた。
「ユユ! ミント!」
ふわりと浮き上がる荷台に向かって叫ぶ。
「さらばだ、簒奪者よ。殺せなかったのは惜しいが……吾にも優先順位というものがある」
そう言い残し、男は最後に残ったロープにつかまって空へと飛び上がった。
「待て!」
「断る。大願成就のため、我らが悲願達成のため……お前ごとき俗物に構っている暇などない」
男と荷台の高度が上がり、徐々に遠くなっていく。
「くそッ! 何か……」
周囲を見渡すが、残った馬車しかない。
まだ戦場の只中にいるというのに、虚脱感と絶望感が心を溺れさせていく。
なんとか踏み留まって、戻ろうとする俺の耳に小さな声が届いた。
「あなた……こっちへ……!」
残された馬車の一つから、人影が手招きしている。
罠かもしれないと思いつつも、俺は警戒したまま馬車へ近づく。
馬車から顔を出しているのは、壮年の女性だ。敵意はないように感じられる。
「非戦闘員なら、おとなしくしていてくれ」
「あなたがアストルさん?」
女性は真っ直ぐ俺を見つめてそう尋ねた。
「……? そうだ」
俺の返答に、女性が馬車の中にいる誰かに頷くのがわかった。
何か攻撃があるのかと思い身構えたが、数人の女性が俺の前に運び出したのは、白いシーツのようなものでぐるぐる巻きにされたベリーショートの少女だ。
短くなったストロベリーブロンドの髪は不揃いで、顔には少し擦り傷があるが、命に別状はなさそうだ。
「ユユ……!」
急いで駆け寄って、抱き上げる。
意識はないようだが、その温かな体温はユユがまだ生きていることを俺に実感させた。
「どうして? いや、それよりも……。ありがとうございます!」
俺は敵であるはずの相手に深々と、そして無防備に頭を下げる。今この瞬間に襲われでもしたら一巻の終わりだとわかっていながらも。
「ミントさんに頼まれたのよ。なんとしても、って」
「ミントが……!?」
「私、この子達の遠縁にあたるの。二人の母親のことだって知っているわ。ミントさんが妹だけはどうしても……もうすぐ結婚するんだって。それを聞いて、私達協力することにしたの。それでミントさんと一緒に一芝居打ったのよ」
女性曰く、ユユの髪の毛と服、それに綿や藁で人形を作ってカモフラージュしたらしい。
「くそ、ミントめ。また悪い癖が出たな」
ミントは少し自己犠牲が過ぎるところがある。今回も、自分のことは何も考えていない。
長い間俺と離れていれば、死んでしまうんだぞ……お前。
「ユユさんはあえて起こさないでいたの。起きたらきっと反対するからって、ミントさんがね……。もうすぐ薬が切れるから安心して。髪の毛、綺麗だったのにごめんなさいね」
「いいえ。みなさんに心からの感謝を。……でも、こんなことをして大丈夫なんですか?」
「男達はいつも自分勝手よ。アズィ・ダカー様の降臨は変革をもたらすでしょうけど、きっと世界に傷をつけることになる。私達は日々の生活で幸せならそれでいいの。男達にはそれがわからないのよ。いつまでもこぼれ落ちたものを追いすぎる……。今回のこれは、私達の小さな反乱でもあるわ」
女性がしわの深くなりはじめた顔に寂しげな笑みを浮かべる。
『ダカー派』も一枚岩ではないようだ。
「ここで大人しくしておいてください。少なくとも怪我をすることはないでしょう」
「私達は少ししたら南へ向かう。島に帰るの」
「いいんですか?」
「その生き方しか知らないのよ。それに家族が……一族がいる。衰退して滅びゆくとしても、私達は最期まで『ダカー派』として生きるわ。さぁ、一旦退いてくださいな。お互い、これ以上の戦いは必要ないでしょう?」
この女性の方が俺達より、よほど状況が見えている。
俺は再び深く頭を下げると、ユユを担ぎ上げ、背の高い草原地帯に身を隠しながら戦闘区域を避けて街道を戻った。
◆
「ん……」
戦闘を引き揚げて撤退した先、ウェルス方面へと少し街道を戻ったところ──追跡案を練るために作った簡易の野営地──で、ユユが目を覚ました。
「……ここ、どこ……お姉ちゃんは……?」
ぼんやり周囲を見回すユユ。
「ユユ、目を覚ましたか」
「アスト、ル? 無事、だったんだね?」
ユユが俺の頬を撫でる。
「ああ、俺はなんともない。でも、すまない……ミントが」
「……! そう、だった。ユユ達、煙に包まれて、そこから覚えてない。どうなったの?」
「まずは落ち着くのじゃ、ユユ。お主も知恵を貸してくれ」
レンジュウロウがユユに湯気の立つカップを渡しながら宥めた。
それを口に含み、再びユユが俺を見る。
「二人が呼ばれたあの面談は、マルボーナの罠だった。取り返しに行った時すでに二人は『ダカー派』に攫われた後で、俺達はそれを追った」
「『ダカー派』? そう、あの人達が……」
「ユユは協力者がいて助けられたけど……ミントは連れ去られた」
「ん。助けに、行こ」
すぐさま、ユユは広げている地図に目を走らせる。
彼女は学園の講義で地理を学んでいるので、こういう作戦の立案には欠かせない知識を持っている。
「この赤い点……ダマヴンド島……? 聞いたこと、ある。そうだ、母さんの故郷……! ああ、そう……なんだね」
ユユは地図に指を滑らせながら、何かを確認するようなそぶりを見せる。
「双子の花嫁……二つの魂の共鳴、王女達の依り代……。そう……うん」
小さく呟き、何かを納得した様子で頷く。
「大体わかった、よ。急がないと、ダメ」
やり取りを聞いていたエインズが、困り顔で首を傾げる。
「何がわかったんだ? オレにわかるように説明してくれや、ユユ」
「ユユとお姉ちゃんは『運命子』って呼ばれる、特別なカダールの血族の姉妹。竜の神様に捧げられて、その両翼になることを、定められた者……それが、ユユ達」
ユユの説明は、あの男のいくつかの言葉とも合致する。
どうして、急にそんなことを……と思ったが、俺は口を挟まずに続きを促す。
「いろいろ思い出してきた。母さん、〝伝承〟させた、のね……」
「伝承?」
思わず聞き返した俺に、ユユが頷く。
「母さんの……ううん、カダール一族のユニークスキル。知識や技術、記憶を血族に受け継ぐスキルが、ある。このタイミングで、思い出したことにはきっと、意味がある」
それは儀式を成就せよという願いか、それとも阻止せよという意志か。
いずれにせよ、姉妹を犠牲になんてできない。採るべき選択は阻止一択だ。
「……母さんは、きっと止めたかったんだと、思う。島から、逃げたくらいだもの」
「じゃあ、止めよう。どっちにしたって、ミントは絶対に取り戻す」
「ん。ユユも、行く」
「それは……」
危険だ――と、動きそうになる口を噤む。
本当は連れて行かない方がいいんだろう。取り戻したユユを、危険なダマヴンド島に連れていくことにどれほどのリスクがあるかなど、わかっている。
だが俺は、彼女の瞳に映る決意に抗えなかった。その瞳は、姉であるミントを助けることも、母の願いを繋ぐことも命を懸けるに値するのだと、強く語っている。
「……わかった。今度こそ、俺が守るよ」
「ん。信じてる。アストルなら、大丈夫」
軽く抱きついてくるユユの頭をやんわりと撫でる。
髪の毛が短いせいか、いつもと触り心地が違う。
「む、髪……ない?」
「ないんじゃない、短くなったんだ。この髪型も似合ってるよ」
「じゃ、いい」
ユユが落ち着いた頃を見計らって、エインズが切り出す。
「話がまとまったんなら、作戦会議を続行すんぞ。おそらくダマヴンド島に向かった連中を追わにゃならん。ミントの生存タイムリミットはどんなだ、アストル?」
「理力漏出が始まるのが早くて一週間、漏れ出してから動けなくなるまで一週間。動けなくなってから魂が離れるまで三日……ってところだな。これはミントが安静状態を保っていればの話だ。怪我をしたり、何かしらの影響で魔力を抜かれたりしたら、さらに早くなる」
つまり、最悪でも二週間以内にはミントとの繋がりが感じられる位置まで接近せねばならない。
レンジュウロウが難しい顔で唸る。
「地図によると、ここからポートアルムまで約五日。そこから船で二日ほどの距離じゃが……」
馬はすでに逃げてしまっている。『ダカー派』の馬を拝借するのもいいかもしれないが、迂闊に戦闘をしてこちらに被害が出るのは避けたい。
「ここから、少し西へ行って、旧街道のメドナ村に行こ。あの集落は大きいから、きっと馬を、借りられる」
ユユが地図を指でなぞって示した地点を、レンジュウロウと俺が覗き込む。
「遠回りになるが……馬がある方が何かと良いかもしれん。馬車が借りられればもっと楽だがの」
「どちらにせよ、こっちの街道は『ダカー派』の連中に遭遇する可能性が高い。なら、旧街道で南下してポートアルムへ向かう方が安心だ」
無駄な戦闘は避けたいし、何よりあの協力的な女性達を戦いに巻き込むのは好ましくない。
「じゃあ、そうしようかの。警戒中のチヨが戻ったらすぐに移動を始めるとしよう」
「お、話決まった?」
見張りに立っていたリックがこちらを振り返る。
「ああ、この街道は進まないで、西にある旧街道を進む。可能ならば馬か馬車を手に入れるつもりだ」
「遭遇避けにはいいんじゃね? あの『竜従者』とかいうの、手強いしな……。足止めに回られたら厄介だ」
なんだかんだ言いながら、リックは冷静に戦力差を分析している。
勝てない相手ではないが、あの連中に延々と時間稼ぎをされれば、時間と体力が足りなくなる可能性が高い。奴らは人数でも上回っているので、夜でも奇襲を仕掛けてくるだろうし、休む暇がなければこちらとて疲弊していく。
俺にしても、今日一日で魔力を使いすぎて、もう魔力枯渇寸前だ。この先も戦闘があることを考えれば、道中の余計な戦闘は避けなくてはならない。
「じゃあ、起きたばっかりですまないが……行こうか、ユユ」
「ん。だいじょぶ」
「その……辛いかもしれないけれど、儀式についても教えてくれないか?」
「わかってる。ユユだけじゃ、止められない。けど……アストルと一緒なら、きっといける。お姉ちゃんも助けて、儀式も……止める。でないと……」
言い淀んだユユが、意を決したように口を開く。
「世界が、滅びちゃうかもしれないから」
「世界が、滅びる?」
ユユが発した一言が、引っかかる。どこかで聞いたフレーズだ。
……そう、俺が『光輪持つ炎の王』をスキルで完全に顕現させた時、元伝説級の冒険者の母に言われた言葉だった。
「えー、と……アストルは『ヴェンディの書』読んでた、よね? 封印図書の」
「ああ、世界の終焉を引き起こす十六の災厄の……」
「その起点となるのが、『アズィ・ダカー』の復活、なの」
『ヴェンディの書』は『ダカー派』を調べる際に当たったいくつかの資料のうちの一つだ。
読んだ時は〝滅亡〟だの〝終焉〟だの、あげくに〝永遠の闇〟などという物騒な言葉が頻出する胡散臭い内容の古文書というイメージしかなかったが。
しかし、確かにあの書物の中には『アズィ・ダカー』の名が出ていた。
この竜とも蛇とも見える有翼の神が降臨すると、内容は不明だが『十六の災厄』が人類にもたらされ、真に正しき者以外は全て滅び去り、世界は闇に閉ざされる。
生き残った者達は王となった神と共に、永遠の命が約束される……とも書いてあった。
てっきり【必殺剣・抜刀】を使うのだろうと思っていたのだが、違った。
殺気が膨れ上がり、それが実体化するかのような鋭利さをもって周囲を威圧する。
「我……全ての戦場で駆け、全ての戦場で斬り、全ての戦場を絶つ者也」
それはあまりにも非現実的な剣技だった。
神速の抜刀斬りから回転斬撃、流し斬り……そして最後は飛翔するが如き斬り上げ。
そのどれもに、一撃必殺の要素が詰まったものであるのは誰の目にも明らかだった。
「──殺撃の太刀、『花鳥風月』。ここに相成らん」
「クカッ……ギギギギ……ギ、キィ……」
斬られた『竜従者』が徐々に傾いていく。その体がいくつかに分断されてズルリと転がるのに、そう時間はかからなかった。
「まずは一つじゃ。アストル、お主は行け」
「でも……!」
「構わぬ。ワシもな、いささか頭にきておるのよ。今宵は、侍ではなく武者として立たせてもらう」
ちらりと見ると、エインズとリックが俺に目配せしてくる。
「この程度ならオレらで充分だ。ただし無茶すんじゃねぇぞ!」
「……わかった。先行する!」
俺は三人に頷いて、野営があると思われる方角へ街道をひた走った。
◆
焚火に照らされた数台の馬車が見える。
周囲には物々しい様子で警戒している者がいるが、幸い俺は気付かれることなくそれらを視界に入れられた。
付近の背の高い草むらに隠れ、〈望遠〉の魔法で様子を窺う。
そこに、チヨがするりと影から姿を現した。
「……ざっと見てまいりましたが、どの馬車かは見当が付きませんでした。申し訳ありません」
「手薄なところは?」
「裏に回り込めば多少手薄ですが、馬車は一箇所に固まっておりますので……」
「正面突破しかないか」
『魔法の小剣』を握りしめて、妙案がないか模索する。
弱々しいとはいえミントの気配がする以上、あの集団の中に姉妹が囚われているのは間違いないはずだ。
「お父様達は?」
「変異した連中と戦闘中です」
チヨがはてと首を捻る。
「変異……? 人ではないのですか?」
それに関しては、俺にもよくわからない。
あの『竜従者』が人に化けているのか、人が『竜従者』となるのかは不明だし、体を構成する理力を別物へと作り変えるのは、熟達の魔法使いでもないかぎり、簡単なことではない。
「とにかく、奴らのうちの何人かは馬車くらいのデカさの小型の竜に変異すると思ってください」
「承知いたしました。さて、どうしましょうか」
このままエインズ達が追いついてくるのを待つのも手だが、集団の様子が少しおかしい。
警戒態勢が厚い上に、何か作業をしているようにも見える。
「……まさか」
「はい。一部を先行させる準備に見えます」
その〝一部〟に姉妹が含まれているとすれば、待っている間に逃げられてしまうかもしれない。
『竜従者』の耳障りな咆哮でこちらの馬は逃げてしまったし、一度軽い馬車で走り出されれば、疲労した俺達では追いつけない可能性がある。そのまま船になど乗られたら、ミントの命は確実に失われる。何しろ、以前一度死にかけたミントは、俺との〝繋がり〟がないと魂を維持できないのだ。
それに、そんな事情がなかろうと、ユユだってどうなるかわかったものじゃない。
「仕掛ける」
「はい。わたくしが撹乱と陽動を行います。おそらく出発の準備をしているあの馬車に二人がいるのでは?」
たしかに、今荷物を下ろして軽くしている馬車に二人がいる可能性は高い。
あの馬車さえ足止めできれば――あるいは、馬と馬車を使い物にならなくすれば、二人を運ぶ手段がなくなるだろう。
「あの馬車を押さえて、残りの馬車には火を放つ。馬は可哀想だが、殺してしまおう。足を奪えば容易に動けないはずだ。〈煙幕〉の魔法で視界を悪くして、騒ぎに乗じて二人を奪還する」
「了解いたしました。では、これを」
チヨが丸い何かを俺に差し出した。
「これは?」
「煙玉です。魔法の〈煙幕〉のように視界を遮りますが、魔法ではないので〈魔法解除〉で散らされません。おそらくですが、魔法使いが潜んでいると思われますので」
煙玉を受け取って頷く。そして、ありったけの強化魔法をかけて、タイミングを計る。
「距離と場所の確認はよろしいですか?」
俺は頷いてチヨに答える。
「魔法で視覚を確保しますので、大丈夫です」
「では、参ります」
続けざまに二つ煙玉を投げ込んで駆けていく彼女に続いて、俺も馬車の方向へ向かって煙玉を放り投げる。動くものにぶつけろと言われれば難しいが、これを投げるくらい俺にだってできる。
……少し逸れたけれど問題はない。
魔法で強化された敏捷性でもって、目標の馬車へと走る。
護衛らしい人影は二人。立ちこめる煙に警戒して周囲を見回しているが、俺の姿は見つけられていないようだ。
俺は発動待機していた〈麻痺Ⅱ〉をユニークスキルの【反響魔法】による繰り返し込みで護衛一人に対し三度ずつ放つ。
この深度の麻痺になると、ちょっとした呼吸困難などを引き起こすかもしれないが、いきなり命を取るよりはましだろう。抵抗するならそのまま魔法で窒息死させればいい。
「ギギギギッ」
麻痺しているはずの一人が、例の金属質な唸り声を上げる。
馬車の護衛に変異できる者を一人付けていたか……!
距離を詰め、変異しはじめた頭部に向かって二度、〈魔突杭〉を撃ち込んで沈める。竜の眷属といえど、さすがに頭を吹き飛ばされては生きてはいないだろう。
変異しない見張りについては、放っておいて馬車に近づく。
準備をしていた馬車には、騒ぎの中で慌てながら作業する者達の姿があった。
武装はしていないので、おそらく護衛ではないと思うが、邪魔をされても面倒なので、〈眠りの霧〉の魔法を周囲に流しておく。
数人がふらふらと動きを止め、膝をつく。魔法の効きからして、やはり非戦闘員だろう。
……ただ一人を除いては。
「ネズミがいるようだな?」
馬車の最も近くで指示を出していた褐色の肌の若い男が、鋭い視線で俺を捉えた。
手練れであることが一目でわかるほどに、その所作は洗練されている。
武装はしていない。魔法使いの類だろうか。
「……二人を返してもらう」
「ああ、そういえば……あの時『運命子』と共に居た小僧か。返すも何も、『カダールの子ら』は元より我らの血脈の者。一族の定めを果たすために国へ戻るのは、当然の務めであろう? 簒奪者の末裔の薄汚い法に従って手切れ金までくれてやったというのに」
「マルボーナのことを言っているなら見当違いだ。あいつは人でなしの人攫いで、俺とはなんの関係もない!」
俺の言葉に、男は盛大にため息をついて見せる。
「鱗なき者よ、痴れ者よ。お前が、お前達がどう取り繕おうが、カダールの『運命子』は我らの宝で財産だ。不当に奪われたものを取り戻すことになんの問題がある? お前達は土地を奪った上に一族、家族まで奪い尽くそうというのか?」
平行線どころじゃない。話自体が通じていないようだ。
「どういうことだ、二人は王都の出身だぞ! お前ら『ダカー派』となんのかかわりがあるって言うんだ!?」
「お前達薄汚い簒奪者が島に入り込んで奪い取っていったのだよ! 『運命子』の血族であるカダールの女をな! あの髪と瞳……それに香りでわかる。あの二人は我らが悲願となるカダールの『運命子』だ」
二人が以前話していた〝母親の故郷〟とは……まさかダマヴンド島だったのか?
しかし、ユユ達の母親は逃げ出したと言っていたはずだ。
……となれば、母親が逃げ出したような場所に二人を戻すわけにはいかない。
「二人の意思を無視して連れ去ることに、一族も家族も悲願もあるものかッ! 二人を返してもらうぞ!」
踏み込んだ俺を前にして、男が構える。
「愚かな。話も通じぬとは……。蛮族の簒奪者どもは、相も変わらず厚顔無恥というわけか」
次の瞬間、目の前に男の姿があった。
「遅く、拙い」
「ぁぐ……?」
その拳が俺の右頬を捉え、俺は回転しながらその場に転倒する。
発動待機していた〈風圧〉を利用して即座に体勢を立て直したが、これはまずい。
顎がガタつく。口の中が切れて、徐々に血の味が広がっていく。
……武器を持っていないのではない、徒手空拳に特化したタイプだったようだ。
しかも、相当な手練れ。レンジュウロウのような、強者の佇まいがあの男にはある。
だからと言って退くわけにはいかない。ユユもミントもすぐそこだ。
「珍妙な技を使う。しかし、それでは吾には勝てんぞ。見逃してやる……と言いたいところだが、同胞を討たれたのだ。ただで帰すわけにはいかんな」
「逃げるものか。そうはさせない。……ユユも、ミントも返してもらうぞ」
「何度も言うが、あれらは我らがアズィ・ダカーに捧げられるべき大切なカダールの『運命子』だ。お前のものではない」
……捧げる? 生贄だというのか?
「バカな……イカレてる! 野蛮なのはお前達の方じゃないか! 二人をなんだと思っているんだ!?」
〈魔法の矢〉を連射しながら、駆ける。
「我らの悲願を達成するカダールの『運命子』だとも。最高の栄誉と幸福が約束されている。我らの信仰を、愛を、理解できぬからと糾弾し、追いやったお前達簒奪者にわかってもらおうとは思わぬがな!」
男は魔法弾を素手で弾き飛ばしながら、俺をゆっくりと追う。
一人で相手取るのは難しい。エインズ達の助けが必要だ。
とにかく、今は逃がしさえしなければいい。この膠着状態をできるだけ長く続けるのが最善手だ。
「時間稼ぎ……のつもりか? こちらも準備は整ったので、構わないがな」
「なに……?」
男ばかりを追っていて、馬車の方を確認していなかった。
いつの間にか、馬車に繋がれていた馬が消え、代わりに荷台に複数のロープが掛けられている。
そして、その上空では二匹の翼竜が翼をはためかせていた。
「ユユ! ミント!」
ふわりと浮き上がる荷台に向かって叫ぶ。
「さらばだ、簒奪者よ。殺せなかったのは惜しいが……吾にも優先順位というものがある」
そう言い残し、男は最後に残ったロープにつかまって空へと飛び上がった。
「待て!」
「断る。大願成就のため、我らが悲願達成のため……お前ごとき俗物に構っている暇などない」
男と荷台の高度が上がり、徐々に遠くなっていく。
「くそッ! 何か……」
周囲を見渡すが、残った馬車しかない。
まだ戦場の只中にいるというのに、虚脱感と絶望感が心を溺れさせていく。
なんとか踏み留まって、戻ろうとする俺の耳に小さな声が届いた。
「あなた……こっちへ……!」
残された馬車の一つから、人影が手招きしている。
罠かもしれないと思いつつも、俺は警戒したまま馬車へ近づく。
馬車から顔を出しているのは、壮年の女性だ。敵意はないように感じられる。
「非戦闘員なら、おとなしくしていてくれ」
「あなたがアストルさん?」
女性は真っ直ぐ俺を見つめてそう尋ねた。
「……? そうだ」
俺の返答に、女性が馬車の中にいる誰かに頷くのがわかった。
何か攻撃があるのかと思い身構えたが、数人の女性が俺の前に運び出したのは、白いシーツのようなものでぐるぐる巻きにされたベリーショートの少女だ。
短くなったストロベリーブロンドの髪は不揃いで、顔には少し擦り傷があるが、命に別状はなさそうだ。
「ユユ……!」
急いで駆け寄って、抱き上げる。
意識はないようだが、その温かな体温はユユがまだ生きていることを俺に実感させた。
「どうして? いや、それよりも……。ありがとうございます!」
俺は敵であるはずの相手に深々と、そして無防備に頭を下げる。今この瞬間に襲われでもしたら一巻の終わりだとわかっていながらも。
「ミントさんに頼まれたのよ。なんとしても、って」
「ミントが……!?」
「私、この子達の遠縁にあたるの。二人の母親のことだって知っているわ。ミントさんが妹だけはどうしても……もうすぐ結婚するんだって。それを聞いて、私達協力することにしたの。それでミントさんと一緒に一芝居打ったのよ」
女性曰く、ユユの髪の毛と服、それに綿や藁で人形を作ってカモフラージュしたらしい。
「くそ、ミントめ。また悪い癖が出たな」
ミントは少し自己犠牲が過ぎるところがある。今回も、自分のことは何も考えていない。
長い間俺と離れていれば、死んでしまうんだぞ……お前。
「ユユさんはあえて起こさないでいたの。起きたらきっと反対するからって、ミントさんがね……。もうすぐ薬が切れるから安心して。髪の毛、綺麗だったのにごめんなさいね」
「いいえ。みなさんに心からの感謝を。……でも、こんなことをして大丈夫なんですか?」
「男達はいつも自分勝手よ。アズィ・ダカー様の降臨は変革をもたらすでしょうけど、きっと世界に傷をつけることになる。私達は日々の生活で幸せならそれでいいの。男達にはそれがわからないのよ。いつまでもこぼれ落ちたものを追いすぎる……。今回のこれは、私達の小さな反乱でもあるわ」
女性がしわの深くなりはじめた顔に寂しげな笑みを浮かべる。
『ダカー派』も一枚岩ではないようだ。
「ここで大人しくしておいてください。少なくとも怪我をすることはないでしょう」
「私達は少ししたら南へ向かう。島に帰るの」
「いいんですか?」
「その生き方しか知らないのよ。それに家族が……一族がいる。衰退して滅びゆくとしても、私達は最期まで『ダカー派』として生きるわ。さぁ、一旦退いてくださいな。お互い、これ以上の戦いは必要ないでしょう?」
この女性の方が俺達より、よほど状況が見えている。
俺は再び深く頭を下げると、ユユを担ぎ上げ、背の高い草原地帯に身を隠しながら戦闘区域を避けて街道を戻った。
◆
「ん……」
戦闘を引き揚げて撤退した先、ウェルス方面へと少し街道を戻ったところ──追跡案を練るために作った簡易の野営地──で、ユユが目を覚ました。
「……ここ、どこ……お姉ちゃんは……?」
ぼんやり周囲を見回すユユ。
「ユユ、目を覚ましたか」
「アスト、ル? 無事、だったんだね?」
ユユが俺の頬を撫でる。
「ああ、俺はなんともない。でも、すまない……ミントが」
「……! そう、だった。ユユ達、煙に包まれて、そこから覚えてない。どうなったの?」
「まずは落ち着くのじゃ、ユユ。お主も知恵を貸してくれ」
レンジュウロウがユユに湯気の立つカップを渡しながら宥めた。
それを口に含み、再びユユが俺を見る。
「二人が呼ばれたあの面談は、マルボーナの罠だった。取り返しに行った時すでに二人は『ダカー派』に攫われた後で、俺達はそれを追った」
「『ダカー派』? そう、あの人達が……」
「ユユは協力者がいて助けられたけど……ミントは連れ去られた」
「ん。助けに、行こ」
すぐさま、ユユは広げている地図に目を走らせる。
彼女は学園の講義で地理を学んでいるので、こういう作戦の立案には欠かせない知識を持っている。
「この赤い点……ダマヴンド島……? 聞いたこと、ある。そうだ、母さんの故郷……! ああ、そう……なんだね」
ユユは地図に指を滑らせながら、何かを確認するようなそぶりを見せる。
「双子の花嫁……二つの魂の共鳴、王女達の依り代……。そう……うん」
小さく呟き、何かを納得した様子で頷く。
「大体わかった、よ。急がないと、ダメ」
やり取りを聞いていたエインズが、困り顔で首を傾げる。
「何がわかったんだ? オレにわかるように説明してくれや、ユユ」
「ユユとお姉ちゃんは『運命子』って呼ばれる、特別なカダールの血族の姉妹。竜の神様に捧げられて、その両翼になることを、定められた者……それが、ユユ達」
ユユの説明は、あの男のいくつかの言葉とも合致する。
どうして、急にそんなことを……と思ったが、俺は口を挟まずに続きを促す。
「いろいろ思い出してきた。母さん、〝伝承〟させた、のね……」
「伝承?」
思わず聞き返した俺に、ユユが頷く。
「母さんの……ううん、カダール一族のユニークスキル。知識や技術、記憶を血族に受け継ぐスキルが、ある。このタイミングで、思い出したことにはきっと、意味がある」
それは儀式を成就せよという願いか、それとも阻止せよという意志か。
いずれにせよ、姉妹を犠牲になんてできない。採るべき選択は阻止一択だ。
「……母さんは、きっと止めたかったんだと、思う。島から、逃げたくらいだもの」
「じゃあ、止めよう。どっちにしたって、ミントは絶対に取り戻す」
「ん。ユユも、行く」
「それは……」
危険だ――と、動きそうになる口を噤む。
本当は連れて行かない方がいいんだろう。取り戻したユユを、危険なダマヴンド島に連れていくことにどれほどのリスクがあるかなど、わかっている。
だが俺は、彼女の瞳に映る決意に抗えなかった。その瞳は、姉であるミントを助けることも、母の願いを繋ぐことも命を懸けるに値するのだと、強く語っている。
「……わかった。今度こそ、俺が守るよ」
「ん。信じてる。アストルなら、大丈夫」
軽く抱きついてくるユユの頭をやんわりと撫でる。
髪の毛が短いせいか、いつもと触り心地が違う。
「む、髪……ない?」
「ないんじゃない、短くなったんだ。この髪型も似合ってるよ」
「じゃ、いい」
ユユが落ち着いた頃を見計らって、エインズが切り出す。
「話がまとまったんなら、作戦会議を続行すんぞ。おそらくダマヴンド島に向かった連中を追わにゃならん。ミントの生存タイムリミットはどんなだ、アストル?」
「理力漏出が始まるのが早くて一週間、漏れ出してから動けなくなるまで一週間。動けなくなってから魂が離れるまで三日……ってところだな。これはミントが安静状態を保っていればの話だ。怪我をしたり、何かしらの影響で魔力を抜かれたりしたら、さらに早くなる」
つまり、最悪でも二週間以内にはミントとの繋がりが感じられる位置まで接近せねばならない。
レンジュウロウが難しい顔で唸る。
「地図によると、ここからポートアルムまで約五日。そこから船で二日ほどの距離じゃが……」
馬はすでに逃げてしまっている。『ダカー派』の馬を拝借するのもいいかもしれないが、迂闊に戦闘をしてこちらに被害が出るのは避けたい。
「ここから、少し西へ行って、旧街道のメドナ村に行こ。あの集落は大きいから、きっと馬を、借りられる」
ユユが地図を指でなぞって示した地点を、レンジュウロウと俺が覗き込む。
「遠回りになるが……馬がある方が何かと良いかもしれん。馬車が借りられればもっと楽だがの」
「どちらにせよ、こっちの街道は『ダカー派』の連中に遭遇する可能性が高い。なら、旧街道で南下してポートアルムへ向かう方が安心だ」
無駄な戦闘は避けたいし、何よりあの協力的な女性達を戦いに巻き込むのは好ましくない。
「じゃあ、そうしようかの。警戒中のチヨが戻ったらすぐに移動を始めるとしよう」
「お、話決まった?」
見張りに立っていたリックがこちらを振り返る。
「ああ、この街道は進まないで、西にある旧街道を進む。可能ならば馬か馬車を手に入れるつもりだ」
「遭遇避けにはいいんじゃね? あの『竜従者』とかいうの、手強いしな……。足止めに回られたら厄介だ」
なんだかんだ言いながら、リックは冷静に戦力差を分析している。
勝てない相手ではないが、あの連中に延々と時間稼ぎをされれば、時間と体力が足りなくなる可能性が高い。奴らは人数でも上回っているので、夜でも奇襲を仕掛けてくるだろうし、休む暇がなければこちらとて疲弊していく。
俺にしても、今日一日で魔力を使いすぎて、もう魔力枯渇寸前だ。この先も戦闘があることを考えれば、道中の余計な戦闘は避けなくてはならない。
「じゃあ、起きたばっかりですまないが……行こうか、ユユ」
「ん。だいじょぶ」
「その……辛いかもしれないけれど、儀式についても教えてくれないか?」
「わかってる。ユユだけじゃ、止められない。けど……アストルと一緒なら、きっといける。お姉ちゃんも助けて、儀式も……止める。でないと……」
言い淀んだユユが、意を決したように口を開く。
「世界が、滅びちゃうかもしれないから」
「世界が、滅びる?」
ユユが発した一言が、引っかかる。どこかで聞いたフレーズだ。
……そう、俺が『光輪持つ炎の王』をスキルで完全に顕現させた時、元伝説級の冒険者の母に言われた言葉だった。
「えー、と……アストルは『ヴェンディの書』読んでた、よね? 封印図書の」
「ああ、世界の終焉を引き起こす十六の災厄の……」
「その起点となるのが、『アズィ・ダカー』の復活、なの」
『ヴェンディの書』は『ダカー派』を調べる際に当たったいくつかの資料のうちの一つだ。
読んだ時は〝滅亡〟だの〝終焉〟だの、あげくに〝永遠の闇〟などという物騒な言葉が頻出する胡散臭い内容の古文書というイメージしかなかったが。
しかし、確かにあの書物の中には『アズィ・ダカー』の名が出ていた。
この竜とも蛇とも見える有翼の神が降臨すると、内容は不明だが『十六の災厄』が人類にもたらされ、真に正しき者以外は全て滅び去り、世界は闇に閉ざされる。
生き残った者達は王となった神と共に、永遠の命が約束される……とも書いてあった。
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