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「……公爵殿下のこと、信じてもいいですか?」

痛いくらいの静寂が続く。

公爵殿下は何も言わなかった。
次の言葉を考えているようにわたしを見つめている。

「……心中お察しします。
先の戦争では多くのものが失われ、
この王都だって、帝国の手を借りることでやっと復興できました。
いかなる理由であれ民に血を流させることは罪であり繰り返してはなりません。
しかし、これ以上の戦が無いかと問われると……」

公爵殿下は苦々しげに顔を歪め、最初は躊躇いながら、次第にはっきりと言葉を紡ぐ。

「断言はできません。
今は協定がありますし……悔しいことに、奪うものすらありませんから、
帝国がむざむざ攻め入る真似はしないでしょう。それは周辺国から見ても同様です。
支配下にあるクランリッツェを攻めれば帝国の逆鱗に触れますからね。
ですから、すぐさまには無い、と言えますが、
あなたの求めている答えではないでしょう。
それに、言い換えれば現状のこの国は帝国に守られているということです。
そのようにして保たれている平和は、クランリッツェの手を離れた場所で、
容易く破られるでしょう」

胸の奥に重い何かを注ぎ込まれるような苦しさがあった。

……偉い人だから、ってなんでもできるはずない。

わかっていても、胸のつっかえが取れず一層苦しくなっていく。

「……そう、ですか……。ごめんなさい、わたし、勝手なことを……」
「ですが」

わたしは自然と息を漏らしていた。
低く力強い一声に顔を上げると、彼はひどく切なげな面持ちをしていた。

「……これはあなたの問いへの返事ではありません。
そうであっても、聴いていただけますか?」
「は、い……わたし、知りたいんです。あなたのこと……」

公爵殿下の様子は胸の内を明かす時のように慎重で、それでいて凛としている。

「たしかに、今はまだこの国の平和は帝国によって守られています。
ですが私はクランリッツェとしての誇りを取り戻したい。
あなたが故郷を想うように、私には国を想う心があり、
クランリッツェを帝国の手から取り戻し、自立へ導く使命があります。
そして私がそのために取る方法は……剣ではありません。
これからの時代は力ではなく知で戦うべきだと考えています。
人同士で血を流し、殺し、蹂躙することないよう、
意見を交え舌で争い、益のために鎬を削るのです。
……それは剣や大砲で戦うよりもずっと難しい。
けれども、難しいからこそ、私の代で成し遂げたいのです。
この先の時代に、いいえ今の時代にだって可能です。
戦争を起こさないよう、あなたが受けた痛みを繰り返さないように」

射貫くように見つめてくる彼には偽りも誤魔化しもない。
ただ少しの哀しみと、わたしには想像もできないような重責、
そして強い意志があった。

「……殿下……」
「私はあなたに、クランリッツェの民に、確約の一つもあげることができない。
戦時中に子どもとして守られ、終わったあとには傀儡の王として望まれ、
己のことながら未熟と言わざるを得ません」

ふっと肩の力が抜けて、その表情が和らいだように思えた。

「……それでも、国を想う心はあります」

微笑んでいるように見えた瞳はあまりにも苦しげなものだった。

(どうして……)

「私は見ての通り、まだ幼いですから。
想う心があろうとも舐められるんですよ、壇上にも立たせてもらえないまま。
……だから、出来るだけ、何を売ってでも箔をつける必要がある」

『私は時折、自分の中に覇王を見るのです』

『意外に思いますか?
これでも王位継承者ですから。
親近感……というと妙ですが、自分を重ねることがあるのです』

『……あなたの仰られていたこともあながち彼の本質から遠くはないのではないでしょうか。
王は孤独です。故に愛するということを知りません。
……それを悲しいと表現するあなたが私にはとても眩しく思えます』

彼の言葉が蘇る。

(どうして、そんなに苦しそうな顔をして、それでも笑おうとするのだろう……)

わたしはもう、迷わなかった。

「私が悪魔に魂を売ってしまうよりも先に、どうか協力していただけませんか?」
「……わかりました。
殿下のお気持ちも、考えてることも、いいものだって思うから。
わたし、あなたに協力しますっ」

一歩踏み出す。すると公爵殿下はちょっと驚いた反応をして、
それからくすりと微笑んでくれる。

「ふふ。交渉成立ですね」

今度はもう、苦しそうな笑みじゃない。

わたしは何もわからないし、芸もないけれども……
……この人が少しでも楽になれるような、
この人が想う未来が来るようなそんなお手伝いをしたい。

「では……お手を取ってください。我が聖女」
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