掟破りのキサ

田原更

文字の大きさ
18 / 25
五章:甘い声

18話

しおりを挟む
 キサは心を閉ざし、黙々と針仕事に打ち込むだけの日々を送った。ダネルに呼び出され、あれこれ聞かれたこともあった。しかし、何を聞かれてもキサは表情を変えなかった。何を言っても無駄だと思われたのか、そのうち何も聞かれなくなった。

 キサが屋敷の廊下を歩いていると、すれ違った男女のひそひそ声が聞こえてきた。

「領主が連れ込んだあの女、見ろ。まるで幽霊みたいだ」

「本当。気味悪いったらないわよ」

「あの、人喰い鳥が出る山から来たんだろう?」

「そうみたい。なんでも、あそこに住んでいた連中みんなが、逆に人喰い鳥に喰われたって。だから、あの娘が最後の生き残り。領主様は娘を哀れんで、屋敷に住まわせているって話よ」

「はん、いくら美人だからって、あんな気味の悪い女をよ。都から来たお方の考えることはわからんね。お高くとまりやがって」

「本当よね。三年前に亡くなった領主様だったら、あんな娘を連れ込みやしないわよ。ああ、薄気味悪い……」

 キサは腹を立てたりしなかった。自分で自分のことを悪霊みたいだと思っているからだ。それに、ダネルも屋敷の使用人に好かれていないようだ。

(あの人は、いつも一人。寂しくないのかしら……)

 キサはとぼとぼ歩きながら、ダネルの冷たく青い瞳を思い出していた。


 それから少し経った。キサはまたダネルに呼び出された。キサがこの部屋に入るとき、ダネルはいつでも本を読んでいる。

(そんなに面白いのかしら……)

 キサは視線を本に落とした。

「気になるのか?」

 唐突に声をかけられて、キサは慌てた。

「そんなに気になるのなら、お前にやろう」

(勝手に決めないで……!)

 キサは拒否しようとしたが、その手はするりと本に伸びた。

「ありがとうございます」

 勝手に口が開いた。

「おそらく読めるのではないか? いいか、お前たちの文字はそれ自体に意味があるが、アバンド文字には意味はない。文字に音が載っているだけだ。そして、お前たちの文字と、音は共通している。お前たちは、後から音に意味を載せ、それに合うようにアバンド文字を作り変えたのではないか? まるで暗号でも作るかのように……まあ、お前に聞いたとて、詳しいことはわかるまい」

 ダネルは長話を打ち切り、机から紙を取り出して文字を書いた。

「これは『あ』という文字だ」

(空じゃなくて、あ、なのね)

 キサは心の中に浮かんだ空の風景を消して、これはただの『あ』という音だと思うことにした。

「その本の冒頭にはこう書かれている」

 ダネルはさらさらと文章を書いた。キサは一文字ずつ音を拾うように読み上げた。

「た・い・よ・う・の・か・み……太陽の神……う・つ・く・し・き……美しき……ぎ・ん・の……ぎん?」

 キサは首を傾げた。

「銀を知らぬのか? 待っていろ」

 ダネルは机の引き出しを開けて、鎖がついた何かを取り出した。

「この首飾りは銀で出来ている。お前にやろう」

 鎖には花の飾りがついていた。白いような、灰色のような、それでいて艶やかで、どこか神聖な輝きを帯びていた。

(硬いから、きっと銅と同じ金属でしょうね。銅よりも控えめで、なにより美しいわ……)

 キサはうっとりとした笑みを浮かべ、はっと我に返った。

「いりません! これも……本も、お返しします!」

(ダネルは恐ろしい男よ。今日も私を惑わせて、何か口を滑らせるのを期待しているに違いないわ。どうして私は、この人に心を許そうとしてしまうのかしら……)

『ダージャ。ポラ・ノ・ダージャ……』

(何なの? この、心の奥底から響いてくる、甘ったるい声は。むせかえる甘さがする巣蜜のよう……)

 キサは本と首飾りを床に落として、耳を塞いでうずくまった。

「控えめな女だな……まるで銀のようだ」

 ダネルは、キサの手を引いて立たせた。

「何かしないと、今に心が壊れるぞ」

「針仕事をしているから平気です」

「新しいことを始めたほうがいい。そんなに針仕事が好きなら、我々の服の作り方でも覚えるか?」

「こんなひらひらした服、作りたくありません!」

 キサは身体をじたばたさせて抵抗した。口を開くたびに、心の奥底から、ダージャという甘い声が響いてくる。これで、三度目だ。

「とにかく、持っていけ。一文字ずつ声に出して読めば、それだけ理解が早く進むだろう。首飾りは、ついでだ」

 キサはダネルが押しつけた本も、首飾りも、首を振って受け取りを拒否した。ダネルはあきれた顔をして、手元の鈴を鳴らした。世話係の女と、大柄な男が現れた。

「暴れるから、部屋まで担いでいけ。お前はこれを部屋に持っていけ」

 ダネルは大柄な男と世話係の女の順に声をかけた。

「受け取っちゃだめ! 置いていって!」

 キサは女に懇願したが、女はあきれたように笑うだけで、聞いてくれなかった。

 キサは男に担がれたまま部屋に戻った。男はキサをおろすと、すぐに部屋から去った。女はにこやかに笑い、キサに本を差し出した。

「お嬢さま。ダネル様から素晴らしい本をいただいたようですね。これは神話の本ですわ」

「え、神話の本?」

 キサは世話係の女から本を受け取った。

(誰かに聞きに行かなくても、神話の物語に触れられるなんて……素敵だわ! 麓の人はすごい物を作ったのね)

 キサは一文字ずつ、ゆっくりと読み上げた。

「太陽の神、美しき銀の乙女に心奪われ、彼女を天へ昇らす。銀の乙女、愛する者と引き裂かれ、涙で枕を濡らす。太陽の神、乙女を我が物にせんと、枕元に現る。乙女は月となり、日ごと姿を変え、太陽から逃げ惑う……」

 キサが読み上げると、部屋に侍る女たちが集まってきて、めいめいに語り始めた。

「太陽の神様は、乱暴者だね」

「女は追いかけるほど逃げるって、ご存知ないのかしら」

「愛する人と引き離されて、かわいそう……」

「そうかしら? 太陽の神は、一番力のある神様よ。そんなすごい人のもとに行けるなんてうらやましいわ」

「そうね、私も追いかけ回されるほど、愛されてみたいわ!」

「嫌よ、そんなの。操を守って逃げ惑うくらい、人を愛してみたいわ」

「あらやだ、あなた、人を好きになったこと、ないの?」

「あなたったら、まるで恋に恋する乙女みたい!」

 女たちはさんざめくように笑った。女たちを見るうちに、キサの頑なな心はふわりと軽くなった。

(ああ、ここの人たちも、わたしたちと同じように、神話の恋物語に憧れるのね。麓の人間も、私たち風の民と変わらない人間なのね……)

 それからキサは本来の自分を取り戻してきた。石壁に囲まれた冷たい暮らしと思うのではなく、優しく親切な人に囲まれた、温かい暮らしだと思うようにした。そう思うと食事も美味しくなった。笑顔も増えた。女たちの名前も覚えた。

 もちろん、キサは、自分がしたことを忘れてはいなかった。だからせっせと産着を縫い続けた。何故自分がここにいるのかも、忘れはしなかった。キサは毎晩、決してあの人に心を許さないと誓いを立てた。


 ある日、キサたちが談笑していると、部屋にダネルがやってきた。キサも女たちも瞬時に静かになった。

「どうやら、邪魔したようだな」

 ダネルは素直に詫びた。キサの部屋に侍る女たちは大慌てで立ち上がり、滅相もございません! と答えた。

「キサよ。私は少しの間都へ帰る。半月ほどしたら、ここへ戻る予定だ。お前に都で流行っている小説を買ってやろう。わかるか? 物語の本だ」

 物語が読める。キサの心は飛び跳ねた。しかし、キサはダネルのほうを見ようとしなかった。

「相変わらず強情な娘だ。まあ、よい。では、もう行くぞ」

 ダネルはさっさと部屋を出た。静まり返っていた女たちは、また口々に、言いたいことを言いあった。


 半月はあっというまに過ぎ去った。

 世話係の女がキサの髪をとかしながら、うっとりした口調でキサに声をかけた。

「お嬢さまのお髪は、なんと艶やかで、美しいのでしょう……」

「レア、からかわないで」

 キサは鏡の前で頬を赤らめた。

「からかってなどおりませんわ。お嬢さまは本当に美しいお方です。ダネルさまが夢中になるのもわかりますわ」

 世話係のレアは丁寧にくしを動かしながら、にこにこと笑っていた。その無邪気な笑みを見ると、キサはレアを叱れなくなった。代わりに聞きたいことを聞くことにした。

「レアは、あの人と一緒に都からきたのよね?」

「はい。そうです。私はダネルさまの遠縁にあたります。ダネルさまのお付きとして、都から参りました」

 レアはキサの頬に紅粉を塗りながら、にこにこと答えた。

「あの人のご家族はどうしているの? 都にいらっしゃるの?」

「わたくしには分かりかねます。ダネルさまは口数の少ないお方ですから」

 そう言いながら、レアはキサの唇に紅を引いた。

「まぁ。ますますお美しい。今日は午後から、ダネルさまにお会いになるのでしょう? きっと、ほれぼれなさいますわ」

「レア、よしてよ」

 キサの頬は赤かった。それは紅粉のせいだと、キサは思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王女様は聖女様?おてんば姫の大冒険~ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しに行きます!~

しましまにゃんこ
ファンタジー
アリシア王国の第3王女ティアラ姫には誰にも言えない秘密があった。 それは自分が全属性の魔力を持ち、最強のチート能力を持っていた「建国の賢者アリシア」の生まれ変わりであること! 8才の誕生日を境に前世の記憶を取り戻したものの、500年後に転生したことを知って慌てる。なぜなら死の直前、パートナーのドラゴンに必ず生まれ変わって会いにいくと約束したから。 どこにいてもきっとわかる!と豪語したものの、肝心のドラゴンの気配を感じることができない。全属性の魔力は受け継いだものの、かつての力に比べて圧倒的に弱くなっていたのだ! 「500年……長い。いや、でも、ドラゴンだし。きっと生きてる、よね?待ってて。約束通りきっと会いにいくから!」  かつての力を取り戻しつつ、チートな魔法で大活躍!愛する家族と優しい婚約者候補、可愛い獣人たちに囲まれた穏やかで平和な日々。 しかし、かつての母国が各国に向けて宣戦布告したことにより、少しずつ世界の平和が脅かされていく。 「今度こそ、私が世界を救って見せる!」 失われたドラゴンと世界の破滅を防ぐため、ティアラ姫の冒険の旅が今、始まる!   剣と魔法が織りなすファンタジーの世界で、アリシア王国第3王女として生まれ変わったかつての賢者が巻き起こす、愛と成長と冒険の物語です。 イケメン王子たちとの甘い恋の行方もお見逃しなく。 小説家になろう、カクヨムさま他サイトでも投稿しています。

元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜

日々埋没。
ファンタジー
​「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」  ​かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。  その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。  ​レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。 ​ 地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。 ​「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」  ​新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。  一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。  ​やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。  レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

【完結】国外追放の王女様と辺境開拓。王女様は落ちぶれた国王様から国を買うそうです。異世界転移したらキモデブ!?激ヤセからハーレム生活!

花咲一樹
ファンタジー
【錬聖スキルで美少女達と辺境開拓国造り。地面を掘ったら凄い物が出てきたよ!国外追放された王女様は、落ちぶれた国王様゛から国を買うそうです】 《異世界転移.キモデブ.激ヤセ.モテモテハーレムからの辺境建国物語》  天野川冬馬は、階段から落ちて異世界の若者と魂の交換転移をしてしまった。冬馬が目覚めると、そこは異世界の学院。そしてキモデブの体になっていた。  キモデブことリオン(冬馬)は婚活の神様の天啓で三人の美少女が婚約者になった。  一方、キモデブの婚約者となった王女ルミアーナ。国王である兄から婚約破棄を言い渡されるが、それを断り国外追放となってしまう。  キモデブのリオン、国外追放王女のルミアーナ、義妹のシルフィ、無双少女のクスノハの四人に、神様から降ったクエストは辺境の森の開拓だった。  辺境の森でのんびりとスローライフと思いきや、ルミアーナには大きな野望があった。  辺境の森の小さな家から始まる秘密国家。  国王の悪政により借金まみれで、沈みかけている母国。  リオンとルミアーナは母国を救う事が出来るのか。 ※激しいバトルは有りませんので、ご注意下さい カクヨムにてフォローワー2500人越えの人気作    

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

はぁ……潔く……散るか……

#Daki-Makura
ファンタジー
バカ息子(王太子)がやりおった…… もうじき友がやってくる…… はぁ……潔く……散るか……

逆行令嬢と転生ヒロイン

未羊
ファンタジー
【注意】この作品は自己転載作品です。現在の他所での公開済みの分が終了後、続編として新シリーズの執筆を予定しております。よろしくお願い致します。 【あらすじ】 侯爵令嬢ロゼリア・マゼンダは、身に覚えのない罪状で断罪、弁明の機会も無く即刻処刑されてしまう。 しかし、死んだと思った次の瞬間、ベッドの上で目を覚ますと、八歳の頃の自分に戻っていた。 過去に戻ったロゼリアは、処刑される未来を回避するべく、経過を思い出しながら対策を立てていく。 一大ジャンルとも言える悪役令嬢ものです

処理中です...