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第一章:始まりの国・エルフの郷

第7話

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「あっ、クロエさん。遅かったですわね。大丈夫ですの? 酷いこととかされませんでしたか?」
「サラちゃん、ひっど~い。そんなことしないわよ。」

 サーシャとの長い話を終えたクロエは、彼女と共に部屋を出て近くの応接間へ向かった。部屋に入るとすぐにサラが立ち上がりクロエの側へ駆け寄る。そのまま身体の各部を念入りにチェックし始めたので、クロエは慌ててそれを止めながら話しかけた。

「だ、大丈夫です! 大丈夫ですから、そ、そんなに触らないでください……! な、なんだかゾワッてするんですよ!」
「残念ですわ……」

 渋々と言った表情で離れるサラ。解放されたクロエは初めてその部屋の中にサラ以外の人物がいることに気がついた。
 薄紫色の毛先を持つ銀髪のその人物は、ダークエルフであった。しかし、表で番をしていた二人とは違い、とてもすっきりとしたシルエットである。だが、出るとこは出ているその身体はとても色っぽさを感じさせるものであった。それは目元の泣きぼくろと、何故か隠された顔右半分のミステリアスさから来るのかもしれない。
 不思議な色の髪と、ダークエルフ特有の褐色の肌はどこかエキゾチックな魅力を振りまく。だが、その容姿もさることながら、クロエは彼女の服装に目を奪われていた。いや、正しくは言葉が出なかったかもしれないが。

(な、なんでメイド服があるんだ……?)

 彼女はメイド服を着ていた。ロングスカートのクラシカルなタイプである。濃い紫めいた黒と、真っ白なエプロンの組み合わせはその長身と相まってとても似合っていた。似合ってはいたのだが、いかんせん場の雰囲気とそぐわない。どちらかと言えば質素な服装の多いこのエルフの郷では、彼女のメイド服はさぞ目立つことだろう。
 クロエの沈黙を知らない人がいる事への警戒と取ったのか、サラがその人物を紹介する。

「クロエさんは会ったことがありませんわよね? こちらは大長老の秘書兼身辺警護長のミーナ・アレクサンドリアですわ。」
「お嬢様、メイドを忘れられては困ります。どうも、クロエさん。ミーナ・アレクサンドリアと申します。気軽にミーナとお呼びください。」
「は、はじめまして、クロエです……」
「そう畏まらないでください。貴女のことはお嬢様よりうかがっております。郷のお客人とあれば私はそれをお世話する立場。使用人に気遣いは不要ですよ。」

 そう言うミーナの姿勢はまさに使用人の鏡であろう。だが、クロエはサラやサーシャと違い一般人だったのだ。使用人を従える立場には慣れない。
 その間にサラがサーシャと話をしていた。先ほどの密室での、会話の内容についてのようである。

「大長老? 一体、密室で、クロエさんと、何を話していたんですの?」
「な~に、サラちゃん。さっきからどうしてそんなに突っかかってくるのよ? あら、もしかして、クロエちゃんのこと……」
「な、なな、何言ってるんですの!? そ、そんなわけ、なな、ないじゃないですか……」
「ふ~ん? まぁいいわ。そんなことより……ミーナ、クロエちゃん。ちょっとこっちいらっしゃい。」

 サーシャの呼びかけにクロエとミーナが近づいてきた。仲良く並んだ二人に近づいたサーシャはミーナの後ろに回ると、ミーナの肩に手を置いて二人を向かい合う形に誘導する。その上でミーナの横から顔を出して話し出した。

「ね、クロエちゃん。さっき旅の経験があるエルフがいるって言ったでしょ~。このミーナがそうなのよ~?」
「大長老様? 話が見えないのですが……」

 困ったように言うミーナ。その言葉にサーシャがクロエの方を見る。

「ねぇ、クロエちゃん。ミーナにも話しちゃって良いかしら? ミーナは信用できるわよ? ね? ミーナ。秘密は守れるでしょ~?」
「ええ。守れというのであれば、たとえこの命失おうとも口外致しません。」

 突然のサーシャの言葉にもミーナは即答である。その言葉はやや過分にも取れるかもしれないが、ミーナの雰囲気はそれを本当に実行することがうかがえる物があった。クロエはその雰囲気に頷いた。

「ンフフ~。じゃあ、簡単に説明するわね。クロエちゃんはね、転生者なの。もの凄い魔法の才能を持ってるんだけど、転生者だから何も知らないし、この世界のことすら分からないのよ。だから、ミーナに先生になってもらおうって話してたのよ。ね~? クロエちゃん。」
「転生者、ですか……? 私もそれなりに生きていますし、確かに世界を旅する中で幾人かお目に掛かることはありましたが……このような幼い方は初めてですね……」

 サーシャの言葉にミーナは信じられないといった表情でクロエを見た。クロエはポケットから例の紙片を取り出しミーナに渡した。受け取ったミーナはそれに目を通していく。

「なる、ほど……これは、神代文字ですか。今の時代でこれを書ける者はエルフの中ですらごくわずかでしょう。確かに、お嬢様が森で保護されたクロエさんがこれを書けるとは思いません。信用に値する物ですね。」

 クロエに紙片を返すミーナ。そして少し考えた後にクロエに話しかける。

「大長老様からもご紹介いただいたとおり、私は昔自らの見聞を深めるため世界を旅しておりました。その過程で学んだ様々なことをクロエさんにお教えできればと思います。他の方のご協力も随時得ながら共に学んで参りましょう。」

 ミーナの言葉にクロエの表情が明るくなる。異世界という右も左も分からない世界において、先達者の存在は何よりも得がたい物だ。いくら魔法の力や才能があろうともそれを十全に引き出すには指導者がいる。幸運にもクロエはそれを得ることが出来たのだ。その幸運を自覚しているのか、クロエはミーナの手を取り笑顔で礼を言った。

「ありがとうございます! よ、よろしく御願いします!」
「――! は、はい……こちらこそ、御願いします……」

 クロエの言葉に何故か歯切れ悪く応えるミーナ。その顔は微かに赤くなっているかのように見える。だが、クロエはそのことには気がついていないようだ。
 話がまとまったのを見計らってか、サーシャが口を開いた。

「さ~て、話もまとまったみたいだし、そろそろお開きにしましょっか? 今日の所はサラちゃんとクロエちゃんはお家に帰りなさいな。ミーナには明日にでもサラちゃん家に行ってもらうから~。」
「そうですわね。では、クロエさん。今日の所は帰りましょ……って、クロエさん? どうしましたの?」

 サーシャの言葉に頷きかけたサラであったが、クロエの方を見てその言葉を疑問に換えた。視線の先、クロエは少し顔を赤らめながらモジモジとしている。サラの視線に気がついたのか、クロエは顔を更に赤くさせながら消え入りそうな声で言った。

「あ、あの……お、お……レに……」
「え?」

 聞き取れなかったのか、サラが首をかしげて聞き返した。その言葉に進退窮まったかのように眉尻を下げるクロエ。目の端に涙すら貯めながらとうとう意を決したように、しかし半ばやけくそになりながら叫んだ。

「お、おトイレに行きたいんです!」

 クロエの叫びに一瞬ポカンとする一同。だが、すぐさまサラが我に返ると、クロエと同じくらい顔を赤く染めながらクロエの叫びに応えた。

「あ、ああ! き、気がつかずに申し訳ありませんわ!? そ、その……えっと、お、おトイレは部屋を出て廊下を右に行った先にありますわ!」
「はい……行ってきます……」

 あまりの恥ずかしさのためか、クロエは礼儀や作法などを一切忘れ扉を開け放ち、そのまま走って行った。残された三人、その内のサーシャとミーナが苦笑していた。

「う~ん、ちょっと気配りが足りなかったわ~。悪い事しちゃったわ。」
「いえ、本来なら私が気づき対応するべきものでした。私としたことが申し訳ありません。」

 大人として、同じ女性としての配慮が足りなかったことを反省する二人で会った。だが、すぐに残された三人の内の一人、サラが無言である事に気づく。彼女の性格ならばサーシャに文句の一つや二つ言いそうな物であるのだ。二人がサラの方に視線を向けると、そこには開け放たれた扉の先を見つめ、頬に両手を開けながら呆けている姿があった。その顔はとても幸せそうに緩んでいる。ボソッと呟く声も聞こえてきた。

「あぁ……ホンット可愛いですわぁ……」

 その呟きはもはや小さい子を微笑ましく思うような朗らかなものを、明らかに越える危険な何かを感じさせる呟きだった。二人は脂汗を垂らしながらサラに話しかける。

「サ、サラちゃん……? あの~、可愛いのはわかるけど、な、な~んかこう、ちょっと気持ち悪いわよ?」
「ええ。失礼ですが、我々の思う可愛いと言うものと意味が違うように聞こえるのですが……」

 二人の言葉に我に返ったサラは、バッと振り返ると焦ったように反論を始める。

「な、何てこと言いますの!? 私は決してやましい気持ちなんて抱いていないですわ!!」

 だが、その言葉を受けて二人はお互い身を寄せ合って手で口元を隠しながら、小さな声で話し合った。その様子はまるで噂話をするかのようである。サラの位置からは見えないが、二人の口元は少しばかり笑っていた。本気でサラを非難するわけでもなく、ただからかうだけなのだろう。

「はぁ~あ、どこで教育を間違えちゃったのかしら~? (ボソッ)」
「大長老様、やはりあまり男性と接触させなかったことが原因ではないですか? (ボソッ)」

 サラの位置からはそのにやけた口元は見えない。しかし、からかわれていることぐらいは察したようで、顔を赤くさせながらプルプルとその身を震わせている。そう言った距離の近しさも、彼女たちの関係が深いことの証左なのだろう。
 だが、今回ばかりはその距離を見誤ったようだ。

「……さ、さっきからそんなこと言いますけど、私知ってるんですのよ!? ミーナ!」

 ビシッと言う音すら聞こえそうな勢いでミーナを指さすサラ。その反応は二人にとっても予想外であったらしく、珍しくサラの勢いに二人は押されていた。

「わ、私ですか?」
「そうですわ! さっきクロエさんが上目遣いで手を握ってきたとき、実はちょっとドキッとしてたでしょう!? 『御願いします』なんて言われて何を想像してましたの!?」

 サラの言葉にミーナはビクッと身体をはねさせた。タラリと汗が一筋頬を伝う。笑顔の鉄面皮が少しだけ崩れかけていた。

「い、いえ、その……確かに少しドキッとしましたけど、そんなやましい事なんて考えておりませんとも……」
「私はやましいことだなんて一言も言ってないですわ! それなのにそう言った言葉が出るって事は、多少なりとも心覚えがあるのではなくて!?」

(あら~、サラちゃん鋭いわぁ……)

「あと、大長老!!」
「……へ? 私?」

 サラの口撃の矛先は、我関せずといった態度のサーシャにも向かった。まさか自分に来るとは思わなかったのか、目を白黒させている。

「わ、私はそんなクロエちゃんを変な目で見てないわよ~?」
「ええ、そうですわね。ですけど! クロエさんを見る目はまるで母親のそれでしたわ! 仮にも実の娘が目の前にいるのにどうなんですの!?」
「え!? そ、そんなことないわよ~? あっ、でも! 実の娘って言ってくれてお母さん嬉しいっ!」
「は! 失言でしたわ! それは置いておいて、さっきの話ですわ!」

 思わぬ指摘に目を泳がせるサーシャ。そう、彼女自身思い当たる節があったのだ。だが、このまま責められるのはよろしくない。なんとか打開策はないものかと考えを巡らせるサーシャであったが、その時、救いの手がさしのべられた。

「お嬢様、クロエさんはあの紙を見る限りですが、元々男性であったのですよね?」
「そうらしいですけど……どうしたんですの?」
「いえ、元男性ですか……すこし下世話な話ですが、女性の用の足し方は分かるのでしょうか? おそらく分からないと思うのですが……」
「あ、確かに……」

 サラがハッとした顔で言った。その表情はすでに二人を責めることは頭にない様である。サーシャはその機を見逃さなかった。

(ナイスよ! ミーナ!)

「そうね~、やっぱり分からないんじゃないかしら~。クロエちゃん困ってるでしょうね~?」
「そ、そんな……す、すぐに助けに行きますわ!!」

 そう言うとサラは、先ほどのクロエと同じように慌てた様子で廊下に出て行った。その姿はまさに疾風のごとしである。

「……助かったわ~、ありがと、ミーナ。」
「いえ。ところで大長老様、実は私、先ほどのクロエさんとの会話を偶然聞いてしまいまして。」

 突然の会話転換にすこし戸惑うも、何かを察したサーシャ。少し引いた態度でミーナに言った。

「なによ~。普段からあれぐらいキチンとしてなさいって言うの~? 嫌よ、めんどうくさい。」
「いえ、それもありますが、むしろそのことについてたっぷりと聞きたいところではありますけども……私が聞きたいのは別のことです。会話の中で仰っていた『気になること』。一体何を気にしておられるのですか?」
「え~? そんなこと言ったかしら~?」

 右斜め上を見つめとぼけるように言うサーシャ。しかし、ミーナのまじめな雰囲気にふざける事をやめたのか、咳ばらいを一つすると先ほどクロエと会話していた時のような厳かな雰囲気になった。ミーナも居住まいを正す。

「いいですか、ミーナ。これから話すことは他言無用ですよ。守れますね?」
「はい。我が全てに誓って。」

 ミーナの返答に満足そうに頷いたサーシャは、少し上のほうを見つめ、まるで思い出すかのように語りだした。

「我々ハイエルフは、長寿のエルフの中でも群を抜いた寿命を持っています。ですから、私もこのような見た目ですが過去の対戦が集結する少し前、ちょうどエルフの一族が統一国家から脱出した辺りに生まれたのです。そのことは知っていますね?」
「はい、存じ上げております。」
「これは、郷の誰も知らない話なのですが、実はこのジーフ樹海の辺りを住みかとする際、近隣の国家には極秘に先代の大長老、私の母と私が挨拶に伺ったのです。当時エルフは魔族側から不当に扱われていたことは知られていましたから。人間側も極秘という条件の上で面会を許可しました。そしてその国家の一つに、かの勇者『|光の女神(アテナ)』の生まれた国がありました。」

 サーシャの明かす事実に少しだけ驚くミーナ。初めて知る事実であったが、考えれば不思議ではない。ちょうど引っ越してきたときに近所へ挨拶をするようなものだろう。だが、今のところサーシャの言った「気になること」との関連はうかがえない。ミーナはそのまま黙って話の続きを待った。

「我々エルフが人間に対し、敵対感を抱かないのもそのせいです。先代がそうなるようにしたのですから。森に迷い込んだものがいれば外まで案内する、人間と敵対しない。最近では一部物資の提供ですね。その見返りとして森での平穏な生活を約束されました。そして、肝心の『気になること』ですね。私が勇者の生まれた国へ行ったとき、そこは勇者を讃える雰囲気で満ちていました。町中に勇者の肖像などがありました。その中で私はとある老人に一枚の絵を見せてもらったのです。それは、勇者の幼いころの肖像でした。」

 サーシャがミーナの方を向いた。その視線はまっすぐにミーナを見据えている。その雰囲気に思わずミーナはゴクリとのどを鳴らした。

「……彼女、クロエさんは、似ていたのです。その勇者の幼いころに。髪の色など違う点はありましたが、まるで彼女の生き写しのようでした。その事がどうしても引っかかるのです。この郷で、なにかわかることがあれば良いのですが……」

 ―続く―
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