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第一章:始まりの国・エルフの郷
第9話
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クロエが魔法を覚えたあの日から二週間が経過した。その間に彼女は実に多くのことを学んでいた。
この世界の歴史、簡単な地理、常識、最低限のマナーなど。およそ日本なら小学校の低学年が教えられるようなものである。だが、それすらも異世界への転生を果たしたクロエにとっては真新しいものばかりで、どれもこれも新鮮な知識として蓄えられていった。
無論、魔法についての勉強も怠ってはいなかった。クロエはその溢れんばかりの魔力のコントロールを最重要課題としていた。いくら高い魔法適性値を持っていたとしても、それを生かさねば宝の持ち腐れも良いところである。ミーナから指示を受け、クロエは定期的に自身の魔力の源を探ったり瞑想したりなどしてそのコントロールを図っていた。
さらにはこの期間において彼女は「原始魔法」のほか、「発展魔法」の習得にも成功していた。自身の魔力を自由に練り上げて、自由な形の魔法と為す。まさに原始魔法を発展させた、個々人の特徴を表す魔法らしい魔法である。余談だが、ミーナの収納魔法【パンドラ】はこの発展魔法に属するものであり、クロエはそれを習得できず悔しそうにしていたのだった。
彼女が学んだのは魔法だけではない。彼女の習得した発展魔法の特性上、ただ後方で魔法を放っているだけでは収まらず、前衛で近接格闘を行えるまでに至った。まさにオールラウンダーである。そのために彼女はミーナから近接格闘の教育も受けていた。体躯の小さいクロエは相手の懐に入ることを主とする。その点、長身のミーナとの稽古は実戦さながらのものとなっていた。前世で学んだ武道の知識、さらにそこにミーナから学んだ戦闘方法を混ぜたクロエオリジナルの戦闘法が完成しつつあった。
そして今日、いつもと同じように自宅近くの広場に三人は再び集まっていた。その光景はここしばらくで見慣れた景色であるのに、今日ばかりは全員の表情に微かながら緊張がうかがえる。
「……では、クロエさん。周りの人払いは済んでおります。これならば多少の無茶は私たちの方でサポートができます。存分にどうぞ。」
「は、はい……!」
今日はミーナの提案のとある活動を実践する予定の日だったのだ。数日前にクロエからある相談を受けたミーナは、そのための準備に数日をかけたのだ。あまり人の住んでいないサラの自宅付近であるが、それでも住んでいる数少ない住人に頼み、今日この日の午前中を開けてもらったのである。大変な労力ではあるが、そこまでのことをしなければならないほどの問題でもあった。
「クロエさんから数日前に伺った気になること……ご自身の中に何やらよくわからないものがある……そうですね?」
ミーナが再確認するように尋ねた。数日前にミーナがクロエから受けたある相談、それは数日前にクロエが自身の魔力コントロールのため行っている瞑想を終えた後のことであった。
瞑想をするクロエは瞼を閉じ、自身の精神の深く深く、深いところまで潜っていくイメージをしていた。よくわからない自分の体を理解する。そうすることが魔力のコントロールに必要だと考えたからだ。その日も同じようにしていた。
だが、その日はいつもよりも深く集中してそれを行っていた。それはその日の鍛錬が少し早めに終わったからという、深い理由もないただの気まぐれだった。だが、今まで潜ったこともないような深部、そこに何かがあった。
それは黒かった。真っ暗なイメージの精神世界、その中においてなお黒いことが分かるその黒さ。自分の中にあるそれを、クロエは知らなかった。だが、一つだけ確信することがある。それは間違いなく自身の魔力の根源に近しい何かであるということ。
瞑想をすぐに中断し、クロエは起きたことの一切をミーナに話した。ミーナは人によっては一笑して終わらせてしまうようなクロエの話を真摯に聞いていた。そしてしかるべき行動をとった後、クロエに提案をした。場所は用意したから、それを調べてみようと。
(クロエさんの中に眠る何か……クロエさんの感じた、クロエさんの魔力の根源に近しいあるもの。クロエさんが転生の際に与えられたという「魔王」という役割……現在欠けることなく揃っている「大罪(ペッカータ)」を考えれば、それは第八の魔王を意味します。ありえないことです。しかし、それを否定できない自分がいます。なぜなら、かく言う私にも覚えがあるのですから。)
一人考え込みながらクロエを見つめるミーナ。その視線の先にいるクロエはいつもの瞑想と同じように、目をつむって集中している。額から汗を垂らしているのは普段よりも集中している証拠なのだろうか。
「どうですの、ミーナ?」
サラが近寄ってきて、声を潜めてミーナに話しかける。すでにクロエからサラへも話が伝わっているので、サラもクロエの事情を把握していた。
「クロエさんの言っていた、自身の中に眠る何か。これは私の推測であるのですが、おそらくそれはクロエさんが転生の際に与えられた『魔王』という役割に関係していると考えます。」
「確かに、そう考えるのが自然ですわね。でも、すでに『大罪』は七人揃っておりますわ。いくら外の情勢に疎いこの郷でも、大罪の誰かが死んだとあれば伝わりますわ。」
「はい。故に考えねばならない可能性はただ一つ。クロエさんの内に眠る存在が第八の魔王であるかどうかと言うことです。」
重々しく話すミーナ。サラもその可能性に気が付いていたのだろう、同じく真剣な表情でクロエを見つめている。
時間にして十分ほどだろうか、体感的にはもっと長い時間が過ぎた後、クロエが急に声を上げて尻もちをついた。それと同時、一帯に嫌な気配のようなものが広がる。なんとも言えない悪い予感ともいえば良いのだろうか。それを感じたサラやミーナまでもが表情を崩し、総毛だった程だ。だが、逆に言えばそれ以外には何も起きない。ミーナは周囲を警戒しつつも、クロエに近寄り話しかけた。
「クロエさん……? どうしたのですか?」
「あ……ミーナさん……いえ、例のやつを見つけたので触ってみたんですけど、突然それが弾けたような感じになって……気が付いたらしりもちついちゃってました……」
呆然とした表情でそう語るクロエ。その顔は何が何だか分からないと言った様子だ。三人はしばらくその場にとどまって辺りを伺った。しかし何も異変は起きない。
「特に何も起きないですね……」
クロエがそう言った。その言葉に二人も同意する。
「仕方ありません。今日はこれ以上の予定は組んでいなかったので、これで終了としましょう。それで良いですか?」
「はい、今日はわざわざありがとうございました。」
ペコリと頭を下げるクロエ。その様子を見ていたサラがふと口をはさんだ。
「では、折角ですし市場の方に行きませんか? たまにはみんなでお買い物でもしたいですわ。ね?」
「そうですね。そろそろ食材も買わねばと思っていましたし、ここは全員で向かいましょうか。クロエさんもそれで大丈夫ですか?」
「はい! 楽しみです!」
久々の全員でのお出かけである。クロエの表情が自然と明るくなる。三人は身支度を整えると、一度帰宅し揃って出かけるのであった。
――だが、不穏の影は着実に近づいていた。そのことに三人はまだ気が付いていない。
同時刻、郷の門にて。
「あ~あ、暇だなぁ……まったく、門番って言ってもこの樹海を抜けてくる敵なんていないし、名誉職みたいなもんだよな。」
「まぁ、そういうなよ。」
門に据え付けられた高台から監視をしている二人のエルフの男が会話していた。彼らは退屈していた。広大なジーフ樹海は天然の迷路を構築しており、この郷自体高度な隠蔽魔法がかけられている。敵が来ることなど頭にすらない。実際この郷に攻めてこようとする国などはないのである。そうしようとしても難しいのであるが。時折モンスターが迷って近づいてくるだけである。
「だが、実際そうだろう? 俺がここに配属されてかれこれ十年になるが、侵入者なんて来たことないぞ。最近の大きな事件と言えば、別の門番の奴がエルゼアリス殿と少しもめた程度だろう。それも大きな事にならずに収束したらしいしな。」
「うむ……しかし、エルゼアリス殿か。あの方は今後どうなさるのだろうな……」
「今後って、どういうことだ?」
最初に言葉を発した門番がもう一方の門番に尋ねた。尋ねられた門番は少し驚いた顔をして尋ね返す。
「なんだ、知らないのか? エルゼアリス殿が大長老のご令嬢であるのにもかかわらず郷のはずれの方に住んでいらっしゃるのかを。」
「……そういえば、確かに。何故なんだ?」
その言葉に事情を知っているらしい門番の男がポケットから煙草を取り出して火をつけた。郷の外から時折入荷される言わば外来品だ。郷の中ではその煙を嫌う者が多いので普及していないが、門番に就くエルフらの間では退屈を紛らわせる物として人気がある。煙草をくわえたエルフは隣に立つ相方にも勧めた。「お、悪いな。」と言って煙草を受け取り火をつける。
少しの間煙をくゆらせていた二人であったが、不意に、初めに火をつけたエルフが紫煙とともに口を開いた。
「……あの方はな、優しかったんだ。」
「……お優しいのは知ってるさ。だが、それがどうしたっていうんだ?」
「まぁ聞け。あの方はな、ご自身がハイエルフであると言うだけで優遇されたり、母親が大長老と言うだけで回りが傅(かしず)くの嫌がったんだ。いまの郷は一応エルフ皆平等ってなってはいるが、長老方の一部は言ってるだろ? ハイエルフは選ばれた存在、ハーフエルフやダークエルフは選ばればかった存在だって。」
「あぁ、そうだな……」
あまり気分の良くない話に、聞いていた男の表情が曇る。話していた方も同じなのだろう、同じく晴れやかとは言い難い顔で言葉を続ける。
「エルゼアリス殿はそんな偏見などに嫌気がさして家を出て行ったらしい。侍女として仕えているダークエルフの人と仲も良かったらしいしな。強引に出奔を認めさせたそうだ。」
感心するようにそう語る門番の男。話を聞いていた方も同じらしい。
「それは、なんというか、凄いな……」
「ああ。だが、もっと凄いのが、引っ越し先に選んだのが、その差別発言を半ば公に言っていた長老の収める地域だったってところだ。はじめは受け入れられなかったらしい。あからさまに媚びを売るか、無視をするか。そのどちらかだったらしいぜ。だが、あきらめずに真摯に向き合い続けた結果、今やあの辺の奴らみんなエルゼアリス様のことを信頼してる。今の長老が死んだらエルゼアリス殿を、と言う意見があるぐらいだぜ。」
「確かに、あの方なら皆をまとめるのにふさわしいだろう。」
そういうとお互いに煙を吐き出し笑いあった。再び仕事に戻ろうと煙草を消して目の前の森に視線を向けたその時。不意に目の前の樹木の影からゆっくりとした動きで飛び出てくる影があった。この森にすむオオカミ型のモンスター、トライウルフだ。だが、それだけなら何の問題はない。こうして時折モンスターが近寄ってくることはあるのだ。門番も最初は驚かずに見ていたが、その表情はすぐに豹変することになる。
「お、おい……どういうことだ、これは……!」
「……わからん。だが、ようやく門番としての仕事がやってきたみたいだ。」
彼らが驚いた理由、それは姿を見せたモンスターがトライウルフ一匹ではなかったからだ。はじめの一匹が姿を見せると、音を立てて多種多様なモンスターが姿を見せた。その数はあれよあれよという間に増え、いまや数えきれないほどになっている。
「くっそ……! 意味わかんねぇ!」
「そんなことを言っていても始まらんだろう。奥の方にもまだまだいる気配がするな……俺がある程度抑えるから、お前はそこの念話装置で郷にこのことを知らせてくれ!」
そういうと男は壁に立てかけてあった弓と矢筒を手に取った。もう一人は水晶でできた念話装置を手に取ると、郷中へ知らせる緊急の【魔力念話】を送った。
『緊急事態発生! 緊急事態発生ッ!! 多数のモンスターが郷へ接近中! 総数不明、目的不明!! 至急対応に当たられたし! 繰り返す、緊急事態発生!!』
一方、少し時は遡り郷の外れの市場にて。
準備を終えたクロエたち三人は家から近くにある市場に来ていた。クロエがこの郷へ運ばれた際にサラが買い物に来た場所である。郷の中心部から外れた場所にあるこの市場は、郷の外壁近くにある。故に、比較的新鮮な野菜やキノコなどが入荷されるものの、外国からなどの高級品はまず入荷されない。安価な商品を多く置く、大衆向けの市場だろう。
「お、今日はお揃いでお出かけかい?」
「ええ、そうですわ。」
「メイドさんじゃないか。包丁の調子はどうだい?」
「おかげさまで切れ味が戻りました。ありがとうございます。」
「あ! クロエちゃん! また遊ぼうね!」
「あ、う、うん。またね……」
市場を歩く三人は有名なのか、商店の店員や道行く人々から声をかけられている。八百屋の女将、郷でも数店しかない金物屋の主人。そして、まだまだ幼いエルフの少女。クロエはこの少女に年下だと思われているが、実はこの少女まだ生まれて八年である。十歳前後と思われるクロエは、肉体的にも精神的にも年上のはずなのに。
「……クロエさん? だ、大丈夫ですわ! クロエさんもすぐに大きくなりますわ!」
「はい……ありがとうございます……」
だが、表情は暗い。実は以前にも同じようなことがあったのだが、その時二人でクロエをなだめていると、彼女は涙目で「二人は大きいからそんなこと言えるんですよ!!」と叫んでいた。そのことを思い出してか、二人はそれ以上声をかけられない。
やや表情の曇るクロエを連れて、三人は市場を歩く。いろいろと店を回り、必要なものを買い込んでいく。珍しく魚を購入したのはクロエの成長を願ってのことなのかもしれない。そして、買い物を終え、三人が帰宅しようとしたその時。不意に郷内全域に伝わる緊急の【魔力念話】が鳴り響いた。
『緊急事態発生! 緊急事態発生ッ!! 多数のモンスターが郷へ接近中! 総数不明、目的不明!! 至急対応に当たられたし! 繰り返す、緊急事態発生!!』
「――!? ミーナ!」
「はい、聞こえました。しかしまずは、周辺住民の避難が先です。」
二人の間に緊迫した空気が流れる。クロエもその雰囲気を感じ取ったのか、クロエも助力を願い出た。
「ミーナさん、何をすればいいですか?」
「はい。今の放送で逃げられる者は皆、郷の中央の方へ避難しているはずです。我々は逃げ遅れた者を探査しつつ、郷の防壁方面へ向かいましょう。」
「はい!」
三人は駆け出した。魔力反応を探りつつ、郷の外れの更に先、防壁方面へと急ぐ。
だが、この時三人は、この行動がこの先の運命を変えるものになるなど、思いもしなかったのだ。
―続く―
この世界の歴史、簡単な地理、常識、最低限のマナーなど。およそ日本なら小学校の低学年が教えられるようなものである。だが、それすらも異世界への転生を果たしたクロエにとっては真新しいものばかりで、どれもこれも新鮮な知識として蓄えられていった。
無論、魔法についての勉強も怠ってはいなかった。クロエはその溢れんばかりの魔力のコントロールを最重要課題としていた。いくら高い魔法適性値を持っていたとしても、それを生かさねば宝の持ち腐れも良いところである。ミーナから指示を受け、クロエは定期的に自身の魔力の源を探ったり瞑想したりなどしてそのコントロールを図っていた。
さらにはこの期間において彼女は「原始魔法」のほか、「発展魔法」の習得にも成功していた。自身の魔力を自由に練り上げて、自由な形の魔法と為す。まさに原始魔法を発展させた、個々人の特徴を表す魔法らしい魔法である。余談だが、ミーナの収納魔法【パンドラ】はこの発展魔法に属するものであり、クロエはそれを習得できず悔しそうにしていたのだった。
彼女が学んだのは魔法だけではない。彼女の習得した発展魔法の特性上、ただ後方で魔法を放っているだけでは収まらず、前衛で近接格闘を行えるまでに至った。まさにオールラウンダーである。そのために彼女はミーナから近接格闘の教育も受けていた。体躯の小さいクロエは相手の懐に入ることを主とする。その点、長身のミーナとの稽古は実戦さながらのものとなっていた。前世で学んだ武道の知識、さらにそこにミーナから学んだ戦闘方法を混ぜたクロエオリジナルの戦闘法が完成しつつあった。
そして今日、いつもと同じように自宅近くの広場に三人は再び集まっていた。その光景はここしばらくで見慣れた景色であるのに、今日ばかりは全員の表情に微かながら緊張がうかがえる。
「……では、クロエさん。周りの人払いは済んでおります。これならば多少の無茶は私たちの方でサポートができます。存分にどうぞ。」
「は、はい……!」
今日はミーナの提案のとある活動を実践する予定の日だったのだ。数日前にクロエからある相談を受けたミーナは、そのための準備に数日をかけたのだ。あまり人の住んでいないサラの自宅付近であるが、それでも住んでいる数少ない住人に頼み、今日この日の午前中を開けてもらったのである。大変な労力ではあるが、そこまでのことをしなければならないほどの問題でもあった。
「クロエさんから数日前に伺った気になること……ご自身の中に何やらよくわからないものがある……そうですね?」
ミーナが再確認するように尋ねた。数日前にミーナがクロエから受けたある相談、それは数日前にクロエが自身の魔力コントロールのため行っている瞑想を終えた後のことであった。
瞑想をするクロエは瞼を閉じ、自身の精神の深く深く、深いところまで潜っていくイメージをしていた。よくわからない自分の体を理解する。そうすることが魔力のコントロールに必要だと考えたからだ。その日も同じようにしていた。
だが、その日はいつもよりも深く集中してそれを行っていた。それはその日の鍛錬が少し早めに終わったからという、深い理由もないただの気まぐれだった。だが、今まで潜ったこともないような深部、そこに何かがあった。
それは黒かった。真っ暗なイメージの精神世界、その中においてなお黒いことが分かるその黒さ。自分の中にあるそれを、クロエは知らなかった。だが、一つだけ確信することがある。それは間違いなく自身の魔力の根源に近しい何かであるということ。
瞑想をすぐに中断し、クロエは起きたことの一切をミーナに話した。ミーナは人によっては一笑して終わらせてしまうようなクロエの話を真摯に聞いていた。そしてしかるべき行動をとった後、クロエに提案をした。場所は用意したから、それを調べてみようと。
(クロエさんの中に眠る何か……クロエさんの感じた、クロエさんの魔力の根源に近しいあるもの。クロエさんが転生の際に与えられたという「魔王」という役割……現在欠けることなく揃っている「大罪(ペッカータ)」を考えれば、それは第八の魔王を意味します。ありえないことです。しかし、それを否定できない自分がいます。なぜなら、かく言う私にも覚えがあるのですから。)
一人考え込みながらクロエを見つめるミーナ。その視線の先にいるクロエはいつもの瞑想と同じように、目をつむって集中している。額から汗を垂らしているのは普段よりも集中している証拠なのだろうか。
「どうですの、ミーナ?」
サラが近寄ってきて、声を潜めてミーナに話しかける。すでにクロエからサラへも話が伝わっているので、サラもクロエの事情を把握していた。
「クロエさんの言っていた、自身の中に眠る何か。これは私の推測であるのですが、おそらくそれはクロエさんが転生の際に与えられた『魔王』という役割に関係していると考えます。」
「確かに、そう考えるのが自然ですわね。でも、すでに『大罪』は七人揃っておりますわ。いくら外の情勢に疎いこの郷でも、大罪の誰かが死んだとあれば伝わりますわ。」
「はい。故に考えねばならない可能性はただ一つ。クロエさんの内に眠る存在が第八の魔王であるかどうかと言うことです。」
重々しく話すミーナ。サラもその可能性に気が付いていたのだろう、同じく真剣な表情でクロエを見つめている。
時間にして十分ほどだろうか、体感的にはもっと長い時間が過ぎた後、クロエが急に声を上げて尻もちをついた。それと同時、一帯に嫌な気配のようなものが広がる。なんとも言えない悪い予感ともいえば良いのだろうか。それを感じたサラやミーナまでもが表情を崩し、総毛だった程だ。だが、逆に言えばそれ以外には何も起きない。ミーナは周囲を警戒しつつも、クロエに近寄り話しかけた。
「クロエさん……? どうしたのですか?」
「あ……ミーナさん……いえ、例のやつを見つけたので触ってみたんですけど、突然それが弾けたような感じになって……気が付いたらしりもちついちゃってました……」
呆然とした表情でそう語るクロエ。その顔は何が何だか分からないと言った様子だ。三人はしばらくその場にとどまって辺りを伺った。しかし何も異変は起きない。
「特に何も起きないですね……」
クロエがそう言った。その言葉に二人も同意する。
「仕方ありません。今日はこれ以上の予定は組んでいなかったので、これで終了としましょう。それで良いですか?」
「はい、今日はわざわざありがとうございました。」
ペコリと頭を下げるクロエ。その様子を見ていたサラがふと口をはさんだ。
「では、折角ですし市場の方に行きませんか? たまにはみんなでお買い物でもしたいですわ。ね?」
「そうですね。そろそろ食材も買わねばと思っていましたし、ここは全員で向かいましょうか。クロエさんもそれで大丈夫ですか?」
「はい! 楽しみです!」
久々の全員でのお出かけである。クロエの表情が自然と明るくなる。三人は身支度を整えると、一度帰宅し揃って出かけるのであった。
――だが、不穏の影は着実に近づいていた。そのことに三人はまだ気が付いていない。
同時刻、郷の門にて。
「あ~あ、暇だなぁ……まったく、門番って言ってもこの樹海を抜けてくる敵なんていないし、名誉職みたいなもんだよな。」
「まぁ、そういうなよ。」
門に据え付けられた高台から監視をしている二人のエルフの男が会話していた。彼らは退屈していた。広大なジーフ樹海は天然の迷路を構築しており、この郷自体高度な隠蔽魔法がかけられている。敵が来ることなど頭にすらない。実際この郷に攻めてこようとする国などはないのである。そうしようとしても難しいのであるが。時折モンスターが迷って近づいてくるだけである。
「だが、実際そうだろう? 俺がここに配属されてかれこれ十年になるが、侵入者なんて来たことないぞ。最近の大きな事件と言えば、別の門番の奴がエルゼアリス殿と少しもめた程度だろう。それも大きな事にならずに収束したらしいしな。」
「うむ……しかし、エルゼアリス殿か。あの方は今後どうなさるのだろうな……」
「今後って、どういうことだ?」
最初に言葉を発した門番がもう一方の門番に尋ねた。尋ねられた門番は少し驚いた顔をして尋ね返す。
「なんだ、知らないのか? エルゼアリス殿が大長老のご令嬢であるのにもかかわらず郷のはずれの方に住んでいらっしゃるのかを。」
「……そういえば、確かに。何故なんだ?」
その言葉に事情を知っているらしい門番の男がポケットから煙草を取り出して火をつけた。郷の外から時折入荷される言わば外来品だ。郷の中ではその煙を嫌う者が多いので普及していないが、門番に就くエルフらの間では退屈を紛らわせる物として人気がある。煙草をくわえたエルフは隣に立つ相方にも勧めた。「お、悪いな。」と言って煙草を受け取り火をつける。
少しの間煙をくゆらせていた二人であったが、不意に、初めに火をつけたエルフが紫煙とともに口を開いた。
「……あの方はな、優しかったんだ。」
「……お優しいのは知ってるさ。だが、それがどうしたっていうんだ?」
「まぁ聞け。あの方はな、ご自身がハイエルフであると言うだけで優遇されたり、母親が大長老と言うだけで回りが傅(かしず)くの嫌がったんだ。いまの郷は一応エルフ皆平等ってなってはいるが、長老方の一部は言ってるだろ? ハイエルフは選ばれた存在、ハーフエルフやダークエルフは選ばればかった存在だって。」
「あぁ、そうだな……」
あまり気分の良くない話に、聞いていた男の表情が曇る。話していた方も同じなのだろう、同じく晴れやかとは言い難い顔で言葉を続ける。
「エルゼアリス殿はそんな偏見などに嫌気がさして家を出て行ったらしい。侍女として仕えているダークエルフの人と仲も良かったらしいしな。強引に出奔を認めさせたそうだ。」
感心するようにそう語る門番の男。話を聞いていた方も同じらしい。
「それは、なんというか、凄いな……」
「ああ。だが、もっと凄いのが、引っ越し先に選んだのが、その差別発言を半ば公に言っていた長老の収める地域だったってところだ。はじめは受け入れられなかったらしい。あからさまに媚びを売るか、無視をするか。そのどちらかだったらしいぜ。だが、あきらめずに真摯に向き合い続けた結果、今やあの辺の奴らみんなエルゼアリス様のことを信頼してる。今の長老が死んだらエルゼアリス殿を、と言う意見があるぐらいだぜ。」
「確かに、あの方なら皆をまとめるのにふさわしいだろう。」
そういうとお互いに煙を吐き出し笑いあった。再び仕事に戻ろうと煙草を消して目の前の森に視線を向けたその時。不意に目の前の樹木の影からゆっくりとした動きで飛び出てくる影があった。この森にすむオオカミ型のモンスター、トライウルフだ。だが、それだけなら何の問題はない。こうして時折モンスターが近寄ってくることはあるのだ。門番も最初は驚かずに見ていたが、その表情はすぐに豹変することになる。
「お、おい……どういうことだ、これは……!」
「……わからん。だが、ようやく門番としての仕事がやってきたみたいだ。」
彼らが驚いた理由、それは姿を見せたモンスターがトライウルフ一匹ではなかったからだ。はじめの一匹が姿を見せると、音を立てて多種多様なモンスターが姿を見せた。その数はあれよあれよという間に増え、いまや数えきれないほどになっている。
「くっそ……! 意味わかんねぇ!」
「そんなことを言っていても始まらんだろう。奥の方にもまだまだいる気配がするな……俺がある程度抑えるから、お前はそこの念話装置で郷にこのことを知らせてくれ!」
そういうと男は壁に立てかけてあった弓と矢筒を手に取った。もう一人は水晶でできた念話装置を手に取ると、郷中へ知らせる緊急の【魔力念話】を送った。
『緊急事態発生! 緊急事態発生ッ!! 多数のモンスターが郷へ接近中! 総数不明、目的不明!! 至急対応に当たられたし! 繰り返す、緊急事態発生!!』
一方、少し時は遡り郷の外れの市場にて。
準備を終えたクロエたち三人は家から近くにある市場に来ていた。クロエがこの郷へ運ばれた際にサラが買い物に来た場所である。郷の中心部から外れた場所にあるこの市場は、郷の外壁近くにある。故に、比較的新鮮な野菜やキノコなどが入荷されるものの、外国からなどの高級品はまず入荷されない。安価な商品を多く置く、大衆向けの市場だろう。
「お、今日はお揃いでお出かけかい?」
「ええ、そうですわ。」
「メイドさんじゃないか。包丁の調子はどうだい?」
「おかげさまで切れ味が戻りました。ありがとうございます。」
「あ! クロエちゃん! また遊ぼうね!」
「あ、う、うん。またね……」
市場を歩く三人は有名なのか、商店の店員や道行く人々から声をかけられている。八百屋の女将、郷でも数店しかない金物屋の主人。そして、まだまだ幼いエルフの少女。クロエはこの少女に年下だと思われているが、実はこの少女まだ生まれて八年である。十歳前後と思われるクロエは、肉体的にも精神的にも年上のはずなのに。
「……クロエさん? だ、大丈夫ですわ! クロエさんもすぐに大きくなりますわ!」
「はい……ありがとうございます……」
だが、表情は暗い。実は以前にも同じようなことがあったのだが、その時二人でクロエをなだめていると、彼女は涙目で「二人は大きいからそんなこと言えるんですよ!!」と叫んでいた。そのことを思い出してか、二人はそれ以上声をかけられない。
やや表情の曇るクロエを連れて、三人は市場を歩く。いろいろと店を回り、必要なものを買い込んでいく。珍しく魚を購入したのはクロエの成長を願ってのことなのかもしれない。そして、買い物を終え、三人が帰宅しようとしたその時。不意に郷内全域に伝わる緊急の【魔力念話】が鳴り響いた。
『緊急事態発生! 緊急事態発生ッ!! 多数のモンスターが郷へ接近中! 総数不明、目的不明!! 至急対応に当たられたし! 繰り返す、緊急事態発生!!』
「――!? ミーナ!」
「はい、聞こえました。しかしまずは、周辺住民の避難が先です。」
二人の間に緊迫した空気が流れる。クロエもその雰囲気を感じ取ったのか、クロエも助力を願い出た。
「ミーナさん、何をすればいいですか?」
「はい。今の放送で逃げられる者は皆、郷の中央の方へ避難しているはずです。我々は逃げ遅れた者を探査しつつ、郷の防壁方面へ向かいましょう。」
「はい!」
三人は駆け出した。魔力反応を探りつつ、郷の外れの更に先、防壁方面へと急ぐ。
だが、この時三人は、この行動がこの先の運命を変えるものになるなど、思いもしなかったのだ。
―続く―
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ひょんな事から男女比1対5000の世界に移動した学生の忠野タケル。
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少年神官系勇者―異世界から帰還する―
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俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
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朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
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