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第一章:始まりの国・エルフの郷
第11話
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「ク、クロエさん……その姿は一体……」
ミーナが絞り出すように声を出した。雰囲気を一変させたクロエはその溢れだす魔力を巻きちらし、周囲に途方もない圧迫感を与えている。歴戦のミーナであってもその息苦しさは看過できないものだった。
宙に浮かび郷に侵入するモンスターや魔物を睥睨するその視線はどこまでも厳しいものだ。背の六枚翼に頭上の黒光輪、雄々しい角に揺れる尻尾。そのすべてが威圧感を放つ。ミーナは再度クロエに呼び掛けた。
「クロエさん!」
「……おい、そこのダークエルフ。妾はその『クロエ』などと言う名前ではないわ。不愉快じゃ。止めよ。」
ついに口を開いてミーナの呼びかけに答えた。だが、その返答はクロエであることを否定するものだった。何よりもその言葉の一つ一つに感じる重さは、ミーナをして自身の骨がきしむ音を聞こえさしむほどである。向けられた視線はどこまでも冷酷で、何の感情すらも込められていない。例えるなら、足元を這う一匹の蟻を見るかのような視線だ。
だが、ミーナとてここで退くわけにはいかないのだろう。全ての動揺、混乱を押しとどめ、気丈にも質問をぶつける。
「ならば……! 貴女は一体、何者だというのです……!?」
「ハッ! 妾が何者か、じゃと? ククッ、過去にその質問をしてきた者には例外なく死を贈ってきたものじゃが、貴様はこの身体の『大切な者』らしいからの。流してやろう。」
普段のクロエとは思えないその傲岸不遜な態度。偉そうな言葉を連ねるも、その言葉を発するにふさわしい実力を兼ね備えていることは想像に難くない。目の前の存在から発せられた、クロエの「大切な者」という言葉を支えに、ミーナは言葉を続ける。
「……ご寛大な処置、痛み入りますね。では、教えて頂けますか? 貴女が一体、何者なのかを!」
「フン、その偉そうな態度は気に食わぬが、まぁいいじゃろう。しかと聞け! 妾こそは、世界を統べし七大魔王を統べる者! 『大罪』すらをも凌ぐ絶対強者! 全ての魔物を従える闇の権化!」
偉そうな口上が始まった。その内容は言葉だけ聞くならば、大言壮語と一笑に帰すものだったが、目の前の存在はそれを真実たらしめる。ミーナの予想は図らずも当たってしまっていたのだ。その心中で考えを巡らす。
(クッ……よもや最悪の予想が当たってしまうとは……クロエさんが第八の魔王であると、大魔王であるいう最悪のシナリオ、しかもそれが目覚めてしまっている。一体どうすれば……)
ミーナが困惑する。だが、あることに気が付いた。目の前に浮かぶ大魔王も、先ほどまでの自身はどこかへ。困惑した表情を浮かべていたのだ。ミーナが疑問の表情を浮かべる。
「……分からぬ。」
「……は?」
「分からぬのだ。妾は誰じゃ? なぜこんな所におる? 記憶が曖昧じゃ……所々、いや、大部分が抜け落ちとる。分からぬ、分からぬ! 妾は誰じゃ!? なぜこんな体になっておる!? お前は誰じゃ!? 日本とは何じゃ!? 妾は何なのじゃ!?」
混乱の極みと言った様相で疑問を吐き捨てる大魔王。記憶喪失か、はたまた別の要因か。ミーナは自身も混乱するその頭で何とか状況を整理しようと試みた。
(……一体どういうことです? 目の前の存在が第八の魔王であることは確実、それは分かる。だが、大魔王は何故だが混乱している。何故だ?)
だが、その時。郷の防壁近くで大魔王の垂れ流す魔力にまごついていたモンスター、魔物たちがとうとう郷への侵攻を始めた。そのうちの一匹、先ほどもクロエたちを苦しめた魔物、グランドホークがミーナたちの方へと向かう。そしてその嘴を、宙に浮かび煩悶する大魔王に向けた。
「あ、危ないっ!!」
とっさに声を上げるミーナ。いくら目の前に浮かぶ存在が大魔王と思わしき存在であっても、その外見は見慣れたクロエである。無意識に近い反応で声をかけてしまった。
だが、ミーナの目の前の大魔王はその声に応じない。自身の混乱に手いっぱいのようだ。だがその間にもグランドホークの鋭いくちばしは迫る。サラを抱えたミーナではそれを防ぐ手立てはない。もうダメか。そう思われたその時、背中に突き刺さる寸前のくちばしを、握りしめ止める手があった。それは、大魔王が自身の背後に伸ばした手だった。グランドホークは一瞬何が起きたか分からない様子であったが、すぐに状況を理解すると嘴を引き抜こうと試みる。しかし、その握られた手はビクともしなかった。
「……分からぬ、分からぬ。が、一つだけ確かなことはある。妾は今怒っておるのじゃ。貴様らはこの身体の『大切な者』を傷つけた。正直妾はどうとも思わんが、なぜか沸々と怒りが湧いてくる。こんな怒りは初めてじゃ。イーラの奴はこんな気持ちだったのかの? あ? 誰じゃソイツ……まぁいい。スマンが、貴様らは速攻でぶち殺す。今までの鬱憤もここで晴らそう。なに、妾が直々に手を下してやろうと言うのじゃ。光栄であろう、なぁ?」
その言葉と共に、大魔王は握った手を更に強く握りしめた。グランドホークの嘴が砕ける。悲鳴を上げるグランドホークだったが、その悲鳴はすぐにかき消された。手から放たれた魔法でも何でもないただの魔力波が、グランドホークの体を欠片も残さず消し去った。
その衝撃を、まるで開幕の合図の様にそれは始まった。大魔王による手ずからの殺戮ショーだ。
「さぁ、遠慮なく死んで逝け!!」
声高に叫ぶその声と共に大魔王の両手から魔法が放たれる。放たれるそれはなんて事はないただの【暗黒小魔法】であった。だが、その量が尋常ではない。機関銃の如く放たれるそれはまさに弾幕。濃い紫の光が飛来する様子はとても幻想的であった。
だが、その着弾の様子は幻想的と言う言葉とは程遠い。量も尋常でなければ威力もけた違いだ。小魔法のはずなのに、被弾したモンスターの体は容赦なく抉られていく。まるでそれはけた違いの魔力を無理やり小魔法の形に留めたようだ。
(何という威力! たかが小魔法でこの威力とは……)
一方的な虐殺は続く。一匹一匹を仕留めていくのが億劫になったのか、小魔法の連射を止めると、今度は右手を前に突き出し魔力をためた。
「【暗黒大魔法】。」
詠唱と共に右手から極太の魔力砲が放たれた。直線軌道内のモンスター、魔物を紙屑の様に焼いていく。そして魔力砲の着弾点、数秒の遅れと共にその地点が大爆発を起こした。より広域殲滅に特化したものである。
この大魔王には家屋の保護や国の維持などは眼中にないのだろう。サラやミーナが周囲に被害が及ばないように戦っていた努力をあざ笑うかのように、家屋や防壁などを破壊していった。
「うはははっ! やはり破壊と言う物は良いのう! じゃが、妾が手ずから壊すのも面倒じゃ。貴様らの相手はコイツに任そう。」
そういうと大魔王は指をパチンと鳴らした。その瞬間、大魔王の足元の影が広がり、そこから人影のようなものが立ち上がる。のっぺりとした表面は影らしく、光を反射しない不気味な肌をもつ。口も耳も鼻もない。唯一あるのは、顔と思わしき場所にぽっかりとあいた穴から覗く紫色の光。おそらくは目の代わりだろう。
ぬるりと出現したそれらは大魔王の周りを囲むように立っていた。その数はおよそ十体ほどだろう。二メートルほどの高さである。
「この身体の持ち主の魔法じゃ。なかなかに興味深いものを思いつくものじゃが、使い方がなっとらん。武器やら腕やらそんなものを作り出すのも良いが、こうした兵を作ってこそじゃろ。」
空中に浮かび上がりそう得意げに話す大魔王。その真紅の瞳は敵対するモンスターや魔物を見据えている。
「名付けるなら、【影創造・影兵】と言った所かの? さぁ、行くのじゃ! あやつらを殲滅せよ!」
その号令と共に【影兵】が動き出した。ぎこちない関節駆動は見る者に不快感と恐怖感、嫌悪感を抱かせる。とても正視に耐えがたい冒涜的な兵隊たちだ。彼らはまっすぐにモンスターたちの下へ走ると、人型であることを無視した動きで攻撃を始めた。その光景は壊れた操り人形が勝手に動き出したかのようで不気味なことこの上ない。
だが、その不快な動きとは真逆に【影兵】の攻撃は強力で、瞬く間に多くのモンスターや魔物がその命を落としていった。見事敵を打倒した彼らだが、次の瞬間、驚くべき行動に出たのだ。
不意に彼らの顔部分、その下の方がパックリと開いた。まるで顔を一周せんばかりに開かれたそこはおそらく口に当たるのだろう。乱杭刃のように歯がびっしりと内側についている。【影兵】はたった今自らが倒したモンスターを乱雑に持ち上げた。そしておもむろに自身の方へ近寄せると、そのまま食べ始めたのだ。
「う……っ!」
その光景は様々な経験を積んだミーナをしても吐き気を催すものだった。バケモノとしか言いようのない真っ黒な物が、死んだモンスターや魔物を、バリバリと、骨や内臓の区別もなしに、噛み、千切り、砕き、抉(えぐ)り、啜(すす)り、貪(むさぼ)り、散らかしていく。命を冒涜するような光景は、まさに地獄の名に相応しい。
それからもその地獄絵図はとどまるところを知らず繰り広げられた。【影兵】は目の前の敵を食べ終わると、すぐに別の標的を捉え近寄り殺していった。中には完全に死なないまま食べられているものもいる。サラを抱えるミーナはその光景から目をそらし、必死の思いで吐き気を堪えていた。
「どうじゃ? なかなかに良い趣向じゃろう?」
ついっと飛んできた大魔王がミーナの傍に着地してそう言った。問いかけられたミーナは答えを返さない。しかし、大魔王は気分よさそうに話し続けた。
「朧気ながら、ちょっとずついろんなことを思い出すのう。妾も昔、こうしてモンスターや魔物、魔族や人類種どもを殺していったようじゃ。んぅ……心地よい悲鳴じゃのう♪」
「外道が……!!」
憎しみに近い感情を乗せた叫びがミーナから放たれた。その言葉に興を削がれたのか、大魔王は途端に詰まらなさそうな顔になる.
「フン……森に引きこもる根暗な耳長には理解しがたいかの? まぁ良いわ。早くそこのハイエルフを助けてやらんか。妾は回復魔法を使えぬからの。死体を操ることは出来るぞ?」
笑いながらおぞましいことを言う大魔王。その言葉に嫌悪感を覚えながらも、すぐにミーナは懐から高純度回復薬(ハイポーション)を取り出すと、ミーナの傷口にそれを振りかけた。傷口に垂らされた回復薬はすぐに吸収されると、みるみる合間に傷口を塞いでいく。
「何度見ても見事な物よ。味方にあれば頼もしいが、敵側にある時は何度もそれに苦しめられたものじゃ。おかげで敵の首をいちいち刎ねなくてはならなくなったからのう。」
「黙れ! その口で、その声で、その身体でその様な事を言うな! それ以上クロエさんを冒涜するような真似を続けるならば相手になるぞ……!」
大魔王が漏らした言葉に、とうとう耐えかねたのか言葉を荒げたミーナ。大魔王を睨み上げるその視線からは、まざまざと殺意が感じられる。
だが、対するのは流石大魔王。その常人なら震え上がる殺意をこともなげに受け止めると、口の端を釣り上げた攻撃的な笑みを浮かべた。そして、先ほど以上の殺意を乗せて言葉を返す。
「囀(さえず)るなよ、ダークエルフ。貴様程度じゃ相手にならぬわ。妾相手にその様な大言壮語をぶちかます愚か者は例外なく殺してきたが、妾がここに立っているのもこの身体のおかげじゃ。特別に見逃してやろう――っと。」
大魔王がそう言い終わりかけた瞬間だった。大魔王の背後から恐ろしい唸り声をあげて一匹の魔物が突進してきた。森にすむ二足歩行の牛型の魔物、カウヘッドだ。本来なら強靭な肉体を持ち、比較的高い知能をもって森の奥で暮らす彼らだが、今は半狂乱の様相である。無残にも食いちぎられたのか、左の腕が根元からなくなっていた。
口から泡を吹きながら腕を振り上げ、大魔王に拳を繰りだすカウヘッド。だが、冷静にその拳の軌道を見極めた大魔王は、半歩だけ後ろに後退した。
カウヘッドの拳は、凄まじい風切音を上げながら地面へ突き立てられた。拳が地にめり込んでいる。攻撃が外れたことを悟ったカウヘッドはすぐに拳を引き抜き追撃を重ねようとする。しかし、その腕が引き抜かれることはなかった。大魔王は地面に突き立てられた腕をつかむと、その腕を更に地面へと押し込んだのだ。
「やれやれ、血気盛んのよう? そこまで頭に血が上っておるなら、血抜きの必要もなくすぐに食えるじゃろ。そぅら、燃えよ【黒焔】。」
再び指を鳴らす。すると、どこからともなくカウヘッドの体から火の手が上がった。その炎は普通のそれではなく、何とも不吉な見た目の、漆黒の炎だった。燃料を得たとばかりに煌々と燃え盛る炎はあっという間にカウヘッドの体を包み込む。
「グ、ブモゥォオオオッ!?」
苦しそうに悲鳴を上げるカウヘッド。体を包む火を消したいが、唯一残された右腕は深々と地面に突き刺さっている。そのせいで身体すら自由に動かせない。
「ん? どうしたのじゃ。早く消さねば死んでしまうぞ? ああ、そうかそうか。妾が腕を突き刺してしまったから動けんのか。それは申し訳ない事をしたのう。そら、助けてやろう。」
そういうと、大魔王は足元の影から一振りの剣を取り出した。クロエが取り出した打刀の細身のシルエットとは違い、その形は巨大にして歪(いびつ)。体の大きさを優に超えるその大剣を肩越しに構える。
「【影創造・堕剣】。」
構えられた大剣。次の瞬間にはそれは振り抜かれていた。歪な大剣はもがき苦しむカウヘッドの右腕を肩口から両断。カウヘッドの体を見事自由の物へとした。
カウヘッドが悲鳴を上げる。先ほどから上げるその悲鳴は、もはや体を燃やされる苦しさか、右腕を斬られた痛みなのか判別付かない。両腕を失ったカウヘッドは何とか火を消そうと地面をのたうち回った。火を消そうにも両腕はなく、もはやできる事と言えば芋虫の如く惨めにのたうち回ることのみ。だが、無情にも体を嘗め回す炎はその勢いを止めはしない。
「どうしたどうした。妾の【黒焔】はそんな物では消えぬのじゃよ。ほら、早くせんと死んでしまうぞ? おや、あそこに池があるではないか。あれならば消えるかもしれぬのう。」
息も絶え絶え、目は虚(うつ)ろ。瀕死のカウヘッドはそれでもその言葉に反応して体を起こし、池へと走った。必死に走りカウヘッドは池へと大きな水音を立てて飛び込んだ。流れる血も構わずに火を消そうともがく。
だが、信じられないことに、カウヘッドの体を包む炎は水の中においても燃え盛った。もはやカウヘッドは体を燃やされる熱さに、両腕を断たれた痛み。更には水中の無呼吸にさいなまれ、この世の地獄とばかりにくぐもった悲鳴を上げて苦しむばかりだ。
その様子を遠くから見ていた大魔王は、ついに辛抱たまらないとばかりに腹を抱えて笑い出した。
「アッハッハッハ! 本当に飛び込みおったわ! 馬鹿な奴じゃ。あの出血で水に入ればたとえ火が消えても助かるまいに! しかも、妾の【黒焔】は普通の炎ではない。タダでは消えぬ魔法の炎じゃからな。水では消えぬのよ。ククッ、それにしてもあの苦しみっぷり! なぁ?」
大魔王はそう言って隣にいるミーナに言葉を振った。だがミーナはそのあまりの陰惨な光景にただ顔をしかめるのみ。その反応が不満なのか、大魔王はまたも詰まらなさそうな顔をした。
「フン……なんじゃなんじゃ、そんな反応ばっかしおってからに。妾はこんなのしか知らぬのじゃ……仕方ないじゃろ……」
「え……?」
大魔王がふと漏らした言葉を、うまく聞き取れず顔を上げるミーナ。その寂しそうな雰囲気をまとう言葉を聞き返そうとする。
だが、顔を上げて見た大魔王の顔はすでに傲岸不遜な態度のそれだった。周りを見渡して残る敵の様子を確認している。
「だいぶ減ったかの。そろそろ仕上げじゃな。」
そう呟くと、大魔王は【堕剣】を影にしまい指をパチンと鳴らした。それを合図に敵を貪り食らっていた【影兵】がきれいに消え去る。
背の六枚翼を広げ、大魔王はふわりと飛び上がった。高度をグングン上げ、遂には郷を一望できるであろう高さに到達する。そしてその位置で対空する大魔王は、不意に自身の魔力を高ぶらせた。その衝撃は地上のミーナにも届く。
(な、何という魔力……しかし、この感覚……まさか……!)
ミーナは自身の髪に隠された顔の右側、その下にある大仰なマスクに手をかけた。
「……力を借りますよ、アケディア……!」
そう呟くと、ミーナはマスクを剥ぎ取った。そのマスクの下、そこには左目とはちがう様相を見せる右目がその姿をさらしていた。
本来なら光を吸収するはずの器官であるはずなのに、その右目は淡く発光していた。セレスタイトのような輝きの瞳、その中心には複雑な紋様が描かれている。
それは、この世界で力ある者しか現れないはずの証。人類種の考えた原罪の体現者である七大魔王「大罪(ペッカータ)」であることの証拠、「罪の証」だった。
そしてそれは宙に浮かぶ大魔王の右目にも同じように表れていた。その色は眩いばかりの白銀。まるで虹の七色を束ねてできる太陽の光のようだ。
「さぁ……地を這うモンスター、魔物、全ての生きる物よ! 我を見よ、我に酔え、我に従え! 大罪魔法【色欲】!」
魔法が詠唱された。それは本来、七大魔王「大罪」にのみ許された特別な魔法である「大罪魔法」だった。色欲をつかさどる魔王ルークスリアにしか使えないはずの大罪魔法を、大魔王はこともなげに使うのだ。
発動された魔法は青い魔力の波を郷全域、そして広いジーフ樹海にまで広げた。波に当てられた生き物はみな正気を失ったかのように虚ろな目をしている。
「クッ……やはり大罪魔法でしたか……! しかもこれは色欲魔王の大罪魔法……なんと質(タチ)の悪い……」
生き物の正気を奪っていった青い魔力だが、ミーナの周辺だけはその波が及ばなかった。そして、どこからともなくとある声が聞こえてくる。
『おやおや、私の力を使うなんて、そんなに強い相手だったの?』
「アケディア……久しぶりですね。感じませんか? この魔力を。」
『ん~? お、おぉ? こ、これは……!』
「怠惰を司る『大罪』のあなたなら、この魔力をよく知ってるはずですよ。」
『知ってる知ってる、知ってるよ。まさか、復活したとでもいうの? 大魔王様!』
アケディアと呼ばれた姿なき声は、興奮したように叫んだ。その声には畏怖の感情も混ざっている。
『ふ~ん、そういう事だったんだ。ルクちゃんしか使えないはずの大罪魔法だったからね。でも、どうするつもり? 大罪魔法なら私の力で防げるけど、さすがに大魔王様の攻撃はムリだからね?』
「分かってますよ……何とかしますとも。」
そう話していたが、不意に空中から妙に響き渡る声が聞こえてきた。
「『さぁ、妾のこえが聞こえるであろう?』」
その言葉はミーナたちにも届く。
「クッ……影響下に無くても、これほどですか……!」
『さっすが大罪魔法だね~!』
アケディアの呑気そうな声が聞こえてくる。大魔王の放つ声にはむやみやたらな多幸感と万能感、そして謎の服従意識を促す何かがあったのだ。そして、再び大魔王の声が響く。
「『エルフどもは目を覚ますがよい。そして、それ以外のモンスター、魔物ども。喜ぶのじゃ、命令を与えてやろう。今すぐ……死ね。』」
大魔王がモンスターと魔物に自害を命じた。何も知らない者なら鼻で笑って終わるようなものだが、それすらも可能にしてしまうのがこの大罪魔法【色欲】である。魔法で正気を奪い相手を隷属する。まさに骨抜きにしてしまうのだ。
自害を命じられたモンスター、魔物は続々とその命令を履行していった。爪で自らの喉を掻き切るもの、舌を噛みちぎるもの、互いに噛み付きあうものもある。何の疑問も抱かず、幸せに満ち溢れた表情で死んでいった。そのどこか壊れた世界は、正気に戻ったエルフたちの目の前で広がっていった。それは多くのエルフの心に消えない傷を刻むのだった。
長い白銀の髪と漆黒の六枚翼を風にたなびかせ、大魔王はエルフの郷を見下ろしていた。自分の行った破壊の後を満足そうに見つめている。郷はいたるところがモンスター、魔物の流した血の跡で真っ赤に染まっていた。むせるような血の匂いも満ちている。
「さて、敵は根こそぎ殺したし、ここから妾の覇道が始まるわけじゃ。楽しみじゃのう♪ まずは……この郷の長を殺し、妾が長となろうかの。」
大魔王は周囲を見回した。一番強い魔力を探している。少しの間キョロキョロしていたようだが、すぐに何か見つけたのだろう。口元をニヤリとゆがめると、そちらの方向を凝視していた。
「クロエさん……」
『いや~久々に大魔王様の力を見たけど、やっぱ恐ろしいもんだね。殺して正解だったよ。』
「そうなんですか?」
『うん。あのままじゃ誰も幸せにならなかったしね~。私も面倒だったけど頑張ったもん。まぁ、その時の呪いが原因で私は死んだんだけどね! でもね、今日の大魔王様、私の記憶よりも少し違う気がするんだ。見た目とかじゃなくて、中身とか、力って意味でね。それがどうしてかはわからない。でもね、ミーナちゃん。いざと言うとき、躊躇ったらだめだからね? 人生の先輩としてのアドバイスだよ。じゃあね~。』
そう言い残すと声だけの存在だったアケディアは気配を消した。ミーナも傍に落ちていたマスクを拾い再び顔に装着する。
その時、気を失っていたサラが意識を取り戻した。
「う、うぅ……」
「――! お嬢様、気が付かれましたか!」
ミーナが急いでサラの下へと向かい抱き起した。完全に意識が戻ってはないのか、数回頭を振ったサラは少し焦点のあっていない瞳でミーナを見上げた。
「ミ、ミーナ……? クロエさんは……?」
「ご安心ください、お嬢様の機転によりクロエさんはご無事です。ただ……」
言いにくそうに口をつぐむミーナ。その様子にサラが疑問を覚えた。
「どうしたって言うんですの……?」
サラの言葉に悩むようなそぶりを見せるミーナ。だが、すぐに決断するとサラに今までの経緯を説明した。ただアケディアの部分は除いていたが。ミーナの説明にさすがにショックの色を隠せないのか、サラは目を伏せてしまっていた。
「……クロエさんが、あの伝説の大魔王……?」
「はい。おそらく間違いないでしょう。しかもその力は当時の物より変異しているようです。」
「そんな……」
脱力したように再びミーナにもたれ掛かかるサラ。だが、まるで何かの覚悟を決めたかのように力強く目を開けると、そのまま立ち上がろうとし始める。足にうまく力も入らず、まるで生まれたての小鹿の様相であった。ミーナが驚いてそれを押しとどめる。
「お、お嬢様! そんな無茶をなさってはなりません! 休んでいてください。」
「無茶は承知ですわ! 私はクロエさんを守ると決めたのです。ここで立ち上がらずして、何時(いつ)立つというのです!?」
サラの言葉に思わず彼女を助けてしまいそうになるミーナ。だが、傷はふさがったものの、その攻撃により穴の開いた服、そして服の周囲に染み付いたサラの血を見て再びミーナはサラを止めた。
「……なりません、お嬢様。 今のクロエさんは、もはや我々の知るクロエさんではありません。近づくのすら大変危険です。何より、お嬢様自身傷はふさがりましたが、流した血までは補えておりません。そのフラフラの状態で何をするというのですか!?」
「し、しかし……」
正論で諭されて二の句が継げなくなるサラ。だがそれでも立ち上がろうとする行動は止めない。もはや理屈ではないのだろう。お互いの主張が平行線をたどり交わらず、もはや事態の進展は望めない。しかし、そこにとある人物の声が届いたその時、時は動き出した。
「サラ、あなたの気持ちは分かりました。しかし、勇気と蛮勇の違いぐらいは知っておかねばなりませんよ。」
「だ、大長老!?」
いつの間に二人の傍に立っていたのか、そこにはこのエルフの郷の最高責任者である大長老、サーシャ・エルゼアリスが立っていた。郷の最高権力者、ひいては自身の母の登場にサラはたじろいだ。
「サラ、あなたに今必要なのはその蛮勇ではなく適度な休息です。しばらく休んでなさい。」
そういうとサーシャは手にした長杖の先端をサラに向けた。緑色の優しい光がサラに向かって放たれる。その光を浴びたサラは何とか抵抗しようとするものの、ほんの数秒で再び眠ってしまった。それをミーナが受け止める。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません。」
「いえ、私の娘の血の気の多さには困ったものです。あなたも自身の立場に遠慮してサラに手が出せず困っていたみたいですから。」
困ったような、しかしどこか嬉しそうな表情をして眠る娘を見るサーシャ。だが、そんな顔をしていたのも束の間。すぐに険しい顔になるとミーナに話しかける。
「さて、ミーナ。私もある程度把握はしているつもりですが、状況を整理しましょう。幸運にもかの敵は私たちを待ってくれるみたいですから。」
遥か空中、こちらを見下ろしている白銀の影を鋭く見つめながらサーシャはそう言った。ミーナはサーシャの発言の「敵」と言う単語に、もう戻れないことを悟り今までの状況を説明した。
説明が終わると、サーシャは自身の理解とすり合わせたのか、幾度か頷くと少し悲しげに口を開いた。
「そうですか……クロエさんが大魔王……嫌な予感ばかりが当たるものですね。ミーナ、サラを連れて避難なさい。ここは危険になります。」
「……かしこまりました。ご武運を。」
サーシャの力強い言葉に、ミーナも決意を固め返事をする。そしてサラを抱え上げると、急いでその場を後にした。
ミーナが見えなくなるのを確認すると、安心したようにサーシャは一息ついた。しかし、すぐに頭上を鋭い目線で見上げると、無言のうちに魔法を発動。空中へその身を躍らせると、すぐに大魔王とその高さを同じくした。
「クロエさん……いえ、大魔王、エリス・ジークリット・メフィストフェレス。まずは一つ感謝します。」
「ほう?」
サーシャの言葉が意外だったのか、片眉を上げて言葉を促す大魔王。
「この郷へ突然襲来したモンスター、魔物の群れを撃退したことを郷を代表してお礼申し上げます。いささかやりすぎな気もしますがね。」
「よいよい。あれはおそらく妾にも原因の一端がありそうじゃ。あやつらのような知能の低いものは、妾のような強者の出現に過敏じゃからの。殺されるぐらいならいっそ、とでも考えたのか、はたまた、ただ単に正気を失ったのじゃろう。」
「そう仰ってくださると私としても気が楽ですわ。しかし、一つ解せないのは、なぜあなたがいまだに戦闘態勢を解いていないか、と言う事なんですけども?」
サーシャの言葉に、待っていましたとばかりに口端をゆがめると、大魔王は両手を広げて大仰に語りだした。
「なに、知れたことよ。せっかく復活を遂げたのじゃ。以前に『大罪』どもと勇者一行の邪魔で成し遂げられなかった我が覇業を成すのじゃよ。さしあたり、まずはこの郷を占拠して世界征服の足掛かりにしようと思うての。貴様がこの郷の長で相違ないな?」
指をさしてサーシャに問いかける大魔王。その言葉にサーシャが返答をする。
「何を今更。下の会話をどうせ聞いていたのでしょう?」
「当たり前を当たり前とせず、言葉で確認することこそが知的な会話と言う物じゃ。エルフは森の賢者と聞いておったが、間違いだったかの?」
大魔王の挑発に、サーシャの笑みは一層濃いものとなった。だが、あからさまにその挑発に乗るような真似はしない。
「あなたのような存在に常識があるとは思いもしませんでしたから。それで、念のため聞きますが、このまま大人しくクロエさんに体を返し、再び封印されるつもりはありますか? ないようでしたら実力行使も辞さないつもりですが。」
「ククッ、抜かしおるわ。妾がそれを承諾するとでも? しかも実力行使だと? 貴様から感じる魔力は確かに大したものだ。だが、それでも精々魔王の側近と言った所だろう。そんな存在が、七大魔王『大罪』を統べし妾に敵うとでも?」
大魔王がそう言葉を返した。それはいかんともしがたい実力差の壁をサーシャに突きつけるものだった。大魔王の言葉は決して嘘ではない。実際にサーシャの実力は郷でも随一、間違いなくエルフにおける最高戦力である。しかし、それでも魔王には届かない。ましてやそのさらに上の大魔王に敵うわけはなかった。
だが、そんなことは他ならぬサーシャ自身よく知っていることだった。そして、サーシャもただ無策に勝負を挑むわけではない。
「それは、お互い様でしょう?」
「何じゃと?」
「今までの経緯や、今のあなたの魔力を見る限り、あなたも本来の実力を出し切れていないようではないですが?」
「……フン、抜かしおるではないか、耳長の引きこもりの分際が。ならば、試してみるかの?」
その言葉と同時に、おどろおどろしいまでの魔力を放出する大魔王エリス。それに対抗するかのようにサーシャも魔力を高ぶらせていく。その額には青筋のようなものも見えていた。
「我々エルフに対する侮辱の言葉、あとで後悔させてあげましょう。その身体、返してもらいますよ!」
最終決戦の幕が、今、開かれた。
―続く―
ミーナが絞り出すように声を出した。雰囲気を一変させたクロエはその溢れだす魔力を巻きちらし、周囲に途方もない圧迫感を与えている。歴戦のミーナであってもその息苦しさは看過できないものだった。
宙に浮かび郷に侵入するモンスターや魔物を睥睨するその視線はどこまでも厳しいものだ。背の六枚翼に頭上の黒光輪、雄々しい角に揺れる尻尾。そのすべてが威圧感を放つ。ミーナは再度クロエに呼び掛けた。
「クロエさん!」
「……おい、そこのダークエルフ。妾はその『クロエ』などと言う名前ではないわ。不愉快じゃ。止めよ。」
ついに口を開いてミーナの呼びかけに答えた。だが、その返答はクロエであることを否定するものだった。何よりもその言葉の一つ一つに感じる重さは、ミーナをして自身の骨がきしむ音を聞こえさしむほどである。向けられた視線はどこまでも冷酷で、何の感情すらも込められていない。例えるなら、足元を這う一匹の蟻を見るかのような視線だ。
だが、ミーナとてここで退くわけにはいかないのだろう。全ての動揺、混乱を押しとどめ、気丈にも質問をぶつける。
「ならば……! 貴女は一体、何者だというのです……!?」
「ハッ! 妾が何者か、じゃと? ククッ、過去にその質問をしてきた者には例外なく死を贈ってきたものじゃが、貴様はこの身体の『大切な者』らしいからの。流してやろう。」
普段のクロエとは思えないその傲岸不遜な態度。偉そうな言葉を連ねるも、その言葉を発するにふさわしい実力を兼ね備えていることは想像に難くない。目の前の存在から発せられた、クロエの「大切な者」という言葉を支えに、ミーナは言葉を続ける。
「……ご寛大な処置、痛み入りますね。では、教えて頂けますか? 貴女が一体、何者なのかを!」
「フン、その偉そうな態度は気に食わぬが、まぁいいじゃろう。しかと聞け! 妾こそは、世界を統べし七大魔王を統べる者! 『大罪』すらをも凌ぐ絶対強者! 全ての魔物を従える闇の権化!」
偉そうな口上が始まった。その内容は言葉だけ聞くならば、大言壮語と一笑に帰すものだったが、目の前の存在はそれを真実たらしめる。ミーナの予想は図らずも当たってしまっていたのだ。その心中で考えを巡らす。
(クッ……よもや最悪の予想が当たってしまうとは……クロエさんが第八の魔王であると、大魔王であるいう最悪のシナリオ、しかもそれが目覚めてしまっている。一体どうすれば……)
ミーナが困惑する。だが、あることに気が付いた。目の前に浮かぶ大魔王も、先ほどまでの自身はどこかへ。困惑した表情を浮かべていたのだ。ミーナが疑問の表情を浮かべる。
「……分からぬ。」
「……は?」
「分からぬのだ。妾は誰じゃ? なぜこんな所におる? 記憶が曖昧じゃ……所々、いや、大部分が抜け落ちとる。分からぬ、分からぬ! 妾は誰じゃ!? なぜこんな体になっておる!? お前は誰じゃ!? 日本とは何じゃ!? 妾は何なのじゃ!?」
混乱の極みと言った様相で疑問を吐き捨てる大魔王。記憶喪失か、はたまた別の要因か。ミーナは自身も混乱するその頭で何とか状況を整理しようと試みた。
(……一体どういうことです? 目の前の存在が第八の魔王であることは確実、それは分かる。だが、大魔王は何故だが混乱している。何故だ?)
だが、その時。郷の防壁近くで大魔王の垂れ流す魔力にまごついていたモンスター、魔物たちがとうとう郷への侵攻を始めた。そのうちの一匹、先ほどもクロエたちを苦しめた魔物、グランドホークがミーナたちの方へと向かう。そしてその嘴を、宙に浮かび煩悶する大魔王に向けた。
「あ、危ないっ!!」
とっさに声を上げるミーナ。いくら目の前に浮かぶ存在が大魔王と思わしき存在であっても、その外見は見慣れたクロエである。無意識に近い反応で声をかけてしまった。
だが、ミーナの目の前の大魔王はその声に応じない。自身の混乱に手いっぱいのようだ。だがその間にもグランドホークの鋭いくちばしは迫る。サラを抱えたミーナではそれを防ぐ手立てはない。もうダメか。そう思われたその時、背中に突き刺さる寸前のくちばしを、握りしめ止める手があった。それは、大魔王が自身の背後に伸ばした手だった。グランドホークは一瞬何が起きたか分からない様子であったが、すぐに状況を理解すると嘴を引き抜こうと試みる。しかし、その握られた手はビクともしなかった。
「……分からぬ、分からぬ。が、一つだけ確かなことはある。妾は今怒っておるのじゃ。貴様らはこの身体の『大切な者』を傷つけた。正直妾はどうとも思わんが、なぜか沸々と怒りが湧いてくる。こんな怒りは初めてじゃ。イーラの奴はこんな気持ちだったのかの? あ? 誰じゃソイツ……まぁいい。スマンが、貴様らは速攻でぶち殺す。今までの鬱憤もここで晴らそう。なに、妾が直々に手を下してやろうと言うのじゃ。光栄であろう、なぁ?」
その言葉と共に、大魔王は握った手を更に強く握りしめた。グランドホークの嘴が砕ける。悲鳴を上げるグランドホークだったが、その悲鳴はすぐにかき消された。手から放たれた魔法でも何でもないただの魔力波が、グランドホークの体を欠片も残さず消し去った。
その衝撃を、まるで開幕の合図の様にそれは始まった。大魔王による手ずからの殺戮ショーだ。
「さぁ、遠慮なく死んで逝け!!」
声高に叫ぶその声と共に大魔王の両手から魔法が放たれる。放たれるそれはなんて事はないただの【暗黒小魔法】であった。だが、その量が尋常ではない。機関銃の如く放たれるそれはまさに弾幕。濃い紫の光が飛来する様子はとても幻想的であった。
だが、その着弾の様子は幻想的と言う言葉とは程遠い。量も尋常でなければ威力もけた違いだ。小魔法のはずなのに、被弾したモンスターの体は容赦なく抉られていく。まるでそれはけた違いの魔力を無理やり小魔法の形に留めたようだ。
(何という威力! たかが小魔法でこの威力とは……)
一方的な虐殺は続く。一匹一匹を仕留めていくのが億劫になったのか、小魔法の連射を止めると、今度は右手を前に突き出し魔力をためた。
「【暗黒大魔法】。」
詠唱と共に右手から極太の魔力砲が放たれた。直線軌道内のモンスター、魔物を紙屑の様に焼いていく。そして魔力砲の着弾点、数秒の遅れと共にその地点が大爆発を起こした。より広域殲滅に特化したものである。
この大魔王には家屋の保護や国の維持などは眼中にないのだろう。サラやミーナが周囲に被害が及ばないように戦っていた努力をあざ笑うかのように、家屋や防壁などを破壊していった。
「うはははっ! やはり破壊と言う物は良いのう! じゃが、妾が手ずから壊すのも面倒じゃ。貴様らの相手はコイツに任そう。」
そういうと大魔王は指をパチンと鳴らした。その瞬間、大魔王の足元の影が広がり、そこから人影のようなものが立ち上がる。のっぺりとした表面は影らしく、光を反射しない不気味な肌をもつ。口も耳も鼻もない。唯一あるのは、顔と思わしき場所にぽっかりとあいた穴から覗く紫色の光。おそらくは目の代わりだろう。
ぬるりと出現したそれらは大魔王の周りを囲むように立っていた。その数はおよそ十体ほどだろう。二メートルほどの高さである。
「この身体の持ち主の魔法じゃ。なかなかに興味深いものを思いつくものじゃが、使い方がなっとらん。武器やら腕やらそんなものを作り出すのも良いが、こうした兵を作ってこそじゃろ。」
空中に浮かび上がりそう得意げに話す大魔王。その真紅の瞳は敵対するモンスターや魔物を見据えている。
「名付けるなら、【影創造・影兵】と言った所かの? さぁ、行くのじゃ! あやつらを殲滅せよ!」
その号令と共に【影兵】が動き出した。ぎこちない関節駆動は見る者に不快感と恐怖感、嫌悪感を抱かせる。とても正視に耐えがたい冒涜的な兵隊たちだ。彼らはまっすぐにモンスターたちの下へ走ると、人型であることを無視した動きで攻撃を始めた。その光景は壊れた操り人形が勝手に動き出したかのようで不気味なことこの上ない。
だが、その不快な動きとは真逆に【影兵】の攻撃は強力で、瞬く間に多くのモンスターや魔物がその命を落としていった。見事敵を打倒した彼らだが、次の瞬間、驚くべき行動に出たのだ。
不意に彼らの顔部分、その下の方がパックリと開いた。まるで顔を一周せんばかりに開かれたそこはおそらく口に当たるのだろう。乱杭刃のように歯がびっしりと内側についている。【影兵】はたった今自らが倒したモンスターを乱雑に持ち上げた。そしておもむろに自身の方へ近寄せると、そのまま食べ始めたのだ。
「う……っ!」
その光景は様々な経験を積んだミーナをしても吐き気を催すものだった。バケモノとしか言いようのない真っ黒な物が、死んだモンスターや魔物を、バリバリと、骨や内臓の区別もなしに、噛み、千切り、砕き、抉(えぐ)り、啜(すす)り、貪(むさぼ)り、散らかしていく。命を冒涜するような光景は、まさに地獄の名に相応しい。
それからもその地獄絵図はとどまるところを知らず繰り広げられた。【影兵】は目の前の敵を食べ終わると、すぐに別の標的を捉え近寄り殺していった。中には完全に死なないまま食べられているものもいる。サラを抱えるミーナはその光景から目をそらし、必死の思いで吐き気を堪えていた。
「どうじゃ? なかなかに良い趣向じゃろう?」
ついっと飛んできた大魔王がミーナの傍に着地してそう言った。問いかけられたミーナは答えを返さない。しかし、大魔王は気分よさそうに話し続けた。
「朧気ながら、ちょっとずついろんなことを思い出すのう。妾も昔、こうしてモンスターや魔物、魔族や人類種どもを殺していったようじゃ。んぅ……心地よい悲鳴じゃのう♪」
「外道が……!!」
憎しみに近い感情を乗せた叫びがミーナから放たれた。その言葉に興を削がれたのか、大魔王は途端に詰まらなさそうな顔になる.
「フン……森に引きこもる根暗な耳長には理解しがたいかの? まぁ良いわ。早くそこのハイエルフを助けてやらんか。妾は回復魔法を使えぬからの。死体を操ることは出来るぞ?」
笑いながらおぞましいことを言う大魔王。その言葉に嫌悪感を覚えながらも、すぐにミーナは懐から高純度回復薬(ハイポーション)を取り出すと、ミーナの傷口にそれを振りかけた。傷口に垂らされた回復薬はすぐに吸収されると、みるみる合間に傷口を塞いでいく。
「何度見ても見事な物よ。味方にあれば頼もしいが、敵側にある時は何度もそれに苦しめられたものじゃ。おかげで敵の首をいちいち刎ねなくてはならなくなったからのう。」
「黙れ! その口で、その声で、その身体でその様な事を言うな! それ以上クロエさんを冒涜するような真似を続けるならば相手になるぞ……!」
大魔王が漏らした言葉に、とうとう耐えかねたのか言葉を荒げたミーナ。大魔王を睨み上げるその視線からは、まざまざと殺意が感じられる。
だが、対するのは流石大魔王。その常人なら震え上がる殺意をこともなげに受け止めると、口の端を釣り上げた攻撃的な笑みを浮かべた。そして、先ほど以上の殺意を乗せて言葉を返す。
「囀(さえず)るなよ、ダークエルフ。貴様程度じゃ相手にならぬわ。妾相手にその様な大言壮語をぶちかます愚か者は例外なく殺してきたが、妾がここに立っているのもこの身体のおかげじゃ。特別に見逃してやろう――っと。」
大魔王がそう言い終わりかけた瞬間だった。大魔王の背後から恐ろしい唸り声をあげて一匹の魔物が突進してきた。森にすむ二足歩行の牛型の魔物、カウヘッドだ。本来なら強靭な肉体を持ち、比較的高い知能をもって森の奥で暮らす彼らだが、今は半狂乱の様相である。無残にも食いちぎられたのか、左の腕が根元からなくなっていた。
口から泡を吹きながら腕を振り上げ、大魔王に拳を繰りだすカウヘッド。だが、冷静にその拳の軌道を見極めた大魔王は、半歩だけ後ろに後退した。
カウヘッドの拳は、凄まじい風切音を上げながら地面へ突き立てられた。拳が地にめり込んでいる。攻撃が外れたことを悟ったカウヘッドはすぐに拳を引き抜き追撃を重ねようとする。しかし、その腕が引き抜かれることはなかった。大魔王は地面に突き立てられた腕をつかむと、その腕を更に地面へと押し込んだのだ。
「やれやれ、血気盛んのよう? そこまで頭に血が上っておるなら、血抜きの必要もなくすぐに食えるじゃろ。そぅら、燃えよ【黒焔】。」
再び指を鳴らす。すると、どこからともなくカウヘッドの体から火の手が上がった。その炎は普通のそれではなく、何とも不吉な見た目の、漆黒の炎だった。燃料を得たとばかりに煌々と燃え盛る炎はあっという間にカウヘッドの体を包み込む。
「グ、ブモゥォオオオッ!?」
苦しそうに悲鳴を上げるカウヘッド。体を包む火を消したいが、唯一残された右腕は深々と地面に突き刺さっている。そのせいで身体すら自由に動かせない。
「ん? どうしたのじゃ。早く消さねば死んでしまうぞ? ああ、そうかそうか。妾が腕を突き刺してしまったから動けんのか。それは申し訳ない事をしたのう。そら、助けてやろう。」
そういうと、大魔王は足元の影から一振りの剣を取り出した。クロエが取り出した打刀の細身のシルエットとは違い、その形は巨大にして歪(いびつ)。体の大きさを優に超えるその大剣を肩越しに構える。
「【影創造・堕剣】。」
構えられた大剣。次の瞬間にはそれは振り抜かれていた。歪な大剣はもがき苦しむカウヘッドの右腕を肩口から両断。カウヘッドの体を見事自由の物へとした。
カウヘッドが悲鳴を上げる。先ほどから上げるその悲鳴は、もはや体を燃やされる苦しさか、右腕を斬られた痛みなのか判別付かない。両腕を失ったカウヘッドは何とか火を消そうと地面をのたうち回った。火を消そうにも両腕はなく、もはやできる事と言えば芋虫の如く惨めにのたうち回ることのみ。だが、無情にも体を嘗め回す炎はその勢いを止めはしない。
「どうしたどうした。妾の【黒焔】はそんな物では消えぬのじゃよ。ほら、早くせんと死んでしまうぞ? おや、あそこに池があるではないか。あれならば消えるかもしれぬのう。」
息も絶え絶え、目は虚(うつ)ろ。瀕死のカウヘッドはそれでもその言葉に反応して体を起こし、池へと走った。必死に走りカウヘッドは池へと大きな水音を立てて飛び込んだ。流れる血も構わずに火を消そうともがく。
だが、信じられないことに、カウヘッドの体を包む炎は水の中においても燃え盛った。もはやカウヘッドは体を燃やされる熱さに、両腕を断たれた痛み。更には水中の無呼吸にさいなまれ、この世の地獄とばかりにくぐもった悲鳴を上げて苦しむばかりだ。
その様子を遠くから見ていた大魔王は、ついに辛抱たまらないとばかりに腹を抱えて笑い出した。
「アッハッハッハ! 本当に飛び込みおったわ! 馬鹿な奴じゃ。あの出血で水に入ればたとえ火が消えても助かるまいに! しかも、妾の【黒焔】は普通の炎ではない。タダでは消えぬ魔法の炎じゃからな。水では消えぬのよ。ククッ、それにしてもあの苦しみっぷり! なぁ?」
大魔王はそう言って隣にいるミーナに言葉を振った。だがミーナはそのあまりの陰惨な光景にただ顔をしかめるのみ。その反応が不満なのか、大魔王はまたも詰まらなさそうな顔をした。
「フン……なんじゃなんじゃ、そんな反応ばっかしおってからに。妾はこんなのしか知らぬのじゃ……仕方ないじゃろ……」
「え……?」
大魔王がふと漏らした言葉を、うまく聞き取れず顔を上げるミーナ。その寂しそうな雰囲気をまとう言葉を聞き返そうとする。
だが、顔を上げて見た大魔王の顔はすでに傲岸不遜な態度のそれだった。周りを見渡して残る敵の様子を確認している。
「だいぶ減ったかの。そろそろ仕上げじゃな。」
そう呟くと、大魔王は【堕剣】を影にしまい指をパチンと鳴らした。それを合図に敵を貪り食らっていた【影兵】がきれいに消え去る。
背の六枚翼を広げ、大魔王はふわりと飛び上がった。高度をグングン上げ、遂には郷を一望できるであろう高さに到達する。そしてその位置で対空する大魔王は、不意に自身の魔力を高ぶらせた。その衝撃は地上のミーナにも届く。
(な、何という魔力……しかし、この感覚……まさか……!)
ミーナは自身の髪に隠された顔の右側、その下にある大仰なマスクに手をかけた。
「……力を借りますよ、アケディア……!」
そう呟くと、ミーナはマスクを剥ぎ取った。そのマスクの下、そこには左目とはちがう様相を見せる右目がその姿をさらしていた。
本来なら光を吸収するはずの器官であるはずなのに、その右目は淡く発光していた。セレスタイトのような輝きの瞳、その中心には複雑な紋様が描かれている。
それは、この世界で力ある者しか現れないはずの証。人類種の考えた原罪の体現者である七大魔王「大罪(ペッカータ)」であることの証拠、「罪の証」だった。
そしてそれは宙に浮かぶ大魔王の右目にも同じように表れていた。その色は眩いばかりの白銀。まるで虹の七色を束ねてできる太陽の光のようだ。
「さぁ……地を這うモンスター、魔物、全ての生きる物よ! 我を見よ、我に酔え、我に従え! 大罪魔法【色欲】!」
魔法が詠唱された。それは本来、七大魔王「大罪」にのみ許された特別な魔法である「大罪魔法」だった。色欲をつかさどる魔王ルークスリアにしか使えないはずの大罪魔法を、大魔王はこともなげに使うのだ。
発動された魔法は青い魔力の波を郷全域、そして広いジーフ樹海にまで広げた。波に当てられた生き物はみな正気を失ったかのように虚ろな目をしている。
「クッ……やはり大罪魔法でしたか……! しかもこれは色欲魔王の大罪魔法……なんと質(タチ)の悪い……」
生き物の正気を奪っていった青い魔力だが、ミーナの周辺だけはその波が及ばなかった。そして、どこからともなくとある声が聞こえてくる。
『おやおや、私の力を使うなんて、そんなに強い相手だったの?』
「アケディア……久しぶりですね。感じませんか? この魔力を。」
『ん~? お、おぉ? こ、これは……!』
「怠惰を司る『大罪』のあなたなら、この魔力をよく知ってるはずですよ。」
『知ってる知ってる、知ってるよ。まさか、復活したとでもいうの? 大魔王様!』
アケディアと呼ばれた姿なき声は、興奮したように叫んだ。その声には畏怖の感情も混ざっている。
『ふ~ん、そういう事だったんだ。ルクちゃんしか使えないはずの大罪魔法だったからね。でも、どうするつもり? 大罪魔法なら私の力で防げるけど、さすがに大魔王様の攻撃はムリだからね?』
「分かってますよ……何とかしますとも。」
そう話していたが、不意に空中から妙に響き渡る声が聞こえてきた。
「『さぁ、妾のこえが聞こえるであろう?』」
その言葉はミーナたちにも届く。
「クッ……影響下に無くても、これほどですか……!」
『さっすが大罪魔法だね~!』
アケディアの呑気そうな声が聞こえてくる。大魔王の放つ声にはむやみやたらな多幸感と万能感、そして謎の服従意識を促す何かがあったのだ。そして、再び大魔王の声が響く。
「『エルフどもは目を覚ますがよい。そして、それ以外のモンスター、魔物ども。喜ぶのじゃ、命令を与えてやろう。今すぐ……死ね。』」
大魔王がモンスターと魔物に自害を命じた。何も知らない者なら鼻で笑って終わるようなものだが、それすらも可能にしてしまうのがこの大罪魔法【色欲】である。魔法で正気を奪い相手を隷属する。まさに骨抜きにしてしまうのだ。
自害を命じられたモンスター、魔物は続々とその命令を履行していった。爪で自らの喉を掻き切るもの、舌を噛みちぎるもの、互いに噛み付きあうものもある。何の疑問も抱かず、幸せに満ち溢れた表情で死んでいった。そのどこか壊れた世界は、正気に戻ったエルフたちの目の前で広がっていった。それは多くのエルフの心に消えない傷を刻むのだった。
長い白銀の髪と漆黒の六枚翼を風にたなびかせ、大魔王はエルフの郷を見下ろしていた。自分の行った破壊の後を満足そうに見つめている。郷はいたるところがモンスター、魔物の流した血の跡で真っ赤に染まっていた。むせるような血の匂いも満ちている。
「さて、敵は根こそぎ殺したし、ここから妾の覇道が始まるわけじゃ。楽しみじゃのう♪ まずは……この郷の長を殺し、妾が長となろうかの。」
大魔王は周囲を見回した。一番強い魔力を探している。少しの間キョロキョロしていたようだが、すぐに何か見つけたのだろう。口元をニヤリとゆがめると、そちらの方向を凝視していた。
「クロエさん……」
『いや~久々に大魔王様の力を見たけど、やっぱ恐ろしいもんだね。殺して正解だったよ。』
「そうなんですか?」
『うん。あのままじゃ誰も幸せにならなかったしね~。私も面倒だったけど頑張ったもん。まぁ、その時の呪いが原因で私は死んだんだけどね! でもね、今日の大魔王様、私の記憶よりも少し違う気がするんだ。見た目とかじゃなくて、中身とか、力って意味でね。それがどうしてかはわからない。でもね、ミーナちゃん。いざと言うとき、躊躇ったらだめだからね? 人生の先輩としてのアドバイスだよ。じゃあね~。』
そう言い残すと声だけの存在だったアケディアは気配を消した。ミーナも傍に落ちていたマスクを拾い再び顔に装着する。
その時、気を失っていたサラが意識を取り戻した。
「う、うぅ……」
「――! お嬢様、気が付かれましたか!」
ミーナが急いでサラの下へと向かい抱き起した。完全に意識が戻ってはないのか、数回頭を振ったサラは少し焦点のあっていない瞳でミーナを見上げた。
「ミ、ミーナ……? クロエさんは……?」
「ご安心ください、お嬢様の機転によりクロエさんはご無事です。ただ……」
言いにくそうに口をつぐむミーナ。その様子にサラが疑問を覚えた。
「どうしたって言うんですの……?」
サラの言葉に悩むようなそぶりを見せるミーナ。だが、すぐに決断するとサラに今までの経緯を説明した。ただアケディアの部分は除いていたが。ミーナの説明にさすがにショックの色を隠せないのか、サラは目を伏せてしまっていた。
「……クロエさんが、あの伝説の大魔王……?」
「はい。おそらく間違いないでしょう。しかもその力は当時の物より変異しているようです。」
「そんな……」
脱力したように再びミーナにもたれ掛かかるサラ。だが、まるで何かの覚悟を決めたかのように力強く目を開けると、そのまま立ち上がろうとし始める。足にうまく力も入らず、まるで生まれたての小鹿の様相であった。ミーナが驚いてそれを押しとどめる。
「お、お嬢様! そんな無茶をなさってはなりません! 休んでいてください。」
「無茶は承知ですわ! 私はクロエさんを守ると決めたのです。ここで立ち上がらずして、何時(いつ)立つというのです!?」
サラの言葉に思わず彼女を助けてしまいそうになるミーナ。だが、傷はふさがったものの、その攻撃により穴の開いた服、そして服の周囲に染み付いたサラの血を見て再びミーナはサラを止めた。
「……なりません、お嬢様。 今のクロエさんは、もはや我々の知るクロエさんではありません。近づくのすら大変危険です。何より、お嬢様自身傷はふさがりましたが、流した血までは補えておりません。そのフラフラの状態で何をするというのですか!?」
「し、しかし……」
正論で諭されて二の句が継げなくなるサラ。だがそれでも立ち上がろうとする行動は止めない。もはや理屈ではないのだろう。お互いの主張が平行線をたどり交わらず、もはや事態の進展は望めない。しかし、そこにとある人物の声が届いたその時、時は動き出した。
「サラ、あなたの気持ちは分かりました。しかし、勇気と蛮勇の違いぐらいは知っておかねばなりませんよ。」
「だ、大長老!?」
いつの間に二人の傍に立っていたのか、そこにはこのエルフの郷の最高責任者である大長老、サーシャ・エルゼアリスが立っていた。郷の最高権力者、ひいては自身の母の登場にサラはたじろいだ。
「サラ、あなたに今必要なのはその蛮勇ではなく適度な休息です。しばらく休んでなさい。」
そういうとサーシャは手にした長杖の先端をサラに向けた。緑色の優しい光がサラに向かって放たれる。その光を浴びたサラは何とか抵抗しようとするものの、ほんの数秒で再び眠ってしまった。それをミーナが受け止める。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません。」
「いえ、私の娘の血の気の多さには困ったものです。あなたも自身の立場に遠慮してサラに手が出せず困っていたみたいですから。」
困ったような、しかしどこか嬉しそうな表情をして眠る娘を見るサーシャ。だが、そんな顔をしていたのも束の間。すぐに険しい顔になるとミーナに話しかける。
「さて、ミーナ。私もある程度把握はしているつもりですが、状況を整理しましょう。幸運にもかの敵は私たちを待ってくれるみたいですから。」
遥か空中、こちらを見下ろしている白銀の影を鋭く見つめながらサーシャはそう言った。ミーナはサーシャの発言の「敵」と言う単語に、もう戻れないことを悟り今までの状況を説明した。
説明が終わると、サーシャは自身の理解とすり合わせたのか、幾度か頷くと少し悲しげに口を開いた。
「そうですか……クロエさんが大魔王……嫌な予感ばかりが当たるものですね。ミーナ、サラを連れて避難なさい。ここは危険になります。」
「……かしこまりました。ご武運を。」
サーシャの力強い言葉に、ミーナも決意を固め返事をする。そしてサラを抱え上げると、急いでその場を後にした。
ミーナが見えなくなるのを確認すると、安心したようにサーシャは一息ついた。しかし、すぐに頭上を鋭い目線で見上げると、無言のうちに魔法を発動。空中へその身を躍らせると、すぐに大魔王とその高さを同じくした。
「クロエさん……いえ、大魔王、エリス・ジークリット・メフィストフェレス。まずは一つ感謝します。」
「ほう?」
サーシャの言葉が意外だったのか、片眉を上げて言葉を促す大魔王。
「この郷へ突然襲来したモンスター、魔物の群れを撃退したことを郷を代表してお礼申し上げます。いささかやりすぎな気もしますがね。」
「よいよい。あれはおそらく妾にも原因の一端がありそうじゃ。あやつらのような知能の低いものは、妾のような強者の出現に過敏じゃからの。殺されるぐらいならいっそ、とでも考えたのか、はたまた、ただ単に正気を失ったのじゃろう。」
「そう仰ってくださると私としても気が楽ですわ。しかし、一つ解せないのは、なぜあなたがいまだに戦闘態勢を解いていないか、と言う事なんですけども?」
サーシャの言葉に、待っていましたとばかりに口端をゆがめると、大魔王は両手を広げて大仰に語りだした。
「なに、知れたことよ。せっかく復活を遂げたのじゃ。以前に『大罪』どもと勇者一行の邪魔で成し遂げられなかった我が覇業を成すのじゃよ。さしあたり、まずはこの郷を占拠して世界征服の足掛かりにしようと思うての。貴様がこの郷の長で相違ないな?」
指をさしてサーシャに問いかける大魔王。その言葉にサーシャが返答をする。
「何を今更。下の会話をどうせ聞いていたのでしょう?」
「当たり前を当たり前とせず、言葉で確認することこそが知的な会話と言う物じゃ。エルフは森の賢者と聞いておったが、間違いだったかの?」
大魔王の挑発に、サーシャの笑みは一層濃いものとなった。だが、あからさまにその挑発に乗るような真似はしない。
「あなたのような存在に常識があるとは思いもしませんでしたから。それで、念のため聞きますが、このまま大人しくクロエさんに体を返し、再び封印されるつもりはありますか? ないようでしたら実力行使も辞さないつもりですが。」
「ククッ、抜かしおるわ。妾がそれを承諾するとでも? しかも実力行使だと? 貴様から感じる魔力は確かに大したものだ。だが、それでも精々魔王の側近と言った所だろう。そんな存在が、七大魔王『大罪』を統べし妾に敵うとでも?」
大魔王がそう言葉を返した。それはいかんともしがたい実力差の壁をサーシャに突きつけるものだった。大魔王の言葉は決して嘘ではない。実際にサーシャの実力は郷でも随一、間違いなくエルフにおける最高戦力である。しかし、それでも魔王には届かない。ましてやそのさらに上の大魔王に敵うわけはなかった。
だが、そんなことは他ならぬサーシャ自身よく知っていることだった。そして、サーシャもただ無策に勝負を挑むわけではない。
「それは、お互い様でしょう?」
「何じゃと?」
「今までの経緯や、今のあなたの魔力を見る限り、あなたも本来の実力を出し切れていないようではないですが?」
「……フン、抜かしおるではないか、耳長の引きこもりの分際が。ならば、試してみるかの?」
その言葉と同時に、おどろおどろしいまでの魔力を放出する大魔王エリス。それに対抗するかのようにサーシャも魔力を高ぶらせていく。その額には青筋のようなものも見えていた。
「我々エルフに対する侮辱の言葉、あとで後悔させてあげましょう。その身体、返してもらいますよ!」
最終決戦の幕が、今、開かれた。
―続く―
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