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第三章:蒸奇の国・ガンク・ダンプ

第61話

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 傾きかけた陽光が世界を茜色へ仄かに染める。乾燥した大気は細かな砂の粒子を巻き上げ、大きな砂嵐を起こす。静寂と騒乱が混在するこの砂漠世界に、土煙を上げ疾走する者があった。

「ルウさん! ヒフミさんのいるところまであとどれくらいなの!?」

 漆黒の翼をピンと張って飛ぶクロエが大きな声を上げてそう問いかけた。高速疾走する中、風の音で声が聞き取りづらいのだ。
 同じく背中に展開させたスラスターで高速疾走するルウガルーが同じように声を上げて返答を返す。

「もう少し行った先であります! 奴が通るルート、その中でも動きが制限される渓谷のルートが作戦場所であります!」

 同じように疾走する二人は砂漠の中を猛スピードで疾走している。すると、地平線の先、わずかに岩のようなものが顔を覗かせた。それを確認した二人はさらにその速度を上げる。
 すぐに岩の全貌が姿を現した。およそ百メートルに届こうかと言う岩山は、その中央がまるで削られたようになっている。

「ここからが谷の始まりであります! この先に最終迎撃ラインが設けられていて、そこを突破された場合にのみ、国に警報が鳴らされるはずでありました……!」

 ルウガルーが前方を睨みつけるように向きながら、そう言葉を発した。その表情はヒフミや他の隊員を案じるかのように、少し心配そうなものだった。
 それを見たクロエは、自身の中にある同じような不安の気持ちを払拭させるかのように、努めて明るい声で叫んだ。

「……大丈夫だよ! ヒフミさんはそう簡単にやられるような人じゃないから! ボクなんかより、ずっと強い人だから!」
「クロエ殿……かたじけないであります!」

 少しの減速も見せることなく、サラとミーナを乗せたルウガルーとクロエは谷間を疾走していく。クロエたちをまるで挟み込むかのようにそびえたつ岩山は、その高さを最初のころより高くしていた。

「ふむ……逸脱種フリンジがどれほどの大きさを誇るのか知りませんが、ここならばある程度動きを制限できるでしょうね。しかし、それならば何故……」
「どうしたんですの、ミーナ?」

 周囲の様子を観察していたらしいミーナがポソリと呟いた言葉にサラが反応した。サラの問いかけが聞こえたのか、ミーナは初めて気が付いたように顔を上げサラを見た。そしてそのまま言葉を続ける。

「あぁ……いえ、ふと気になった事がありまして。此度の作戦、ガンク・ダンプ国軍は念入りに練っておられたのでしょう。逃す穴などは私では思いつかないのです。それなのにこのような事態になってしまった……その原因とは一体何なのでしょう……?」

 思案気な面持ちでそう語るミーナ。彼女の言葉が聞こえていたのだろう、ミーナとサラを運ぶルウガルーが同じく不思議そうな、それでいて作戦が破られてしまい悔しそうな顔をする。
 同じように話を聞いていたサラがミーナと同じように思案気に俯いた。

「確かに……考えてみれば少し不思議ですわね。でも、実は私、もっと気にかかることがありますの。」
「気にかかること、ですか?」
「ええ。何と言うか、こう、言いようのない違和感と言うか……クロエさんとルウさんに対して……」

 サラの言葉を受けてミーナが問い返す。ミーナの言葉が少し言いよどみながら言葉を絞り出していた、その時。突如周辺に轟くような恐ろしい叫び声がこだました。

「――!! この声は……!?」
「……奴であります! クロエ殿、急ぎましょう!」
「うん!」

 クロエは翼を力強くはためかせ、ルウガルーはスラスターの出力を強め、それぞれが目的地を目指し最高速度で迫るのであった。










「クッ……まさか、ここまでだとは、な……」

 大地に膝をつき、長い黒髪を振り乱した軍服姿の若い女性が自身の前方を悔し気に睨んでいる。視線の先には大きくカーブを描く谷があり、そこには岩肌があるだけだ。体の各所に傷を負っているのだろうか、額からは血を流し右腕をかばうような仕草を見せている。

(部下の撤退は終わったのだろうか? 国に警報は伝わったのか? こんなピンチだと言うのに、小さい事ばかりが気にかかる……ははっ、笑いものだ。)

 力を振り絞るかのようにゆっくりとした動作で立ち上がるその女性は、左手に魔力を込めるとそこから純白の一振りの剣を作り出した。

(どうせ一度は終わった人生だ。こんなちゃちな得物で何ができるか分からないが――)

「――乃木一二三、いざ参る!」
「待ってヒフミさん!!」

 ヒフミが覚悟を完了させ、単騎突撃を仕掛けようとしていたまさにその時だった。不意に背後から自分の名を呼ぶ叫び声が聞こえた。その声に驚きで見開かれた目で背後を見ると、そこには遥か後方の国内で蒸奇装甲スチームアーマー戦技大会をしているはずの自身の部下と、可愛らしい姿になってしまった昔なじみの姿があった。

「お、お前たち!? な、何をしているんだ! なんでここに……!?」
「何でもへったくれもないよ。友達がピンチなんだ、助けに行くのは当然でしょ。」
「隊長……命令違反であることは重々承知しているであります。しかし、自分には隊長を見捨てることなど、とてもではないですが出来ませんッ!! 戦わせてください、お願いします!!」

 クロエとルウガルーの言葉。思わず呆気にとられるヒフミであったが、フッと口元を緩めると気恥ずかし気に髪を撫でつけた。

「まったく……とんだ友人と部下を持ったものだ。こんな局面だ、今更帰さないぞ?」
「望むところだよ。」
「同じく、であります!」

 二人の返事に嬉しそうに頷くヒフミ。そこへ少々置き去りにされた感のあるサラとミーナが近づいてきた。

「お二人も私などの為に来てくださるとは……国を守る軍人でありながら旅のお方に救われる始末、忝(かたじけな)い。」
「いえいえ、私の力など本当に微力な物です。しかし、クロエさんの大切な方の危機とあらば、我々がご助力するのに理由はいりません。」
「ミーナの言う通りですわ。これでも一応あなたより年上ですの。ここはお姉さんに任せてください。」

 サラのその言動に、一同の顔に笑みが宿る。リラックスした雰囲気が適度に心を休ませた。
 だが、突如その場に恐ろしい鳴き声が轟く。

「い、今のは……?」
「来るぞ……奴だ!」

 ヒフミの叫びと共に前方のカーブの先、そこから巨大な影が姿を現した。
 それは、とにかく大きかった。カーブの先から見えたそれの鼻先は、それの身体のほんの一部だろう。だと言うのに、それだけで恐ろしい程の大きさであった。続いて現れる頭は、それだけで民家を優に超える大きさである。
 リントブルム逸脱種フリンジ、グラン・ガラドヴルム。魔力を持たないドラゴン種、「地竜レッサードラゴン」の中でも最下種のリントブルムでありながら、規格外の巨体を誇る逸脱種フリンジ。その山の様相を誇る巨体は、もはや自然の神秘などと言う言葉では説明がつかないほどであろう。
 その生態故に機能を失った両の瞳は、もはや閉じられ分厚い甲殻に覆われている。だが、自らへ向けられる極小の敵意を敏感に感じ取ったのか、壁にその鼻先が突き当たる寸前に頭の向きを変えクロエたちの方へと振り向いた。

「こ、これが……逸脱種フリンジ……ですの……!?」
「よもや、これほどの大きさとは……」

 サラとミーナが放心したように呟く。ルウガルーに至ってはもはや驚きで声が出ないようだ。唯一、クロエとヒフミがその脅威を間近に感じ取る。

「来るぞ……奴を国へ近づけるな!!」

 ヒフミの鬨の声が響き渡る。それに反応してなのか、グラン・ガラドヴルムもその巨体を持ち上げ高らかに天へ向かって吠えた。
 今、規格外が動き出した。
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