白銀が征く異世界冒険記―旧友を探す旅はトラブルまみれ!?―

埋群のどか

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第四章:犠牲の国・ポルタ

第102話

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 突然の事に、その場にいた誰もが事態を把握しかねていた。しかし時は理解を待つほど寛容ではない。無慈悲にもその針を進めていく。
 突如として老騎士ロバートは、装備していた鎧ごと真っ黒な何かに腹部を貫かれた。その貫くものをたどっていくと、そこにあったのは静かな笑みを浮かべた司祭の姿があった。司祭が軽く持ち上げた左手、その肘から先が真っ黒な節くれ立った何かに変容していたのである。ロバートに突き刺さっていたのは司祭の変容した人差し指だった。
 司祭はゆっくりと左手を引いた。金属が擦れる音、肉がかき混ぜられる音、そしてロバートのうめき声。様々な音が混ざる中、司祭の変容した左手の人差し指が引き抜かれた。ロバートは重苦しい金属音をたてて崩れ落ちた。

「ロバート様!」

 ミーナが声を上げた。しかし動くことは出来ない。司祭の様子が不審な以上何が起きるか分からないのだ。
 ロバートはうめき声を漏らしながらも、鎧の装飾の中から通信機を取り出した。そしてあらん限りの声で叫ぶ。

「こ、こちら堂内警備部長ロバート! 大聖堂一階、大講堂にて……ゴホッ! き、緊急事態発生! 第一級緊急事態宣言を発令する!!」

 その通信と同時に、大講堂がまるで深海の底に突き落とされたかのような閉塞感に包まれた。一見すると何も起きてはいない。しかし、魔力に素養のあるサラたち三人には理解ができた。

「な、何ですのこの結界障壁は……!?」

 動揺に包まれる三人であったが、ロバートの前に立つ司祭は一切の動きを見せなかった。ただ、見開かれた両目と三日月の如く吊り上がった口からは止めどなく赤黒い何かが溢れている。よもや血ではないだろう。もし血であるならば人はすぐに失血死を引き起こすほどの量である。
 そして司祭の足元に大きな水たまりを作っていたその謎の液体は、突如として立ち上がり司祭の全身を覆った。そしてまるで中の司祭を咀嚼するかのように、ぐちゃぐちゃと不快な音をたてて蠢いている。

「な、何あれ……?」
「分かりません。しかし、相手が何であるか分からない以上手出しは厳禁です。」

 クロエの疑問に、ミーナはただ静観を指示するしかなかった。それ以上の事は伝えられない。
 三人の目の前の司祭だった物の動きが止まった。一度球状になったかと思うと、次の瞬間、それは人のような形を取った。
 それはまるで泥人形のようだった。目も鼻も口も耳もない。デッサン用の球体人形の方がよほど表情豊かだろう。のっぺりとした無感情の顔面が、大講堂の扉を凝視している。
 それが突然走り出した。しかしその過程は分からない。少し体を傾けたかと思ったら、次の瞬間には大講堂の扉の前にいた。恐るべき速さである。そしてその謎の存在は大講堂の扉に触れた。
 しかしその手は見えない壁のような物に弾かれてしまった。電気のような、バチッと言う大きな音をたてて。謎の存在は弾かれた手をじっと見つめて微動だにしない。

「ぐ……! ガハッ!」

 ロバートが苦し気な息を吐いた。クロエたち三人はその声で正気に戻ったかのようにロバートの方へ顔を向け、そしてロバートの下へ駆け寄った。

「ロバートさん! 大丈夫ですか!?」

 クロエが心配そうな様子で声をかけた。ミーナがロバートを仰向けに寝かせ、鎧の前を開き傷を確認する。

「ミーナ、どうですの?」

 サラの質問に、しかしてミーナは答えなかった。ただ厳しい顔で傷を見るだけである。するとおもむろにロバートが、冷汗だらけの顔で微笑んで口を開いた。

「自分でも、分かる……ワシは、もうダメじゃ……。もはや、力が入らんのじゃよ。視界も、おぼろげじゃ……。」
「ロバート様、あれは何ですか? 控えめに見ても人類種《ヒューマー》には見えませんが。」

 ミーナの問いかけに、ロバートは呼吸を整えながら答える。

「あれは、『咎人』じゃ……。司祭様は、『咎落』されてしまわれた……らしい。」

 ロバートの言葉にミーナの顔が驚愕に満たされた。一方のサラとクロエは何が何だか分からない。
 ロバートがひときわ大きく咳をした。蓄えられた白いひげは、もはや血で真っ赤だ。最後の時はすぐそこなのだろう。

「……嬢ちゃん、クロエと……言ったかのぅ?」
「はい。」
「本当に、済まなかった……怖い思いを、させてしまった。ワシごときの命で、償えるかはわからんが……どうか他の、聖騎士は許してやって欲しい。」

 クロエはロバートの手を取った。籠手を外されたその手は、しわだらけでありながらも長い時を経た立派な手だった。

「怒ってなんかいません。これでもボクは、強い子ですから。」
「ハハッ、そうか。孫にも、見習わせてやらんとなぁ……。お二方、巻き込んでしまい、申し訳ない。どうか司祭様を、頼みます。楽にして、やってくだされ……」

 ロバートを覗き込む二人は無言で頷いた。それを見たロバートは満足そうに頷くと両目を閉じた。そして、その瞳が再び開かれることはなかった。
 ミーナは動かなくなったロバートを抱え上げると、大講堂の隅のベンチに横たえた。そして三人は入口の方へ目を向ける。
 先ほどから微動だにせず自分の左手を凝視し続ける司祭だったものは、無視し得ない存在感を大講堂に満たしている。明らかに隙だらけなのに、攻撃する隙が見つからない。できる事ならば見なかったことにして逃げ出してしまいたい。そんな様な、認めることを認識することを、存在すらも認めたくないような忌まわしさを感じるのだ。

「それで、ミーナ。先ほどロバートさんが仰っていた『咎落』と『咎人』とは、何のことですの?」

 サラが森林の旋風ボワ・トゥルビヨンを無響状態で展開しながら問いかけた。矢こそ番《つが》えていないものの、すぐにでも攻撃は出来る体勢を取る。
 ミーナはサラ達の方を見ず、その黒い物から視線を外さぬままに答えた。

「『咎落』とは、信心深い者が深い絶望により信仰を失い、信じた神を怨嗟した時に稀に起こると言われている現象です。そして、咎落した者を『咎人』と呼びます。彼らに理性はありません。ただその身を蝕む絶望のままに破壊の限りを尽くす。郷の古文書にはそう記されていました。……私も見るのは初めてです。」

 ミーナの頬を一筋の汗が流れ落ちた。その表情はガンク・ダンプで倒した逸脱種《フリンジ》でも見せなかったような焦りが見える。
 しかしサラはいまいちその恐ろしさが分からないようだ。無理はない。目の前の存在からは冒涜的な見た目に反し、魔力のような物は感じられないのだ。サラはとりあえずと言った様子で弓を構えると、魔力を込めて矢を作り出した。

「まずは様子見ですわ。行け、【風の矢ウィンドアロー】!」

 放たれた魔力の風は真っ直ぐに咎人に向かっていった。隔てるものはない。あまりに無防備な咎人の様子、【風の矢ウィンドアロー】は咎人の頭へ命中するかと思われた。

「――は?」

 サラが拍子抜けしたような声を上げた。しかしそれも無理はないだろう。まっすぐに飛び、そしてそのまま命中するかと思われた。しかし咎人の頭に命中した【風の矢ウィンドアロー】は、まるで初めから存在していなかったかのように消えてしまったのだ。
 今まで微動だにしなかった咎人が、ゆっくりと振り向いた。のっぺりとしたのっぺらぼうの顔、その顔が横一直線に裂けたのだ。何とも不気味なその光景、その姿。サラとクロエは驚きに声も出なかった。

(あの姿、どこかで見覚えが……? いや、それよりも!)

「お嬢様、クロエさん! お気を付けください。あれはどうやら魔法タイプのようです。」
「ま、魔法タイプ?」
「はい。詳しくは省きますが、あれには基本魔法が効きません。物理攻撃か、もしくは光属性の魔法ならば効くはずです。」
「そ、そんな! では先ほどの私の【風の矢ウィンドアロー】は……」
「無効化されたのでしょう。あと、クロエさん。クロエさんの魔法は全般的にお控えください。魔法タイプの咎人は闇属性の魔法を吸収しますから。こちらを。」

 ミーナは【パンドラ】から長めのナイフを取り出した。それをクロエへと手渡す。そして再度【パンドラ】へ手を入れると、今度は矢の入った矢筒を取り出した。

「お嬢様、貧相な物で申し訳ありませんがこれを。」
「いえ、ないよりはマシですわ。ミーナ、あなた光属性の魔法は使えませんの?」

 サラが駄目で元々といった様子で尋ねた。ミーナは苦笑で首を振る。

「私がダークエルフでなければ違ったのでしょうけどね。残念です。」
「冗談ですわよ。」
「とりあえず、倒そうとはせずにエリー様を待ちましょう。あの方の光十字《リュミエール》ならばあれに致命傷を与えられます。」
「情けない話だけどね。でも、それしかできないか……。」

 クロエが苦々し気な笑顔を浮かべた。自分の魔法が役に立たない。それがこうまで歯がゆいものだとは思いもしなかったのである。
 咎人がパックリと口を開けたまま完全にこちらを向いた。目の無いはずのその顔だが、不思議とクロエたち三人を凝視しているかのようである。
 そして、戦いが始まった。



 ―続く―
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