幸福の星

有村朔

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ランタンの中の明かりが揺れる。私の今の心のように。

「その後の彼の、人生の話…」

自分が今までこうして生きてきたように、彼には彼の人生があって、それは至極当然のことのはずなのに、なんだか言葉にすると不思議な感じがしてならなかった。

あの日、あの時、ほんの少しだけ交錯した星をも越えた関係は、ともすると奇跡のような出来事で、まるでリアルな夢でも見ていたような、そんな気分になっていたのだ。

だからこそ、その先の現実がお互いに続いていたということがどうにも実感として沸かなかった。
私はもう一度紙面に視線を落とす。

『君がいなくなって、僕は星を眺めることが以前よりも格段に多くなった。
あの点在する星のどこかで君もまた星空を見上げていて、僕らは夜の間だけ通じているのかもしれない。
そう思ったからだ。

それはとても素敵な考えだと思ったし、そうすることで不安や孤独を感じた夜も何度となく乗り越えることができた。
君はどうだろう。
僕と同じように考えてくれたことはあっただろうか。

僕は大人になるにつれ、宇宙への関心を深めていった。
宇宙のこと、他の惑星のこと、そうした事象を学んでいけば、いつかは君にたどり着けるような気がしていた。

ただ君を待つんじゃなくて、僕の方から会いに行くことだって、いつかはできるかもしれない。
そう思うとワクワクした。
僕は君のことを想いながら研究に専念した。
いつかを夢見て。

そうしている間にも、僕のまわりではいくつか変化が起きた。
それは社会情勢の変化だったり、疫病の蔓延だったり、遠い国での争いであったり、色々なことがぐるぐると目まぐるしく、絶え間なく、起きては消えて起きては消えて、そうしてずっと繰り返していた。
僕はすっかり人間社会のあれこれに嫌気がさして、ついには君との思い出の眠るこの森に住まいを構えることにした。

僕はすっかり歳をとっていたし、その頃にはもうまわりの人間も僕のことを偏屈なご老人としか見ていなかったから、そうすることにはなんの抵抗もなかった。

そうさ、まだ幼かったあの僕が、今ではすっかりシルバーグレーの髪をしたおじいちゃんになっているだなんて、君に想像できるかい?

君は僕の中で、あの頃のままの可憐な少女の姿をしているのだけれど、今ではどんなに美しく成長を遂げたことだろう。

僕の今の姿を見せることは、あるいは幻滅させてしまうかもしれないが、僕自身はやはり、今の君に会いたいといまだに思ってしまうんだ。

…いけない、また話が脱線してしまった。

僕はね、長い研究の中でいくつか考えたことがあったんだ。

ひとつは、研究をする中で思い知ったことだけど、おそらく僕は君のもとへは行けないということ。

この惑星のたった一人の人間が名前も知らない君の惑星にたどり着くには、僕らの寿命はあまりにも短すぎた。

おまけに僕らは思った以上に馬鹿で愚かときたものだ。
これでは到底君のもとへは辿り着けそうもない。
研究に没頭すればするほど、君までの距離の果てなさを僕は痛感することになった。

幼い頃は君へと通じているように感じていたあの星空でさえも、今はどうしようもなく遠いもののように思えて、堪らない気持ちになることもある。

そんなときは目を閉じて、君の手の感触や、キスしたときに感じた涙の塩辛さ、吸い込まれそうな君の瞳なんかをひとつひとつ思い出し、そっと気持ちを慰めていた。

そうすることで僕はいくらか安堵して、立ち直ることができた。
弱くて脆い僕は君に何度も支えられ、なんとかこうして生きてきたというわけだ。

遠く離れた君にも、僕と同じようにたまらなく悲しくなるような、そういう夜はあったのだろうか。
そんなことを考えるうち、僕はふと別れ際の君の涙のことを思い出した。
君があの日に見せた涙の意味を考えるようになっていた。

たとえばこれは僕の仮説でしかないのだけど、君にはもしかして、僕に訪れるはずの未来か何かが見えていたんじゃないだろうか。
最近はそう思うようになった。

それがとても恐ろしかったり、悲しかったり、あとはそう、僕自身が消えてなくなってしまう類のものだったとしたら、あの日の君のあの表情も、いくらか納得がいくと思った。

見えることと変えられることは違う。
未来が見えるというのは多分、何かの本を読んでいて、つい途中を読み飛ばして、先に結末を知ってしまうような、そういう感覚なんじゃないかと思う。

結末を知ってしまって、それがとても悲しい結末で、本を閉じてしまいたくなったり、内容を書き換えてしまいたくなったりするのだけど、一度知ってしまったら、知らなかった頃には戻れないんだ。

僕らは作者じゃないから、いくら望んだとしても、はじめから終わりに向かって流れていく物語を止めることも変えることも出来ない。

僕らに許されることといえば、ただその結末を受け入れて、考え方を変えていくことぐらいさ。
これは仮説であって、真実は君と話さない限りわからない。
けれど、もしも僕の考えていることが正しかったとしたら、今これを読んでいる君に、僕はとても残酷な仕打ちをしてしまったように思う。

きっと苦しめてしまっただろう。
君はもしかしたら僕に訪れるはずの未来を変えるためだけに、ここをまた訪れてくれるかもしれない。

だけど僕にはもう、あまり時間がない。君がたどり着くまでに、僕の命はもたないかもしれない。

そうしたら君はこの星で、ひとりぼっちになってしまう。
僕は君のもとにはいられないかもしれない。
だけど、君を孤独にすることだけは嫌だった。

今から伝えることは、気休めにしかならないかもしれない。だけど、さっきも書いただろう?

結末を変えることは出来なくても、僕ら自身の考え方を変えることくらいはできるんだ。
だから僕はそういう意味で、君を救いたいと思う。

それじゃ、いいかい?

今が夜で、晴れているのならば、この小屋を出て、空を見上げてほしい。
昔ふたりでそうしたように、大地に寝転んで、僕が隣にいることを想像しながら』

私は書いてある通りにしようと思った。幸い今は好天で、沢山の星が夜空を埋め尽くしている。

手紙を読めるようにランタンを手に持ち、私は小屋の外に出た。
外気は先程よりも少しばかりひんやりとしている。
鼻からすうと外気を吸い込むと土と草の匂いがした。

私はあの夜と同じように大地に寝転び、空を見上げた。
上へ上へと伸びる木々の影がフレームのようになって、まるでひとつの絵画のように、満点の星空がきらきらと輝いて私の目に飛び込んできた。

(そうだ、あの日もこうして彼と二人で空を見上げていたんだ。手をつないで)

彼は私よりも随分と体温が高くて、その手はとても優しく、温かかった。

ひとつ彼のことを思い出す度に、私の中の不安な気持ちがひとつずつ溶け出していく。
それは今まで感じたことのないほど、優しく穏やかな悲しみだった。

私はしばらくそのままの状態で目を閉じて、彼との記憶をなぞっていた。
手紙に書かれた内容を思い返し、自分の中の記憶を手繰り、過去の中に身を委ねた。

こんなこと、母星にいた時には考えたこともなかった。
過去は過去だ。
過ぎていった事実の残像でしかない。
ずっとそう思っていたのに。

過去を愛しいと思うことも、過去に立ち返りたいと思うことも、彼と出会ってはじめて知った、未知の感情にほかならない。

(彼と出会ってから私、頭のネジがどこか外れてしまったみたい)

困惑する自分ですらも何故か愛おしく感じられて、おかしくなって、小さく笑った。
私はようやく目を開けて、ランタンを近くに引き寄せ、横になったまま手紙の続きを読んだ。

『僕らが見ている星あかりっていうのは、実はもう星そのものはそこにはいなくて、その星の残光にすぎないんだって。
なんだか不思議だよね。
だって僕らの今に、その星の光は確実に存在しているんだから。

そこにいるはずなのに、いないもの。
僕らはそれを見て、それを綺麗だねって言って、笑うんだ。
僕はその話を初めて聞いた時、悲しいなとも思ったけど、それ以上に救われる話だなと思った。

だってそうだろう?
自分という存在が消えてなくなったとしても、残った光は誰かを照らし、誰かの心を癒やすのかもしれない。

それはとても幸福なことのように思うんだ。
そしてそれは人も同じなんだと、僕は思う。

もうひとつ、これは僕の祖母から聞いた話。
僕の住んでいた地域とはまた別の、遠い異国の昔話らしいのだけど、そこには古くから幸福の星って言われる星の言い伝えがあるんだって。

その昔、まだ人々が航海をしていた頃、船乗りたちは夜空に浮かぶ星を道しるべにして航路を進めていたんだって。
広くて暗い夜の海で、信じられるものなんて本当にわずかさ。
そんな海の上でひときわ輝くその星は、とある島の真上にずっと位置し続けていて、人々はその星を目印に、島を訪れたんだって。

そうして語り継がれる中で、いつしかその星には『幸福の星』って名前がついたらしい。

僕の人生は総じてあまり明るいものではなかったし、平坦なものではなかったけれど、僕にとっての幸福の星はおそらく君の存在で、どんなに思い悩んだとしても、僕が僕で居続けられたのは、きっと君が遠い記憶の彼方から僕のことを照らし続け、そばに寄り添ってくれていたからなんだと思う。

君にとって、僕がどれほどの存在であるかは正直わからない。
自信だってない。

それでももし、君が僕の存在を今でも必要としてくれているのなら、僕はたとえこの身が滅びようとも、星になって、君を照らし続けるよ。

君が今さっき見上げた幾千もの星の、どれかたった一つが、実は僕の今の姿なのかもしれない。
そう考えるとちょっとだけ、楽しく思えてくるだろう?

君が迷った時には、僕はより強く輝いて、君の道しるべになろう。
君が泣きたい時には、優しく光って癒やしてあげよう。

そうして僕は君のそばに寄り添って、君とともに在りたいと思う。
今度こそ、君のそばで生きたいと思う。

どうだろう、少しはいい考えだと思ったんだけど、君は気に入ってくれたかな?』
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