Under the Rose ~薔薇の下には秘密の恋~

花波橘果(はななみきっか)

文字の大きさ
56 / 118

【12】-2

しおりを挟む
 上沢の家に戻ると、スケッチブックを手にして庭に出た。
 
 急ぎの仕事はだいたい片付いている。
 青いベンチに腰を下ろして、春の気配を含んだ日差しに薄く目を細める。芽吹く前の葉のない枝の間から、生まれたばかりの光がさらさらと零れ落ちていた。

 目を閉じれば銀色の光を放って咲き誇る淡い色の花が浮かんだ。

(恋……)

 唇に指を当てると、何度も教えられた甘い感触がよみがえる。

 清正のキス。

 しっとりと触れて、慄くように離れていった十五歳の夢の記憶。指の下に残る確かな感触が、それと重なる。

 薔薇の下。
 そこには小さな棘に包まれた記憶があった。罪に似たその棘で、長い間封じられてきた扉の鍵を、ゆっくりと開く。

 ――あれは、夢ではなかったのかもしれない……。

 降るように咲くアンジェラの下の短い口づけ。

 鼻の奥がつんと痛んで、瞬きすると涙が零れた。スケッチブックの表紙の上にポトリと一つ、丸い染みが広がった。

「清正……」

 ふいに、松井に改変された照明器具の鋭い角が頭に浮かんだ。もし、また……、と思うと顔が歪む。
 また、あんなふうに壊されたら。
 考えるそばから、心が凍り付いた。

 あんなふうに殺されるために、光はあれを生み出したのではない。
 硝子で作られた重い照明器具を思い浮かべる度、今も悔しさがよみがえる。忘れることなどできない。熾火のようなこの怒りは、おそらく一生消えないだろう。

 あれ以来、仕事に向き合う時は努めてこの黒い火を忘れるようにしてきた。
 また壊されるかもしれないという恐怖は、まわりが思う以上にモノを作る人間の心を蝕む。
 その恐怖と闘い、あるいは慎重に目を逸らしながら、デザインに集中するよう努めてきた。

 光はプロだ。
 何があってもデザインを生み出さなければならない。

 今度も……。

 胸に手を当てて目を閉じた。ここにあるものを壊されたら、光は死んでしまうだろう。
 きっと、生きられない。

 生きられない。

 怖い、と思った。
 同時に「恐れるな」と自分を奮い立たせる声が、同じ場所から聞こえてきた。

 一番柔らかく、傷つきやすい場所にあるもの。
 それを、捉えなければならない時が来た。

 光が知る、この世で一番美しいものを。

「清正……」


 ――おまえが、好きだ。


 Under the Rose――。
 薔薇の下には秘密が隠されている。

 胸の奥深く、閉ざされていた秘密の扉が、今、開き始める。
 決して名前を付けてはいけないと戒め、恐れ、隠し、ないものとして扱ってきた想いが、明るい日差しの下に姿を現す。

 胸の痛み。
 咲き誇るアンジェラ。
 やわらかな風を受けて、踊りながら零れ落ちる銀色の光と淡いピンクの花びら。

 その想いに、光は名前を付けた。

 「恋」と……。

 スケッチブックを開いて一本の線を引く。
 後はただ、心のままに鉛筆を走らせた。

 締め切りが近づいている。残り一ヶ月足らずでデザインを起こし、いくつかの試作品を作り、プレゼンボードを作成しなければならない。

 頭の中にはすでに形があった。鉛筆を動かしながら、制作に必要な材料と試作を頼める職人のリストを思い浮かべ、スケジュールを組んでいく。

 恐れは、常に胸の奥で牙をむく。
 モノを創るためには、自分の一部を切り取って差し出さなければならない。
 血を捧げねばならない。

 商品としての作品を創ることは子どもを育てることとも似ている。やがて自分の手を離れ、世の中に送り出されることを前提に、手放すために育てる。
 自分の手の中にあるにもかかわらず、それは自分のものですらない。

 それでいて、傷つけられれば、自分が傷を受ける以上に深い痛みを覚える。

 白い紙の上に形が浮かび上がる。
 ここにあるのは光の一部ではなく、光の全てだと思った。
 身体の中心に通る一本の芯。

 光の魂そのもの。

 これを壊された時、光は本当に死んでしまうだろう。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? 騎士×妖精

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

処理中です...