可憐な従僕と美しき伯爵

南方まいこ

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11.決戦の日

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 ティムは気分がスッキリしないまま起床した。
 母と挨拶を交わし、湯浴みをするように言われ、しぶしぶ湯に浸かる。昨夜はあまり眠れなかったこともあり、生温い湯に浸かっていると、何だか気持ちが良くて目を瞑ってしまいそうになる。

 ――今日で令嬢は終わりか……。

 急に寂しい気分になるが、偽りの自分を演じているのも、そろそろ限界だった。
 とにかく息が詰まる毎日で、気が休まらない。足を開いてはいけないだとか、食事も小さな口で少しずつ、挙句の果ては爪先歩きだ。
 何だかんだ言って爪先歩きをマスターし、母も顔負けの美脚を手に入れつつある。湯船からチロリと自身の片足を上げ、うっとり見つめながら足を撫でている自分に、はたとなった。

 ――何を馬鹿なことしてるんだ……。

 湯浴みを終わらせ体拭き、ガウンを羽織り、つけ毛を被ると母を呼んだ。
 
「さぁ、準備に取り掛かるわよ」
「え、準備って、夜会は夜じゃないの? 今から準備するの?」
「……ティム、いいえ、ティナ!」

 今は二人きりなので言い直さなくても良かったのに、母はキリっと口元を引き締めると、夜会についての話を始める。

「普通なら十人を超える使用人を携え、夜会へという戦場へおもむくために、準備するのよ、けれど貴方には私だけしかいない、それがとういうことか分かる?」

 まったく分かりません。と即答すれば、夜会に関する話を懇々こんこんと説明され、眠気で倒れそうになる。このままでは永遠と母の演説が続きそうだと手を上げて制止した。

「母上、時間が勿体ないから、さっさと支度しようよ」
「もう、これからが肝心な話だったのに……」

 あんなに流暢に、ドレスや、髪飾りや、宝石の話していたのに、まだ確信に触れてなかったのか……、とティムはゾッとしながら、母にウエストを締め上げられ「ぐべぇぇ」と牛が轢き殺されたかのような声を絞り出した。
 それにしても、本当に令嬢は大変なのだと感じる。今まで気にもして無かったが、我が家の茶会に呼ばれて来た令嬢や、その母親達の苦労を知り、ああ、もっと褒めたりしてあげれば良かったのかも……、と今更ながらに、自分の今までの態度を改めた。

「その首飾りは?」
「昨日、イゼル執事が届けてくれたのよ」
「へぇ、綺麗だね……」
「ゴールドサファイアよ、とても貴重な宝石なのよ」

 ふふふ、と母は笑みを浮かべながら、その首飾りをティムに付けてくれた。自分の胸元で輝く宝石を見つめていると母が「はあ」と残念そうに息を吐く。

「首の詰まったドレスじゃ無ければ、もっと美しく映えるのに……」
「しょうがないよ、夜会が終わったら母上にあげるね」
「まっ! この子ったら何てこと言うの!」

 信じられない、と目を見開き母がティムを見るが、令嬢生活が終われば首飾りなんて付ける機会なんて来ないし、それこそ売ってしまってもいいような気もするが、流石にそれはちょっと気が引ける。

 ――せっかくのプレゼントだし……。

 意図はどうであれ、貰った物を返すのは失礼だ。自分の首にぶら下がっている首飾りにそっと触れながら、何故か気分が晴れないわね……、と令嬢らしく鬱気に吐息を零せば、母から「令嬢が板について来たわね」と褒められる。
 ふと昨日の五角関係が気になり、ティムは今まで思っていた疑問を口に出した。

「母上はどうして父上と結婚したの?」
「あら、……あなたもそんなことが気になる年頃になったのね……」

 ほぅ、と母が溜息を零した。

「年頃と言うよりは、誰もが思う疑問に今更気が付いたと言うか、だって俺から見ても母上は美しいと思うし、何で父のような熊みたいな男と……って」

 その発言を聞き、母はくすくす笑う。

「その熊さんが良かったのよ?」
「えぇぇ? 趣味悪い……」
「あの人って不器用でしょう? それに一人じゃ何も出来ない人だし……」

 実際には、その性格のせいで色々な人に騙されているのですよ、その熊さんは……、とティムは心の中で母をそっと憐れむ。

「幸せなんて人によって違うのよ? 貴方だって……伯爵と……、ふふふっ」
「え、何その笑い」
「いいの、いいの……」

 貴方は気が付かないのね、意味深な言葉を言われたが、母はたまに変なことを言い出すので気にしないことにした。
 ようやく今日で令嬢役は終わると思うと、何だか寂しい気もするが、その後ヴェルシュタム伯爵家で働くことになっているし、今まで通りジェイクにも会えるから、特に問題も無い。

 ――ん? 会えるから問題ない?

 ん? んん? と何度も自分の中の疑問に疑問を持った。
 母の持つ化粧筆がピタリと止まると、「ティム、顎を上げなさい」と言われて、首をくっと上げれば、母が首のぎりぎりの部分に化粧を施す。

「ねえ、そんな場所誰も見な……っ」
「ティナ! 女は隙を見せてはいけないのよ!」

 母が目を吊り上げながら、首筋をパサパサと化粧ブラシで叩く「俺、一度だって、そんな部分見つめたことない」とティムが口をへの字に曲げれば、母のお説教が輪をかけて煩くなる。
 どうでもいい化粧に関しての説明を受けながら、なんとか夜会への支度を終えれば、既にジェイクが迎えに来る時刻を迎えていた。

「もう……、完璧……、こんなに美しい娘を持てて幸せだわ……」

 涙ぐむ母に一言、息子だよと言いたいが、こんなにも頑張ってくれたので、ティムは仕方なくコクンと頷き微笑んだ。
 子供の頃は母を守れる立派な男となると宣言し、嬉し涙を見せていた母だったが、今や女装をして令嬢のように着飾る息子の姿に涙ぐんでいる。

 ――まあ、喜んでいるならいいか……

 そっと母の手に触れ、ティムは改めて「ありがとう」と御礼を伝えた。
 
「あら、嫌だ……、このまま、お嫁に行ってしまう見たい……」
「……それはないから安心して」
「少しは娘をお嫁にやる母の気分を味合わせて欲しいわ」

 ちょっぴり残念そうに言われるが、すぐに気を取り直した母は、ティムのドレスの裾を整え終えると。

「そろそろ、お迎えが来る時間ね、エントランスへ向かいましょう」
「はい」

 ドレスの裾を持ち上げ、ティムはエントランスへと向かう。普段よりも重たいドレスに悪戦苦闘しながらも、母の教え通り優雅に可憐にエントラスへ辿り着けば、丁度イゼルが玄関の扉を開けて入って来た。
 その途端、ピーンと張りつめた空気が漂い、ナイト用の正装を着こなしたジェイクが屋敷内へと入って来る。着飾ったジェイクの姿は、まるで動く肖像画を見ているようだった。

「ティナ……」

 広いエントランスに彼の声だけが自分の耳に届いた。
 そしてジェイクの熱く強い眼差しに、ティムは不思議な高揚感に包まれた。後ろにいる母に「慌てず、ゆっくりと彼の手を取るのよ」と言われ、ゆっくりと彼に近付き、片手を差し出せば、ジェイクが優雅にティムの手を取った。 

「ジェイク様、本日は宜しくお願い致します」
「今日は一段と美しいですね、こんな素敵な婚約者を持てて私は幸せです」
「光栄です……」

 恥じらい気味にティムが返事をすれば、ジェイクの背後にいるイゼルも、今日ばかりは微笑んでいた。
 とにかく、今日を乗り切り、令嬢を脱皮して早く従僕へと転職をしなくては、と目力を入れていると「さあ、行きましょう」とジェイクにエスコートされる。
 馬車へと乗り込む際、見送りをするイゼルの姿を見て、あれ? と思う。

 ――うーん、何か忘れてる気が……。

 そう、ゼルの顔を見ると、モヤっとする。けれどそれが何なのか分からず、全然思い出せないわ……、と令嬢らしく頬に手を当てコテンと首を傾げた。

「ティナ、なにか悩みごとですか?」
「え、ええ、実はイゼル執事に何か伝えなくてはいけないことがあった気がするのです」
「イゼルにですか?」
「ええ、何だったかしら……」

 馬車に揺られ、しばらく考えたが、やっぱり思い出せず「はあ……」と溜息が出る。
 ジェイクに「思い出せないなら重要なことではないのでしょう」と言われ、ティムも思い出せないなら大したことでは無いのかも? なんて思ったりする。
 どちらしても、今は夜会に集中すべきだと気を引き締めた。
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