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23.劇場
しおりを挟む屋敷を出て馬車に乗り込むと劇場へ向かった。
ジェイクと二人きりの空間は慣れているものの、少し前までは居心地はいい物では無かったのに、自分の気持ちがはっきりと分かったからなのか、もっと一緒に居たいと思っていることに我ながら吃驚する。
ただ、それに関しては、今回の件が終わったら彼に素性を明かす気でいるし、二度と会うことはないという気持ちが、そう思わせているのかも知れないと思う。
「ところで、ティナはイゼルと仲が良いのですね」
不意にイゼルの話をされて、は? となる。
「屋敷を出る時、何か楽しそうに二人で話を……」
「あ、あれは、違いますよ? 旦那様のために塗り薬をっ――?」
ティムが弁解をしているとジェイクが、ずん、と頭を下げてしまった。
「あのぅ……? ジェイク様?」
「もう一度聞きたいのですが……」
「はい?」
「もう一度、私を『旦那様』……と」
よく分からない要望に「旦那様?」と声を掛けると、嬉しそうな顔をしたジェイクが、これから二人きりの時は、旦那様と呼んで欲しいと言う。
それを聞き、ティムは当然の疑問を口にした。
「え? どうしてですか?」
「……、理由が必要なのですか? 仕方ありませんね。では、思い切って告白をします。貴女に旦那様と呼ばれると、とても嬉しいのです。あと何か身体が浮き立つような、湧き立つような気分になります」
どうやらジェイクはティムに旦那様と呼ばれたいことが分かった。
けれど、旦那様と呼ばれることくらい、イゼルや屋敷の従僕から呼ばれている言葉だろうし、ジェイクの提案は少し変だと感じる。
まあ、でも、従僕気分も味わえるし、旦那様と呼ぶのもいいかな、とティムは快く承諾した――。
馬車が劇場へと到着すると、受付の人間がジェイクを見るなり、「ヴェルシュタム伯爵様」と慌てて駆け寄って来る。
表の入り口ではなく、要人用の入り口へと案内されている最中、「伯爵様、この度はご婚約おめでとうございます」と案内人が祝いの言葉を口にするのを聞き、ティムはぎょっとした。
――えー、婚約したこと皆知ってるの?
劇場の人間まで知っているということは、王都中に自分達の婚約の話が知れ渡っている気がして、今更のように自分が大それたことをしている事実に、冷や汗が流れそうになる。
頃合いを見て宰相に婚約破棄を伝えるとジェイクは言っていたが、『婚約破棄しました』と発表すれば、彼の名誉の方が傷つきそうだと感じて、逆にティムの方が落ち込んだ。
こちらの沈んだ様子を見たジェイクが、案内人から少し距離を取ると、眉尻を下げながら口を開いた。
「しばらくは婚約者として扱われますが、気にしないで下さいね、昨日私が言ったことも含めて、無理強いはするつもりはありません」
こそっと言われた彼の優しい声掛けに、「分かっております」と答えたが、芽生えた罪悪感は消し去れなかった。
けれど、今更後悔しても遅すぎるな、と気持ちを切り替え、ティムは令嬢らしく微笑みを浮かべながら「ジェイク様は――」と言いかけて、すぐに言葉を正した。
「旦那様は、お優しい方ですね」
「そうでしょうか」
「婚約を破棄したことが公になれば、私よりも旦那様の名誉の方が傷つくのに……」
「たいしたことではありません、最初から結婚などに興味はありませんでしたからね、婚約破棄の話が私のせいだと悪い噂が流れた方がありがたいです」
その言葉に嘘偽りはないと言いながら、彼は話を続ける。
「それに結婚という形に縛られる必要はないと思ってます。愛する人と人生を歩むことの方が重要ですから」
ジェイクの考えを聞かされて、そうなんだ、と納得しかけたが、不意に公爵家の公女との婚約話が脳裏を掠めた。
――公女との婚約話を聞きたいけど、ティナの姿で聞くのはちょっとなぁ……。
本当は死ぬほど聞きたかったが、そこはぐっと堪えた。
案内人が大きな扉の前に立つと、「こちらがご用意させて頂いた席でございます」と腰を折り、扉を開いた。
舞台が真正面に見え、誰にも邪魔されることのない静かな空間が広がっており、ゆったりとした椅子が二つ並んで用意されているのが見える。
ジェイクの導きで、その二つしか並んでない椅子へと向かえば「さあ、こちらにどうぞ」と椅子に座らされた。
けれど――。
「……あの、私はバルコニー席で演劇を観るのは初めてなのですが、普通はこのような姿勢で観るものなのでしょうか?」
「ええ、このような姿勢で観るものです」
ティムは横にいるジェイクを見上げた。腰を抱かれて、すっぽりと彼の胸へと納まる自分の頭、時折、囁くように放たれる熱っぽい吐息。
一応、念のためにジェイクに確認しただけで、ティムだってこの状態が普通ではないことくらい分かっていた。
――演劇に集中できる気がしないけど……?
けれど、婚約者なのだから、このくらいのことはするのかも知れない、ちょっと恥ずかしいなと思うけど、この不思議な体勢のまま劇を見ることにした――――。
「ぐすっ……ぅ」
「ああ、そんなに目を擦っては――」
「ふぁい、すびぃまぜぇん……」
予想以上にいい物語で、ティムは涙が止まらなかった。
最初こそジェイクのことが気になって劇に集中出来なかったが、次第に気にならなくなり、物語に夢中になった。
「ティナは涙もろいのですね」
「そんなことは無いのですが……」
決して涙もろくはないが、劇中の恋に落ちる二人が羨ましくて、羨ましくて、半分は悔し涙だった。
人の気も知らずに、いちゃいちゃする劇中の二人に、羨まし過ぎる! と妬心が芽生えて、殺意を抱いたくらいだ。
最後『もう離れない』見たいなセリフを言い合って、口づけを交わす場面は生唾が出た。
「女性が好きな劇らしいのですが、ティナも例外ではなかったようですね」
「え、ええ、私も好きです」
本心は決して言えないので、無難に愛想よく返事した。
劇も終わり、演劇場から人が出て行くが、ジェイクはもう少し待ってから出ましょうと言う。
彼の奇病を考えれば、人混みを避けるのは当然のことだし、それにティムはイゼルから重要任務を受けている。この美しい男の顔に湿疹など出ようものなら、ただでは済まされないのだから、彼の言うことに頷いた。
ティムはバルコニー席から一階の様子を覗き込み、劇場内にどのくらい人が残っているのかを確認する。
――まだ、ちょっと多いかも……?
もう少し経ってから、帰った方が良さそうだと思っていると、劇場の端に見覚えのある男の姿を捉えた。
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