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二人の距離
#08
しおりを挟むガイルの屋敷に住み始めて数ヶ月が経ち、本格的な冬が来た。
森に住んでいた頃とは違い、部屋の中は常に温かく、パチパチと音をたてる暖炉の前に腰を落とすと、シャールは揺れる炎をぼーっと眺めた。
貴族の礼儀作法や行いに関して、途惑いながらも一通りは振る舞えるようになっていたが、オーディンとは相変わらずで、一向に仲良くなれないままだった。
ただ、彼も以前ほど怒ったりする態度は見せないし、ある意味いい距離感が出来ている気がしていた。
それでも、たまにすれ違う時はギロっと睨まれることがあり、その時は、ちょっと嫌だなと思う。けれど、その様子を見てレオニードはいつもくすくす笑っていて、どうして笑っているのかと聞いても、教えてくれなかった。
その日の午後、最近の日課になっている、カードを使った数式遊びを自室でしていると、レオニードが感心したように口を開く。
「凄い速さで攻略できるようになりましたね」
「そうかな」
「砂時計が落ち切る前に1ターンが終わってますよ」
「それは凄いの?」
「ええ、200枚にも及ぶ複雑なカードの模様合わせですから、いくら早い者でも砂時計を二回は回転させると思いますよ」
そう言ってレオニードは、シャールの攻略速度が速いことを教えてくれる。足し算をしながらピラミッドを崩していく遊びは、ガイルに教わった遊びの中でも特に気に入っており、シャールは何度もその遊びを繰り返した。
「シャール様、将来は学者になられるのですか……?」
「僕の将来……?」
レオニードに聞かれて、自分の将来なんて考えたことが無かったことを告げる。けど学者と言われて「どうして?」と聞き返せば、数字に興味があることに加えて、最近は薬の調合に興味があることを指摘された。
「確かに薬の調合には興味はあるけど、別に学者になりたいわけじゃないよ」
「左様ですか?」
学者になりたくて薬剤に興味を抱いたわけじゃなく、初めて喪霊が宿る本を読んだ時、人を傷つけるだけではなく治療についても書いてあり、興味をそそられたのがきっかけだった。
それに、ガイルがたまに傷ついて帰ってるのを見て、早く直せる薬があればいいな、と思ったからだった。
ただ、あの本に書いてあった皮膚を再生する薬の材料を忘れてしまったので、ガイルから許可がもらえたら、また読みたい……。と、そんなことを考えながらゲームを続けていると、部屋の外が騒がしいことに気が付く、同じようにそれに気が付いたレオニードが、こちらへ視線を向ける。
「来客のようですね」
「来客?」
「ええ、オーディン様が休学している貴族学校のご友人が、本日は来ることになっておりました」
「そうなんだ……」
一緒に住んでいても、オーディンのことは知らないことが多い、貴族学校に通っている話も初めて聞いた。
休学していると聞き「どうして休んでいるの?」と聞けば、詳しい話は分からないとレオニードは肩を竦めた。
ふと、礼儀作法の本に書いてあることを思い出し、胸がソワっとしてくる。
――挨拶……した方がいいのかな……。
シルヴィアからも貴族の振る舞いの中で、挨拶が一番重要だと教えてもらったけど、シャールが余計なことをするのは、オーディンの機嫌を損ねることになる。
どうしようかと考えていると、コンコンと扉を叩く音が聞え、承諾を得ると執事が部屋に入って来る。
「失礼致します。シャール様、今宜しいでしょうか?」
「うん、なに?」
執事のフランシスは、本来なら戦場へと出向く傭兵だったらしく、怪我をして戦場に出られなくなったのを、ガイルが執事として屋敷に迎え入れたと聞いている。だから、とても逞しい体付きをしており、ピチっとした礼服がいつも窮屈そうに見える。
「オーディン様がお呼びです」
「え……」
「ご友人に紹介をしたいそうです」
「本当に? ……っ」
びっくりして、しゃっくりが出てしまい、なかなか止まらない。レオニードは「良かったですね」と言ってくれるが、シャールは複雑な気持ちになる。
どうして急に紹介をするなんて言うのだろう? 普段の付き合いから考えても、友人を紹介したりする仲じゃないのに、とオーディンの考えていることが分からなくて混乱する。
けど、断ればオーディンの機嫌を損ねるし、嫌だなと思いながらもシャールは執事と共に部屋を出た。
「どこに行くの?」
「オーディン様の部屋へご案内します」
また驚きの発言だった。
この屋敷に来てからオーディンの部屋に入るのは初めてで、本当に入っても大丈夫なのか心配になり、気がおろおろしてくる。
「あ、……あの、本当に……? オーディンの部屋に行ってもいいの?」
「え、何故でしょうか?」
「だって、オーディンは僕と話するのはイヤだと思ってるよ?」
「えぇえ? そんなはずは無いと思いますが……」
驚いた顔で執事のフランシスはシャールを見るが、レオニードも含め、皆の認識はおかしいと思った。
オーディンは顔を合わせれば、嫌な顔してシャールを睨んで来るし、目が合うと直ぐに怒った顔をして逸らすし、あれで嫌だと思われてないなんて、あり得ないのに……、と不思議に思う。
いくら呼ばれたからと言って、オーディンの部屋には行きたくないと思う気持ちが強い。
――挨拶が終わったら早く部屋に戻ろう。
そんな決心を胸に抱きながら歩みを進め、オーディンの部屋と辿り着くが、本当に大丈夫なのかな? と執事の顔を覗き込めば「さあ、お入りください」と促され、ここまで来たら仕方ない、と覚悟を決めてシャールは部屋へと入った。
その瞬間、オーディンの姿が見えて、シャールは自分の体が強張って来る。
けど「あ……」と、小さな声が聞え、その声の方を見ると、栗毛の髪がくるんくるんと跳ねていて、大きな瞳が印象的な可愛い男の子が、応接セットに腰を下し寛いでいた。
オーディンが立ち上がり、栗毛の友人を紹介してくれる。
「シャール、こちらは宰相の令息でダニエル・ノイスンだ」
初めてオーディンにシャールと名前を呼ばれて、ぽかんとしていると、目の前にいるダニエルがくすりと小さな吐息を零したのを聞き、慌てて「はじめましてシャールです」と声がひっくり返りそうになりながら挨拶をした。
「こちらこそ、はじめまして宜しくね」
「はい、宜しくお願いします」
「へぇ、ホント妖精さん見たいだ」
「……?」
「あ、そうだ、今度僕の伯母がお茶会を開くんだけど、君も来ない?」
「え、僕は……」
行ってはいけない気がするけど、どうなんだろう? とオーディンを見れば、やっぱり不機嫌な顔だった。
だったら、最初から呼ばなければいいのに……、と納得の行かない感情が湧く。どちらにしても、シャールは公爵家から勝手に出かけることは出来ないし、自分の判断で茶会へ行くと返事は出来なかった。
「僕は、この屋敷から出る許可をもらってないから……」
「え、そうなの? どうして、どこか病気?」
「病気では無いのだけど……、ガ……、公爵様に許可をもらわないといけないので」
「ふぅん。じゃあ、僕からも頼んでみようか?」
愛くるしい笑顔でダニエルにそう言われ、シャールも笑みを溢し、コクリと頷いた。彼の微笑みは好感が持てて、出来れば友達になりたいと思う。
もう少し話をしたくて「あの……」と話かけようとしたけど、彼の背後に居たオーディンに遮られた。
「もう、挨拶はいいから、自分の部屋へ戻れ」
「うん……」
ダニエルとオーディンに「失礼します」と挨拶をして部屋から出る。とぼとぼと自分の部屋へと歩きながら、やっぱりオーディンの部屋なんて行かなければ良かったと後悔した。
自室へ向う通路を歩いていると、バタバタと足音が聞えて振り返れば、息を切らしたオーディンが「忘れ物だ」と言い、小さな包みを手渡してくれた。
「これ何?」
「……後で食べろ」
「え……」
それだけ言うとオーディンは走って行ってしまった。
食べろと言われて、食べ物だということは分かったけど、どうしてシャールにくれたのか分からない。
もらった包みは片手で持てる大きさだけど、ずっしりとした重さがあり、木の実でも入っているのかな? と開けるのが楽しみになった。
シャールが自室へ戻るとレオニードに「もう帰って来たのですか?」と言われてしまう。
「うん、挨拶が終わったから……」
「そうですか……。それはどうされたのですか?」
「オーディンがくれた」
「良かったですね」
レオニードは良かったと言うけど、全然良くなかった。
だってオーディンはやっぱり怒っていたし、あのダニエルと言う名の子は、仲良くしてくれそうだと思ったけど、シャールが喋りかけるのをオーディンが嫌がっていた気がした。
一気に疲れが溢れてきて、部屋の長椅子に腰を乱暴に落とし、もらった包みを開けると、キラキラと綺麗な粒が詰まっている小瓶が入っていた。
「綺麗……」
「飴ですよ、貴族の間でプレゼントするのが流行っている見たいです」
「そうなんだ」
「それと、その虹色の飴は手に入れるの大変らしいです」
笑顔を見せながらレオニードがそんなことを言う。
「え、そんな貴重な物くれたの……」
「見たいですね」
「僕はいつも怒られるし、一緒に居るの嫌だと思われてるのに、どうして……」
不思議に思い、シャールが首を傾げていると、レオニードが何時ものように、くすくす笑いながら「見えている態度と心の中は違うこともありますよ」と言うが、どう考えてもオーディンはシャールと仲良くなりたいと思っているとは思えず。不貞腐れながら飴の入った小瓶を光に透かせて眺める。
――綺麗……
オーディンが初めて名前を呼んでくれて、飴をくれた日は、少しだけ特別な日になった気がした。
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