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27話 肩に力はいってるよ
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「ここ早めに出ないと並ぶんだよね~、編集長が外出でラッキー!」
会社近くのレトロな喫茶店の二階席は、照明が薄暗いし天井は低いし、洞窟みたいだ。
小さなテーブルに乗った山盛りのナポリタンを前に、高野先輩が両手を組んで手首を回しながら言った。
この人、隙あらばストレッチしてるな……。
「良かったんですか? 十二時前に出ちゃって」
「良いって言ったじゃん。早く戻れば休憩時間は変わらないでしょ。それに最近忙しくていっつもデスク飯だったし。絶対、ここに鹿ノ子ちゃん連れてきたかったんだよね。鹿ノ子ちゃん結構いっぱい食べられるタイプだって分かったし」
「はあ……」
と答えてみたものの、たしかに目の前の山盛りナポリタンは魅力的だ。
有名店だから一度行ってみたかったけれど、ランチタイムは行列が続いていていつも横目に見て通り過ぎるだけだった。高野先輩が早めに出ようと誘ってくれなかったら、このナポリタンを食べるのはずっと先のことになっていただろうし。
それに、今日はちょうど相談したいことがあったのだ。会社では聞きにくい、私の個人的な活動の相談だ。
「で、なんか最近あったでしょ。肩に力が入って前傾してるもん」
「なんですか、整体探偵かなにかですか」
「健康オタクなもので」
と言う高野先輩曰く、今日は『チートデイ』なのだそうで、クリームソーダまで頼んでいる。
私は自分のコーヒーに口をつけながら、どこから話したものか考えていた。
*
ことり先生から借りたチェックシャツは、スカートと一緒にクリーニングに出した。
とっくに返ってきているそれが、ずっと部屋に置きっぱなしになっている。
きっかけは、今考えている作品を、半年後の短編賞に出すか三ヶ月後の長編賞に出すかということに端を発した言い争いだ。
通話口でことり先生は言った。
「無理ですよ、僕は長編なんか書いたことありませんし」
でも私は譲れなかった。
なんと言っても、通話やメッセージでの打ち合わせで彼のアイデアを聞く限り、短編の枚数で書ききれる内容ではないのだ。
というより、彼の持ってきた他のアイデア達もそうだったし、『除霊師三瀧の姉妹調伏』もそうなのだが、設定は長編向けなのだ。
姉妹調伏だって、長いお話しのワンシーンの切り取りと言われても全く違和感がない。
「だから長編にも挑戦してみましょうよ。前から思ってたんです」
「でもあと三ヶ月ですよ? 僕のペースでは無理ですって。書き上げられなかったら、僕はすごく凹むんですよ。そういうタイプなんですよ。分かってるんです。だから本当に書き上げられると思える長さのものしか書かない」
「書きたいシーンだけを書き続けていくってことですか? こんなにアイデアを持っているのに? 勿体なくないですか? 半年かけて短編一本、それで良いんですか?」
私のなかで、ことり先生と自分の境界が曖昧になってしまっていたのかもしれない。
苛立ちから、煽るような言い方になってしまった。
「しつこいですよ! 大体、これはあくまでも僕にとってリハビリでしかないので、安全策をとって当たり前でしょう」
通話口の彼の声は、明らかに不機嫌なものへと変わっていた。
『リハビリでしかない』という言葉に、いけないと思いつつも抑えきれない怒りが湧いてきてしまう。
やっぱりこの人も、少女小説なんて、って軽く思ってるんだ。本気で書くつもりがないんだ。どうせそうだ。
――現実を見たほうがいいよ。
過去に友達に言われた言葉。そのときの相手の表情。教室のカビっぽい空調のにおい。
全部が一気によみがえって、私はムキになってしまった。
ことり先生に初めて会った日に、「リリンのトラウマはリリンで解消するしかない」と提案したのは私だった。それは言葉を変えれば、先程のことり先生の言と同じことだ。
でも私は勝手に期待を持ってしまっていた。彼も、私の選んだ資料を読んでドキドキしたりキュンキュンしたりしてくれて、少女小説を好きになってくれたハズ、と。それくらい熱心に、取り組んでくれていたから……。
「そうですね、ことり先生も田原さんとしての趣味の時間もありますし、お仕事もありますもんね。興味のない小説を長々と書いていられないですよね。それでいいです。分かりました」
「そうは言ってない」
通話を切るボタンを押す瞬間、そんな声が聞こえた。でも、それに答えず、私はそのまま通話を打ち切った。
*
「というわけで、どうしたら良いか分からなくなりました。あ! 私が悪いっていうのは分かってるんですけど、モヤモヤが残っているから素直に謝れないというか。それで、連絡をしないでいる状況です」
「ズバリここ二週間ってところ? 姿勢が歪みだしたの、そのくらいだもん」
「高野さん、副業で占い整体師とか出来そうですね」
「副業禁止ではないけど、本業がハードすぎますなあ」
ナポリタンを食べながら聞いてくれていた先輩が、口の周りを紙ナプキンで拭いながら言った。
私も先輩も、おそらくは半分冗談だけど半分本気だ。
「鹿ノ子ちゃん、初めての選考作業に参加してみてどう感じてる?」
相談事に答えてくれるかと思っていたところに、突然そんな質問を振られて一瞬困惑する。
「どう」とは随分と曖昧な問いだ。
パスタに刺したフォークをくるくると回しながら、頭を回転させる。
「不思議なのは、私が自分で作品を作っていたときって、何をどうしたら良くなるのか全く分からなかったんです。それで落ち続けたんですけど。で、選考で半分をまず上にあげたじゃないですか。その時に、足りていない作品と、揃っている作品って並べると残酷なくらい分かるなって、思いました。ちょっと自分を思い出して凹みましたね」
「よしよし、凹まないの。単純な技術を一旦置いておくとして、その二つの違いってなんだと思う?」
そこで少し考え込んでフォークの回転を止めた私を見て、クリームソーダに乗った溶けたアイスを舐めながら、高野先輩が言葉を続ける。
「書きたいものを書いているかどうか、っていうのも、ひとつの答えとしてあると思わない?」
それから高野先輩は、スマホの画面を私に向けた。
画面に表示されていたのは……。
「おふらんす書房の公募情報、ですね」
「ここ見て、ざっと計算すると八万文字以上になるよね」
そう言って高野先輩が指差すのは、応募要項の枚数規定欄だ。
「田原小鳩が書きたいのは、確かにこっちですね」
いじけた気持ちで言う私を、高野先輩がスプーンの先でびしりと指してくる。
「暗い顔しないの。ヒントはあげたから、あとは考えてみて。初めてのおつかいばりに近くで見守っとくから」
高野先輩が、小脇に手持ちカメラを持つ格好をしてウインクをする。
ヒントって、なんだろう。
そう悩みながらも、私は小さくお礼を言った。
会社近くのレトロな喫茶店の二階席は、照明が薄暗いし天井は低いし、洞窟みたいだ。
小さなテーブルに乗った山盛りのナポリタンを前に、高野先輩が両手を組んで手首を回しながら言った。
この人、隙あらばストレッチしてるな……。
「良かったんですか? 十二時前に出ちゃって」
「良いって言ったじゃん。早く戻れば休憩時間は変わらないでしょ。それに最近忙しくていっつもデスク飯だったし。絶対、ここに鹿ノ子ちゃん連れてきたかったんだよね。鹿ノ子ちゃん結構いっぱい食べられるタイプだって分かったし」
「はあ……」
と答えてみたものの、たしかに目の前の山盛りナポリタンは魅力的だ。
有名店だから一度行ってみたかったけれど、ランチタイムは行列が続いていていつも横目に見て通り過ぎるだけだった。高野先輩が早めに出ようと誘ってくれなかったら、このナポリタンを食べるのはずっと先のことになっていただろうし。
それに、今日はちょうど相談したいことがあったのだ。会社では聞きにくい、私の個人的な活動の相談だ。
「で、なんか最近あったでしょ。肩に力が入って前傾してるもん」
「なんですか、整体探偵かなにかですか」
「健康オタクなもので」
と言う高野先輩曰く、今日は『チートデイ』なのだそうで、クリームソーダまで頼んでいる。
私は自分のコーヒーに口をつけながら、どこから話したものか考えていた。
*
ことり先生から借りたチェックシャツは、スカートと一緒にクリーニングに出した。
とっくに返ってきているそれが、ずっと部屋に置きっぱなしになっている。
きっかけは、今考えている作品を、半年後の短編賞に出すか三ヶ月後の長編賞に出すかということに端を発した言い争いだ。
通話口でことり先生は言った。
「無理ですよ、僕は長編なんか書いたことありませんし」
でも私は譲れなかった。
なんと言っても、通話やメッセージでの打ち合わせで彼のアイデアを聞く限り、短編の枚数で書ききれる内容ではないのだ。
というより、彼の持ってきた他のアイデア達もそうだったし、『除霊師三瀧の姉妹調伏』もそうなのだが、設定は長編向けなのだ。
姉妹調伏だって、長いお話しのワンシーンの切り取りと言われても全く違和感がない。
「だから長編にも挑戦してみましょうよ。前から思ってたんです」
「でもあと三ヶ月ですよ? 僕のペースでは無理ですって。書き上げられなかったら、僕はすごく凹むんですよ。そういうタイプなんですよ。分かってるんです。だから本当に書き上げられると思える長さのものしか書かない」
「書きたいシーンだけを書き続けていくってことですか? こんなにアイデアを持っているのに? 勿体なくないですか? 半年かけて短編一本、それで良いんですか?」
私のなかで、ことり先生と自分の境界が曖昧になってしまっていたのかもしれない。
苛立ちから、煽るような言い方になってしまった。
「しつこいですよ! 大体、これはあくまでも僕にとってリハビリでしかないので、安全策をとって当たり前でしょう」
通話口の彼の声は、明らかに不機嫌なものへと変わっていた。
『リハビリでしかない』という言葉に、いけないと思いつつも抑えきれない怒りが湧いてきてしまう。
やっぱりこの人も、少女小説なんて、って軽く思ってるんだ。本気で書くつもりがないんだ。どうせそうだ。
――現実を見たほうがいいよ。
過去に友達に言われた言葉。そのときの相手の表情。教室のカビっぽい空調のにおい。
全部が一気によみがえって、私はムキになってしまった。
ことり先生に初めて会った日に、「リリンのトラウマはリリンで解消するしかない」と提案したのは私だった。それは言葉を変えれば、先程のことり先生の言と同じことだ。
でも私は勝手に期待を持ってしまっていた。彼も、私の選んだ資料を読んでドキドキしたりキュンキュンしたりしてくれて、少女小説を好きになってくれたハズ、と。それくらい熱心に、取り組んでくれていたから……。
「そうですね、ことり先生も田原さんとしての趣味の時間もありますし、お仕事もありますもんね。興味のない小説を長々と書いていられないですよね。それでいいです。分かりました」
「そうは言ってない」
通話を切るボタンを押す瞬間、そんな声が聞こえた。でも、それに答えず、私はそのまま通話を打ち切った。
*
「というわけで、どうしたら良いか分からなくなりました。あ! 私が悪いっていうのは分かってるんですけど、モヤモヤが残っているから素直に謝れないというか。それで、連絡をしないでいる状況です」
「ズバリここ二週間ってところ? 姿勢が歪みだしたの、そのくらいだもん」
「高野さん、副業で占い整体師とか出来そうですね」
「副業禁止ではないけど、本業がハードすぎますなあ」
ナポリタンを食べながら聞いてくれていた先輩が、口の周りを紙ナプキンで拭いながら言った。
私も先輩も、おそらくは半分冗談だけど半分本気だ。
「鹿ノ子ちゃん、初めての選考作業に参加してみてどう感じてる?」
相談事に答えてくれるかと思っていたところに、突然そんな質問を振られて一瞬困惑する。
「どう」とは随分と曖昧な問いだ。
パスタに刺したフォークをくるくると回しながら、頭を回転させる。
「不思議なのは、私が自分で作品を作っていたときって、何をどうしたら良くなるのか全く分からなかったんです。それで落ち続けたんですけど。で、選考で半分をまず上にあげたじゃないですか。その時に、足りていない作品と、揃っている作品って並べると残酷なくらい分かるなって、思いました。ちょっと自分を思い出して凹みましたね」
「よしよし、凹まないの。単純な技術を一旦置いておくとして、その二つの違いってなんだと思う?」
そこで少し考え込んでフォークの回転を止めた私を見て、クリームソーダに乗った溶けたアイスを舐めながら、高野先輩が言葉を続ける。
「書きたいものを書いているかどうか、っていうのも、ひとつの答えとしてあると思わない?」
それから高野先輩は、スマホの画面を私に向けた。
画面に表示されていたのは……。
「おふらんす書房の公募情報、ですね」
「ここ見て、ざっと計算すると八万文字以上になるよね」
そう言って高野先輩が指差すのは、応募要項の枚数規定欄だ。
「田原小鳩が書きたいのは、確かにこっちですね」
いじけた気持ちで言う私を、高野先輩がスプーンの先でびしりと指してくる。
「暗い顔しないの。ヒントはあげたから、あとは考えてみて。初めてのおつかいばりに近くで見守っとくから」
高野先輩が、小脇に手持ちカメラを持つ格好をしてウインクをする。
ヒントって、なんだろう。
そう悩みながらも、私は小さくお礼を言った。
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