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36話 はちまき巻かないんですか?

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 最近、コンビニの菓子パンに詳しくなった。
 どうしてかというと、デスク飯に最適だから。一瞬で食べ終わるし、糖分で目が覚めるし、片手で食べられる。忙しいときには、菓子パン特有のジャンクさも、ストレス解消になっている気がする。
 どんとこい小麦粉。どんとこいバター。どんとこい大量の砂糖。
 なんていうのは、ヤケクソだろうか。
 リリンWebに載せる記事のチェックを任されるようになっていた私は、ライターさんや作家さんから上がってきている記事に目を通しながら、新作のツイストクリームサンドを頬張っている。
 そこに、高野先輩がやってくるのが見えた。
 
「うっす、鹿ノ子ちゃん精が出るね。午後の会議室の予約またお願い。広い方ね。このまえ狭い方でやってみんな酸欠になりかけてたから」

 先輩も、ついさっきまでデスクでプロテインバーをかじりながら戻ってきたゲラのチェックをしていた。
 
「あ、もう取ってあります。当日だと開いてないことあるんで、部内スケジュール見て事前に取っちゃいました。報告していなくてすみません」

「お、助かる~! ありがとね」

 胸の前で手を合わせてお礼を言った先輩は、その手をそのまま上に伸ばしてから、肘を曲げて肩を回すようにして下ろす。
 お礼のポーズついでのストレッチなのか、ストレッチついでのお礼ポーズなのか判断に迷うところだ。
 しかしバッチリ影響されている私は、自然と「私も肩回そ」と思っているから慣れとは恐ろしい。

 ついでに背もたれに背中を預けてぐいーっと後ろに伸ばしてみると、逆さまになったオフィスの光景が見える。ランチ時だというのに編集部員はPCに齧り付くか、せわしなく行き来しているか、パーテーションの内側で打ち合わせをしている。白熱しているらしく、ときおり大きな声が上がるのが聞こえてくる。

 というように、リリン編集部は繁忙期に入っている。
 私の業務も増え、残業も当たり前になり、机の上にはコンビニのカップコーヒーLサイズと栄養ドリンクの瓶とブドウ糖が常に置かれている状態だ。
 入社時に買った可愛いタンブラーは、今はお休み。復帰時期は未定。
 仕事も、ことりさんの作品も、どちらも全力以上で臨むと決めたのだから、この忙しさも大歓迎だ。

 *

「……ということで、ことりさんのプロットだと天馬てんまくんの登場がかなり遅いんです。聖歌ちゃんの学園入学時に、天馬と偶然出会うシーンが欲しいです。一万字書いたところで言って申し訳ないんですけど……」

 そう話す私は、洗濯機の蓋の上にノートPCを置いて、立ったままそれを見ながら通話している。
 どうしてかというと、ソファに座ったら寝そうな気がしたからだ。
 それでも時折遠くなりかける意識を、手の甲や頬をつねりながら引き戻す。

「書き直しは慣れてるんで別に良いですよ。今までも応募までに大体三回は全ボツして書き直ししてますからね」

「そうなんですか?!」
 
「効率的な直し方がよく分からないんですよね」

「意外とパワータイプの執筆スタイルなんですね……」

 と返しながら、私はほっとしている。書くこと自体が怖くなってしまっていた状態のことりさんが、書けるようになるまでに文字通り『のたうち回って』いたのを知っているから。そうやって書き進めたものを、いきなり冒頭変えて下さいなんて言っていいのか、不安だった。

「ただ今回、時間的に間に合うかという懸念はありますね。僕としても必死に時間を作ってはいますが、なかなか……」

「全ボツの必要は無いですよ! シーンの追加か、エピソードの順番の入れ替えでいいと思います。それについてはちょっと考えてきたんです、が、」

 と、新しいファイルを開こうとしたところで、言葉の途中で目にはちまきが降りてきて、目隠し状態になってしまった。視界一面の白地に、鏡文字の『一作入魂』が透ける。
 ヘアバンドみたいにはちまきを額の上に引き上げて、結び目をもう一度締め直す。よし、続きだ。
 
「すみません、はちまき直してました。これ、今から送るファイルちょっと確認できます?」

「はちまき? 鹿ノ子さんはちまき巻いてるんですか?」

「ことりさん、巻いてないんですか?」

「飾ってはいます」

 ことりさんのそっけない返事に苦笑いしながら、修正案のファイルを送信する。
 修正案は、今日の帰りの電車内で、スマートフォンのメモ機能を使ってまとめたものだ。
 
「送りました、確認おねがいします。あとはちまきも巻いて下さい」

「あ、この『boutou』ってやつですね。確認します。はちまきは巻きません」

「そんなあ」

 自分で思っているよりも、がっかり感が全面に出た声になってしまった。
 まあ、飾ってくれるってことは大事にしてくれているってことだから、いいか。
 半分押し付けたみたいなものだしなあ。そんな風に思いかけたときだ。

「でもご利益はあるみたいですよ」

 と、ことりさんが言葉を続けた。
 
「応援されてるって感じがありますから。プラシーボって凄いですね」

「プラシーボなんてって言ったら身も蓋も夢も無いじゃないですか。魔法です」

 洗面台の鏡に映るはちまき姿を横目で見ながら、訂正する。
 電話の向こうのことりさんに、ははっ、と軽く笑って流される。
 それから少しの間を置いて、やけに真面目くさった声でことりさんが言った。
 
「『僕なんかが書いていいのか』って手が止まりそうになるときに、はちまきを見るんです。すると、少なくとも鹿ノ子さんが応援してくれているし、読んでくれるって思えて、なんとか書けるんです。だから、はちまきの効果は絶大でした」

「あ、へへ。よかったです」

 鏡のなかの私が、馬鹿みたいに嬉しそうな顔をしていた。眠気はいつの間にか、どこかへとふっ飛んでいた。
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