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48話 絶対に担当する
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最後の電話から、ひと月が経った。
突き放すような言葉を投げて通話を切ったことを、後悔しない日はなかった。
その間、ことりさんは、最終選考前の改稿指示を受けて一人で頑張ったはずだ。
改稿に関して、私が関わるのは明確にNGなので、もとから手伝うつもりはない。でも、陣中見舞いでカフェカードを送るとか、それくらいは出来るはずだった。これまでの私ならやっているはずだ。というか、喫煙ブースのあるチェーンカフェで使えるカフェカードを調べるまではした。
でも、送ることは出来なかった。
あれ以来、ことりさんとの間のやりとりは絶えていた。
半人前以下だからこそ見逃されていた勝手な動きの結果が出そうになったところで、半人前以下だから担当になれないという現実を突きつけられて、端的に言うといじけているのだ。
いつの間にか、欲が出て、目的が変わってしまっていた。
淡々と業務をこなして、家と会社を往復する日々だった。
長編賞の選考と発表に向けて忙しい編集部内で、高野先輩を始めとする他の編集部員たちの雑務を代わりに行う。
最終選考には関われないけれど、これはこれで心が乱れることもなくて、いいのかもしれない。そう思い始めたころだ。
最終選考の結果が、出た。
部内システムのメッセージで共有された内定情報に、私は目を見張った。
「編集長特別賞!?」
思わず声を上げてしまってから、慌てて口を手で覆う。
しかしもう遅い。声はしっかり周りに響いてしまっていた。
「ひゃ!」
後頭部になにか当たる気配があった。床に落ちたものを見ると、コピー紙になにか軽くて小さなものをくるんでいるようだ。
拾い上げて、開ける。中にはスティックタイプの喉の薬のようなアルミ包装が出てきた。漢方薬のような簡素なパッケージのそれは、喉の薬でもなければ、怪しい白い粉でもない。小分けのブドウ糖だ。
ハードワークのお供。私も先輩に勧められて別のメーカーのものをデスクの中に常備している。
どうやらブドウ糖はおまけのようで、メインは包み紙にされたコピー用紙に書かれたメッセージの方らしい。デジタルメッセージの時代だけれど、アナログのメッセージのほうが秘匿性が高い。あと普通に、授業中に手紙を回すようなワクワク感がある。
恐らくこのメッセージの主はそのワクワク感を楽しんでいるんだろう。
ってどうせ高野先輩だろうけど、と振り向くと、予想される軌道の先に高野先輩の席はない。そもそも先輩は今、外出中だった。
匿名のメッセージには「会議で夜野ことりさんの作品を最後まで推していたのは編集長だよ。秘密ね。悔しそうにしながら推してるのが面白かった。これはいいものを見せてもらったお礼」とある。
匿名の誰かさんは、今回の件をギャラリーとして大いに楽しんだらしい。
確かに、氷の美女って感じの編集長が悔しそうにことりさんの作品を評価するところは、見ものだっただろうな、と想像する。
でも、とまた心がざわつく。編集長特別賞の受賞となると、作品を担当するのは編集長になるんだろうか。じゃあもう絶対無理じゃない? 私なんかが担当につくなんてとても……。
*
複雑な気持ちを抱えたまま、珍しく一時間程度の残業で帰宅した私は、自分の部屋番号のついた集合ポストからはみ出す白い物体に目をとめた。
これはレターパックライト。
厚み3センチまでの物を送れるレターパックライト。
厚み制限を知らずに買った私が、結局レターパックプラスを買い直した。そんな記憶ももはや懐かしいレターパックライト。
なんだろう、と集合ポストの口から引き出してみれば、差出人は田原小鳩だった。
手に持った厚みは……本?
部屋のある階に駆け上がる。靴を脱ぐのももどかしくなりながら部屋に上がると、コートを脱ぐのも忘れてそのまま玄関でレターパックライトをびりびりに破いて開封する。
中に入っていたのは、本が一冊。それから手紙。
真っ先に目についたのは、本だ。なぜならその表紙の絵がめちゃくちゃだったから。
腰から上がシャチのようになっている魚人? の大きな口に丸呑みされながら蕩けた表情を見せるおっぱい丸出しの女の人が表紙なのだ。
軽く中を開いてみると、どうやら漫画本のようだ。
「ニッチすぎる……ていうか、なぜこれを急に送ってきた!?」
少しばかりえっちなものに詳しくなったと思っていた私だけれど、それは勘違いだったらしい。えっちの裾野は果てしなく広い……。
田原小鳩へのツッコミが追いつかないが、そのおかげか、帰ってくるまでのもやもやとした気持ちが薄れている。丸呑み美女のエロ漫画の衝撃はそれほどのものだった。
ふむふむ、いや、これはすごい。え、そんな、これ、気持ちいいのか??
――じゃなくて。
「て、手紙! 手紙を読めばことりさんが何を考えてるのか分かるハズ」
白い封筒の表に、奔馬鹿ノ子様、と角張った字で書かれている。
中には几帳面に三つ折りにされた便箋が入っていた。
これまで私が渡してきたメモが、どれも、コピー用紙の裏だったり、ちぎった紙だったりしたことを思い出して苦笑いしながら開く。
奔馬 鹿ノ子 様
こんにちは。ごぶさたしております。
お仕事の方、お忙しい時期とお察しいたします。
いつでも一生懸命な鹿ノ子さんのことですので、充実した日々を送られていることでしょう。
僕はというと、決算時期と改稿の時期が重なり、なかなかの地獄を見ました。
さて、浅学のため選考の仕組みを分かっていない僕ですので、担当さんがついてくれる、ということも知りませんでした。ついて頂けるとしたら、鹿ノ子さんに違いないと勝手に思い込んでいました。
正直にわがままを言わせてもらえるとすれば、鹿ノ子さんに引き続き作品を担当して頂きたいです。
でも、これ以上鹿ノ子さんに寄りかかって書き続けるわけにはいかないのでしょう。こんな手紙も鹿ノ子さんとしては困るでしょう。あまりに物知らずな僕に、あなたは怒ったのだと思います。
あなた以外の方がついて下さったとしても、怪盗チャントは二人の作品です。僕の未来を開いてくれたのはあなたです。
でももう一度、叶わないことですが、言わせて下さい。
あなたに担当して頂きたかった。
p.s.
くじらは見つけられませんでしたが、シャチの丸呑み漫画は見つけました。送っていただいた本のお礼にと、探していたものです。
受け取って頂けると幸いです。
田原小鳩(夜野ことり)
「いや、くじらに丸呑みされるのは性癖じゃないってば! 『海のまち』シリーズ全巻送りつけてやろうか!?」
賃貸のわびしさ、小声で叫んだところで、やっと体に力が戻ってきた。
ことりさんは私に担当して欲しいと言っている。
私もことりさんの担当をしたいと思っている。
まだ。
まだ間に合う。正式に担当者が決まったわけでもないし、受賞の内定連絡だってされていない。
明日の朝一番に、編集長に直談判しよう。
どうやって説得するべきか。頭をすっきりさせて考えるため、高野先輩直伝のダウンドッグのポーズを取る。
「絶対に私が担当する!」
そう言葉にして、自分に言い聞かせた。
突き放すような言葉を投げて通話を切ったことを、後悔しない日はなかった。
その間、ことりさんは、最終選考前の改稿指示を受けて一人で頑張ったはずだ。
改稿に関して、私が関わるのは明確にNGなので、もとから手伝うつもりはない。でも、陣中見舞いでカフェカードを送るとか、それくらいは出来るはずだった。これまでの私ならやっているはずだ。というか、喫煙ブースのあるチェーンカフェで使えるカフェカードを調べるまではした。
でも、送ることは出来なかった。
あれ以来、ことりさんとの間のやりとりは絶えていた。
半人前以下だからこそ見逃されていた勝手な動きの結果が出そうになったところで、半人前以下だから担当になれないという現実を突きつけられて、端的に言うといじけているのだ。
いつの間にか、欲が出て、目的が変わってしまっていた。
淡々と業務をこなして、家と会社を往復する日々だった。
長編賞の選考と発表に向けて忙しい編集部内で、高野先輩を始めとする他の編集部員たちの雑務を代わりに行う。
最終選考には関われないけれど、これはこれで心が乱れることもなくて、いいのかもしれない。そう思い始めたころだ。
最終選考の結果が、出た。
部内システムのメッセージで共有された内定情報に、私は目を見張った。
「編集長特別賞!?」
思わず声を上げてしまってから、慌てて口を手で覆う。
しかしもう遅い。声はしっかり周りに響いてしまっていた。
「ひゃ!」
後頭部になにか当たる気配があった。床に落ちたものを見ると、コピー紙になにか軽くて小さなものをくるんでいるようだ。
拾い上げて、開ける。中にはスティックタイプの喉の薬のようなアルミ包装が出てきた。漢方薬のような簡素なパッケージのそれは、喉の薬でもなければ、怪しい白い粉でもない。小分けのブドウ糖だ。
ハードワークのお供。私も先輩に勧められて別のメーカーのものをデスクの中に常備している。
どうやらブドウ糖はおまけのようで、メインは包み紙にされたコピー用紙に書かれたメッセージの方らしい。デジタルメッセージの時代だけれど、アナログのメッセージのほうが秘匿性が高い。あと普通に、授業中に手紙を回すようなワクワク感がある。
恐らくこのメッセージの主はそのワクワク感を楽しんでいるんだろう。
ってどうせ高野先輩だろうけど、と振り向くと、予想される軌道の先に高野先輩の席はない。そもそも先輩は今、外出中だった。
匿名のメッセージには「会議で夜野ことりさんの作品を最後まで推していたのは編集長だよ。秘密ね。悔しそうにしながら推してるのが面白かった。これはいいものを見せてもらったお礼」とある。
匿名の誰かさんは、今回の件をギャラリーとして大いに楽しんだらしい。
確かに、氷の美女って感じの編集長が悔しそうにことりさんの作品を評価するところは、見ものだっただろうな、と想像する。
でも、とまた心がざわつく。編集長特別賞の受賞となると、作品を担当するのは編集長になるんだろうか。じゃあもう絶対無理じゃない? 私なんかが担当につくなんてとても……。
*
複雑な気持ちを抱えたまま、珍しく一時間程度の残業で帰宅した私は、自分の部屋番号のついた集合ポストからはみ出す白い物体に目をとめた。
これはレターパックライト。
厚み3センチまでの物を送れるレターパックライト。
厚み制限を知らずに買った私が、結局レターパックプラスを買い直した。そんな記憶ももはや懐かしいレターパックライト。
なんだろう、と集合ポストの口から引き出してみれば、差出人は田原小鳩だった。
手に持った厚みは……本?
部屋のある階に駆け上がる。靴を脱ぐのももどかしくなりながら部屋に上がると、コートを脱ぐのも忘れてそのまま玄関でレターパックライトをびりびりに破いて開封する。
中に入っていたのは、本が一冊。それから手紙。
真っ先に目についたのは、本だ。なぜならその表紙の絵がめちゃくちゃだったから。
腰から上がシャチのようになっている魚人? の大きな口に丸呑みされながら蕩けた表情を見せるおっぱい丸出しの女の人が表紙なのだ。
軽く中を開いてみると、どうやら漫画本のようだ。
「ニッチすぎる……ていうか、なぜこれを急に送ってきた!?」
少しばかりえっちなものに詳しくなったと思っていた私だけれど、それは勘違いだったらしい。えっちの裾野は果てしなく広い……。
田原小鳩へのツッコミが追いつかないが、そのおかげか、帰ってくるまでのもやもやとした気持ちが薄れている。丸呑み美女のエロ漫画の衝撃はそれほどのものだった。
ふむふむ、いや、これはすごい。え、そんな、これ、気持ちいいのか??
――じゃなくて。
「て、手紙! 手紙を読めばことりさんが何を考えてるのか分かるハズ」
白い封筒の表に、奔馬鹿ノ子様、と角張った字で書かれている。
中には几帳面に三つ折りにされた便箋が入っていた。
これまで私が渡してきたメモが、どれも、コピー用紙の裏だったり、ちぎった紙だったりしたことを思い出して苦笑いしながら開く。
奔馬 鹿ノ子 様
こんにちは。ごぶさたしております。
お仕事の方、お忙しい時期とお察しいたします。
いつでも一生懸命な鹿ノ子さんのことですので、充実した日々を送られていることでしょう。
僕はというと、決算時期と改稿の時期が重なり、なかなかの地獄を見ました。
さて、浅学のため選考の仕組みを分かっていない僕ですので、担当さんがついてくれる、ということも知りませんでした。ついて頂けるとしたら、鹿ノ子さんに違いないと勝手に思い込んでいました。
正直にわがままを言わせてもらえるとすれば、鹿ノ子さんに引き続き作品を担当して頂きたいです。
でも、これ以上鹿ノ子さんに寄りかかって書き続けるわけにはいかないのでしょう。こんな手紙も鹿ノ子さんとしては困るでしょう。あまりに物知らずな僕に、あなたは怒ったのだと思います。
あなた以外の方がついて下さったとしても、怪盗チャントは二人の作品です。僕の未来を開いてくれたのはあなたです。
でももう一度、叶わないことですが、言わせて下さい。
あなたに担当して頂きたかった。
p.s.
くじらは見つけられませんでしたが、シャチの丸呑み漫画は見つけました。送っていただいた本のお礼にと、探していたものです。
受け取って頂けると幸いです。
田原小鳩(夜野ことり)
「いや、くじらに丸呑みされるのは性癖じゃないってば! 『海のまち』シリーズ全巻送りつけてやろうか!?」
賃貸のわびしさ、小声で叫んだところで、やっと体に力が戻ってきた。
ことりさんは私に担当して欲しいと言っている。
私もことりさんの担当をしたいと思っている。
まだ。
まだ間に合う。正式に担当者が決まったわけでもないし、受賞の内定連絡だってされていない。
明日の朝一番に、編集長に直談判しよう。
どうやって説得するべきか。頭をすっきりさせて考えるため、高野先輩直伝のダウンドッグのポーズを取る。
「絶対に私が担当する!」
そう言葉にして、自分に言い聞かせた。
応援ありがとうございます!
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