夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。

伊織

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「ごめんくださーい」

 玄関から、よく通る明るい声が聞こえた。
 二人に断ってから玄関へ向かうと、若いお嬢さんが二人、戸口に立っている。

 一人は背が高く、浅緑あさみどりの着物に、きちんと結い上げた日本髪がよく似合う、凛とした雰囲気のお嬢さん。
 姿勢の良さと髪のまとめ方から、几帳面さがにじむ。
 もう一人は、エビ色の着物に柔らかく結った日本髪の、おっとりしたお嬢さん。

「あの……こちらで裁縫教室をされていると伺って……」

 控えめに声をかけてきたのは、エビ色の着物のお嬢さんだった。
 ――もしかして、この前の生徒さんのお母さんが、本当に紹介してくれたのかもしれない。

「あ、今は……」

「千尋、ちょっと先に聞きたいことが――」

 奥から綾音ちゃんが顔を出した。

「あらどうも、こんにちは。千尋の知り合い?」

「それが、裁縫教室をやってるって聞いて来てくれたみたいで……」

「あら、そうなの。やってるわよ。今日、私も友達と習いに来てるの」

「まぁ、そうだったんですか! 私たちも今から一緒に受けられますか?」

「今からはちょっと……」

「大丈夫よ」

「綾音ちゃん!?」

「千尋、ちょっと来なさい」

 とりあえずお嬢さんたちには玄関で待ってもらい、綾音ちゃんは僕をお嬢さんたちから見えない場所まで連れていく。
 声をひそめて、綾音ちゃんに話しかける。

「綾音ちゃん、今は露天市の話し合いをしてるのに……」

「何言ってんの。そっちも大事だけど、こっちも大事じゃない。『裁縫教室のお客さん』ってことなんでしょ?」

「そうだけど、今は……」

「せっかく来てくれたのに、このまま帰ってもらうのはもったいないわ。それに、また来てくれるかもわからないでしょ。……ちょっと待ってなさい。千尋は澪さんに状況を説明してきて」

「うん……わかったよ」

 綾音ちゃんは玄関で待つお嬢さんたちの元へ向かい、僕は奥で待っている白石さんのところへ行った。
 
「あら! そうだったんですね。すごいじゃないですか!」

 事情を説明すると、白石さんは胸の前で手を合わせ、ぱっと笑顔を見せる。

「千尋」

「あ、綾音ちゃん。さっきのお嬢さんたちは?」

 僕は立ち上がって、綾音ちゃんに駆け寄る。

「玄関で待ってもらってるわ。それでね、千尋。今からちょっとだけ教えてあげるのはどうかしら?」

「えっ!?」

「ちょっとした“裁縫教室の体験”みたいなものをさせてあげるの」

「体験?」

「ほら、私は千尋のこと知ってるから、澪さんに自信もって紹介できたけど、あのお嬢さんたちは初めてでしょ。千尋がどんなことをするのか想像できたほうが、安心して次につながると思うのよ」

「た、たしかに……。でも、今はもう少し露天市の話もしないと……」

「もうほとんど決めたでしょ。それに、千尋が教えてる間に澪さんと決められることは決めておくから」

「……でも、急に体験なんて、そんなことできるかな?」

「千尋。お客さんはね、都合の良い時だけに来てくれるわけじゃないの。人づてに来てくれるなんて、ありがたいことじゃない。この機会を逃しちゃだめ」

「相馬さん、私も応援します! ……それに、もしお仲間が増えたら私も嬉しいです」

 振り返ると、後ろで白石さんが微笑んでいる。

「白石さんまで。……分かった、やってみるよ」

「そうそう、千尋なら大丈夫よ。何かあったら私も手助けするから。それじゃあ、あの二人をここに呼ぶから、千尋は『今できること』を考えて準備しなさい」

「うん!」

 ****

 ほどなくして、綾音ちゃんが二人のお嬢さんを連れてきた。

「わぁ……! 可愛らしいものが、こんなにたくさん……!」

 部屋に足を踏み入れた途端、おっとりしたお嬢さんがぱっと目を輝かせた。
 背の高いお嬢さんも、小さく頷きながら興味深そうに眺めている。

「これ、全部みなさんが作られたんですか?」

 座卓の半分には露天市に出す予定の小物が並び、もう半分には体験用の布と裁縫道具が置かれていた。

「あ、こっちは今度の露天市に出すために、僕が作ったものなんだ」

「露天市に? すごい……!」

 僕は二人を座卓の前に案内し、今日の体験内容を説明した。
 最初に教えるのは、綾音ちゃんたちの時と同じ“基本の縫い方”。
 二人の裁縫の経験を見るのにも丁度いい。

「針を布に通すときは、こうやって針と布がまっすぐ向き合うようにすると、縫い目も真っすぐになります」

 実演すると、二人とも背筋を伸ばし、真剣な眼差しで見つめてくる。

「それじゃあ、やってみましょう」

 二人が針を持ち、慎重に布へ通していく。
 凛としたお嬢さんは、少し肩に力が入っていて動きがぎこちない。
 おっとりとしたお嬢さんはその雰囲気のまま、ゆっくり針を進めていた。

「肩の力は抜いて、手首をよく動かしていきましょう。……そうそう、二人とも上手です」

 僕が手首の動かし方を見せると、二人も真似をする。
 さっきより縫いやすくなったようで、互いに顔を見合わせて微笑んだ。

 ――よかった。僕、ちゃんと教えられてる。

 お嬢さんたちの様子に僕も嬉しくなる。
 ただ、お嬢さんたちは針を持ちながらも、どうしても視線が横の小物へ吸い寄せられてしまう。
 おっとりしたお嬢さんは縫い目が真っ直ぐのままだったが、凛としたお嬢さんは気持ちがそちらに向いてしまい、縫い目が段々曲がりはじめた。

「はい、今はこっちに集中しましょうね」

「は、はいっ!」

 そう声をかけると、再び縫い目はまっすぐに戻っていく。
 これはもう露天市の話をした方が良いのかもしれない……。

 区切りのいいところで二人に玉止めをしてもらい、布を受け取る。
 それぞれの“上手だったところ”を伝えると、二人とも表情を明るくして喜ぶ。

 その後は、露天市へ行ったことがあるかを尋ねたり、今までどんな裁縫をしたことがあるのかを聞いたりした。
 綾音ちゃんが今日直した着物も見せてくれて、裁縫教室ではこういう作業もするのだと二人に伝えられた。
 その後は綾音ちゃんと、白石さんも会話に加わり、最後は和やかな雰囲気で体験を終えることができた。

「今日はありがとうございました!」

 丁寧にお辞儀をして、お嬢さんたちは帰っていく。

 体験のあとは、露天市の最終確認を少しだけして、ようやくすべてが終わった。

「千尋、今日は頑張ったわね。体験も、ちゃんと先生らしくできてたわよ」

「先生だなんて……でも、すごく緊張した……」

 大きく息を吐くと、一気に肩の力が抜けた。

「相馬さん、私も良かったと思います。彼女たち、最初は緊張してたみたいでしたけど、途中から笑顔になってましたし。本当にお疲れさまでした」

「それじゃあ、次はいよいよ露天市ね。私も不用品を探しておいたから、当日の朝に取りに来るのよ」

「うん、わかった。二人とも、本当にありがとう」

 綾音ちゃんと白石さんも帰って、家には静けさが戻る。
『体験』と『露天市の話し合い』を一気に終えて、頭の中はもういっぱいいっぱいだった。

 ――でも、不思議とその疲れは悪くない。
 初めて会ったお嬢さんたちに、裁縫を教えることができた。

 少しだけど、自信を持てた気がする。
 胸の奥に、じんわりとした達成感が広がっていた。
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感想 42

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みんなの感想(42件)

キース
2025.12.04 キース

コミュ障同士だと意思疎通が困難なのですね。ヤキモキします
誠一もどうでもいい女とは普通に会話できているのに千尋のことは無駄な勘ぐりばかりでイラっとしますね
そもそも誠一は金目的でないにしても、経済面で助けてもらっている立場なら千尋にもっと配慮しろよと思います。教師の割に洞察力がないのもどうかと
千尋は色々と前を向いて挑戦しているのに誠一は後ろ向きで情けないですね

解除
バナナクレープ

誠一も誠一で、自分に千尋が釣り合わないと思って素直になれていないから、お互いすれ違ってしまっているし、男あるある的に、同僚の女性に相談しちゃうから、余計に拗れちゃうし!
もう〜何やってるの!って思うけど、本音は千尋が大切で大好きなんだよね!だから、露店市に行くのが心配なんだよね。ましてや、千尋が独立しても生活して行く為なんて知ったらどうするんだやろう!

トランプを捨てないって言った誠一に涙出ちゃいました。誠一、色々間違えちゃってる事多いけど、千尋だって誠一の事まだ好きだと思うから、早く誤解が解けて、幸せになって欲しいです。

解除
ぶぅ
2025.12.01 ぶぅ

お!千尋くん、やる気出てきたみたいだねぇദ്ദിᐢ- ̫-ᐢ₎
うじうじと考えてるだけじゃなく、売りに行きたい!!って行動する千尋くん、応援します( •̀ω•́ )✧キリ

解除

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