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日曜日~はじめてのおつかい~
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日曜日。
事務所の鍵を預かりっぱなしだったので、早めに返そうと向かうと、事務所は開いていた。どうやらほとんど無休らしい。
仕事は嫌いと言っていた割には、事務所には詰めているのか。と、純一が思いながら扉をくぐると焦げた甘い匂い。
焚き火の後のような匂いと混じってコーヒーの香り。
「おはようございます」
デスクで居眠りをしている夜月に純一があいさつをすると、探偵はうめき声で返事に代えた。
「なんかすごい匂いですね。火事の後みたいな、甘栗屋みたいな」
「フィリピンでカペアラミドを手に入れたので、焙煎してみました。後でいれてみますね」
デスクチェアに背を預けたまま、苦笑交じりに夜月が言う。
夜月の内部では、純一はコーヒーを飲むことになっているらしい。
「畑中くん。まずは、一週間お疲れ様でした。大変に助かりました。とくに家系図の仕事はなかなかよく出来ていて、アチラでも好評でした。で――」
デスクの引き出しから茶封筒を取り出して、それで純一をさしまねく。
「――これがアルバイト料です。日当六日分と二十二通の公文書のお使い賃と家系図分のボーナスです。十万円入ってます。中に受け取りが入っているので、名前と日付を書いてください」
最初の条件のシブチンさに比べるとずいぶん気前がいいと思いながら、純一は封筒を受け取った。
「しかし、全部集まるとは思いませんでした」
一万円札を取り出し勘定する。日曜日に新札を手にいれることは出来ないだろうから、最初から準備していたのだろうけれど、普通に社会人なんだァとアタリマエのことで感動してしまった。
「そうですか」
自慢をするか、サラッと流すかと思っていたら、夜月が少し不安げな表情を浮かべたようにみえた。
「そんなに難しい作業でもなかったと思うんだけれど、なにか大変なことでもありましたか」
「あ、ああ、全然。指示された作業は指示されたとおりで何も不都合がなかったんですけれど、そうではなく――」
さっきまでデスクチェアに沈んでいた夜月が、思いのほか真剣に見つめているので、純一にも緊張が移り言葉を探し始める。
「金曜日に本田さん一家がフィリピンにいることはわかったんですけど、その段階ではどうやっても無理くさいなと諦めてましたから」
ふっと、夜月から力が抜けたようにみえた。
「私は金曜日の朝イチにはフィリピンにいましたから、あとは日本領事館に行って、邦人の所在確認をおねがいして、ダバオで本田さん一家にお目にかかって、松永さんがお亡くなりになったことをお話して飛行機で帰ってきただけです」
ふーん。と思ったが、やはり少しオカシイ。純一は大雑把な流れを考えてみる。
仮に木曜の朝方未明に帰ってきて、その段階でフィリピンに行くことを決断して行動したとして、日本の国際空港からフィリピンマニラ国際空港までは四時間くらい。空港の手続きが順当でもそれより縮まることはない。
マニラ国際空港からパサイ市の日本総領事館まで一時間くらい。
作業が何時間か分からないけれど、話のわかる人でも小一時間。
国内便に乗るために空港にいって一時間。
フィリピンの南の端のダバオまで、待ち合わせ無しで三時間。
――ダバオのドコかに事務所と住所があるのはわかっても、丸一日で捕まえて連れて帰ってこれるものなのか?
「本田さんってダバオで何やっている人なんですか?」
「ダバオというか、ミンダナオ島で浄水施設の技術指導をしているみたいですね。ダバオの事務所でうかがいました」
「事務所は空港から近いんですか?」
「面積自体は東京圏くらいありますが、人口は二十分の一なので、一つ一つの街自体が日本の感覚だと小さいですからね。ちょっとお菓子のクーラーケースみたいなカワイイ感じの街ですよ」
色々オカシイ気はするけれども、詳しく突っ込むのもなにかがオカシイ。純一にはそう思えた。
夜月の行動を説明するには、時間的な矛盾はあるような、ないような。そんな微妙な違和感を拭えない。でも、訊いた感じフィリピン出張は本当のようだ。
都合が良すぎる展開であるのは間違いないが、アヤフヤだがある程度絞れるなら矛盾は起こらない。とも純一には思える。
あ、そうだ――
「報告書の経費報告ってどうやって書くんですか」
「あ、うん。領収書を報告書くっつけて、ここで使いました、と、並べて書いていくんですよ。ホントはね」
「ホントは、って?」
なんか逃げられている気分で、つい純一の語気が荒くなる。
「今回のは経費の物証が必要ないというか、相手が馴染みの弁護士さんでしたからその辺ゆるいですし、私たちは弁護士事務所の人間って事になって動いていたから、変な証拠を残すと微妙にアウトなんですよね。で、報告書も書いてません。高速道路の分と飛行機代は別料金にしてもらいましたが、基本的には私たちが何かをしたという書面上の証拠はゴミ箱の中の返信封筒だけです」
純一は一気に拍子抜けする。
ナニカは最初から掴めそうもなかった。
「探偵の仕事ってのはそういうもんなんですよ。要するに下請けの派遣業ですからね」
純一の脱力を勘違いしたようで、夜月は慰めるように言った。
「そろそろ豆も冷えた頃ですから、あなたの探偵初仕事がうまくいったことをお祝いしてフィリピンの幻のコーヒーでもいれてみましょうか」
そう言った夜月の顔はどこまでもニコヤカだった。
事務所の鍵を預かりっぱなしだったので、早めに返そうと向かうと、事務所は開いていた。どうやらほとんど無休らしい。
仕事は嫌いと言っていた割には、事務所には詰めているのか。と、純一が思いながら扉をくぐると焦げた甘い匂い。
焚き火の後のような匂いと混じってコーヒーの香り。
「おはようございます」
デスクで居眠りをしている夜月に純一があいさつをすると、探偵はうめき声で返事に代えた。
「なんかすごい匂いですね。火事の後みたいな、甘栗屋みたいな」
「フィリピンでカペアラミドを手に入れたので、焙煎してみました。後でいれてみますね」
デスクチェアに背を預けたまま、苦笑交じりに夜月が言う。
夜月の内部では、純一はコーヒーを飲むことになっているらしい。
「畑中くん。まずは、一週間お疲れ様でした。大変に助かりました。とくに家系図の仕事はなかなかよく出来ていて、アチラでも好評でした。で――」
デスクの引き出しから茶封筒を取り出して、それで純一をさしまねく。
「――これがアルバイト料です。日当六日分と二十二通の公文書のお使い賃と家系図分のボーナスです。十万円入ってます。中に受け取りが入っているので、名前と日付を書いてください」
最初の条件のシブチンさに比べるとずいぶん気前がいいと思いながら、純一は封筒を受け取った。
「しかし、全部集まるとは思いませんでした」
一万円札を取り出し勘定する。日曜日に新札を手にいれることは出来ないだろうから、最初から準備していたのだろうけれど、普通に社会人なんだァとアタリマエのことで感動してしまった。
「そうですか」
自慢をするか、サラッと流すかと思っていたら、夜月が少し不安げな表情を浮かべたようにみえた。
「そんなに難しい作業でもなかったと思うんだけれど、なにか大変なことでもありましたか」
「あ、ああ、全然。指示された作業は指示されたとおりで何も不都合がなかったんですけれど、そうではなく――」
さっきまでデスクチェアに沈んでいた夜月が、思いのほか真剣に見つめているので、純一にも緊張が移り言葉を探し始める。
「金曜日に本田さん一家がフィリピンにいることはわかったんですけど、その段階ではどうやっても無理くさいなと諦めてましたから」
ふっと、夜月から力が抜けたようにみえた。
「私は金曜日の朝イチにはフィリピンにいましたから、あとは日本領事館に行って、邦人の所在確認をおねがいして、ダバオで本田さん一家にお目にかかって、松永さんがお亡くなりになったことをお話して飛行機で帰ってきただけです」
ふーん。と思ったが、やはり少しオカシイ。純一は大雑把な流れを考えてみる。
仮に木曜の朝方未明に帰ってきて、その段階でフィリピンに行くことを決断して行動したとして、日本の国際空港からフィリピンマニラ国際空港までは四時間くらい。空港の手続きが順当でもそれより縮まることはない。
マニラ国際空港からパサイ市の日本総領事館まで一時間くらい。
作業が何時間か分からないけれど、話のわかる人でも小一時間。
国内便に乗るために空港にいって一時間。
フィリピンの南の端のダバオまで、待ち合わせ無しで三時間。
――ダバオのドコかに事務所と住所があるのはわかっても、丸一日で捕まえて連れて帰ってこれるものなのか?
「本田さんってダバオで何やっている人なんですか?」
「ダバオというか、ミンダナオ島で浄水施設の技術指導をしているみたいですね。ダバオの事務所でうかがいました」
「事務所は空港から近いんですか?」
「面積自体は東京圏くらいありますが、人口は二十分の一なので、一つ一つの街自体が日本の感覚だと小さいですからね。ちょっとお菓子のクーラーケースみたいなカワイイ感じの街ですよ」
色々オカシイ気はするけれども、詳しく突っ込むのもなにかがオカシイ。純一にはそう思えた。
夜月の行動を説明するには、時間的な矛盾はあるような、ないような。そんな微妙な違和感を拭えない。でも、訊いた感じフィリピン出張は本当のようだ。
都合が良すぎる展開であるのは間違いないが、アヤフヤだがある程度絞れるなら矛盾は起こらない。とも純一には思える。
あ、そうだ――
「報告書の経費報告ってどうやって書くんですか」
「あ、うん。領収書を報告書くっつけて、ここで使いました、と、並べて書いていくんですよ。ホントはね」
「ホントは、って?」
なんか逃げられている気分で、つい純一の語気が荒くなる。
「今回のは経費の物証が必要ないというか、相手が馴染みの弁護士さんでしたからその辺ゆるいですし、私たちは弁護士事務所の人間って事になって動いていたから、変な証拠を残すと微妙にアウトなんですよね。で、報告書も書いてません。高速道路の分と飛行機代は別料金にしてもらいましたが、基本的には私たちが何かをしたという書面上の証拠はゴミ箱の中の返信封筒だけです」
純一は一気に拍子抜けする。
ナニカは最初から掴めそうもなかった。
「探偵の仕事ってのはそういうもんなんですよ。要するに下請けの派遣業ですからね」
純一の脱力を勘違いしたようで、夜月は慰めるように言った。
「そろそろ豆も冷えた頃ですから、あなたの探偵初仕事がうまくいったことをお祝いしてフィリピンの幻のコーヒーでもいれてみましょうか」
そう言った夜月の顔はどこまでもニコヤカだった。
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