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二十八週目
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日常生活でおどろくことというのは、実はあまり多くはないはずだ。
そもそも驚くということは、既に安定したルーチンとしての日々の常態という日常の定義から外れてしまう。
だから、その驚きは正しく日常的ではなかった。
いや、驚きというのも正しいかどうかよくわからない。
正確に畑中純一の感情を言い表す努力をすれば、よく分からないので困っている。というところだった。
大きな犬が飼える庭付き一戸建てを買ってさらに子どもふたりを大学までやるくらいの金額で、自分の誘拐傷害の告訴を差し戻し示談にして欲しいという申し出があったということだ。
金額は既に純一の想像の範囲を超え始めていて実態としての意味を薄くしており、そもそも正義の価値と意味を考えると示談という行為が意味があるのかという問題もある。
提示された金額は妥当なのか。
正義の価値は妥当な金額であれば対価足りうるのか。
それとも正義は無制限価値ゆえに示談交渉自体が無意味なのか。
純一は別にこの歳になって欲しいものが何一つないというほど無欲な性格も正義を信じるほどの潔癖な性格もしていないが、実際に自分がその正義を金でやり取りする立場になってみると酷く困惑した。
通貨交換をおこなう経済行為には妥当な線というものがあるはずなのだが、純一にはどの程度が妥当なのか全く分からなかった。
その困惑自体が無意味であるという価値基準がプロ的な行為の中にはあって、それ故に水本弁護士からの最適解は助言の意味を為さない。同様に小林警部に訊いてもそうだろう。夜月は――おそらく笑って答えないだろう。そう思う。
「とりあえず、ボクから言える詳細は伝えたからね。よく考えてみなさい。この手のことは即決しても後悔が残る。ボクの経験から言うとこれまでと将来の生活を考えてみるんだね」
水本弁護士は純一にそう助言をした。助言といえば、純一には水本に聞いてみたいことがあった。
「水本先生。学習院っていう人の事、ご存じですか」
「あ?」
水本は明らかに驚いたようだった。
「キミの言う学習院ってのは背の高い黒い男かね?」
水本は慎重に確認したが、その様子は学習院にあまり良い印象を抱いていないのは間違いなさそうだった。
「はい。少し前に逢うことがあったんですが、どんな人なのか少々判断に迷うところがありまして」
どこでということは純一は言わなかったが、水本は概ね察したようだった。
「一言で言えばやり手の仲買人だ。いわゆる悪人ではないが、私なら付き合わない」
「どこかで何かあったんですか?実は先生の名前が出たので、気になって伺ってみたのですが」
水本は少し迷うところはあったようだが、まぁと言う感じで話すことにした。
「どことは言えんが、少し前に遺産分割協議書の作成をおこなったんだ。が、まぁそのときに直接金額がつけられない品々が結構あってね。遺族が連れてきた目利きの一人だ。正直、底の知れない胡散臭い男だよ。胡散臭さじゃぁ斎のヤツも負けてはいないが、金の匂いをさせるとなると質が変わる。
最初は直接ヤツが買取るということになりかけたんだが、現金が少なくて物が多い家だったからね。そんなところでむやみに金を作られると厄介になるので、過半は美術館や博物館に寄付をするという方向で私がまとめた。来歴がハッキリしている幾つかは海外のオークションにも出したが、まぁ不動産の分割の調整分くらいだね。
相続の話をしていると故人の遺した物をどう管理するかというところに落ち着くわけだ。広い家があればそれはそれで面倒が少ないのだが、イマドキの家だとなかなか管理が大変でな。掛け軸一本マトモに架けられない家が多い。だからアチコチに四散してしまうわけだが、あとになってふとアレが見たいと思ったときに後悔と寂しさが残るものなんだよ。意外とね。少なくとも美術館にあれば、ある程度自由に見せてもらうことはできる」
水本には後悔の思い出があるようだった。
「――まぁそんなわけでほとんどの物品は売却処分せずに寄付したわけだよ。あの男には商売の邪魔だったかもしれんが、ボクとしては遺族が後で後悔をするような選択は奨めたくはなかった。とくに切羽詰った金銭的な問題がなかったのでね」
そんな風に水本は純一に学習院との邂逅を口にした。
家に帰って皆との夕食の時に示談の話が出た。
「拐取の示談っていうのもずいぶん虫のいい話に思えるねぇ。拐取と集団での傷害で十年はくらうと思うよ、最低。今回は証人の威迫もくっ付くし、大きなバール複数持ってって殺意もアリアリじゃん。普通に考えれば十五年求刑でそのままいってもおかしくないと思う。裁判ナメてるもんね。一人五千万てのも一年四百万っで人生買ったって考えると安いような気はするなぁ。加害者側で死んじゃった人もいるからアレかもだけど」
夕食をつつきながら、実にスラスラと慶子の口からそんな言葉が出た。
慶子がアタマが悪くないのは純一は理解しているのだが、普段の行動の突飛さからあまりにアンバランスでついウッカリというか、マジマジと慶子を見てしまった。
どうやら食卓を囲んでいた全員がそう思ったらしく、視線が集中する。
「――な、なに?なんかダメだった?刑期をお金で買うって言い方ヤッパリ嫌だった?説明簡単かと思っただけで、示談条件もうちょっとイケるとかそういうつもりじゃないのよ、別に」
視線が集まったことで慶子が慌てる。
「いやぁ、慶子がきちんと勉強しているんだなぁって、みんなそう思っただけだと思うよ」
純一が代表して感想を述べる。しばらく意味を考えた慶子がムッとした。
「ナニソレ、酷くない?ちっこくて胸がデカいから、バカとかそういう感じの差別発言?」
「慶子だから、アイツらムカつくから示談なんかヤメトケ。以上くらいかと思ってた。悪かった。続きを頼む」
純一がそう言うと慶子も少し複雑な顔をした。
「――うん、まぁ、じゃぁ……だってさぁ。あのバカどもの親の立場に立ってみると、子供の人生売ってくれませんかっていう申し出なわけでしょ。身勝手だけど分かるかなぁって。実際には量刑にも親告の部分とそうでないのとあるからアレだけど、純一くんが告訴取り下げると和解の努力ありってことで多分三年かそこらで執行猶予がついた判決が出ると思う。だから……まぁ、うん」
「慶子の言うのも分かるけど――」
紫が少し怪訝な声を上げた。
「――あのバカどもの手際を考えると絶対余罪があるって。まぁ私たちの立場じゃなにも出来ないけど、レンタカー屋さんの件だってオカシイって。そろそろふたつきになろうかってのに、一人は名前まで出てる誘拐の実行犯が見つからないって、初めてやりましたって手際じゃないよ」
たしかに紫の言うとおり、誘拐の実行犯については全く手がかりがなかった。正確には手がかりはあったのだが、インターチェンジの通過車両ナンバー情報を通じて警察の手が伸びた時には既にレンタカー屋の店員の手によって清掃されたあとだった。そして店員の警察に渡した資料の中には犯人らしき人物はなかった。
「でもソコは純一さんに関係ないじゃん」
「そんな無責任な!」
「だってそうじゃん!生涯収入の半分くらいくれるって言うんでしょ!純一さんに損はないじゃん」
「おかしいよ!殺そうとまでした連中でしょ!悔しくないの?」
「悔しくたって、貰えるものもらった方があとが楽じゃん。面倒もないし」
「それが無責任だって思わないの?」
「だいたい無責任ってなにさ。どこをどう取ったら無責任なんて言葉になるわけ?こっち被害者じゃん!手打ちに出来る条件を向こうが出したんなら手打ちにする権利はあるんだよ?権利の行使の判断はこっちの責任だよ!」
「じゃぁ、アタシたちはどうなのよ!まるで裁判しないで和解した方が良いみたいな言い方じゃない!それって!嫌なら、降りればイイでしょ!」
「誰もそんなこといってないでしょ!」
「刑期が短いってことは、すぐ出てくるってことよ!また同じことするかも知れないじゃない!」
「止めなよ、ふたりとも」
さすがに怒鳴り合いになってしまっては居心地が悪いを通り越してしまった。光が二人を割って入る。
「――だいたい純一さんが悩んでるんだって、その辺の折り合いに困っているからじゃないのかな。ね?」
光が二人をとりなすように純一に訊いてみる。
「うん。二人の言っていることは、俺が気にしていることとあんまり変わらない。多分……」
だいたいのところは純一の内面の葛藤と同じようなことが目の前でおこなわれていたので純一は軽くうなり、言葉が途切れた。
「でも全然気にすることじゃないね。食事がまずくなるだけだよ。二人とも止めな」
紫と慶子の言い争いをいかにも益体ないことのように未来は言い放った。
さすがに二人が未来を睨みつける。
「別に法正義のことも賠償示談のこともどうでもイイじゃん」
「そんなこと言ったって、――」
「コトは正義の問題じゃなくて――」
まぁまぁ、落ち着けと、未来は二人に掌を突き出す。
「問題がお金をもらってもサッサと出てくるようだと反省しないだろう、ってトコでしょ。お金要らないんだから良いじゃない」
未来はあっさりと言い切った。
「お金いらないって、アタシたちの話じゃなくて――」
「ソコさ。――」
自分のことならともかく純一のことで勝手に進めるのはどうかと、紫は続けるつもりだったのだろうが、未来がさらに押しとどめた。
「私たちはソコソコお金持ちなんだよ?今はともかくちょっと先には」
純一には未来の話の筋がイマイチピンとこなかったが、光には分かったらしい。
光に目で促され未来は続けた。
「……私たちの裁判は順調だからね。バカどもが余計なことしてくれたおかげで」
「いいよ、で」
慶子はまだ腹を立てているようで、紫もスゴイ目で先を促す。さすがに未来も困った顔で笑えない。
「二人ともそのお金使う予定があるの?」
「別にないけど――」
未来の質問に紫がブツブツと答える。
『あっ』
紫と慶子はナニカに気がついたように声を揃え、純一に視線を合わせる。
その視線を追って光と未来も純一に注目する。
えぇ~。なんとなく言いたいことは理解できたが、ソレってどうなのさ。と純一は自分の予想がみんなの結論と違うことを期待した。
「純一さんは当面お金が不要です」
「都心に豪邸が欲しいとか言い出さなければね」
「まぁ、土地場所を指定しなければ、畑付きの家くらいは買えるし大丈夫でしょ」
「農家か~。就職コケたらそれもイイかも」
四人がナニを言っているか、なんとなく想像はついた。
「示談は不要、というか辞めて欲しい」
光が結論として簡潔に希望を述べた。
「お茶をくれ」
純一の言葉に未来が番茶を湯のみに注ぐ。
「理由はきかないでいいの?」
紫がいちおうと言うように口にした。
「――ああ、どうぞ宜しく」
純一は諦めるように言った。
「私たちが無制限に資金貸与するから」
「もちろん実際には無制限とはイカない。FXとかでハデに追証取られるとかだと、追いつかないだろうけど、まぁ、そんなことでもなければ大丈夫。もちろん私も全財産出すつもりだけど、ひとりだけってのは他のみんなに悪いから話の流れ的にも丁度いいかな」
光の言葉を未来が補足した。
「なんだかソレって、俺が買われたみたいだな」
四人がニヤッとした。
「買ったっていうか、ヒモっていうかそんな感じ」
「専属ホスト」
慶子と光がそれぞれ評する言葉に純一はコメカミを揉む。
「手に入る予定のお金だと足んないから、不足分は身体で払うって感じでいいのかな」
紫もすっかりノリノリで純一は言葉もない。愛情も適量適温でないと腹を下す、という言葉を純一は噛み締めていた。
愛の嵐が吹き荒れていた。
ええと、どこでどうなったんだ?
純一は少し記憶を整理し始めた。
たしか久しぶりにゲームセンターなぞに足を向けることになった。
キッカケはテレビ局のマスコットがプライズマシンに登場!とかそんな感じの番組を見ていた時に誰だかが、欲しい、と言い出したことから、アーケードのゲームセンターのプライズマシンに張り付いていたあたりか。
ちょっと商品のレイアウトを見て意外と行けそうとかそんな感じの感覚でいたのだが、微妙な腹の張りを感じ始めたので、腰を据えるかと便所に入って用を足していたあたりが罠だったように思う。
出すもの出して個室から出てくると、高校生らしい見た目とても若い割りに大きい男たち数人がやはり可愛いという印象のカップルを騒がしく引き剥がしていた。輪姦なのかカツアゲなのかその辺は分からなかったが、たぶん彼らにもあまり良く分かってないのだろう。そんな感じに如何にも暴走していた。
殴ってきた腕を右手で跳ね上げつつ左手で軽く胸を支えて軸足を蹴ると、臍の辺りを軸に面白いように回転した。あまりの動きの悪さに思わず純一は開いた膝で落ちてきた肩を支えてしまうサービスまでしてしまった。
動きが悪いというか、どうもちゃんとケンカをしたことのない陣笠の取り巻きであるらしい。多分狩りの練習みたいな感じで、如何にもという感じのカップルを狙って引っ張ってきたところに純一が居合わせたので、混乱して逆上したまま突っかかってきたという感じのようだ。
どうも連中の目には純一の動きがナニをおこなったかが分からなかったようで、床で滑ってスっ転んだ仲間を笑う声まであって本人もそのつもりでいるらしい。
――俺もこんな感じだったのかなぁ。
等と自らの黒歴史に感慨をふけっていると、後輩たちがナイフやチェーンを取り出してきた。
だが全然使い方の年季が足りていない。ナイフは簡単に柄を叩いて天井に弾き、チェーンは先端を軽く叩いてやるだけで仲間を打ち据えていた。
さすがにこれだけヤッてみせてやれば、と思って初々しいカップルを連れて出ようと思った純一に一人が後ろから殴りかかってきた。
せめて黙って殴りかかればいいものを、叫び声を上げていたのでほとんど後ろも見ずに純一は体をかわし、反射的に腕をねじり上げていた。蛮勇に燃える彼の尻の財布から定期を拝見する。
「キミ、高橋裕太くんていうんだ。このあと警察に行くのと、政盛会の事務所に預けられるのとどっちがイイ?政盛会さんはきっと退屈しているから君たちみたいな若い子が来たら相当に歓迎してケンカのやり方を身体で教えてくれると思うんだが」
政盛会なんて純一も知らないが、まぁヤクザ屋さんであることが通じればいいので、その辺はどうでもいい。意味が通じたことを確認して純一は身体を離した。
「でもキミたちはケンカする前にまずは鉄棒とランニングぐらいから始めた方がイイね」
ニコヤカにアドバイスをしてやると、純一は立ち去ったものかどうか困っているカップルを連れてゲームセンターを出た。
ちょっと歩いて少し気取った喫茶店に二人を連れて行くと二人の興奮したままの感謝の言葉を受け取る。
二人があのルーキー達と初対面だというので、あのゲームセンターはもう行かないように忠告して純一は別れた。あんまり彼らが興奮して上ずった声だったので、純一の脳には彼らの名前と学校の名前がすっぽり落ちていたが、まぁその程度の問題だった。
純一がその再会を期待していなかったといえばウソになる。
ツルんでいるとはいえ、高校デビューのケンカルーキーが後ろにたのむ者がいなくて初めてのゴロマキを初対面の人間にカケるわけがない。だから高橋祐太くん御一行がゲームセンターにいた誰かかその傍にいる誰かを保護者としていることは経験的に想像がついたし、だからまっすぐに帰りもしないで事務所にもよらないで、ゲームセンターのプライズマシンで純一はおみやげをゲットしていた。
だからその事自体は予想外ではなかったが、まさに今目的のアイテムをゲットせんというタイミングで声をかけられ、あまつさえ機械を揺らされ取り損なった純一の悲しみと怒りは一言では言い表せなかった。
「あ?」
純一より横があるのが二人、縦があるのが二人。あとは体格的に幼い有象無象が八人。
「オッサン。ダチが世話んなった。ツラ貸せ」
オッサンてのは気に入らなかったが、横にデカいのがそう言ったのに純一は嫌もなく従いていった。
そもそも驚くということは、既に安定したルーチンとしての日々の常態という日常の定義から外れてしまう。
だから、その驚きは正しく日常的ではなかった。
いや、驚きというのも正しいかどうかよくわからない。
正確に畑中純一の感情を言い表す努力をすれば、よく分からないので困っている。というところだった。
大きな犬が飼える庭付き一戸建てを買ってさらに子どもふたりを大学までやるくらいの金額で、自分の誘拐傷害の告訴を差し戻し示談にして欲しいという申し出があったということだ。
金額は既に純一の想像の範囲を超え始めていて実態としての意味を薄くしており、そもそも正義の価値と意味を考えると示談という行為が意味があるのかという問題もある。
提示された金額は妥当なのか。
正義の価値は妥当な金額であれば対価足りうるのか。
それとも正義は無制限価値ゆえに示談交渉自体が無意味なのか。
純一は別にこの歳になって欲しいものが何一つないというほど無欲な性格も正義を信じるほどの潔癖な性格もしていないが、実際に自分がその正義を金でやり取りする立場になってみると酷く困惑した。
通貨交換をおこなう経済行為には妥当な線というものがあるはずなのだが、純一にはどの程度が妥当なのか全く分からなかった。
その困惑自体が無意味であるという価値基準がプロ的な行為の中にはあって、それ故に水本弁護士からの最適解は助言の意味を為さない。同様に小林警部に訊いてもそうだろう。夜月は――おそらく笑って答えないだろう。そう思う。
「とりあえず、ボクから言える詳細は伝えたからね。よく考えてみなさい。この手のことは即決しても後悔が残る。ボクの経験から言うとこれまでと将来の生活を考えてみるんだね」
水本弁護士は純一にそう助言をした。助言といえば、純一には水本に聞いてみたいことがあった。
「水本先生。学習院っていう人の事、ご存じですか」
「あ?」
水本は明らかに驚いたようだった。
「キミの言う学習院ってのは背の高い黒い男かね?」
水本は慎重に確認したが、その様子は学習院にあまり良い印象を抱いていないのは間違いなさそうだった。
「はい。少し前に逢うことがあったんですが、どんな人なのか少々判断に迷うところがありまして」
どこでということは純一は言わなかったが、水本は概ね察したようだった。
「一言で言えばやり手の仲買人だ。いわゆる悪人ではないが、私なら付き合わない」
「どこかで何かあったんですか?実は先生の名前が出たので、気になって伺ってみたのですが」
水本は少し迷うところはあったようだが、まぁと言う感じで話すことにした。
「どことは言えんが、少し前に遺産分割協議書の作成をおこなったんだ。が、まぁそのときに直接金額がつけられない品々が結構あってね。遺族が連れてきた目利きの一人だ。正直、底の知れない胡散臭い男だよ。胡散臭さじゃぁ斎のヤツも負けてはいないが、金の匂いをさせるとなると質が変わる。
最初は直接ヤツが買取るということになりかけたんだが、現金が少なくて物が多い家だったからね。そんなところでむやみに金を作られると厄介になるので、過半は美術館や博物館に寄付をするという方向で私がまとめた。来歴がハッキリしている幾つかは海外のオークションにも出したが、まぁ不動産の分割の調整分くらいだね。
相続の話をしていると故人の遺した物をどう管理するかというところに落ち着くわけだ。広い家があればそれはそれで面倒が少ないのだが、イマドキの家だとなかなか管理が大変でな。掛け軸一本マトモに架けられない家が多い。だからアチコチに四散してしまうわけだが、あとになってふとアレが見たいと思ったときに後悔と寂しさが残るものなんだよ。意外とね。少なくとも美術館にあれば、ある程度自由に見せてもらうことはできる」
水本には後悔の思い出があるようだった。
「――まぁそんなわけでほとんどの物品は売却処分せずに寄付したわけだよ。あの男には商売の邪魔だったかもしれんが、ボクとしては遺族が後で後悔をするような選択は奨めたくはなかった。とくに切羽詰った金銭的な問題がなかったのでね」
そんな風に水本は純一に学習院との邂逅を口にした。
家に帰って皆との夕食の時に示談の話が出た。
「拐取の示談っていうのもずいぶん虫のいい話に思えるねぇ。拐取と集団での傷害で十年はくらうと思うよ、最低。今回は証人の威迫もくっ付くし、大きなバール複数持ってって殺意もアリアリじゃん。普通に考えれば十五年求刑でそのままいってもおかしくないと思う。裁判ナメてるもんね。一人五千万てのも一年四百万っで人生買ったって考えると安いような気はするなぁ。加害者側で死んじゃった人もいるからアレかもだけど」
夕食をつつきながら、実にスラスラと慶子の口からそんな言葉が出た。
慶子がアタマが悪くないのは純一は理解しているのだが、普段の行動の突飛さからあまりにアンバランスでついウッカリというか、マジマジと慶子を見てしまった。
どうやら食卓を囲んでいた全員がそう思ったらしく、視線が集中する。
「――な、なに?なんかダメだった?刑期をお金で買うって言い方ヤッパリ嫌だった?説明簡単かと思っただけで、示談条件もうちょっとイケるとかそういうつもりじゃないのよ、別に」
視線が集まったことで慶子が慌てる。
「いやぁ、慶子がきちんと勉強しているんだなぁって、みんなそう思っただけだと思うよ」
純一が代表して感想を述べる。しばらく意味を考えた慶子がムッとした。
「ナニソレ、酷くない?ちっこくて胸がデカいから、バカとかそういう感じの差別発言?」
「慶子だから、アイツらムカつくから示談なんかヤメトケ。以上くらいかと思ってた。悪かった。続きを頼む」
純一がそう言うと慶子も少し複雑な顔をした。
「――うん、まぁ、じゃぁ……だってさぁ。あのバカどもの親の立場に立ってみると、子供の人生売ってくれませんかっていう申し出なわけでしょ。身勝手だけど分かるかなぁって。実際には量刑にも親告の部分とそうでないのとあるからアレだけど、純一くんが告訴取り下げると和解の努力ありってことで多分三年かそこらで執行猶予がついた判決が出ると思う。だから……まぁ、うん」
「慶子の言うのも分かるけど――」
紫が少し怪訝な声を上げた。
「――あのバカどもの手際を考えると絶対余罪があるって。まぁ私たちの立場じゃなにも出来ないけど、レンタカー屋さんの件だってオカシイって。そろそろふたつきになろうかってのに、一人は名前まで出てる誘拐の実行犯が見つからないって、初めてやりましたって手際じゃないよ」
たしかに紫の言うとおり、誘拐の実行犯については全く手がかりがなかった。正確には手がかりはあったのだが、インターチェンジの通過車両ナンバー情報を通じて警察の手が伸びた時には既にレンタカー屋の店員の手によって清掃されたあとだった。そして店員の警察に渡した資料の中には犯人らしき人物はなかった。
「でもソコは純一さんに関係ないじゃん」
「そんな無責任な!」
「だってそうじゃん!生涯収入の半分くらいくれるって言うんでしょ!純一さんに損はないじゃん」
「おかしいよ!殺そうとまでした連中でしょ!悔しくないの?」
「悔しくたって、貰えるものもらった方があとが楽じゃん。面倒もないし」
「それが無責任だって思わないの?」
「だいたい無責任ってなにさ。どこをどう取ったら無責任なんて言葉になるわけ?こっち被害者じゃん!手打ちに出来る条件を向こうが出したんなら手打ちにする権利はあるんだよ?権利の行使の判断はこっちの責任だよ!」
「じゃぁ、アタシたちはどうなのよ!まるで裁判しないで和解した方が良いみたいな言い方じゃない!それって!嫌なら、降りればイイでしょ!」
「誰もそんなこといってないでしょ!」
「刑期が短いってことは、すぐ出てくるってことよ!また同じことするかも知れないじゃない!」
「止めなよ、ふたりとも」
さすがに怒鳴り合いになってしまっては居心地が悪いを通り越してしまった。光が二人を割って入る。
「――だいたい純一さんが悩んでるんだって、その辺の折り合いに困っているからじゃないのかな。ね?」
光が二人をとりなすように純一に訊いてみる。
「うん。二人の言っていることは、俺が気にしていることとあんまり変わらない。多分……」
だいたいのところは純一の内面の葛藤と同じようなことが目の前でおこなわれていたので純一は軽くうなり、言葉が途切れた。
「でも全然気にすることじゃないね。食事がまずくなるだけだよ。二人とも止めな」
紫と慶子の言い争いをいかにも益体ないことのように未来は言い放った。
さすがに二人が未来を睨みつける。
「別に法正義のことも賠償示談のこともどうでもイイじゃん」
「そんなこと言ったって、――」
「コトは正義の問題じゃなくて――」
まぁまぁ、落ち着けと、未来は二人に掌を突き出す。
「問題がお金をもらってもサッサと出てくるようだと反省しないだろう、ってトコでしょ。お金要らないんだから良いじゃない」
未来はあっさりと言い切った。
「お金いらないって、アタシたちの話じゃなくて――」
「ソコさ。――」
自分のことならともかく純一のことで勝手に進めるのはどうかと、紫は続けるつもりだったのだろうが、未来がさらに押しとどめた。
「私たちはソコソコお金持ちなんだよ?今はともかくちょっと先には」
純一には未来の話の筋がイマイチピンとこなかったが、光には分かったらしい。
光に目で促され未来は続けた。
「……私たちの裁判は順調だからね。バカどもが余計なことしてくれたおかげで」
「いいよ、で」
慶子はまだ腹を立てているようで、紫もスゴイ目で先を促す。さすがに未来も困った顔で笑えない。
「二人ともそのお金使う予定があるの?」
「別にないけど――」
未来の質問に紫がブツブツと答える。
『あっ』
紫と慶子はナニカに気がついたように声を揃え、純一に視線を合わせる。
その視線を追って光と未来も純一に注目する。
えぇ~。なんとなく言いたいことは理解できたが、ソレってどうなのさ。と純一は自分の予想がみんなの結論と違うことを期待した。
「純一さんは当面お金が不要です」
「都心に豪邸が欲しいとか言い出さなければね」
「まぁ、土地場所を指定しなければ、畑付きの家くらいは買えるし大丈夫でしょ」
「農家か~。就職コケたらそれもイイかも」
四人がナニを言っているか、なんとなく想像はついた。
「示談は不要、というか辞めて欲しい」
光が結論として簡潔に希望を述べた。
「お茶をくれ」
純一の言葉に未来が番茶を湯のみに注ぐ。
「理由はきかないでいいの?」
紫がいちおうと言うように口にした。
「――ああ、どうぞ宜しく」
純一は諦めるように言った。
「私たちが無制限に資金貸与するから」
「もちろん実際には無制限とはイカない。FXとかでハデに追証取られるとかだと、追いつかないだろうけど、まぁ、そんなことでもなければ大丈夫。もちろん私も全財産出すつもりだけど、ひとりだけってのは他のみんなに悪いから話の流れ的にも丁度いいかな」
光の言葉を未来が補足した。
「なんだかソレって、俺が買われたみたいだな」
四人がニヤッとした。
「買ったっていうか、ヒモっていうかそんな感じ」
「専属ホスト」
慶子と光がそれぞれ評する言葉に純一はコメカミを揉む。
「手に入る予定のお金だと足んないから、不足分は身体で払うって感じでいいのかな」
紫もすっかりノリノリで純一は言葉もない。愛情も適量適温でないと腹を下す、という言葉を純一は噛み締めていた。
愛の嵐が吹き荒れていた。
ええと、どこでどうなったんだ?
純一は少し記憶を整理し始めた。
たしか久しぶりにゲームセンターなぞに足を向けることになった。
キッカケはテレビ局のマスコットがプライズマシンに登場!とかそんな感じの番組を見ていた時に誰だかが、欲しい、と言い出したことから、アーケードのゲームセンターのプライズマシンに張り付いていたあたりか。
ちょっと商品のレイアウトを見て意外と行けそうとかそんな感じの感覚でいたのだが、微妙な腹の張りを感じ始めたので、腰を据えるかと便所に入って用を足していたあたりが罠だったように思う。
出すもの出して個室から出てくると、高校生らしい見た目とても若い割りに大きい男たち数人がやはり可愛いという印象のカップルを騒がしく引き剥がしていた。輪姦なのかカツアゲなのかその辺は分からなかったが、たぶん彼らにもあまり良く分かってないのだろう。そんな感じに如何にも暴走していた。
殴ってきた腕を右手で跳ね上げつつ左手で軽く胸を支えて軸足を蹴ると、臍の辺りを軸に面白いように回転した。あまりの動きの悪さに思わず純一は開いた膝で落ちてきた肩を支えてしまうサービスまでしてしまった。
動きが悪いというか、どうもちゃんとケンカをしたことのない陣笠の取り巻きであるらしい。多分狩りの練習みたいな感じで、如何にもという感じのカップルを狙って引っ張ってきたところに純一が居合わせたので、混乱して逆上したまま突っかかってきたという感じのようだ。
どうも連中の目には純一の動きがナニをおこなったかが分からなかったようで、床で滑ってスっ転んだ仲間を笑う声まであって本人もそのつもりでいるらしい。
――俺もこんな感じだったのかなぁ。
等と自らの黒歴史に感慨をふけっていると、後輩たちがナイフやチェーンを取り出してきた。
だが全然使い方の年季が足りていない。ナイフは簡単に柄を叩いて天井に弾き、チェーンは先端を軽く叩いてやるだけで仲間を打ち据えていた。
さすがにこれだけヤッてみせてやれば、と思って初々しいカップルを連れて出ようと思った純一に一人が後ろから殴りかかってきた。
せめて黙って殴りかかればいいものを、叫び声を上げていたのでほとんど後ろも見ずに純一は体をかわし、反射的に腕をねじり上げていた。蛮勇に燃える彼の尻の財布から定期を拝見する。
「キミ、高橋裕太くんていうんだ。このあと警察に行くのと、政盛会の事務所に預けられるのとどっちがイイ?政盛会さんはきっと退屈しているから君たちみたいな若い子が来たら相当に歓迎してケンカのやり方を身体で教えてくれると思うんだが」
政盛会なんて純一も知らないが、まぁヤクザ屋さんであることが通じればいいので、その辺はどうでもいい。意味が通じたことを確認して純一は身体を離した。
「でもキミたちはケンカする前にまずは鉄棒とランニングぐらいから始めた方がイイね」
ニコヤカにアドバイスをしてやると、純一は立ち去ったものかどうか困っているカップルを連れてゲームセンターを出た。
ちょっと歩いて少し気取った喫茶店に二人を連れて行くと二人の興奮したままの感謝の言葉を受け取る。
二人があのルーキー達と初対面だというので、あのゲームセンターはもう行かないように忠告して純一は別れた。あんまり彼らが興奮して上ずった声だったので、純一の脳には彼らの名前と学校の名前がすっぽり落ちていたが、まぁその程度の問題だった。
純一がその再会を期待していなかったといえばウソになる。
ツルんでいるとはいえ、高校デビューのケンカルーキーが後ろにたのむ者がいなくて初めてのゴロマキを初対面の人間にカケるわけがない。だから高橋祐太くん御一行がゲームセンターにいた誰かかその傍にいる誰かを保護者としていることは経験的に想像がついたし、だからまっすぐに帰りもしないで事務所にもよらないで、ゲームセンターのプライズマシンで純一はおみやげをゲットしていた。
だからその事自体は予想外ではなかったが、まさに今目的のアイテムをゲットせんというタイミングで声をかけられ、あまつさえ機械を揺らされ取り損なった純一の悲しみと怒りは一言では言い表せなかった。
「あ?」
純一より横があるのが二人、縦があるのが二人。あとは体格的に幼い有象無象が八人。
「オッサン。ダチが世話んなった。ツラ貸せ」
オッサンてのは気に入らなかったが、横にデカいのがそう言ったのに純一は嫌もなく従いていった。
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※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
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