石炭と水晶

小稲荷一照

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ヴィンゼ

スピーザヘリン農場 共和国協定千四百三十四年

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 ヴィンゼとローゼンヘン館の中間くらいにモウ・スピーザヘリンという人物の営む農場がある。
 ヴィンゼ襲撃の折には家畑を丸焼けにされたものの命冥加に逃げ延びることに成功し、その翌年に帰ってきてまた元の土をひっかき始めているという頑固者の評判の人物だった。実のところ、面倒くさがりが昂じて人付き合いが悪いだけで、いわゆる頑固者とはだいぶ異なる人物で、下水の引き直しに水濠の先を確認した折に水肥えとして溜池の泥を子連れで掬いにきたところと出会った。
 マジンとはそのときが初対面だったが、ローゼンヘン館の事件は知っていたらしく、拳銃の他に段平を腰に差している風貌からモウの子供はマジンをそれと察した。
 マジンの誰何にスピーザヘリンが腰低く応え結果として、よくも他家の敷地に、という話でもなかったので名前と住まいだけ聞いておき、ふと畜糞の始末と換えの藁束が手に入らないかという話をしたところ、燃やす手間で糞がもらえるなら量にもよるがそれでいいという話になった。その後、雪が降るまで毎月家畜の糞を集めて引き取ってゆき畑の肥としている。
 マジンより五つ六つ年上だろう年の頃の息子を頭に八人の子供を抱えて農場をやっている。
 五十と言われても三十と云われてもそんなものかと思える面と背中をしていて、辺境の農民としては当たり前に、飢えを避けるために無駄な苦労をしてきた人生を歩んでいる。死ぬよりつらいことがいくらもあるのが生きるってことだというのが口癖の男だった。
 正直なところ、人に好かれるような質でもなければ人に寄せる質でもなかったが、人を払う質というわけでもなく、自分が無学な田舎者であることを隠すほどの不見識でもなかった。なにより、家畑を焼かれた農民がそれでも女房子供を抱えたまま逃げ延び、また同じ土地で農民をやっている、そんな者が無能であるはずもなかった。
 上の方の子供も石塊とさして変わらない面構えでよく働く。
 雪が溶け始めた頃、そこの家に硫安一樽を持ち込んだ。
「使い方はわからんが多分使える」
 農民としての知識の殆どないマジンはそう云うしかなかった。
「わからんのになんで使えるって言えるんで」
 スピーザヘリンは煉瓦を砕いたような灰色の瓦礫を指先で拾い感触を確かめるように言った。
「小便を煮詰めたようなものだからね」
「まさかこんだけの量そうやって作ったわけじゃねえでしょな」
「石炭の煙を集めて作っている。それだけじゃないが」
 鼻を鳴らしてスピーザヘリンは指先の粉をひとなめした。
「おい、コル。ゴル。これどう思う」
 その場にいたもののとくに口を出さない年かさの二人の息子を呼んだ。
「鳥の糞みたいだけど違うな。エグい。酸っぱい。それに塩みたいに溶けるな」
「不味い。けど、どっかの畑がこんな感じだった」
 二人は親父と似たようなしぐさで舐めると口々に言った。
「どこだ、思い出せ」
「たぶん、西の肥やり過ぎて根腐れしたとこ。ホウレン草大きくなったけどタネは大してつかなかった」
「去年は根腐れはなかったろ」
「でもたぶんこれ使うつもりなら気をつけないとそうなる」
「なんでだよ」
「小便煮詰めたみたいなものだって言ってた。たぶん葉が太りすぎてふやける」
 スピーザヘリンは鼻を鳴らした。
「これの代金はどうするね」
「使ってみてよければ次は買ってくれ」
「ウチで良くてもヨソじゃダメかもしらんし、逆もある」
「肥料に使えると思って持ってきたが、使い途は他にもある。邪魔なら余った分は麦を買いに来たときにでも引きとるよ」
 スピーザヘリンは鼻を鳴らした。
「コル、ゴル。どっか麦の伸びの怪しい新しいところでお前らのいいように試してみろ」
 そんな風に話がついた。
 持ってきた樽を預けてジャガイモやカブ玉ねぎなどを荷馬車にいっぱい相場で払って買って帰ることにした。
 冬越しの野菜は一通り品定めしたはずのものではあったが、傷んでいるものも多かった。
 あるいは悪意で試されたかとも同道したアルジェンは言ったが、おそらくは新鮮なカブラがあるだけマシで、冬越しの農民というものは或いは野で暮らすよりも本当に貧しいのだろう、とマジンは言った。
 矢弾が枯れ得物のない状態で熊や鹿に出くわすことや寝ているところに野犬やイノシシに付け狙われるのに子供連れは避けたいからのローゼンヘン館定住であったから土地にしがみつく理由はわかるし、一家十人というのは獣の群れとしても中堅どころで冬の分の蓄えがあることを考えれば、貧しさ云々は状況次第だとは思い直した。
 スピーザヘリンの愛想の置き場が微妙なのは、悪意の有無ではなく連中なりの誠意なのだろう。
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