【完結】悪役令嬢だった僕は、蛮族の国で拳で人生を切り拓く(予定)

緑虫

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 エンジが寝ながら涙を流している――。

 眉間には悲しそうな皺が寄っていて、見ているだけで胸が締め付けられるような息苦しさを覚えた。

「エンジ……」

 どうにかして泣き止んでもらいたい。かといって、ちっとも起きないエンジに対して全く身動きが取れない僕がやれることなんてほぼないに等しい。

 辛うじて動かせるのは、頭だけだ。だったら、僕はベニの代わりにはなれないけど、少しでも温かさを感じてくれたら。

 そんな思いで、顔をエンジの首元に寄せてグリグリと擦り付けた。貴方はひとりじゃないよ、ここに僕がいるからね、という意味を込めて。

「ベニ……」

 殆ど息くらいの小声で、エンジがベニの名前を呼ぶ。

「お前だけだ……お前がいれば、俺は……」

 そのまま、消え入るように声は小さくなっていった。僕の耳元に、またもやスウー、という寝息が聞こえ始める。

 僕は何も言えなくなって、固まってしまっていた。

 このお屋敷に泊めてもらうことになった時、酔っ払った僕と双子が互いを好きだと言い合っていた時の冷たい目。それと全ての雇い人に暇を出してしまったことからは、エンジが人との距離を開けようとしているような印象を受けた。

 だけど、僕を見て毒気を抜かれると笑ったこと、頑なに僕に正体を隠そうとし続けること、そして「お前は俺を知ってもそのままでいてくれるかねえ」と呟いた時の、エンジのどこか淋しそうな達観したように見えた目。

 更には主人に忠実な使い魔のベニだけだという呟きから、エンジが心の内に何かを抱えていることは伝わってきた。

 掴めないけど明るくて男らしくて、絡まれていた僕を当然のように助けてくれて、宿泊先を与えてくれただけでなく稽古までつけてくれるような、おおらかな優しさと正義感を併せ持つ人。それが僕から見たエンジだ。

 なのに、床のあちこちに転がっていた空の酒瓶や積み上げられていた服の存在が、彼がどこか自暴自棄になっているようにも思えてしまう。

 エンジと出会って、まだたった三日だ。相変わらず謎ばかりで掴みどころのない人だけど、僕はこの人のことをもっと知りたいと思い始めていた。

 だけどなんでだろう、と考えてみる。勿論、エンジが僕の理想のヒーロー像そのもので推しだからというのはある。だけどそれ以上に、自分とどこか通じるものがある気がして仕方ないからなのかもしれない。

 そう、エンジから感じ取られた雰囲気は、かつての僕が必死で「自分には必要がないもの」として頭の隅から追いやろうとしていたものを彷彿とさせたんだ。

 お父様の機嫌がよかったら抱き締めてくれるんじゃないかと考えたり、普段は厳しい国王夫妻に「よく頑張っている」と褒めてもらえないかと期待してみたり、殿下ならパトリシアの貴族らしからぬ態度を注意して自分の味方をしてくれるんじゃないかと考えたりした、あれだ。

 相手に対する期待と失望。願っても叶うことはないのに、それでももっとちゃんと自分を見て欲しくて、他の人がされているように大切にされてみたくて願わずにはいられなかった。

 だけど今僕は、冤罪で処刑されない為にかつて自分が縋りたいと思った相手を全員切り捨てて、こうして僕をちゃんと見てくれる人たちに囲まれて過ごせている。だから僕は知っている。一度背中を向けた人は、もう振り向いてくれないんだってことを。

 もしかしてエンジは、親しい人に裏切られて傷付いてしまったんじゃないか。だからどこか人を突き放すような態度を見せると同時に、新しい相手、つまり僕に構ってくるんじゃないか。

 素のエンジ本人を見てほしくて。

 料理に入っていた毒で三日三晩生死を彷徨い続けたと聞いた。誰かがエンジの死を望んでいることは確かだ。悲しいことに。

 ――俺を見て。膝を抱えたエンジが、泣きながら言っているように思えた。

 スリ、ともう一度エンジの首元に顔を擦り寄せる。

「エンジ……少なくとも僕は貴方を見ているよ。もっとちゃんと貴方を知りたいと思っているよ……」

 だから、エンジの憂いが少しでも晴れますように。

 泣き出したい気持ちを抑えながら、静かに祈った。



「――アーネス、起きろ」

 すぐ真上から低い声で呼ばれて、唐突に覚醒する。

「……へっ!?」

 瞼をパチッと開けると、真上には僕を覗き込んでいるエンジの青空のような瞳と、えんじ色の髪の美しいカーテンがあった。……綺麗だなあ。へら、と笑いを浮かべると、エンジが上体を起こしたせいで綺麗な景色が消えてしまった。

「そんなにニヤけて、エロい夢でも見たのか?」

 ニヤつくエンジを見て、完全に目が覚めた。

「ちょ、ちょっと!エロい夢なんて見てないですってば! て、あれ!? 僕、いつの間にか寝ちゃってた!? エンジ、今の時間は!?」

 大慌てで窓の外を見ると、朝日はまだ全体を出したばかりのところだった。大して時間が経っていないことにホッと胸を撫で下ろす。

「まだ全然早い時間だから問題ない」
「よかったあ……!」

 エンジが手を伸ばしてきたので、ありがたく手を掴んで起き上がった。だけど、何故かエンジが僕の手を離さない。どことなく気不味そうに、時折目を逸らしては僕を見て、を繰り返している。

「どうしました?」

 何か粗相でもしちゃったかな、と不安になりかけていると。

「……すまん。その……いつから起こしてくれていた?」
「え? ええと、お祈りが終わった直後からなので、朝日が顔を出してすぐくらいですよ」

 エンジは少し上目遣いになると、ボソボソと言った。

「……すまん。ベニと間違えていて……」
「わ、あの、ええと、はい、ベニって呼ばれたので分かってます……」

 えっ! まさかエンジが照れている!? あ、よく見ると目元がちょっと赤くなってる! か……可愛いんだけど……!

 すると今度は片手で目元を覆うエンジ。

「その……苦しかったんじゃないか? 普段ベニは人の頭のところで寝ようとするもんで腕に抱きかかえて寝るんだが、すぐに抜け出すせいで俺も段々遠慮がなくなってだな……」

 ベニ、頭のところで寝るのか。なんか自由って感じだったもんなあ。

「あ、えと……抜け出せなかったです。まあちょっとは苦しかったですけど……え、えへへ……っ」

 駄目だ。思い返せば返すほど、恥ずかしくなってきた。どういう表情をしたらいいのか分からなくなって唇を噛み締めながら俯いていると、屈んだエンジが下から僕の顔を覗き込んでくる。

「アーネス、顔が赤いぞ。酸欠か?」

 酸欠じゃないと思う。原因は、さっきからバクバクいっている心臓のせいだ。

 だけどどうして? と聞かれると、分からないとしか答えられない。自分が分からなくなって混乱した僕は、何も考えられなくなり「へ、へへ」と締まりのない笑みを浮かべた。笑って誤魔化せ的なやつだ。分かってる。

「えへへ、あの、お役には立てませんでしたけど――おはようございます、エンジ」

 エンジは一瞬目を見開くと、すぐにいつもの飄々とした感じで小さく笑う。

「いや――お陰様でよく寝られた気がする。ありがとな、アーネス」
「えっ、あの、いや別にそんな……はいっ、喜んで!」
「は?」
「あ、いや、その、なーんて冗談です! えへ、へへへ……っ」

 テンパリ過ぎて例の言葉が口から飛び出してきたけど、エンジは不思議そうに首を傾げただけで深くは追求してこなかった。聞かれたところで何て説明していいものやらなので、助かった。

 膝立ちになると、エンジは僕の頭をぽんと掴む。本当軽々と僕の頭をボールのように掴むよね、この人。

 エンジがニカッと笑いかける。

「とりあえず朝稽古でもするか?」
「――はいっ!」

 どうして僕の口は勝手に「はいっ、喜んで!」なんていう言葉を発してしまったのか。これじゃまるで、いつでも抱き枕にして下さい待ってますって言ってるのと一緒じゃないか。

 自分のアホさ加減に羞恥で更に火照っている自覚を持ちつつ、元気に返事をした僕だった。
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