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46・【他者視線】静かに研がれる鎌の先

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 ドルディット国の王都貴族街の中でも、背丈のある花木に囲まれ、一際美しいと評判のトルスガルフェ侯爵家の正門が大きく開け放たれ、多くの衆目が見守る中、吸い込まれるように、贅を極めたような豪奢な造りの4頭立ての馬車が4台、大量の帝国騎士を引き連れて入っていったのは、つい1週間前の事だった。

 門扉がしめられ、従者によって扉の開けられた馬車から出てきたのは、帝国の最新ドレスに身を包んだ、ローザリア帝国ハズモンゾ女公爵と夫、そして付き従う侍女侍従たちだった。

 高位貴族の婚礼行列を思わせるこの一行。 3日後に控えた、ドルディット王国の建国記念及び、新王太子のお披露目という事で王家から正式な文書で帝国へ招待を送ったところ、自国の式典のため出席できない皇帝夫妻の代理として、皇妃殿下の双子の妹が家督を継いでいるという、名門・ハズモンゾ公爵夫妻が指名され、訪れることになった。

 一公爵家とはいえ、相手は帝国の、しかも皇家と強い縁続きのある家の当主夫妻である。 決して疎かにする訳には行かないと、ドルディット国側は、国賓として歓迎し、滞在中は王宮の客殿を用意すると告げた。 しかしハズモンゾ公爵夫妻は、長年にわたり親交があるというトルスガルフェ侯爵家へ滞在するので結構と、その申し出を断って来た。

 なんでも、20年以上前にトルスガルフェ侯爵家の令嬢アマーリアが帝国に留学した際、最も仲良くしていたのが、当時まだ皇女であったミシュエラ(ミズリーシャの母親)と、ハズモンゾ公爵家の双子の令嬢だったらしい。 その姉妹の、姉は皇帝に嫁ぎ、妹が公爵家を継いだのだ。

 この事実に顔を顰めたのは現国王だ。

 彼はは過去、そのアマーリア・トルスガルフェとの間に、自身の有責による婚約破棄という、不名誉極まりない因縁があった。 そのため、かの家に滞在するのは警護的に問題があるのではないかと、難癖に似た事を言い、ギリギリまで難色を示ししていた。 しかし相手は折れない。

 そもそも帝国貴族と自国の貴族の個人的・かつ商的な親交を咎めることは出来ず、また、帝国の、しかも皇家と縁続きの公爵家相手にこれ以上強く出る事もできず、渋々ではあるが、国王はそれを承諾するしかなかった。

 こうして、トルスガルフェ侯爵家は無事、ハズモンゾ女公爵夫妻を屋敷に迎える事が出来た。

 色んな意味でドルディット国中の関心を奪う豪奢な行進劇が行われているのと同時刻、トルスガルフェ侯爵家には大量の食料品や酒を積んだ商会の馬車が裏門に吸い込まれていった。

 ドルディット国内でも見ることのない、燦然と輝く鎧を身に纏った帝国騎士を連れた豪奢な馬車で帝国の高貴な方々が入られたのだから、大量の食料品や酒が運び込まれるのも当然だと、その商会の馬車の事など、誰も気にも留めなかったのは、当たり前のだった。






 高級かつ上品な調度品が、品よく設えられたその屋敷の奥。

 特別な客しか招き入れることのない防音等防犯設備がしっかりと整ったゆったりとしたサロンに、侯爵家でも特に信頼の高い侍女に連れられ、行儀悪くぐるぐると首や肩を回しながら黒髪の青年が現れた。

「ただいま帰りました。 いや、大変でしたよ、やはり商会の荷馬車は固いし狭いし、何よりよく揺れますね。 おかげであちこち痛くて。」

「何ですか、侯爵閣下の前でお行儀の悪い。」

「いいえ、ここには我らだけです。 そのようにお気遣いなく。 さぁ、荷馬車はつらかっただろう? お茶を用意させるから、こちらへ座りなさい。」

 あらあらと言いながら、ハズモンゾ女公爵が青年を咎めるが、彼本人はまったく悪びれた風もなく、この屋敷の主であるトルスガルフェ侯爵本人に頭を下げると、勧められたゆったりとした一人掛けのソファに座った。

 それに合わせ差し出されたティーカップを手にした彼は、香りを楽しむように目を伏せると、唇を湿らせるようにゆっくりと茶を飲み、やがて小さく息を吐いた。

「あぁ、とてもいい香りですね、しかも素晴らしく美味しい。 先ほどまでひどい場所に居たので本当に気が滅入っていたんです。 やっと一息付けました。」

「それはそれは。 お気に召していただけて何よりだ。」

 そんな様子を見たトルスガルフェ侯爵は満足そうに微笑み、目の前で優雅に茶をたしなむ青年の名を呼んだ。

「ウルティオ殿。 あぁ、本当に大きくなったね。 私が君に最後に会ったのは、たしか姉の手から君を受け取り、帝国で待つ女公爵様の元へお届けする時だったか……うん、本当に大きく、立派になったね。」

 それにはやや大袈裟に吃驚したと翡翠の瞳を見開いたウルティオは、柔らかに、にこやかに笑った。

「いやだなぁ、伯父上。 それでは僕は覚えていませんよ。 だってそれ、僕が1歳くらいではありませんでしたか?」

「あぁ、そうだったな。 だがなぁ、私の腕にこう、すっぽりとはまってしまうくらい、小さくて利発な子だったよ。」

 そんな、やや劇画的にも見える和やかな会話を黙ってみていたウルティオの養父であるハズモンゾ卿は、やれやれと肩を竦めて息子を見た。

「ウルティオ。 そのように笑っているという事は、つまり、お使いはうまくいったのかな?」

 やや渋めの顔でそう問うてきた養父に、ウルティオはにこやかな笑顔のまま『もちろんですよ』と頷いた。

「事前の計画通りしっかりと。 哀れな子羊は予定通り影が処置を終えるのを見届けてから、皇妃殿下のご指示に従って帝国の端の炭鉱に送っておきました。 総締めである男爵へは、怪我が治ればすぐにでも仕事をさせるように言いつけてあります。 僕に似て綺麗な顔をしていますからね、飢えた獣たちには元の性別を差し置いても、十分すぎるご褒美でしょう。」

「あら嫌だわ、貴方に似て、なんて。」

 にこにこと物騒なことを話す息子に、ハズモンゾ女公爵は身震いを起こし、心底嫌そうにため息をついた。

「そうなのですよ、母上。 僕も身の毛もよだつほど嫌なのですけどね。 残念ながらこの黒髪以外は、まるでそこに鏡でもあるんじゃないかと思うくらい似ていたので、本当に吐き気が……いえ、吃驚しました。」

 そう言って、紅茶に映る自分の顔に苦笑いをした彼は、グイッとそれを飲み干すと、苦しそうに吐き出した。

「でもお陰で、作戦はうまくいくでしょうね、えぇ、嫌になるほど完璧に。 しかし言わせて頂けるのであれば、今日ほど母さんの髪の色を受け継いだことを感謝したことはありません。」

 自嘲を含んだ行儀の悪い所作を、誰も咎めることはなかったが、やや重くなってしまった空気は気持ちがいこごちが悪く感じる。

 そんな雰囲気を少しでも変えようと、トルスガルフェ侯爵は侍女に新しく茶を淹れるように指示して、にこやかに微笑んだ。

「その話はさておき。 ウルティオ殿。 手筈通りに異母妹君には会えましたかな?」

 それには、入ってきた時と同じく、穏やかな微笑みを浮かべてえぇ、と頷く。

「もちろんです。 伯父上が用意してくださった侍女のお陰で、無事に会う事が出来ました。 私の顔を見て動揺が隠せないほど驚いていましたが、あの子は、まだ考えに甘いところもあるけれど、それを差し引いても聡いですね。 色々と確認しましたが、すべてしっかりと役目を果たしてくれていました。 勿論、聖女についても同様です。 まったく、誰に似たらあんなに賢い子になるのやら。」

「それは、ミズリーシャ嬢のお陰ではないかしら?」

 本当に不思議だというウルティオに向かい、にこやかに微笑みながら答えたのはハズモンド女公爵だ。

「皇帝陛下に届く手紙に書いてあったと、お姉様に聞いたことがあるわ。 なんでも、共に厳しい教育を受けているが、勤勉な彼女には本当に励まされていると。 少なくとも両親の悪いところは引き継がなかったようね。」

「なるほど、それは納得です。」

 養母の言葉に笑ったウルティオは、新しく用意された紅茶に手を付けることなくそれで、と養い親であるハズモンド女公爵夫妻と、トルスガルフェ侯爵を見た。

「父上、母上。 それに叔父上。 そろそろお客様と、それにお母様もいらっしゃるのでしょう? その前に、打ち合わせをしましょう。」







 初めてであった異母兄と別れ、隠し通路を使って王宮の外から王女宮まで、トルスガルフェ侯爵が用意してくれた侍従に誘導されて戻ったエルフィナは、私室のなかでも最もお気に入りの、窓辺にあるソファに座り、侍女が用意してくれた心を落ち着かせる効果のあると言うお茶を手にした。

 ミズリーシャとの婚約破棄後も、国王夫妻である父と母、そして兄の事を説得しようと試みながら、彼女が行っていた外交を引き受けたエルフィナは、信用が落ちた国の窓口として働き続け、一年たった頃ようやく個人的な信頼を得るようになった。

 まずは最初の段階をぬけたと安堵した時、厳しい交渉をくぐりぬけた彼女の耳元で、帝国の使者はこっそり1人の貴族の名を出した。

『トルスガルフェ侯爵を訪ねなさい。 今の貴女なら資格があるでしょう。』

 その名前を聞いたことがあった。 自国の貴族でなり、父親である国王の婚約者候補だった人の生家だ。

 なぜ今その名前が帝国側から出てくるのか、エルフィナにはわからなかった。

 しかし帝国側から名を提示されたという事は、自分の知らない何かがあるのだろうと考え、共に行動する弟シャルルには立太子まで大人しく父のいう事を聞いて機嫌を取るようにと命じ、自身は内密に調査を開始、同時に侯爵へ接触を試みた。

 やはり何かあるのだろう。 一向に良い返事を返してくれなかったトルスガルフェ侯爵に、ただ調査を続けながらエルフィナは忍耐強く手紙を送り続けた。

 ようやく面会を許されたのは、2人が父王とアマーリア・トルスガルフェ侯爵令嬢、そして聖女の間にあった一連の不祥事を突き止め、それを非公式の文面ではあったものの謝罪させてほしいと書き綴った時だった。

 それは奇しくも、西の王子宮に移された兄が、聖女マミに対し最初に暴行を働いた騒ぎの後だった。

 一対一で。

 その約束を守り、エルフィナは弟が止めるのも聞かず、単身、トルスガルフェ侯爵家を訪問した。

 あってくれたのは、アマーリアの弟であり、現在のトルスガルフェ侯爵本人だった。

 そこで聞かされたのが、『アマーリア・トルスガルフェ侯爵令嬢はアリア修道院の現院長であり、アリア修道院は現国王が乱暴の末、子を宿した聖女ハツネと、その子を守るために作った場所である』という事だった。

 その話を詳しく聞かされた時、エルフィナは嘔吐した。 そしてその吐しゃ物と共に全ての元凶である『王家の血を引く者』として、トルスガルフェ侯爵から語られた、約20年にわたる帝国・教会側のドルディット皇家と神殿による聖女召喚の風習を断ち切る作戦の一端を担う事を決意した。

 その計画の最終目標は、近隣諸国の王族諸侯の前で、ドルディット皇家と神殿の罪を、けして言い逃れのできない状態で暴き、聖王猊下率いる教会の公平な裁きを受けさせ、聖女召喚という名の非人道的な行いをこの世から無くすこと。

 エルフィナは、20年前にそれがかなわなかった原因である、『足りないピース』を保護するようにと指示され、それを了承した。

 その期限は一年に満たない。

 断罪の舞台は、奇しくも20年前に現国王が自身の立太子お披露目の祝宴に紛れて聖女を暴行し、さらに2年前にはエルフィナが敬愛するミズリーシャ・ザナスリー公爵令嬢が婚約破棄を言い渡されたのと同じ広間で行われる、周辺諸国の王族諸侯が招待し開かれる、建国記念、及びシャルル第二王子立太子の夜会となった。

 それまでに、最後のピースを穏便に手に入れなければ。

 王女宮の使用人をトルスガルフェ侯爵とその派閥(その中には領地に戻ってしまっていたザナスリー公爵家ももちろん名を連ねていた)の手を借り、信頼できるものだけに厳選した上で、西の王子宮、両親の使用人にも紛れ込ませると、彼女は両親の機嫌を取り、兄を見張りながら静かに機会を待った。

 どうか穏便に。

 そんなエルフィナの願いも虚しく、最悪の形でピースはそろった。

 離宮でおとなしくしていろと言われていた第一王子の部屋の外に、激しく暴行され投げ出された聖女マミを保護したと、影が知らせに来たのだ。

 同時に、幼い媛が偶然聞いてしまった、両親の醜い計画ももたらされた。

(王家はもう駄目だ。)

 王女宮に秘密裏に運び込まれた彼女を見たエルフィナは、同じ女として、馬鹿な兄を絶対に許せなかった。

 自分たちの都合のいいものにしか興味のない両親である国王夫妻も。

 身の内に渦巻く激しい怒りを笑顔で隠したエルフィナは、国王夫妻には『2人とも離宮に幽閉、外部に漏れぬよう箝口令を引いておきました』と一部偽装をして報告した。

 それを疑うことなく『よくやった』と手を叩いて喜ぶ両親に吐き気を覚えつつ、王女宮に戻った彼女は、王女宮の最奥で傷ついた聖女を手厚く治療ながら、両親と兄たちを監視し続けた。

 ひとつ、誤算であったのは聖女マミの行動だった。

 暴行で出来た体の傷と乱暴されて出来た心の傷によって長く身動き一つとれなかった彼女は、体が治るのと裏腹に心のバランスを崩していったのだろう。 その心の隙間を埋めるかのように、自分は王族だ、大切に扱えといい、贅沢を求め、王女宮の使用人に対して傍若無人にふるまい、時には暴れることもあった。

 間者の懸念もある中で、大声を張り上げ、暴れる聖女を王女宮の一室に閉じ込めておくのは困難になり始めた。

 さらには彼女が本当に妊娠していたこともわかり、その事柄が外部に漏れるという自体になった。

 猶予はなかった。

 側族と離宮に入り込もうとする使用人の格好をした間者達。

 秘密保持のためにも、聖女の身の安全のためにもこれ以上自分の王女宮に閉じ込めておくことは無理だと判断したエルフィナは、トルスガルフェ侯爵を通じ、彼女をアリア修道院へ入れる事になった。

 と、同時に、来るべき日の為、王宮内に入り込んだ間者を排除するために、西の王子宮でいまだ叶わぬ夢に胡坐をかく兄には退場していただこうということになったのだ。

 曰く、幽閉にて気の狂った兄が、聖女に毒を盛って殺し、更には自らのその毒をあおって自害したという事にして王宮から外部へだし、そこで今までの償いをさせよう、ということだった。

 作戦決行日の今日、兄を王宮から逃がした上で、影が用意していた、王家が所有する毒杯用の秘毒によって酷く浮腫みんだ青紫色をした聖女と兄に背丈がよく似た動物の遺骸を2体並べ布をかけ偽装し、王へ報告、醜聞や厄介事を異常に嫌う現王があっけないほど簡単に出した許可の元、離宮を焼却させた。

 王宮内にいる人間には、第二王子シャルルの立太子披露が終わるまで、この事は特秘という王命が出た。

 夕刻、現王の代わりに焼き払われた離宮を見に行ったが、柱1本残っていない焼け野原になっていた。

「……今日は一日、とても長かった気がするわ。 」

 エルフィナは、静かに目を伏せた。

 焼け野原の前で、愚かな兄は死んだのだと、自分に言い聞かせた。

 幼い頃から第一王子だからと誰よりもふんぞり返り、しかし昔は努力を知り、人をいたわることの出来る優しい人だった。

 しかし、なぜこんな事になってしまったのかなどと考えている余裕はエルフィナにはない。

 建国記念及び立太子祝宴の場に向けて、両親の機嫌を取りつつ、余計なことをしないよう、目を光らせておかねばならない。

『エルフィナ、可愛い僕の妹。 お馬鹿な彼の事で、君は気をやまないようにしなさい。 王族としての矜持を忘れて民を虐げた彼は、ただその償いのため、働いてもらう事にするだけだ。 この後のことは、僕に任せておいで。 さあ、君は早く帰りなさい。』

 別れ際。 そう言って、自分の頭を優しく撫でてくれた、優しい笑顔の『一番上の異母兄』のぬくもりを思い出す。

 その手は、笑顔は、連れて行かれた兄とも、道を誤った父とも似ていて、これから起こる事を考えると無性に悲しくなった。

 そんな心情を理解したのか、異母兄は、自分を優しく抱きしめ、慰めてくれた。

 第一王子の身柄は、異母兄が責任もって預かると言ってくれた。 ドルディット国に居場所のない兄は、帝国の修道院かどこかに入り、民のため身を捧げることになるのだろう。

 それでいい。 喧騒離れた静かなところで、一からやり直し、真っ当な人になってほしいと心から思う。

「お兄様、どうぞ、お元気で。」

 事実を知らないエルフィナは、落ちていった兄の為に静かに祈りをささげると、残った仕事を片付けるべく、静かに執務室へ向かうために部屋を出た。
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