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第1章
カルガモの2人と新しいカルガモ④
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『秋彦』そう祥介に呼ばれる度に秋彦は安心する。
何の根拠もなく、ただ、声を聞くだけでそう思ってしまう。祥介だけは、ずっと一緒。ずっと味方。
まるで幼い頃からの、刷り込みのように。 自分と祥介は、あの春の穏やかな日に二人で見た、田んぼを泳いでいた
カルガモ親子。
親は祥介、雛は自分。 でも、祥介……雛は親鳥を見ることしか許されないの?よそ見をしたら置いていくの?
祥介は、自分という出来損ないの雛を、友情や愛情ではなく、同情と憐憫を添加した、幼い頃からの刷り込まれた義務感で一緒に居て、そんな思いで自分と接していたのように思ってしまう。
手がかかるから、せめて迷惑はかけるな。よそ見なんかするな。それでなくても恥ずかしい存在なのだから。祥介は自分を憐れんでいたのかと、夢うつつを彷徨いながら、一生懸命否定する自分と、諦めたようにうなだれ、そう思う自分がいた。
微睡みの中で夢も見た。祥介が居なくなる夢だ。朝いつものように目が覚めても祥介がいない。部屋を探しても、何処を探してもいない。泣きながら名前を呼んだ。
『祥介、祥介!置いていかないで!』
秋彦が、泣きながら目を覚ますと、祥介の部屋のベッドの中だった。柔らかなマットレスが敷かれた、淡く祥介の匂いがするベッド。良い匂いだ。爽やかな青林檎のような匂い。
ブランケットをかけられ、額には濡れた冷たいタオルが置かれていた。ベッドサイドのお洒落な淡い光のランプシェードが、ベッドの横でうつらうつら椅子に腰掛け微睡む祥介を照らす。
「祥介………」
ホッとしたらまた涙が出てきた。本当に夢で良かったと思う。 祥介は、どうしてここにいるのだろう。祥介には目尻にも頬にも涙の痕があった。
テーブルには
コップに注がれたスポーツ飲料。
冷えたタオル。
寝づらいだろうと外された秋彦の眼鏡。
「目が覚めたのか?秋彦」
急にかけられた声に
「うん」という声が上ずる。
「少し飲むか?」
「あ、ありがと」
祥介はストローを差し、首を傾けただけで飲み物は飲めた。栄養が入ったスポーツドリンク。仰向けになったままぼんやりと秋彦は言った。
「怖い夢見た」
『覚めれば終わるよ』 どんな夢かは、祥介は聞かなかった。
「一緒に寝るか?」
秋彦は躊躇いがちに、小さく頷く。そっと祥介は秋彦と二人で向かい合わせにベッドに入る。
「相変わらず小さいな」
「………悪かったねチビで」
秋彦は棘のある口調で言ったのに、祥介は笑う。
「秋彦はいつも、優しい甘いお菓子みたいな匂いがする。俺が、一番好きな匂い。安心するよ」
くしゃくしゃっと、犬か猫を撫でるように祥介は秋彦の前髪を撫でた。不思議な感じがした。
昔の、幼い頃の祥介みたいだと秋彦は思った。乱れた前髪を秋彦はかき揚げる。 今の素顔の秋彦は、普段学校で見せる秋彦とまるで違う。
長すぎる睫毛といつも潤んだ大きな瞳。均整のとれた少し童顔な綺麗な顔。 祥介は思った。その後輩は、きっと秋彦に気がついている。
優しさ、
誠実さ、
丁寧で礼儀正しいところ。
そして整った容姿。
隠された秋彦の全て。
向けられる柔らかな笑顔も『祥介』と呼ぶ声も、祥介は、全部自分だけのものにしたかった。
ありのままの秋彦は魅力的だ。
引っ込み思案だけれど、しなやかだ。
性格も外見も、綺麗だ。
夏の金色の稲穂の群れのようだと思う。
その後輩は、見つけた。
俯き、考え込む祥介に秋彦はポツリと言った。
「………祥介が消えちゃう夢見た」
「消えて、欲しかったんじゃないか?」
少し、秋彦は視線をあげる。祥介はいつもの悪ふざけをするような顔をして笑っていると思っていた。
けれど穏やかな、そして悲しげな笑顔を浮かべているだけだった。
「秋彦は、もう俺はいらないか?」
首を振る秋彦を祥介は抱き寄せた。
「秋彦………お前が俺の手を離すまで、ずっと傍にいるよ。だから安心していいよ」
きつく抱きしめられ、祥介の温もりを感じた。温かい。安心する。
「祥介の手、あったかいね。僕は、いつも冷えてる。ねえ、祥介」
「ん?」
「僕………恥ずかしい?」
潤んだ瞳で秋彦は祥介に訊いた。
「恥ずかしくなんかない。俺の自慢の親友で、従兄弟だよ。俺が言ったのは男子高校生の二人暮らしっていうのがちょっと………恥ずかしかっただけ。誤解させて、悪かった。眠れ、秋彦。髪、撫でてやるから。好きだっただろ?」
秋彦は誂えたように、祥介の懐に収まる。
「今日はごめん………勘違いして、祥介に嫌な思いさせた。でも、もうご飯をあんな風に残さないで。本当にもう作ってあげないよ、揚げワンタン。あれ、面倒なんだから。罰として朝ごはん、僕の調子が良くなるまで祥介が作って」
抱き寄せた片手で祥介は秋彦の髪を撫でながら言った。
「解った。頑張るよ。楽しみにしてて。それと、今日はごめんな。俺の言葉足らずだ。それに本当に嫌な態度をとった。身体、大丈夫か?痛いか?もっと飲み物飲むか?」
「大丈夫」
祥介に髪を撫でられる。心地いい。祥介のリズム。祥介の手が好きだ。いつも温かい、大きなきれいな手。髪を撫でながら祥介はうとうとし始めた秋彦に語りかける。
「………お前にとって俺はただの従兄弟だからな。でも、俺にとっては秋彦、お前だけなんだ。大切なのも、ただ守りたいと思うのも。昔みたいに、ずっと一緒にいられたらいいのに。………なぁ、昔、一緒に見たカルガモ、覚えてるかな。あのカルガモみたいにずっと一緒に居たいよ。雛は俺だよ、秋彦。親はお前。名前を呼ぶといつも振り返って笑ってくれたな。俺は、お前の背中ばかり見て、追いかけてた。今日は………ごめん。ごめんな。その後輩に秋彦がとられるみたいで、悔しかった。嫉妬したんだ。俺が、間違ってた。全部、俺の独占欲だ。秋彦に置いていかれるみたいで怖かった。さっきも言ったけど恥ずかしいなんて思ってない。誤解させて傷ついたよな、ごめん。あんな………苦しかっただろ。痛かったよな。ガキみたいだな、俺。アキは俺の好きなメニュー、覚えてくれていたのに………ごめんな 。守りたいって言う俺が、一番お前を傷つけてる」
秋彦は泣くのを我慢する。それ弱い涙腺。本当は祥介にしがみつきたかった。
「泣いてるのか?」
秋彦は首を振る。
「眠れ。秋彦」
暫く経って、秋彦が眠りの狭間にいる頃、ふわりと髪をかき揚げられる感じがして、口唇に柔らかい感触があった。目を開ける勇気もなくて、そのまま寝たふりをしていると、祥介は言った。
「どうして、友達じゃなきゃいけないんだろうな。………好きじゃなければ、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに………」
切ない声に、秋彦はゆっくり瞳を開ける。
「起きて………た?」
「………お、起きてない」
「聞いてた?」
「き、聞いてないよ。何にも、聞いてないよ」
秋彦が祥介の胸にしがみつく。祥介は一言『ごめんな』と言い、ぎゅっと秋彦を抱きしめた。
「………俺、近々出てくよ。もう、ここには居られない。秘密が………ばれちゃったからな。気持ち悪いだろ。お前を好きだなんてな。………初恋だった。ずっと好きだったよ。一緒にいたかった。明日から荷物少しづつまとめないとな」
『行かないで』その一言が喉につかえた。祥介はもう決めているようだった。
「もう、一緒にはいられないの?」
「ああ。いられない。ごめんな、秋彦のファーストキス、もらった。俺の都合で振り回して、ごめん。………秋彦は、間違うな」
祥介は、少し寂しそうに微笑んで言った。
「このまま一緒に眠っていいか?もう変なことなんて、しないから」
ふわりと秋彦に回された祥介の腕。
「祥介………どうして?」
「どうして、か。小さな頃、カルガモを嬉しそうに見る横顔に、どうしようもない気持ちになった。それから毎年『カルガモを見に行こうよ』と言うお前のすぐ隣に居られるのが嬉しかった。優しくて、素直で、ちょっと泣き虫な秋彦が好きだったよ。言うつもりはなかったんだ。ずっと、言うつもりは………なかったんだよ。ただ、守りたかった。一緒にいたかった。それだけだったんだ」
『さよなら、アキ』そう、小さく祥介の声が聴こえた気がした。
祥介がいなくなった家。こんなに自分の家は広かったのかと改めて感じる。
『このワカメ炒めたの美味しいな』
『秋彦、数学のチャートの、この問四教えて』
声も、音もない家。秋彦の母は、看護師で、夜遅くまで働いていたから独りの夜には慣れていた。けれど、祥介と暮らし初めて、夜が明るくなった。
けれど今、穏やかに名前を呼ぶ、あの声が消えてしまった。
「秋彦」 「アキ」 と。
秋彦が何かに夢中になって聞こえないでいると祥介は少し大きめの声で「アキ」と呼ぶ。
「祥介………僕を呼んでよ。ずっと一緒にいてくれるって、言ったじゃないか………祥介………」
今更自分自身の想いに気づかされた。夜ガランとした部屋でベッドにうつ伏せになり秋彦は思い出す。抱きしめられたときの心地よさ。
唇を重ねたとき、本当は心臓がおかしくなるくらい早く脈打ったこと。
泣いて縋ってでも、引き留めればよかった。独りでのいいことが一つだけ。大声で泣くことが出来る。
祥介はずっとこんな思いをしていたんだろうか。苦しいのは今度は自分の番なんだろうか。
時折見せた祥介の辛そうな顔。 秋彦にとって、今胸の中にあるの初めて知る部類の苦しさ、切なさ。
それは、祥介が居なくなって、独りになって気づいた。
どれほど祥介に甘えていたか。
頼っていたか。
………好きだったか。
甘えて支えられている事実に秋彦は上手に祥介への好きだという気持ちを紛れ込ませていた。
「傍にいてよ、祥介…………しょう……ちゃん……僕も、しょうちゃんが好きだよ……」
──────────【続】
何の根拠もなく、ただ、声を聞くだけでそう思ってしまう。祥介だけは、ずっと一緒。ずっと味方。
まるで幼い頃からの、刷り込みのように。 自分と祥介は、あの春の穏やかな日に二人で見た、田んぼを泳いでいた
カルガモ親子。
親は祥介、雛は自分。 でも、祥介……雛は親鳥を見ることしか許されないの?よそ見をしたら置いていくの?
祥介は、自分という出来損ないの雛を、友情や愛情ではなく、同情と憐憫を添加した、幼い頃からの刷り込まれた義務感で一緒に居て、そんな思いで自分と接していたのように思ってしまう。
手がかかるから、せめて迷惑はかけるな。よそ見なんかするな。それでなくても恥ずかしい存在なのだから。祥介は自分を憐れんでいたのかと、夢うつつを彷徨いながら、一生懸命否定する自分と、諦めたようにうなだれ、そう思う自分がいた。
微睡みの中で夢も見た。祥介が居なくなる夢だ。朝いつものように目が覚めても祥介がいない。部屋を探しても、何処を探してもいない。泣きながら名前を呼んだ。
『祥介、祥介!置いていかないで!』
秋彦が、泣きながら目を覚ますと、祥介の部屋のベッドの中だった。柔らかなマットレスが敷かれた、淡く祥介の匂いがするベッド。良い匂いだ。爽やかな青林檎のような匂い。
ブランケットをかけられ、額には濡れた冷たいタオルが置かれていた。ベッドサイドのお洒落な淡い光のランプシェードが、ベッドの横でうつらうつら椅子に腰掛け微睡む祥介を照らす。
「祥介………」
ホッとしたらまた涙が出てきた。本当に夢で良かったと思う。 祥介は、どうしてここにいるのだろう。祥介には目尻にも頬にも涙の痕があった。
テーブルには
コップに注がれたスポーツ飲料。
冷えたタオル。
寝づらいだろうと外された秋彦の眼鏡。
「目が覚めたのか?秋彦」
急にかけられた声に
「うん」という声が上ずる。
「少し飲むか?」
「あ、ありがと」
祥介はストローを差し、首を傾けただけで飲み物は飲めた。栄養が入ったスポーツドリンク。仰向けになったままぼんやりと秋彦は言った。
「怖い夢見た」
『覚めれば終わるよ』 どんな夢かは、祥介は聞かなかった。
「一緒に寝るか?」
秋彦は躊躇いがちに、小さく頷く。そっと祥介は秋彦と二人で向かい合わせにベッドに入る。
「相変わらず小さいな」
「………悪かったねチビで」
秋彦は棘のある口調で言ったのに、祥介は笑う。
「秋彦はいつも、優しい甘いお菓子みたいな匂いがする。俺が、一番好きな匂い。安心するよ」
くしゃくしゃっと、犬か猫を撫でるように祥介は秋彦の前髪を撫でた。不思議な感じがした。
昔の、幼い頃の祥介みたいだと秋彦は思った。乱れた前髪を秋彦はかき揚げる。 今の素顔の秋彦は、普段学校で見せる秋彦とまるで違う。
長すぎる睫毛といつも潤んだ大きな瞳。均整のとれた少し童顔な綺麗な顔。 祥介は思った。その後輩は、きっと秋彦に気がついている。
優しさ、
誠実さ、
丁寧で礼儀正しいところ。
そして整った容姿。
隠された秋彦の全て。
向けられる柔らかな笑顔も『祥介』と呼ぶ声も、祥介は、全部自分だけのものにしたかった。
ありのままの秋彦は魅力的だ。
引っ込み思案だけれど、しなやかだ。
性格も外見も、綺麗だ。
夏の金色の稲穂の群れのようだと思う。
その後輩は、見つけた。
俯き、考え込む祥介に秋彦はポツリと言った。
「………祥介が消えちゃう夢見た」
「消えて、欲しかったんじゃないか?」
少し、秋彦は視線をあげる。祥介はいつもの悪ふざけをするような顔をして笑っていると思っていた。
けれど穏やかな、そして悲しげな笑顔を浮かべているだけだった。
「秋彦は、もう俺はいらないか?」
首を振る秋彦を祥介は抱き寄せた。
「秋彦………お前が俺の手を離すまで、ずっと傍にいるよ。だから安心していいよ」
きつく抱きしめられ、祥介の温もりを感じた。温かい。安心する。
「祥介の手、あったかいね。僕は、いつも冷えてる。ねえ、祥介」
「ん?」
「僕………恥ずかしい?」
潤んだ瞳で秋彦は祥介に訊いた。
「恥ずかしくなんかない。俺の自慢の親友で、従兄弟だよ。俺が言ったのは男子高校生の二人暮らしっていうのがちょっと………恥ずかしかっただけ。誤解させて、悪かった。眠れ、秋彦。髪、撫でてやるから。好きだっただろ?」
秋彦は誂えたように、祥介の懐に収まる。
「今日はごめん………勘違いして、祥介に嫌な思いさせた。でも、もうご飯をあんな風に残さないで。本当にもう作ってあげないよ、揚げワンタン。あれ、面倒なんだから。罰として朝ごはん、僕の調子が良くなるまで祥介が作って」
抱き寄せた片手で祥介は秋彦の髪を撫でながら言った。
「解った。頑張るよ。楽しみにしてて。それと、今日はごめんな。俺の言葉足らずだ。それに本当に嫌な態度をとった。身体、大丈夫か?痛いか?もっと飲み物飲むか?」
「大丈夫」
祥介に髪を撫でられる。心地いい。祥介のリズム。祥介の手が好きだ。いつも温かい、大きなきれいな手。髪を撫でながら祥介はうとうとし始めた秋彦に語りかける。
「………お前にとって俺はただの従兄弟だからな。でも、俺にとっては秋彦、お前だけなんだ。大切なのも、ただ守りたいと思うのも。昔みたいに、ずっと一緒にいられたらいいのに。………なぁ、昔、一緒に見たカルガモ、覚えてるかな。あのカルガモみたいにずっと一緒に居たいよ。雛は俺だよ、秋彦。親はお前。名前を呼ぶといつも振り返って笑ってくれたな。俺は、お前の背中ばかり見て、追いかけてた。今日は………ごめん。ごめんな。その後輩に秋彦がとられるみたいで、悔しかった。嫉妬したんだ。俺が、間違ってた。全部、俺の独占欲だ。秋彦に置いていかれるみたいで怖かった。さっきも言ったけど恥ずかしいなんて思ってない。誤解させて傷ついたよな、ごめん。あんな………苦しかっただろ。痛かったよな。ガキみたいだな、俺。アキは俺の好きなメニュー、覚えてくれていたのに………ごめんな 。守りたいって言う俺が、一番お前を傷つけてる」
秋彦は泣くのを我慢する。それ弱い涙腺。本当は祥介にしがみつきたかった。
「泣いてるのか?」
秋彦は首を振る。
「眠れ。秋彦」
暫く経って、秋彦が眠りの狭間にいる頃、ふわりと髪をかき揚げられる感じがして、口唇に柔らかい感触があった。目を開ける勇気もなくて、そのまま寝たふりをしていると、祥介は言った。
「どうして、友達じゃなきゃいけないんだろうな。………好きじゃなければ、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに………」
切ない声に、秋彦はゆっくり瞳を開ける。
「起きて………た?」
「………お、起きてない」
「聞いてた?」
「き、聞いてないよ。何にも、聞いてないよ」
秋彦が祥介の胸にしがみつく。祥介は一言『ごめんな』と言い、ぎゅっと秋彦を抱きしめた。
「………俺、近々出てくよ。もう、ここには居られない。秘密が………ばれちゃったからな。気持ち悪いだろ。お前を好きだなんてな。………初恋だった。ずっと好きだったよ。一緒にいたかった。明日から荷物少しづつまとめないとな」
『行かないで』その一言が喉につかえた。祥介はもう決めているようだった。
「もう、一緒にはいられないの?」
「ああ。いられない。ごめんな、秋彦のファーストキス、もらった。俺の都合で振り回して、ごめん。………秋彦は、間違うな」
祥介は、少し寂しそうに微笑んで言った。
「このまま一緒に眠っていいか?もう変なことなんて、しないから」
ふわりと秋彦に回された祥介の腕。
「祥介………どうして?」
「どうして、か。小さな頃、カルガモを嬉しそうに見る横顔に、どうしようもない気持ちになった。それから毎年『カルガモを見に行こうよ』と言うお前のすぐ隣に居られるのが嬉しかった。優しくて、素直で、ちょっと泣き虫な秋彦が好きだったよ。言うつもりはなかったんだ。ずっと、言うつもりは………なかったんだよ。ただ、守りたかった。一緒にいたかった。それだけだったんだ」
『さよなら、アキ』そう、小さく祥介の声が聴こえた気がした。
祥介がいなくなった家。こんなに自分の家は広かったのかと改めて感じる。
『このワカメ炒めたの美味しいな』
『秋彦、数学のチャートの、この問四教えて』
声も、音もない家。秋彦の母は、看護師で、夜遅くまで働いていたから独りの夜には慣れていた。けれど、祥介と暮らし初めて、夜が明るくなった。
けれど今、穏やかに名前を呼ぶ、あの声が消えてしまった。
「秋彦」 「アキ」 と。
秋彦が何かに夢中になって聞こえないでいると祥介は少し大きめの声で「アキ」と呼ぶ。
「祥介………僕を呼んでよ。ずっと一緒にいてくれるって、言ったじゃないか………祥介………」
今更自分自身の想いに気づかされた。夜ガランとした部屋でベッドにうつ伏せになり秋彦は思い出す。抱きしめられたときの心地よさ。
唇を重ねたとき、本当は心臓がおかしくなるくらい早く脈打ったこと。
泣いて縋ってでも、引き留めればよかった。独りでのいいことが一つだけ。大声で泣くことが出来る。
祥介はずっとこんな思いをしていたんだろうか。苦しいのは今度は自分の番なんだろうか。
時折見せた祥介の辛そうな顔。 秋彦にとって、今胸の中にあるの初めて知る部類の苦しさ、切なさ。
それは、祥介が居なくなって、独りになって気づいた。
どれほど祥介に甘えていたか。
頼っていたか。
………好きだったか。
甘えて支えられている事実に秋彦は上手に祥介への好きだという気持ちを紛れ込ませていた。
「傍にいてよ、祥介…………しょう……ちゃん……僕も、しょうちゃんが好きだよ……」
──────────【続】
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