妖精の園

華周夏

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【第10話】お前が好きだ。だから、さよなら。

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レガートは、椅子に座るフィルを後ろから抱き竦めた。

 『しばらく、しばらくこのままで。花婿に無礼とは解っている。だが、頼む…フィル……今だけでいい』

── もう、触れることはないだろうから。

レガートがそう言葉を繋げようとする前に、フィルはレガートの手に自分の手を重ねる。

 「一緒に寝よう、レガート。ぎゅっとしてあげるよ。おばあちゃんが、僕が泣くといつもしてくれたんだ」 
『私は、泣いてなどいない』 
「泣いてるよ。傷だらけで、悲しいって……泣いてるよ」

 フィルとレガートは紺色の金の花の刺繍のベッドに向き合って眠る。
 いつも一緒に寝ているのに、緊張する。向かい合って眠ったことなんてないからだ。
少し照れ臭いような気がしたけれど、何処か不安気なレガートを見ると全てが消える。
フィルの世界はレガートだけになる。
そっとレガートの顔を胸に抱く。髪を撫でると最初レガートは、 

『フィル、手が穢れる。やめろ』

 と言ったけれど、フィルは言葉に逆らうように、レガートを抱きしめる腕に力を込め、その漆黒の長い髪を優しく撫でた。
レガートの髪は柔らかくしなやかで猫を撫でているような心地よい手触りがした。

 『フィルからは、砂糖を入れたホットミルクのような匂いがする。甘く、いい香りだ』
 「ありがとう。……眠って。疲れているんでしょ。レガートが眠るまでこうしてるから」
 『まるで、子供扱いだな。幼い頃、誰かの胸の中で眠るなんて、私にはなかった。憧れていた。誰も私に触れてくれなかった。心地よい……ものだな』

 そう言い。レガートは、目を閉じる。寝息が整ったレガートに、フィルは小さく話しかけた。 

《僕に本当にやさしくしてくれたのは、おばあちゃんと、レガートだけだよ。嬉しかった。抱きしめられて空を飛んだとき、綺麗な妖精の使者が来てくれたって。嬉しかった。あの時、僕の心には金色の灯火がついた。レガートは僕の初恋なの。好きだよ。ずっとレガートが好きだよ。王様の花嫁さんになっても、変わらないよ………》 

フィルは『眠る』レガートに語りかけ、目を閉じた。胸が痛んだ。
それは、自分の恋は叶わないことを知っているから。
フィルは目を瞑り心の中でおばあちゃんの面影を探す。笑うおばあちゃんに話しかける。 

《……おばあちゃん。僕は王様の花嫁になるみたい。でもなりたくない。おばあちゃんの大切なひとの花嫁なんて、なりたくないよ…。それと、恋の味を知ったよ。皆甘いって言うけど嘘だった。苦くて、つらい。叶わない想いはつらい。おばあちゃん。僕の目の前で穏やかな寝息をたてる睫毛が長い、昔のあまりにも悲しい話を、僕に代償のように差し出す不器用なこの人をつめると心の臓の鼓動が速くなる。切なくて、たまらない。守ってあげたい。もう、傷ついたりしないように………》

 目を瞑っていると、レガートの囁きが聞こえた。 

《フィル……可愛らしい寝顔だな。ずっと今までのように、一緒にいられたら……おかしな話だ。何故もっと早く伝えたかったのだろうな。日頃の『ありがとう』の言葉さえ、まともに伝えられなかったな。永遠なんて、ないのに……。また親衛隊の仕事帰りに、酒場に行ったり、もう一度あの奇跡のような唄で私の庭に花畑を作って欲しかった。仕事から帰ってきて、一緒に食事をすること、同じベッドで眠る幸せな窮屈さ。みんな私の初めてはお前がくれた。フィル、今日はすまなかった。……眠りながら、泣いているのか?》

 レガートは親指で『眠る』フィルの頬を包み伝う涙を拭う。 

《私の花婿に、なって欲しかったな。お前が、欲しかった。お前は偽りがない。美しい金の髪に林檎のような口唇。愛らしい顔立ちだ。お前は私が翁に扮していたときも何も変わらなかった。それに私がずっと欲しかった言葉を、まるで見てきたようにくれる。お前がいとしい。この気持ちを伝えたら、お前も嫌悪するのだろうか。私を好きになってくれとは言わない。ただ、嫌わないでくれ…けれど、もう諦めなければな。私もお前もつらくなるだけだ…もう、今のままではいられない》 
レガートは潤んだ声でそう言いフィルを抱き寄せる。
 
『……レガートは僕の初恋なんだ。好きだよ。ずっとレガートが好きだよ』
 
という、儚いフィルの告白にレガートは胸を痛めた。
想いが通じても、許されない。
この手で自分の想いもフィルの想いも握り潰すのか。
レガートは初めて運命を憎んだ。
叶わないものがある、望んでも得られないものがある。そんなことはとうに解ってきたはずなのに。あの娘を失い、痛いほどレガートは自分は醜いと思い知った。
だから余計にレガートは背筋を伸ばした。 けれど、フィルだけはそのままのレガートを「高貴で美しい」と言った。
今、フィルはレガートを親鳥が雛を守るようにレガートを胸に抱く。
泣きながら眠るフィルがいとしい。
そしてあまりにも憐れだ。

【外から来たものは王様のもの】

王様が目覚めた今、掟は絶対。そして王様が『花婿』を指名した今、今夜で全てが終わりだ。 

『フィル』

……そう名前を呼ぶだけでレガート苦しくなる。もう、フィルを想ってはいけない。『さよなら』の意味も込めてレガートはフィルに口づけた。
『眠る』フィルは涙が溢れてとまらなかった。

 朝、目覚めるとレガートが、お茶を飲みながら椅子に腰掛け空を見ている。
心なしか面持ちが暗い。 
そんな最中フィルは伸びをして目を擦りながらレガートに『おはよう』と言った。昨日に比べずっと強い日差しがレガートの白い肌を照らす。フィルは目が覚めても最初寝たふりをしてレガートを見つめていた。
綺麗なひとだと思う。けれどフィルを見つめるレガートの瞳にはいつものような光がない。
フィルは昨日、『眠った』時にレガートから聞いた言葉が、耳から離れない。
呟くような言葉が胸を締めつける。忘れられない。忘れたくない。あの時、素直に想いだけでも伝えるべきだったんだろうか。通じあえたと思える瞬間は確かにあった。

『お前がいとしい』

とあの時レガートは確かに言った。嬉しいと同時に涙がとまらなかった。
修練が終わっても、花婿になっても胸の中の金色の灯りは消えないとフィルは思う。
けれど、レガートはフィルが起きていたことを知らない。
レガートの臆病な告白を聞いていて、触れるだけの口づけを交わしたこともフィルは知らないと思っている。
 フィルは『いつか』伝えようと思った。不確かな『いつか』。レガートに恋をしていた。
それは、レガートも同じだった。
想いが過去に変わる前に伝えたい。
いつか。
そう、いつか。

──────────《続》 
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