妖精の園

華周夏

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【第9話】レガートの過去

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 フィルは呼吸が苦しくなるくらい泣いた。「ひどい」
「うそつき」
「しんじてたのに」
そんな言葉を最後にはヒックヒックと変な音を喉から出しながら言った。
苦しかった。
だから、レガートもずっと苦しそうな顔をしていた。
 レガートは泣くフィルを抱きしめる。
床に下ろすこともせずレガートは部屋までフィルを抱きかかえたままだった。

レガートの手が熱い。
焼けるように。 部屋に着き、椅子に座る頃にはもうフィルには泣く元気もなかった。
レガートと向かい合わせのテーブルに着き、ぼんやり窓にかかる月を見ていた。
 レガートはさっきの様子とはうってかわって、フィルを見ては困ったようにして、部屋をうろうろしたり、 
『少し寒いから火を焚こう』 と、魔法陣で器に火を焚き、挙げ句にはお茶までいれる始末だ。 『タカタカの実が気に入っていたと聞いたから、用意させた。良ければ、一緒に食べないか?』
 「………」 
『フィル?』 
「………いらない。早く寝たら?」 
『お前が眠くなるまで、待っている。いつものように一緒に眠らないと寒いだろう』

 少し恥ずかしいが、フィルは、ここに来てからレガートと同じベッドで寝ている。
ソファで寝ようとするレガートに

『一人じゃベッドが広くて寒い』
と言った。レガートに甘えて一緒に眠りたかった。
ただ隣で眠るだけでも嬉くて心が温かくなった。
 「……花婿修行…急に何で……それに、まず『花婿』だなんて………訳が解らないよ」

 呟くように空を仰ぐ。濃紺の空に輝く月。触れたら指が、全てが切れてしまいそうな月。

 『フィル…。花婿と言うのは妃の階級だ。王妃に継ぐ権力を持つ。王妃空席の今、花婿として位を与えられた時のお前の発言は王妃に等しい影響力がある。だから花婿というものにはあらゆる教養が必要だ。フィル、早く眠らないと『氷華』が出始める。足が冷えてしまう……』

 レガートは心配そうに眉をひそめる。

 「もうレガートと一緒に寝たくない。僕は忘れない。今日のこと、レガートが言ったこと、絶対に忘れない。一緒に眠るくらいなら死んだ方がましだよ!」

 その一言で、レガートの顔つきが暗くなる。 

『死んだ方がましだ、か。フィル、……昔話をしようか。遠い昔の話だ。きっと気にいると思う……… ………昔々、三人の妖精がいた。三人の妖精は仲が良く、いつも花園で遊んでいた。三人のうち二人は双子の兄弟だった。兄は美しかったが、弟は周りの大人達さえもが子供に『近寄るな』と嫌悪の種を植え付けるほど醜かった。しかし、もう一人の可愛らしい娘は醜い弟にも兄と同じく別け隔てなく扱った。 弟は唯一自分と仲良くしてくれる兄を慕い、その娘に恋をした。初恋だった。ずっと、三人で仲良く遊び、学んだ。三人とも成長したある日、双子の兄がもう一人の美しく成長した妖精の娘と婚約してはどうかと親に言われた。しかし、兄は断った。双子の親は、 『娘は弟とも仲が良い。弟と婚約させよう。弟も娘を気に入っている』 と言った。その話を聞いた弟は有頂天だった。自分に唯一優しくしてくれる美しい妖精の娘が妻になると。双子の親はもう一人の美しく成長した妖精の親にその旨を伝えた。双子の妖精は裕福で身分は最も高かった。兄は王太子に、弟は親衛隊長になっていた。もう一人の妖精は頗る賢くまばゆい程美しいが下級貴族の身分。喜んで受け入れるはずだと。しかし、美しい妖精の娘はこう言った。 『あの方と結婚して王妃になるのが夢だった。だからあの穢らわしい化物とも我慢して親しくしてやったのに』 と。そして、 『あの醜い化物の妻になったら国中の笑い者。死んだ方がましです』 といい、自ら羽を切り落として死んだ。その弟の目の前で。最後の言葉は 『化物のくせに!身の程を知れ!』 だった。妖精の急所は羽だ。それ以来、その弟は、孤独を好んだ。信じたら裏切られる。笑顔の下が本当の笑顔だとは限らない、と。 弟は兄を……何処かで憎んでいるのだよ。全くの逆恨みだが。二人が婚約し、婚約の儀をあげれば、何も知らない愚かな弟は二人を祝福できた。 兄が婚約を断らなければ『真実』を何も知らずにいられた。自分の義姉に焦がれた時もあったと笑い話に出来たのに。自分へ、あんな想いを抱いていたと、知らずにすんだ。綺麗な気持ちや、誰かを信じる気持ちも消えることはなかった。弟は心まで醜くなった。 見つめるだけの恋だった。自分の醜さのせいで彼女は死んだ。見つめることを許してくれたのは彼女だけだったのに……全て偽りだったけれど、 それでも弟は思ってしまうのだよ。彼女には生きていて欲しかったと。例え自分の物にならなくても、生きて幸せになっていて欲しかった。心の内で自分のことを蔑んでいたとしても。自分が一番解っているんだ。あの娘に言われなくても解っていたんだ。醜い化物だと。 誰も私を愛さない。私は恋を諦めた。身の程を知らなければ。見てみるか? 爪が何故か朱色なんだよ。ずっと手袋をしている。まるで血に染まっているようなんだ。解っている。最初から全部自分が解っているんだ。仕方なかった。誰も悪くない。私が醜くなければ済んだ話だ。生まれついたものは、仕方がない。兄は私をいつも気にかけてくれた。優しい自慢の兄だ。その兄が婚約を断ったのも仕方がないことだ。兄は相手の心を読みとる能力がある。その能力で兄は苦しんできた。弟を心の中で蔑み続けた娘を王妃とし、偽りの愛を誓うのはつらかったのかもしれないな……。 でも、たまにだが思い出すんだ。幼い頃のあの楽しい、美しい時間に偽りはなかったはずだと。でなければ、あまりにも、報われない…… 『おしまいだ。つまらん昔話だったな』
 レガートは目の前のカップの温くなったお茶を一気に飲み干した。
フィルの頬に涙が伝った。レガートが淹れてくれたお茶を一口飲む。味がしない。
レガートはフィルを見つめ微笑んだ。それだけで、何も言わなかった。 王様が言っていた、棘のようにレガートを締めつける深い不信の傷。 初めて信じ、恋をした人に裏切られ、一番言われたら傷つく言葉を言われ、自害されるなんて。フィルはレガートに頭を下げた。
 「レガート、ごめん。つらいこと、話させたね」 
『謝る必要はない。何故私もお前にこの話をしたのか、よく解らない。不様な過去を知っておいて欲しかったのか。お前だから話したのか。……フィル、お前と過ごした時間は、私が夢見た、ずっと欲しかったものだった。礼を言う。それと、さっきはすまなかった。お前を侮辱したことを、許して欲しい』
 「……どうして、あんなこと言ったの?」
 フィルはレガートをじっと見つめた。
 『……お前には、後宮より、ドラゴンの厩舎の方が似合う。窮屈で孤独な後宮に押し込めるのは可哀想に思えた。兄上が気に入らなかったら……例え王様のものとしても、形だけの末席の側室として……使用人扱いなら、親衛隊の実績を聞き入れてもらい、今までのように……いられると思った』
 けれど王様はフィルを気に入っている。あと二ヶ月後には、フィルは兄上の花婿になる。あの娘を失ってから、誰かを想うのは無駄だとそう思ってきたけれどレガートはいつの間にかフィルを目で追っていた。 見つめるだけでよかったはずなのに、想われたいと思う欲が顔を出した。フィルのあの大きな瞳にじっと見つめられるたび、自分の名前を呼び手を振り駆け寄る姿を見るたび、レガートは錯覚してしまいそうになる。もしかしたら、報われるかもしれないと。だが、報われたとして手放せるのだろうか。立派な花婿とし送り届けるのが王様に命じられた養育係の自分の役目。真に望むものは掴めない。手をすり抜け消える。レガートはフィルを見つめた。髪に触れたくなった。この金色の髪に触れられるのは今、自分と兄上だけ。手を伸ばそうとした瞬間、あの娘の声が蘇った。 『化物のくせに!身の程を知れ!』 断末魔のような声が耳から離れない。ハッとレガートは我に返った。そうだ、自分は化物だった。レガートは自分の手を見てそう思い、触れようとした手を下げた。誰もが近寄るのも躊躇し、触れるのを嫌悪する、化物。レガートはため息をつく。今までの感情に蓋をする。明日からは昔の自分に戻らなければ。感情を殺したあの頃に。もう、今までのようにはいられない。
 「レガートはもう、恋はしないの?」
 『しない。したいと思っていたが、もういい。叶わない想いは虚しいだけだ。もう、誰も想わない……眠くなっただろう。つまらない話を聞いて。明日からは修練だ。お前が寝ないなら私は先に寝る。お前も早く休め』
 すっとレガートは羽根を小さくたたむ。
 「……レガートの羽根は早春に咲くすみれの色みたいだ。とても綺麗。僕の大好きな色だよ」
 ベッドに向かうレガートは振り向く。椅子に座るフィルの膝に置いた手に力が入る。
 『漆黒の長い髪は?』
 レガートがフィルを嘲笑する。フィルは切なそうにレガートを見つめ、訴えるように言った。 
「夜の色。月を輝かせる、火の大切さを学ぶ、何色にも染まらない色」
 レガートが俯く。小さな声で呟く。 
『朱色の爪は?』
 レガートは黒い革の手袋を外した。フィルは右の指に手を添え、爪にキスをした。
 「………子供が鳳仙花でマニキュアを塗った色。僕もやった。とても綺麗な色……」
 レガートは、椅子に座るフィルを後ろから抱き竦めた。 
『しばらく、しばらくこのままで。花婿に無礼とは解っている。だが、頼む…フィル……今だけでいい』
 もう、触れることはないだろうから。レガートがそう言葉を繋げようとする前に、フィルはレガートの手に自分の手を重ねた。
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