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〖第25話〗
しおりを挟む山梔子とのキスは甘く、心地よいのに、心臓が痛くなった。口唇を重ねながら、このキスすら僕から消えてしまうのかと思うと、泣けてきて仕方なかった。
「ねえ、山梔子」
「何?惣介」
「僕ね、幸せだよ。多分おじいさんになっても、今日のことは忘れない。いや、山梔子を、この夏のことを、忘れないんじゃないかなあ。いつか、君に会いに此処に戻ってくるよ。必ず、かな、らず………」
号泣しながら、咽びながら僕がそう言うと、山梔子は僕を抱きしめて言った。
「惣介、君が好きだよ。思い出したら会いに来て。夏なら嬉しい。君は俺の香りが好きだから」
忘れたくない。誰かを愛しいと思ったのは山梔子、君が初めてだったんだ。
──────────
「──院長先生。また仮眠ですか。たまには家に帰って身体を休めないと」
「あそこは息が詰まるんだよ。ここがいい。山梔子のいい香りがする」
「山梔子の鉢植えには毎日水をあげるのは忘れないのに、自分は栄養補給ゼリーなんて。自分を大切にしてあげて下さい」
看護師はそう言い、仮眠室を後にした。部屋に満ちる山梔子の甘い香りは白衣にも移りそうだ。私は何故か昔から山梔子の花が好きだ。仮眠室、院長室に二つ鉢植えを置いてある。
目を瞑ると山梔子が香る。誰かの甘い微笑みに似た香りがするのだ。
忘れてる?そんなひとはいない。私には子供はいない。本家は誰かが継ぐ。恋愛なんてしなかった。恋人?恋愛?そんなものは必要ない。私には要らない。
『本当に?』
問いかけるようにあの微笑みが、グリーンとブルーを足したようなあの綺麗な瞳がちらつき、山梔子の香りが部屋にたちこめる。
『惣介』
そう呼ばれ、私の、老いた皺だらけの手に瑞々しい白い手が添えられた気がした。目蓋の裏に浮かんだ柔らかく微笑んだ顔を思い出す。
一瞬にして、時間は戻る。あの森の風を、光を、蝉の声を、夏の山の匂いが還ってくる。あの時、確かに山梔子が言った言葉。
『………惣介、待ってるから。いつまでも、待ってるから。惣介、俺を憶えていて。惣介。君が好きだよ。ずっと、俺には惣介だけだよ』
別れの日、そう山梔子は言い、泣きながら笑った。私も自動車から身をのり出し泣きながら手を振った。私にも、あった。誰かに恋し焦がれた時間が。
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