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第二章 娼館編
9 娼館☆
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ライラの初めての客は、マリアが選んだ。
客はイシュラヴァール王国軍の将校で、それは軍服に付いた徽章でわかるのだが、もちろんライラは知る由もない。
「新しい妓が入ったって?」
「ええ、つい昨日。中佐のお気に召せば良いのですけれど」
マリアはライラの部屋へ客を案内した。
「ライラ、入るわよ」
ライラは部屋の中央で、身を固くして立っていた。
服はマリアがくれた。といっても代金は稼ぎからさっぴかれるというから世知辛い。背中が大きく開いて、脚の両脇には深いスリットが入っている。
「じゃ中佐、お楽しみくださいな」
そう言い残して、マリアは部屋を出ていった。
客と二人きりで部屋に取り残されて、ライラは途方に暮れて立ち尽くした。
名を伏せているのか、ただ「中佐」とだけ呼ばれたその客は、厳つく上背があり、むさ苦しい軍人そのものの風体をしていた。広い肩幅、厚い胸板、筋肉に覆われた腕と脚。肩に降り掛かった巻毛は口ひげと繋がり、眼光は射るように鋭い。若い女ならばひと睨みされるだけで震え上がりそうだ。
「ライラといったな。口がきけぬのか?」
声もまた、太く威厳がある。
「……いいえ」
「お喋りは苦手か」
「……」
ライラは黙った。何と答えていいかわからない。そもそも何を話せばいいのかもわからない。
以前の主は、奴隷に対して鞭で打って犯すことしかしなかった。初対面の男を会話でもてなすなど、ライラは考えたこともなかった。
「まあいい。俺も煩い妓は嫌いだ」
中佐は寝台の端に剣を置き、ライラの腕を掴んで寝台に押し倒した。
髭を生やした口がライラの唇を塞ぐ。
「んっ」
貪るようなキスはしばらく続いた。ライラの内側がしっとりと潤ってくる。
中佐の手が首に触れ、ライラはびくっと反応する。中佐は構わず首の後ろに手を回して、服の留め金を外した。
するり、と衣が腰まではだけ、ライラの弾むような乳房が露わになる。そのまま衣を脱がされ、ライラの裸体が寝台の上に横たえられた。
中佐は自らも服を脱いだ。
鏡台の上に置かれたランプが、二人の裸体を艶めかしくかび上がらせる。
中佐はまた、ライラの唇に喰らいついた。野獣のように貪りながらも、分厚く大きな手がライラの秘所を弄る。
ひく、とライラが反応した。
無骨な指に、とろりと蜜が絡みつく。
ライラが伏し目がちに中佐を見上げた。中佐は唇を離すと、男根をライラの秘所に押し当てて、一気に貫いた。
「――っ!」
ライラが背中を弓なりに仰け反らせた。苦しげに歪んだ顔が、余計に欲情を掻き立てる。
中佐は一瞬我を忘れて、限界まで引き抜いた後に、再び最奥まで一気に突き上げた。
「――っ、うぅ……」
ライラが小さく呻いて、ようやく中佐は我に返った。
「すまん、つい」
中佐は数回、ライラの浅い場所を優しく出入りしたが、やはり堪らずに奥を突き上げた。そのまま荒々しく腰を叩きつける。
「……んっ……んは……っ、ハァ……ッ……」
中佐の腰の動きに合わせて声もなく喘ぐライラを見下ろしているだけで、男根に血がたぎるのがわかる。
「……くっ、うぅーっ!」
低く呻いて、中佐は男根を引き抜いて射精した。
しかしその直後、ライラをうつ伏せにすると、後ろから貫いた。中佐の男根は射精してなお、血管を浮き上がらせていきり立っていた。
ライラの髪が滑り落ち、鞭の痕が露わになる。
その細い背中を大きな両手で掴んで、激しく犯す。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
「……んンっ……ハァッ……」
重なり合う荒い息遣いが、隠秘な匂いを纏って部屋に満ちる。
結局中佐は、一時間近くかけて都合四回射精すると、ようやく寝台に仰臥した。
「――無体な真似をしてしまった。すまない」
中佐は静かに言って、ライラの頭を撫でた。
マリアは柱廊の飾り窓に腰を預けて、棕櫚の葉の向こうに輝く月を見るともなく見上げていた。マリアが手にした、美しい銀細工が施された細長い煙管からは、煙が細く立ち上り、月明かりの庭に漂ってゆく。
「邪魔したな、マリア」
「あら中佐、もうお帰りです?」
マリアの声はなんともいえない艶を含んで、「夜の兎」を訪れる客たちは誰もがまずこの女主人の虜になる。
「あれは生娘か?」
「まさか」
ふうっ、と煙を吐き出して、マリアは微笑んだ。
「であろうな。だが時折、怯えるような眼をする。……ちと気になってな」
「あらあら、もうライラにご執心かしら?」
てっきりマリアの冷やかしなどすぐに否定するかと思ったが、中佐は真面目な顔を崩さない。
「また近いうちに来る」
それだけ言って、中佐は娼館を後にした。
庭に残されたマリアは、ゆっくりと煙管を吸い込んだ。薄い雲が月明かりを翳らせる。
「怯えた瞳の子うさぎちゃん……か」
「ライラか?」
突然背後から話しかけられて、マリアは驚いて振り向いた。柱廊の暗闇に半ば溶け込むように立っていたのはイドリスだ。
「やだ、驚かせないでよ」
「言っただろ。あいつは飾りっ気がないが、男にはたまんねぇ色気があるんだよ」
「そんなの、あたしにだってわかるわよ」
「あのぶっきらぼうな言葉遣いと世間知らずだけどうにかすりゃ、毎晩引きも切らずに客がつくぜ」
「ねぇ、ライラはどこの娘なんだい?あたしには全然喋ろうとしないんだよ」
「喋り方を知らないだけさ。競売人は遊牧民の娘だって言ってたが、ありゃ違うな。たぶん奴隷だ。それもろくな教育受けちゃいねぇ。恐らく子供の頃から奴隷だったんだろうさ。マリア、あいつの裸、見たかい?」
マリアは首を傾げた。そういえば着替えをちらりと目にしただけで、全身をくまなく見たわけではない。
「肩に入れ墨があるのは見たわ。それこそ砂漠の遊牧民が入れているような」
イドリスは鼻で笑って首を振った。
「あいつの背中、鞭の痕だらけだぜ」
「え……あんた、そんなキズ物に20万も出したのかい!?」
「分かっちゃいねえなぁマリア。その疵がそそるんじゃねぇか」
イドリスはまた、にやりと笑った。
「実際、中佐はまた来るって言ってたんだろ?」
「ええ……」
マリアは釈然としない風で頷く。
「教えてやれよ、計算でも文字でも、小さな子供に教えるようにさ。ただし客あしらいなんか教えんじゃねぇぞ?あの男慣れしてない眼がいいんだよ、あいつは」
「眼、ねぇ……」
月がまた雲間から顔を出した。
翌日から、起きてから客を取る前までの午後の時間は、ライラの勉強時間になった。
マリアは元々は裕福な商家の娘だった。知識も豊富で、貴婦人のような立ち居振る舞いもできる。
「ライラ、肩を丸めないで。胸を張っていないとみすぼらしく見えるの。みすぼらしい女に高い金を払おうなんて男はいないわ。それから、歩く時に膝を曲げないこと」
マリアはライラに教える時には言葉遣いも変えた。すれっからしの娼婦たちをまとめるにはいかにも玄人女らしい喋り方が何かと都合が良かったが、『生娘』と言った中佐の言葉が引っかかっていた。
(ライラは娼婦に染まらないほうが、売れるのかもしれない。イドリスも言っていた、男慣れしてないのがいいと)
「ララ=アルサーシャは、東西に流れるウラ川によって大きく南北に分けられるの。街の北側は王宮を中心に政庁が集まっている地域、南側が市場や商店のある市街地よ」
マリアは卓上に地図を広げて説明する。
「北側は更に「宮地」「軍地」「臣地」「裁地」の4つの地区に分かれていて、宮地は宮殿と貴族の屋敷、軍地は軍部、臣地は役人たちの住居、裁地は刑場がある。ウラ川を挟んで南側は、全部で13区に分かれているわ。南の1区は聖堂があって、毎日多くの参拝者が訪れる、街の中心よ。2区は織物、3区は金物の商店が集まっていて、8区には外国人の居留地がある。それから、南側では地区ごとに市の立つ日にちが決まっていて、毎月1日は1区、3日は2区、7日は5区、8日は3区、といった具合に、ひと月のうちに全13区で一度ずつ市が開かれるの」
「マリア、ここは何区?」
「娼館が集まる色街は11区よ。酒場が多いのは、ここ11区と6区。12区の半分以上はウラ川の泥地で、貧民街が広がっているわ。13区は寺院と墓地がある」
ライラは砂漠に水が染み込むように、教えられたことを吸収していった。
*****
「いや、僕はそういうのはいいよ……」
「何をケチなことを。卒業記念試合の賞金はその夜のうちに振る舞うのが慣例だぞ」
「だから、君らは行ってきたらいいよ。ほら、代金なら出すからさ……」
どことなく慣れない風情で色街に迷い込んできたのは、士官学校の制服を着た少年たちだ。
「『金の盾』を差し置いて俺らだけ楽しもうなんて、そんな真似できるか」
「そうだぞ。しかもエディ、君は卒業試験の成績もトップじゃないか」
「教師たちも今夜は宴会らしいぞ。何といっても卒業試験と記念試合のダブル優勝者を輩出したんだ。皆言っている、『金の盾』と『金の筆』両方手に入れたのは、かのイシュラヴァール王陛下以来の快挙だと!」
「学問と武術とくれば残るは遊興。陛下は記念試合の夜、アルサーシャの全ての娼館を回りきったというぞ。さあ我らが『金の盾』よ、君も是非、我ら凡夫に勝者の遊び方を見せてくれ、エディアカラ!」
「もう、ほんとに、いいってば!」
輪の中心にいるのはエディことエディアカラという少年だ。17歳になったばかりのエディは、武術試合の優勝者といわれても俄には信じられない、小柄な体格をしていた。
一行は「夜の兎」の前で立ち止まる。
「ここか?マクシミリアン」
「ああ、今一番人気のある娼館だと、叔父貴が言っていた」
「さすが高級料亭をいくつも経営している一族だけあるな、お前に聞くとどんな情報でも出てくる」
「まあ、俺もこの店は初めてだけどな。いい値段するし」
「他は行ったことがあるのか」
すかさず仲間が混ぜ返し、少年たちはからからと笑い合う。一人、気まずそうな表情を崩さないエディを除いて。
「ぼくは、いいよ……ほんとに」
「ここまで来たら覚悟決めやがれ、エディ」
門を入ると、妖艶な女主人が出迎えた。
「いらっしゃい。あら、ずいぶん若いお客様が大勢……どうぞ楽しんでいってね」
エディが案内されたのは階段を上がってすぐの部屋だった。
中にいたのは、腰まである豊かな髪を波打たせた、華奢な少女。歳はエディと変わらないか、少し下か。
ひた、と見返す少女の眼差しに、エディは軽く怯んだ。
(なんだ、この娘は)
何故か目を逸らしてはいけない気がして、しばし無言のまま、見つめ合う。
(娼婦って、もっと)
いや、初めてなのだから、そもそも知らないのだが。
エディがどう振る舞っていいかわからずに立ち尽くしているので、少女も所在なく突っ立っている。
先に動いたのは少女だった。
両手を首の後ろに回して、留め具を外すと、少女の薄い生地でできた服がはらりとはだけた。
「あ、いや、ちょっと……」
思わず制止する動きをする手とは裏腹に、エディの眼は少女の裸に吸い付けられた。
少女は構わずにすたすたとエディに歩み寄り、制服の襟に手を掛けた。
「待って――!あの、僕は今日は、その、まだ――」
慌ててエディは、自分の服を脱がしかけた少女の手首を掴んだ。手首は想像以上に細く、エディは何故かやりきれない気持ちになった。少女の大きな瞳を正面から見つめ返す。
「――まだ、こういうことは……」
「……したくないのか?」
エディは顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。
「……だから、頼む。着てくれ……服を」
少女は大人しく元のように服を着て、寝台に座った。エディもその隣に座る。
「……『金の盾』とは何だ?」
「え?」
「『金の盾』と呼んでいた、あなたのことを。さっき、庭で」
「ああ――聞いていたのか、あれ」
エディは庭に面した窓を見上げた。小さな窓からは、月明かりと夜風が入ってくる。
「士官学校の卒業試験の優勝者に贈られる、記念品さ。学科試験は金の筆、武術試合は金の盾。今年は僕が優勝したから、賞金で仲間に娼館を奢る羽目に」
「ユウショウ……?」
「あ、一番になるってこと」
「それは……すごいな」
少女が感嘆の目でエディを見た。エディは意図せず自慢したような形になってしまったことが恥ずかしくなって俯いた。
「よくわからないけれど、たくさん勉強したのだろう?」
「……大したことないよ。元々、家にたくさん本があったんだ。僕は兄弟がいないから、小さい頃はずっと本を読んでた。母さんは若い頃教師をしていて、わからないことはなんでも教えてくれたし……死んじゃったけど」
「わたしも今、文字を習っている。本はまだ読んだことがないが、いつか読めるようになるのだろうか」
「本、ないの?ここ」
エディは部屋を見渡した。本棚はおろか机もない。あるのは大きな寝台と鏡台だけ。美しく装い、客と寝るためだけの部屋。――客と寝るためだけの日々。
エディはまたやりきれない思いが身の内に湧くのを感じた。
チリン、とドアの外のベルが鳴った。
「時間だ」
別れ際、ドア越しに、ふとエディは振り返った。
「きみ――きみ、名前は?」
「ライラ」
「僕は、エディアカラ。エディって呼んで」
「……また来るの?」
扉の隙間からライラの両眼が真っ直ぐにエディを見ている。そして、エディの答えを待たずにライラは扉を閉めた。
そうか、とエディは閉じた扉の前で思った。
また来なければ。
そして名を呼ぶ。
「……ライラ……」
客はイシュラヴァール王国軍の将校で、それは軍服に付いた徽章でわかるのだが、もちろんライラは知る由もない。
「新しい妓が入ったって?」
「ええ、つい昨日。中佐のお気に召せば良いのですけれど」
マリアはライラの部屋へ客を案内した。
「ライラ、入るわよ」
ライラは部屋の中央で、身を固くして立っていた。
服はマリアがくれた。といっても代金は稼ぎからさっぴかれるというから世知辛い。背中が大きく開いて、脚の両脇には深いスリットが入っている。
「じゃ中佐、お楽しみくださいな」
そう言い残して、マリアは部屋を出ていった。
客と二人きりで部屋に取り残されて、ライラは途方に暮れて立ち尽くした。
名を伏せているのか、ただ「中佐」とだけ呼ばれたその客は、厳つく上背があり、むさ苦しい軍人そのものの風体をしていた。広い肩幅、厚い胸板、筋肉に覆われた腕と脚。肩に降り掛かった巻毛は口ひげと繋がり、眼光は射るように鋭い。若い女ならばひと睨みされるだけで震え上がりそうだ。
「ライラといったな。口がきけぬのか?」
声もまた、太く威厳がある。
「……いいえ」
「お喋りは苦手か」
「……」
ライラは黙った。何と答えていいかわからない。そもそも何を話せばいいのかもわからない。
以前の主は、奴隷に対して鞭で打って犯すことしかしなかった。初対面の男を会話でもてなすなど、ライラは考えたこともなかった。
「まあいい。俺も煩い妓は嫌いだ」
中佐は寝台の端に剣を置き、ライラの腕を掴んで寝台に押し倒した。
髭を生やした口がライラの唇を塞ぐ。
「んっ」
貪るようなキスはしばらく続いた。ライラの内側がしっとりと潤ってくる。
中佐の手が首に触れ、ライラはびくっと反応する。中佐は構わず首の後ろに手を回して、服の留め金を外した。
するり、と衣が腰まではだけ、ライラの弾むような乳房が露わになる。そのまま衣を脱がされ、ライラの裸体が寝台の上に横たえられた。
中佐は自らも服を脱いだ。
鏡台の上に置かれたランプが、二人の裸体を艶めかしくかび上がらせる。
中佐はまた、ライラの唇に喰らいついた。野獣のように貪りながらも、分厚く大きな手がライラの秘所を弄る。
ひく、とライラが反応した。
無骨な指に、とろりと蜜が絡みつく。
ライラが伏し目がちに中佐を見上げた。中佐は唇を離すと、男根をライラの秘所に押し当てて、一気に貫いた。
「――っ!」
ライラが背中を弓なりに仰け反らせた。苦しげに歪んだ顔が、余計に欲情を掻き立てる。
中佐は一瞬我を忘れて、限界まで引き抜いた後に、再び最奥まで一気に突き上げた。
「――っ、うぅ……」
ライラが小さく呻いて、ようやく中佐は我に返った。
「すまん、つい」
中佐は数回、ライラの浅い場所を優しく出入りしたが、やはり堪らずに奥を突き上げた。そのまま荒々しく腰を叩きつける。
「……んっ……んは……っ、ハァ……ッ……」
中佐の腰の動きに合わせて声もなく喘ぐライラを見下ろしているだけで、男根に血がたぎるのがわかる。
「……くっ、うぅーっ!」
低く呻いて、中佐は男根を引き抜いて射精した。
しかしその直後、ライラをうつ伏せにすると、後ろから貫いた。中佐の男根は射精してなお、血管を浮き上がらせていきり立っていた。
ライラの髪が滑り落ち、鞭の痕が露わになる。
その細い背中を大きな両手で掴んで、激しく犯す。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
「……んンっ……ハァッ……」
重なり合う荒い息遣いが、隠秘な匂いを纏って部屋に満ちる。
結局中佐は、一時間近くかけて都合四回射精すると、ようやく寝台に仰臥した。
「――無体な真似をしてしまった。すまない」
中佐は静かに言って、ライラの頭を撫でた。
マリアは柱廊の飾り窓に腰を預けて、棕櫚の葉の向こうに輝く月を見るともなく見上げていた。マリアが手にした、美しい銀細工が施された細長い煙管からは、煙が細く立ち上り、月明かりの庭に漂ってゆく。
「邪魔したな、マリア」
「あら中佐、もうお帰りです?」
マリアの声はなんともいえない艶を含んで、「夜の兎」を訪れる客たちは誰もがまずこの女主人の虜になる。
「あれは生娘か?」
「まさか」
ふうっ、と煙を吐き出して、マリアは微笑んだ。
「であろうな。だが時折、怯えるような眼をする。……ちと気になってな」
「あらあら、もうライラにご執心かしら?」
てっきりマリアの冷やかしなどすぐに否定するかと思ったが、中佐は真面目な顔を崩さない。
「また近いうちに来る」
それだけ言って、中佐は娼館を後にした。
庭に残されたマリアは、ゆっくりと煙管を吸い込んだ。薄い雲が月明かりを翳らせる。
「怯えた瞳の子うさぎちゃん……か」
「ライラか?」
突然背後から話しかけられて、マリアは驚いて振り向いた。柱廊の暗闇に半ば溶け込むように立っていたのはイドリスだ。
「やだ、驚かせないでよ」
「言っただろ。あいつは飾りっ気がないが、男にはたまんねぇ色気があるんだよ」
「そんなの、あたしにだってわかるわよ」
「あのぶっきらぼうな言葉遣いと世間知らずだけどうにかすりゃ、毎晩引きも切らずに客がつくぜ」
「ねぇ、ライラはどこの娘なんだい?あたしには全然喋ろうとしないんだよ」
「喋り方を知らないだけさ。競売人は遊牧民の娘だって言ってたが、ありゃ違うな。たぶん奴隷だ。それもろくな教育受けちゃいねぇ。恐らく子供の頃から奴隷だったんだろうさ。マリア、あいつの裸、見たかい?」
マリアは首を傾げた。そういえば着替えをちらりと目にしただけで、全身をくまなく見たわけではない。
「肩に入れ墨があるのは見たわ。それこそ砂漠の遊牧民が入れているような」
イドリスは鼻で笑って首を振った。
「あいつの背中、鞭の痕だらけだぜ」
「え……あんた、そんなキズ物に20万も出したのかい!?」
「分かっちゃいねえなぁマリア。その疵がそそるんじゃねぇか」
イドリスはまた、にやりと笑った。
「実際、中佐はまた来るって言ってたんだろ?」
「ええ……」
マリアは釈然としない風で頷く。
「教えてやれよ、計算でも文字でも、小さな子供に教えるようにさ。ただし客あしらいなんか教えんじゃねぇぞ?あの男慣れしてない眼がいいんだよ、あいつは」
「眼、ねぇ……」
月がまた雲間から顔を出した。
翌日から、起きてから客を取る前までの午後の時間は、ライラの勉強時間になった。
マリアは元々は裕福な商家の娘だった。知識も豊富で、貴婦人のような立ち居振る舞いもできる。
「ライラ、肩を丸めないで。胸を張っていないとみすぼらしく見えるの。みすぼらしい女に高い金を払おうなんて男はいないわ。それから、歩く時に膝を曲げないこと」
マリアはライラに教える時には言葉遣いも変えた。すれっからしの娼婦たちをまとめるにはいかにも玄人女らしい喋り方が何かと都合が良かったが、『生娘』と言った中佐の言葉が引っかかっていた。
(ライラは娼婦に染まらないほうが、売れるのかもしれない。イドリスも言っていた、男慣れしてないのがいいと)
「ララ=アルサーシャは、東西に流れるウラ川によって大きく南北に分けられるの。街の北側は王宮を中心に政庁が集まっている地域、南側が市場や商店のある市街地よ」
マリアは卓上に地図を広げて説明する。
「北側は更に「宮地」「軍地」「臣地」「裁地」の4つの地区に分かれていて、宮地は宮殿と貴族の屋敷、軍地は軍部、臣地は役人たちの住居、裁地は刑場がある。ウラ川を挟んで南側は、全部で13区に分かれているわ。南の1区は聖堂があって、毎日多くの参拝者が訪れる、街の中心よ。2区は織物、3区は金物の商店が集まっていて、8区には外国人の居留地がある。それから、南側では地区ごとに市の立つ日にちが決まっていて、毎月1日は1区、3日は2区、7日は5区、8日は3区、といった具合に、ひと月のうちに全13区で一度ずつ市が開かれるの」
「マリア、ここは何区?」
「娼館が集まる色街は11区よ。酒場が多いのは、ここ11区と6区。12区の半分以上はウラ川の泥地で、貧民街が広がっているわ。13区は寺院と墓地がある」
ライラは砂漠に水が染み込むように、教えられたことを吸収していった。
*****
「いや、僕はそういうのはいいよ……」
「何をケチなことを。卒業記念試合の賞金はその夜のうちに振る舞うのが慣例だぞ」
「だから、君らは行ってきたらいいよ。ほら、代金なら出すからさ……」
どことなく慣れない風情で色街に迷い込んできたのは、士官学校の制服を着た少年たちだ。
「『金の盾』を差し置いて俺らだけ楽しもうなんて、そんな真似できるか」
「そうだぞ。しかもエディ、君は卒業試験の成績もトップじゃないか」
「教師たちも今夜は宴会らしいぞ。何といっても卒業試験と記念試合のダブル優勝者を輩出したんだ。皆言っている、『金の盾』と『金の筆』両方手に入れたのは、かのイシュラヴァール王陛下以来の快挙だと!」
「学問と武術とくれば残るは遊興。陛下は記念試合の夜、アルサーシャの全ての娼館を回りきったというぞ。さあ我らが『金の盾』よ、君も是非、我ら凡夫に勝者の遊び方を見せてくれ、エディアカラ!」
「もう、ほんとに、いいってば!」
輪の中心にいるのはエディことエディアカラという少年だ。17歳になったばかりのエディは、武術試合の優勝者といわれても俄には信じられない、小柄な体格をしていた。
一行は「夜の兎」の前で立ち止まる。
「ここか?マクシミリアン」
「ああ、今一番人気のある娼館だと、叔父貴が言っていた」
「さすが高級料亭をいくつも経営している一族だけあるな、お前に聞くとどんな情報でも出てくる」
「まあ、俺もこの店は初めてだけどな。いい値段するし」
「他は行ったことがあるのか」
すかさず仲間が混ぜ返し、少年たちはからからと笑い合う。一人、気まずそうな表情を崩さないエディを除いて。
「ぼくは、いいよ……ほんとに」
「ここまで来たら覚悟決めやがれ、エディ」
門を入ると、妖艶な女主人が出迎えた。
「いらっしゃい。あら、ずいぶん若いお客様が大勢……どうぞ楽しんでいってね」
エディが案内されたのは階段を上がってすぐの部屋だった。
中にいたのは、腰まである豊かな髪を波打たせた、華奢な少女。歳はエディと変わらないか、少し下か。
ひた、と見返す少女の眼差しに、エディは軽く怯んだ。
(なんだ、この娘は)
何故か目を逸らしてはいけない気がして、しばし無言のまま、見つめ合う。
(娼婦って、もっと)
いや、初めてなのだから、そもそも知らないのだが。
エディがどう振る舞っていいかわからずに立ち尽くしているので、少女も所在なく突っ立っている。
先に動いたのは少女だった。
両手を首の後ろに回して、留め具を外すと、少女の薄い生地でできた服がはらりとはだけた。
「あ、いや、ちょっと……」
思わず制止する動きをする手とは裏腹に、エディの眼は少女の裸に吸い付けられた。
少女は構わずにすたすたとエディに歩み寄り、制服の襟に手を掛けた。
「待って――!あの、僕は今日は、その、まだ――」
慌ててエディは、自分の服を脱がしかけた少女の手首を掴んだ。手首は想像以上に細く、エディは何故かやりきれない気持ちになった。少女の大きな瞳を正面から見つめ返す。
「――まだ、こういうことは……」
「……したくないのか?」
エディは顔を真っ赤にして、こくりと頷いた。
「……だから、頼む。着てくれ……服を」
少女は大人しく元のように服を着て、寝台に座った。エディもその隣に座る。
「……『金の盾』とは何だ?」
「え?」
「『金の盾』と呼んでいた、あなたのことを。さっき、庭で」
「ああ――聞いていたのか、あれ」
エディは庭に面した窓を見上げた。小さな窓からは、月明かりと夜風が入ってくる。
「士官学校の卒業試験の優勝者に贈られる、記念品さ。学科試験は金の筆、武術試合は金の盾。今年は僕が優勝したから、賞金で仲間に娼館を奢る羽目に」
「ユウショウ……?」
「あ、一番になるってこと」
「それは……すごいな」
少女が感嘆の目でエディを見た。エディは意図せず自慢したような形になってしまったことが恥ずかしくなって俯いた。
「よくわからないけれど、たくさん勉強したのだろう?」
「……大したことないよ。元々、家にたくさん本があったんだ。僕は兄弟がいないから、小さい頃はずっと本を読んでた。母さんは若い頃教師をしていて、わからないことはなんでも教えてくれたし……死んじゃったけど」
「わたしも今、文字を習っている。本はまだ読んだことがないが、いつか読めるようになるのだろうか」
「本、ないの?ここ」
エディは部屋を見渡した。本棚はおろか机もない。あるのは大きな寝台と鏡台だけ。美しく装い、客と寝るためだけの部屋。――客と寝るためだけの日々。
エディはまたやりきれない思いが身の内に湧くのを感じた。
チリン、とドアの外のベルが鳴った。
「時間だ」
別れ際、ドア越しに、ふとエディは振り返った。
「きみ――きみ、名前は?」
「ライラ」
「僕は、エディアカラ。エディって呼んで」
「……また来るの?」
扉の隙間からライラの両眼が真っ直ぐにエディを見ている。そして、エディの答えを待たずにライラは扉を閉めた。
そうか、とエディは閉じた扉の前で思った。
また来なければ。
そして名を呼ぶ。
「……ライラ……」
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それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
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