楽園遊記

紅創花優雷

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前編

十二下りの森

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「なんか、疲れてね?」
 これは朝起きた山砕が、尖岩を目にして最初に口にした言葉だ。尖岩は頭を抱え、山砕に伝える。
「今日は、四時だった」
「はい?」
「白刃が寝かせてくれないんだよ……」
 白刃にせっつかれる事数時間、もう朝とも呼べる四時の時間になった頃に、ようやっと白刃が寝たのだ。そして珍しい事にまだ寝ている。
 こちとら白刃のせいで睡眠時間が削れているというのに。元よりそんなに長く寝なくとも大丈夫タイプであるから、問題ないと言えばないのだが。
 尖岩と山砕が話すと、覇白も布団から起き上がり、ググっと伸びる。そしてまだ寝ている白刃に気付いて意外そうな顔をした。
「白刃は起きていないのだな、珍しい事もあるものだ」
「なー」
 山砕が頷く。自分が起きている頃には既に白刃だけは確定で起きていたと言うのに、今日は寝ている。寝顔を見るのはお初だ。
「呑気な事言ってないで、たまにはお前等もこいつの子守りしてくれよな」
「お前が求められてるんだから、お前がやればよいであろう。私とて夜中起こされるのは勘弁だ」
「俺だって本来勘弁なんだよ」
 子どもを持ったばかりの夫婦の口喧嘩のような会話を交わし、後の二人が起きるまで待つ。
「思ったのだが、尖岩と山砕は何歳なのだ?」
 訊くと、尖岩が答えた。
「山砕は三歳だとして、俺はまぁ六百くらいなのかな」
「まて、さらりと俺を三歳児にしないでよ。俺も大体同じくらいだ、けど、尖岩より少し年下かな。そういう覇白はどうなんだよ?」
 同じ質問を返され、覇白は少しだけ悩む。年齢なんて百を過ぎたあたりから数えていないから。
「私は……幼い頃の記憶で、超越者が『子どもがヤンチャで困るんだよねぇ~、最近ヤンチャな子がもう一人追加されてさぁ、どうしたらいい?』とか父上に訊いていた。まぁお前らの事であろう。おそらく、私もお前等と同じくらいだ」
「わっ、否定したいけど出来ねぇ。あいつ俺等の事ヤンチャ坊主だって思ってたのか」
「まぁ、尖岩はそうだろうね。俺は違うけど」
「初日でオモチャ壁に投げ付けて壊したお前に言われたくないな」
「いや……え、待って。それ記憶にない、そんな事したっけ?」
 覚えのない情報で反論され、山砕は内心焦っていた。そんな彼に尖岩が笑うと、話し声で起こしてしまったのか、鏡月が目を覚ました。
「んん……あぁ、朝か……」
 まだ少しだけ眠そうだが、外から漏れ出す日を目にして、意識をはっきりと覚醒させる。
「おはよーさん」
「おはようございます。布団っていいですねぇ、嫌な夢を見ませんでしたし、よく寝れました」
 鏡月は嬉しそうにそう話す。その中にさらりと含まれた嫌な夢というのが気になり、山砕が訊き返した。
「嫌な夢?」
「はい。何やら黒い物が地面から体によじ登ってくるのです。少し足掻けば直ぐに落ちて崩れるのですが、感触がぬめっとしてて気持ち悪くて……」
「最近は見なくなったのですけど、思い出すだけでゾッとします」
「それは嫌な夢だな」
 それは聞くだけでも気持ち悪い夢だ。あまり考えたくない。しかし、似たような話をどこかで聞いたことがあるような気がする。何だったっけか。
 尖岩が引っかかった何かを思い出そうと頭を捻っていると、鏡月が寝ている白刃の顔を覗く。
「あ、白刃さん寝ているのですね。珍しい」
 起こそうかと手を伸ばすと、尖岩が止める。
「あぁ、起こさないでやってくれ。たまの寝ている時くらいは寝ないと、そいつ早死にしそうだ」
「そうですね」
 伸ばしかけた手を引っ込め、そっと距離を取る。
 鏡月が元の位置に戻ると、その次に白刃が勢いよく起き上がって隣にいた尖岩の腕を掴んだ。
「ど、どうした白刃?」
「……あ。いや、すまない」
 驚き混じり困惑半分で声をかけると、はっとした白刃が手を放す。何か夢でも見たのだろうかと考え、尖岩はにやにやしながら訊いてみた。
「なんだ、怖い夢でも見たのかぁ?」
「うるさい」
 その即答はほぼ答えだ。
 こいつも怖い夢見るんだぁなんて思いながら笑っていると、何も言わずに頭の輪をギュッとされた。しかも、本気のやつだ。痛いなんて騒ぎではなく、これはもう激痛だ。
「すまない! 悪かったって白刃! 謝る! 謝るから! ごめんってばぁ!」
 これはまずいと必死に謝る尖岩を見て、今度は山砕が大笑い。こいつがこんなに謝るのは滅多にお目にかかれないだろう。
 流石に尖岩の頭が持たなそうなため、覇白が間に入る。
「まぁまぁ白刃、そんなに怒らなくてもいいではないか」
「怒ってはない」
 怒ってもいないのにその握力を出せるモノかと。それなら怒ってくれていた方がまだありがたいのだが。しかし、考えてみれば白刃は鉄でできた檻を素手でこじ開けるような男だ。握力ゴリラなんてレベルではない。ゴリラは檻をこじ開けられないから動物園の檻の中にいるのだ。
 あぁ、超越者よ。何故この男にそんな握力を与えたマジで。尖岩は育ての親の顔を思い浮かべ文句を投げつける。
「白刃マジで! よして頭割れる冗談抜きに!」
 本気の懇願を前に、白刃は口角を上げた。
「愉しい」
 そう呟くと、ようやっと解放してくれた。時間としては数秒だが、そうとは思えない。
「はぁ、はぁ……」
「尖岩さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫、一応慣れてる」
 立て直すと、真顔でこちらを見ている白刃に一言。
「なぁ、最近俺で遊ぶの多くないか?」
「お前が一番面白い」
 ふっと笑って不満そうな尖岩の頭にぽんと手を置く。
 その一番、そんなに嬉しくない。しかし、頭のこれがある以上白刃からすれば一番遊びやすいのだろう。それに白刃の言う遊ぶは、対象者によって違う。
「良かったじゃん」
 山砕の棒読みのセリフと覇白の少し距離を取っての頷きに、尖岩は大きめの溜息をついた。
 全員起きた所で、さっさっと身支度を済ませてしまう事にした。
 白刃は置いていた紐で髪を結い、きちんと結べているかを確認する。身だしなみは幼い頃から師匠に良く言われていた為、気を使う方だ。
 そういえば、この髪型でいるのも師匠が髪を結ってくれた時からだったか。聞くところによると、父親も祖父も長い白髪だったそうだ。「よく似ている」と、懐かしそうに呟く彼の顔は今でも忘れられない。
 そんな事を考えながらも、結び終わった。寝巻を脱いで着替え始めた。
 脱いだ時の白刃の体が尖岩の横目に入り、尖岩は驚いた。これが所謂細マッチョという奴なのだろう。
「おまっ、案外筋肉あるんだな……」
「一応、修行してるからな」
 まぁ、檻をこじ開けるんだしそりゃあるかと無理矢理納得する。自分もいつもの服に着替えてまだ着替え途中であろう周りを見ると、ふと気が付いた。周りにいるのが身長高い奴等だと言う事を。何だこれは、壁か何かか。
 とても今更な事ではあるが、百六十センチ代と百八十センチの身長差は伊達ではない。この三人が周りにいると、なんだろう、凄く圧がある。
 尖岩はすすーっと既に着替え終わっていた山砕の隣に行く。
「なんか、お前の隣はすっごい安心するわ」
「身長的な意味でな」
「そう、それ」
 山砕の大正解に頷いて、身長が高い奴等の身支度を待った。座っているとさらに伝わるこの圧。同じくらいの人がいて本当に助かった。
 白刃と鏡月はあと十歳くらい幼くなれば自分と同じくらいの身長になるだろう。どうせなら何かしらで少し幼くならないかなーなんて。それはそれで面倒だろうから、やっぱいいや。
 そんな所で全員準備が終わり、出てしまう事にした。宿の料金を払うと、既に動き始めていた街に出る。その中で、山砕が食べ物の匂いにつられてふらふらと行こうとしていた為、白刃がその襟首を掴んで止めさせた。
「白刃、もう行かないから、そこ掴まないで」
「迷子にでもなったら探すの誰だとお思いで?」
「ごめんって」
 ぱっと手を離されると「痛かったぁ」と呟く。尖岩は頭締められるのはその比じゃなく痛いぞと目で伝えると、分かりやすく視線を逸らされた。
 龍王が言っていた通りに、とりあえず覇白の勘で進んでみている。だから、どこに進んでいるかは定かではないままだ。ただ、その通り勘で進んでいるのだ。
 人気が無くなったあたりで、覇白は白刃に指示されて馬に化けた。白刃も大の大人であるから、背に乗せるとそれなりに重い。龍の姿では四人乗せようとそこまでではないが、馬の体は弱い。
 それにしても、馬として歩くのも大分慣れたものだ。龍としては、あまり慣れたくない事なのだが。
 段々と周りの木々の密度が上がっていく。こっちで合っているのかと自分でもヒヤヒヤしているのだが、確かに自分の勘ではこっちなのだ。父の言う事が正しければ、これで良いはず。
 大丈夫だと言い聞かせながら白刃を乗せて歩いていると、ふと山砕が立ち止まった。
「ん。白刃、なんか看板あるよ」
 山砕の脇に簡易的な看板が立ててあり、それを指さして伝えてくる。見てみると、そこ看板には目立つ赤い文字で「ここから先、十二下りの森」と記され、その下にそれより小さな文字で「ここは十二を下る森である為、注意が必要」とだけ書かれていた。
 注意書きなのだろうか。しかし、注意書きの役割を成していない。十二を下ると言うのは一体どういう事だ。何がどうして十二を下るのか。それに関してはきちんと主語を示してもらわなければ理解できない。
「十二を下る? どういうこっちゃ」
「さぁ?」
 尖岩も鏡月も首をかしげる。少し不安そうではあるが、覇白がこちらに進んでいったと言う事はそういう事だ。白刃は迷いなく進む事を決める。
「まぁ、行けば分かるだろ。覇白、進め」
「分かった」
 覇白が足を進め、尖岩達もそれに付いていく。
「本当に大丈夫なんだよな?」
「何不安になってんだよ、かつての大悪党がさ」
 依然と不安そうな尖岩に山砕が言うと、「そういう問題じゃねぇんだよ」と返された。
 正体不明な所謂嫌な予感がするのだ。それは、かつての大悪党だからとかそういうのは関係ない。絶対に関係ない!
 しかし、進んでも至って普通の森だ。最初に鏡月を追いかけた森となんら変わらない。そりゃ、森専門家が見れば違うのだろうけど。あの木とその木はこちらから言わせれば同じ木だ。
 そんな事を思いながら進んでいると、段々と霧が濃くなってきた。
 目を凝らせば前を馬で歩いている白刃が見えるが、それすらも出来なくなってくる。
 これははぐれるかもなーと気軽な感じで進んでいると、ふと隣にいた鏡月が袖を小さく引っ張った。
「なんだ鏡月、怖いのか?」
 可愛いなと笑いながら訊くと、ふと何かが可笑しい気がした。
 そう気づいた時、森の霧が退散するように視界から退く。
「ここ、どこ……?」
 鏡月がいたそこと同じ場所に、自分より小さな幼い子がいる。見たところ、五歳と言ったところだろう。そしておそらく、いや、間違いなくこれは鏡月だ。
 山砕と尖岩に衝撃が走った。
「鏡月!? おい白刃、これどういう……って、白刃と覇白がいねぇ!」
 更に数歩前の所にいた白刃と覇白ともはぐれたそうだ。大きな声を上げたせいか、幼い鏡月が震え、一歩身を引く形で逃げ道を探した。
「尖岩、声がデカい」
「あ、すまねぇ。えっと、鏡月、だよな?」
 子どものための優しい声で尋ねると、怯えながらも答えてくれた。
「ぼくは、きょうげつです」
「ぼく、さっきまでパパとおでかけしてて。それで……」
 鏡月の話は一旦そこで止まった。何かを嫌がっているのか、震えたまま言葉を詰まらせ、しまいには泣き出してしまった。
「ちょ、どうした鏡月? 無理しなくていいぞ、大丈夫だ」
 慌てて二人で宥める。子どもの扱いなどしたことが無いもので、こうなるとどうしてやればいいのか分からないが、これでいいのだろうか。
「うっ……こわい人がおってくるんです。おにいさんたちは、こわい人じゃないですよね」
 その問いに答えるのであれば、もしかしたら怖い人になるかもしれない。かつての大悪党というのは他の誰でもない尖岩の事なのだから。しかし、ここでそんな答えを出すわけにもいかない。それに今は一人の人間に遊ばれてばかりで、誰も自分を大悪党だなんて思いやしないだろう。
「怖い人じゃないぞー? もっぱら優しいで評判だ!」
 直ぐに答えると、山砕が呟く。
「嘘つけよ」
「黙れ」
 小声での会話は鏡月には聞こえていなかった。
「おうち、かえりたい……」
「あー大丈夫だ! 直ぐにこのお兄ちゃんが帰してやろう! その為にも、お兄ちゃん達に付いてってくれるか?」
 また泣き出しそうになったため、急いで尖岩が話す。そうすると、鏡月が潤んだ声で「ほんと?」と首を傾げた。
「本当だとも! な? 山砕」
「うん、大丈夫だ。お兄ちゃんに任せとけ!」
 二人は出来もしない事を半場勢いで引き受けてしまった。しかし、断れる訳がないだろう。こんな泣きそうになりながら尋ねられて、いいえと言える奴は心が無い。
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