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前編
堅壁と白刃
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◆
……え、君の名前? あー、そう言えば知らないね。男の子である事はみてわかるんだけどさ。
ううん。教えてくれなくて大丈夫だよ。
何でって、「君」で十分だし、それに、魂と名前は直結しているんだよ。名前を教えちゃったら、僕は君の意思に関係なく君の魂を奪えちゃうよー?
奪って何をするか、ねぇ。そうだなぁ、僕が一から育ててあげるよ! そしたら君に新しい名前も付けてあげちゃう。ふっふー、今度こそ失敗しないぞぉ。立派な青少年に育てるんだ!
んー、なんかねぇ、僕が育てると何処かねじ曲がった子になっちゃうんだ。そうそう、あの尖岩が代表例の一つだよ。
……全くねぇ。急に「俺はここから出ていく!」とか言って出て行ったと思ったらさぁ、猿使って皆に悪戯しだしてさ。何に味を占めたのか魔の者誑かして暴れさせちゃって。しかも本人に悪意はないし、遊びの範疇だって思っていたみたいなんだよ。
どうしてそんな感性に育っちゃったのかねぇ。まぁ、粗方僕のせいなんだろうけどさ。何がいけなかったのか、分かんないや。山砕も山砕で、尖岩の後追って行って、面白がってあの子の真似するし。僕には何でか分からないよ。
君だってそうだろ。何で自分がこんな目に合わないといけないのか、自分が何をしたと言うんだなんて事さ。僕の場合は、何でこうなっちゃうんだろーってなる事が多いんだ。
あの子たちもそう。それに、魔の者もさ。僕が救ってあげられたはずなのに、いつの間にか魔に呑まれて、あんな者に成り果てちゃう。醜い欲の塊なんか、誰も成りたくないはずなのにね。
超越者も、君の所でいう神や仏も、きっと案外君達と同じさ。事の因果はよく分からないし、全てを超越出来るからと言って、全てが完璧なわけではない。ほんと、肩書だけなんだ。
はは、ごめんね。いつの間にか僕の愚痴になっちゃったね。戻そうか。
とにかく、君の名前はまだいらないよ。知っちゃったら、等価交換として僕も君に名前を教えないといけないからね。
じっくり考えてくれていいよ。僕はゆっくり待ってるからさ。
んー、聞こえなーい。僕の耳は都合がいいんだよ。
ふふっ、君は本当。面白い子だ。
◆
堅壁では弟子達が今日の修行をこなしていた。心身共に鍛え、名の通りこの世の堅い壁となる為だ。
「師匠、ご報告が」
「どうした?」
「先程、街の者から近くを龍が飛んでいるとの報告を頂きました。念の為確認を」
「分かった、今行こう」
龍が地上に害を及ぼすことはほぼないが、可能性がないわけではない。一応確認しておかなければならないのだ。
目撃情報があった場所の近くまで行ってみると、確かにいた。龍にしてはやけにスローペースに、きょろきょろしている。何をしているのかは気になるが、こちらに害を及ぼす気配はない。
「あの龍、迷子なんですかね?」
「どうだろうか。しかし、悪巧みをしているようにも見えん。あちらから何かしてこない限り特に何もする必要もなかろう」
そう話した矢先に、龍は何かに気付いてその方角に下っていく。奇しくも師匠が天から目を離したタイミングで、それを目撃したのは共にした弟子であった。
「ん、師匠。今屋敷の方に行きませんでした?」
屋敷はからそうと説く離れた所に出たわけではない。師匠と弟子が屋敷の方に目をやると、まさに先程飛んでいた龍が門の前に降りたみたいだ。そしてどうやらそこに人も乗っていたようだ。
「おい覇白、何もこんな人が多いところに降りる必要はないだろ」
「仕方ないであろう、ここらの近場は全て人目があるのだ」
ざわつく辺りを無視して龍は人に化ける。龍は伝説上の生き物ではあるが、一般人に知られていないだけで存在は定かで、人に化ける事も確かとされる為、そこには驚かない。
ここに降りたと言う事は、堅壁に用だろうと師匠が声をかけようとすると、龍で隠れて見えなかった人が少し前に出た事により目に入る。
それは良く知った顔であるが、今ここにいる訳もない。
内心の衝撃は大きいが、まずは冷静にやって来た者達が何用で尋ねて来たかだ。何か困り事があっての事なら、手助けするのが堅壁の役目だ。
「ごほん。そこ者、堅壁に何か御用かね」
「わっ、ビックリした。もしかしてこの人が白刃のお師匠さん?」
「はい。私の知って居る師匠より少ししわが増えていますが、間違いなく師匠です」
数年前の弟子と同じ顔をしたその少年がはっきりとそう言うと、師匠に少しだけ刺さったようで。歳の割には若々しいとは自負しているが、まぁそりゃ老けている。
もう一度咳払いをして、まずすべき対処をしなければならない。
「とりあえず入りなさい。詳しい話は、聞くと長くなりそうだ」
応接間に通すと、彼らはそこに並んで座った。なんとなく誰かはこの時点で察しがついていたが、疑問点はいつくか出てくる。
「まず、私は大将。堅壁の師匠である。何となく察しは付くが、名をお聞かせ願おう」
「あ、はい。私は白刃です」
「龍ノ川第二王子、覇白である」
「俺は山砕。この子が鏡月だけど、本来はもっと大きい奴」
「こ、こんにちは……?」
「あー、まぁ俺が尖岩だ」
名を聞いて確証できた。天ノ下に行くのに共にしろと言ったあの曲者達だ。
「うむ。大悪党と言うから厳つい大男だと思っていたが、子どもみたいな奴なのだな」
どこかで聞いたような感想を聞き流して、尖岩は師匠を観察する。これはまさに堅壁の師匠にふさわしい風貌だ。
弟子が人数分出した茶を一口飲むと、師匠は本題を切り出す。
「まずは状況を説明してもらおうか。白刃は十分大人の身であったはずなのだが」
白刃と名乗った子は確かに白刃だ。しかし、彼がこの姿であったのは十数年前であり、現在身長を抜かされ色々な意味でも大分大きな子である。
「あぁ、私達もその件でこちらに来た。天ノ下に行く際にと十二下りの森を通ったのだが、その道中に白刃と鏡月の二人だけが、肉体と記憶共に十二歳遡ってしまった。幸い白刃は状況を呑んでくれているが、如何せん鏡月の方が幼子になってしまった為、どうにかできないかと考え尋ねさせていただいた次第だ」
覇白が答えた後に、白刃も付け足す。
「はい。師匠なら何かご存じかと思いまして。あと、鏡月くんが両親に会いたいみたいで。何か知っていないかと」
話題に出された鏡月は、白刃の隣でちょこんと座り、渡された大福をはむはむ美味しそうに食べている。今は上機嫌だが、またいつ泣き出すかは分からない。子どもという者は大人とは別の意味で怖い生き物なのだ。
「そうか。とりあえず、白刃。こちらへ」
「はい」
呼ばれた白刃が、師匠の前に正座をする。
「白刃、少し眩暈がするだろうが、我慢してくれ」
手に力を集め、白刃の胸に突き付ける。少ししてその手を引くと、体の中からずるっと蛇のようなモノがその手に付いて出て来た。
全てが抜けだした途端に、白刃が小さく唸って頭を押さえ、そのまま倒れてしまった。尖岩は焦ったが、見た所眠っているだけのようだ。
「やはりか……」
蛇を強い力で握ると、その一部が破損し、その瞬間に消えてなくなる。
「い、今のはなに? 蛇なの」
山砕が引き気味に訊く。蛇が嫌いなわけではないが、あぁも人の体内から出てきたら何だって気持ち悪い。
「魔の者の類いだ」
そう答えると、師匠は苦虫を嚙み潰したような顔で声を漏らす。
「下衆共が。どれだけ悪事を働けば気が済むのだ、忌々しい」
怒り心頭に、怒られているのは自分ではないが恐ろしく感じる。尖岩が反射で目を逸らすと、鏡月が尋常じゃない程に怯えて、泣きそうになっていた。山砕も平気そうな顔をしているが、己に抱き着いている鏡月の頭をしきりに撫で、内心は平気ではないのだろう。
「ちょ、大丈夫だぞ鏡月。おじちゃんはお前に怒っている訳じゃないから、な? 怖くないぞー?」
尖岩の宥める声を聞いて、師匠は子どもを怯えさせている事に気が付いて、慌てて感情を呑み込む。
「あぁ、すまない」
「その鏡月の方の処置は陰壁の者を呼ばなければならない、少し待っておれ。白刃も直ぐに目覚めるだろう。私は少し席を外す」
そう言って立ち上がると、白刃の様子を確認してから部屋の外に出る。
「師匠。陰壁の者に連絡をしたところ、そちらのお師匠が直ぐにでも向かうとの事です」
「あぁ、分かった。あと、先日の魔潜共の件だが」
「承知しております。そちらは陽壁が対処したとの事ですが、逃げた者が数名いるそうですので、それに関して、先程封壁より探索を始めるとの連絡がありました」
弟子が一通りの報告を終えると、師匠は「ご苦労」と告げ、廊下を渡る。変わりに報告を終えた弟子が失礼しますと一声かけて、部屋の中に入る。
お菓子を持ってきたそうで、様々なお菓子が入った籠を机の上に置く。鏡月が必死に手を伸ばしてそれを取ろうとしていた為、山砕が籠を近寄せてやると、嬉しそうに目当ての物を手に掴んだ。
その様子を横目に、尖岩が声をかける。
「なんか、忙しい所に来ちゃったみたいだな」
「いえいえ、問題ありませんよ」
「それに、十二下りの森のタネは今四壁が血眼にして探している魔潜にあるので、むしろ都合がいいと言うか何と言うか。こういう言い方したら、師匠に怒られてしまいますが」
弟子のその言葉の用語の意味は知らないが、察する事は出来た。
「あとこれ、肉まんです。どうぞお食べください」
そう言われた途端に寝転がっていた白刃が起き上がり、尖岩はビックリ箱でも開けたように驚く。しかし、その弟子は慣れたように微笑みかける。
「白刃くん、おはようございます」
その白刃はいつの間にか戻っていたのか、尖岩からしたらうざったい程に大きい大人の白刃だ。
「肉まん……」
夢に惚けているような声で呟くと、弟子はふふっと笑う。
「はい、こちらにありますよ。白刃くん、元に戻れたようで何よりです」
「……? えぇ、そうですね。ありがとうございます、安助さん」
多分、理解してはいないがとりあえずそれっぽい返答で誤魔化したのだろう。それを知っているかは定かではないが、安助と呼ばれたその彼は答える。
「お礼は俺ではなく師匠にですよ? では、俺はここらで」
部屋から去り、扉を締められると、白刃はお行儀よく座っている四人に目をやり、真っ先に肉まんを手に取って一口食べてから尋ねた。
「どういう状況だ」
白刃からすれば意味が分からないのだ。気が付いたら見知った屋敷の部屋で寝ていた。しかもそこにいた兄弟子は「元に戻れて何よりだ」と言ったのだ。全く何が何だか分かったものではない。
「あー。端的に言えば、道中で色々あってお前と鏡月が十二歳若返っちゃってさ。困ってたら子どものお前が師匠ならどうにか出来るかもっつったから来た訳だ。まぁ、無事お前は元に戻れたわけ」
「ん。そうか」
訊いといて微妙な反応だなと、尖岩が文句を言おうとすると、その言葉を阻止でもするように輪が絞められた。油断していた為、それなりに大きな声が漏れてしまった。
「なんでだよ!」
何故。何故いまそれをする必要があった。それらの意思を全て一言に込める。しかし白刃は平然と、迷いもなく答える。
「したかったから」
「お前は特に、面白い」
「全く褒められている気がしないんだが、それは」
「感性の違いだ」
「お前の性癖の歪みだよ」
これもまた感性の違いに含まれるのかもしれないが。まぁ、痛みも慣れれば快楽に変わるかもしれない。そんな事はお断りだが、否定しきれない未来ではないのが怖いのだが。とりあえずそれは良いとしても、尖岩が思うに、寝かせてくれないのだけはどうにかしてほしいのだ。
「毎晩子守りする俺の身にもなれ、たまには十時間寝かせてくれよ」
受け入れられない事が全体だったのだが、案外言えば聞いてくれる物で。
「分かった。じゃあ、山砕。今日はお前が付き合え」
「え、俺!? なんで今の流れで俺?!」
「鏡月は子どもで、覇白でもいいが身長がチビな方が色々とやりやすい。だから」
まさかに極めつけの理由は身長だ。チビだからやりやすいって、ただ夜中に駄弁っているだけだろう。身長の何が関係あると言うのだ。
「おっしゃ、頑張れよ三歳児! 今日はぐっすり寝れるぅ」
「まさか身長がこんな所でいかされるとはな。うむ、人並み以上の成長も損ではないな」
理由が意味わからないが、尖岩はあからさまに喜んでいる。
「しらはくん、あそぶならぼくもいっしょにあそびたい」
「あぁ、そうだな。お前は昼の間に遊ぼうか」
「うん!」
大きく頷いて、鏡月は白刃の膝の上に座った。そして白刃は、片手で鏡月の相手をしてもう片手で肉まんを食べている。
自分も肉まんを頬張りながら、尖岩が白刃を観察していた。なんと言うか、今まで他の食べ物を食べていた時とは違う。食いつきが違うというか、そもそも表情が違う。
「ふーん。お前、肉まん好きだったんだ」
「いや、特には」
そうは答えるが、絶対嘘だろと。あんな肉まんという言葉に反応するように目覚めといて、どの口が特にはと言うのだ。
しかし、肉まんか。可愛らしいところもあるじゃないかと尖岩が思っていると、白刃が尋ねてくる。
「ところで、お前等」
「子どもの俺は、何か変な事を言わなかっただろうな?」
心なしか心配そうだ。その変な事が何か、覇白は何となく思い当たる節があった。
「うむ、変な事か。友達が欲しいといった趣旨の言葉は変な事に入るか?」
いつもの仕返しがてら、皆の前でそう尋ねてみると、白刃の動きが一瞬だけ止まる。そして次の瞬間、目の前まで来られ手首を物凄い勢いで掴まれる。
「忘れろ。早急に」
若干震えた声で、何時ものように圧をかけてくるが、覇白にはちょっとした余裕があった。何故なら、白刃の言う「変な事」であり、聞かれたくなかった事がそれである事は本人が見せた反応で分かる。覇白が訊いたあの言葉だ。
「流石の龍でも己の記憶操作は出来んな」
「何を恥じる事がある。当然の欲求だろ。中々可愛らしいものだったぞ」
「そういう問題じゃない! 無理にでも忘れろ!」
珍しく大きな声で反応を示すものだ。いつも白刃が痛がる尖岩を見て楽しむ気持ちが、少しだけ理解できた。確かにこれは、いじりたくもなる。
尖岩もニヤニヤしながら白刃を見た。
「へー。白刃、友達欲しかったんだぁー、案外可愛いところあるじゃん。安心しろ、俺等が友達だからな!」
肩をバシンバシン叩いて、からかうようにそう言ってみると、流れるように白刃が手を握る。それはもう激痛だが、照れ隠しで与えられる痛みに関しては、尖岩は可愛い奴めと笑うことが出来る。
しかし、どうやらやりすぎてしまったようだ。
「お前等……後で覚悟しとけよ」
「そう言えば覇白。この前勝手に逃げた罰、まだ与えてなかったよな」
本気で遊ばれるフラグが、真っ直ぐと立ったのだ。
尖岩も白刃も心の中で「やべ」と呟き、そして山砕は完全に巻き込まれた形だ。
「え、まさか俺も?! ちょ、ちょっと白刃、巻き込まれは勘弁だよ」
「お前は飯につられて直ぐどっか行こうとする」
「ほぼ八つ当たりっ! 今咎める事じゃないじゃん!」
事実だが。美味しそうなものにつられてフラフラと言ってしまう事があるのは事実なのだが。今それを理由に出されてはただの八つ当たりだ。
「しらはくん、たのしそうだね」
「あぁ、すごく愉しいぞ」
答えると、鏡月はニコニコと笑っている。確かにまぁ、楽しそうではあるが。
白刃が鏡月に視線をやったついでに、部屋の入口の方を見てみる。そうすると、知らぬ前に開けられていて、そこに一人の男が立っていた。
……え、君の名前? あー、そう言えば知らないね。男の子である事はみてわかるんだけどさ。
ううん。教えてくれなくて大丈夫だよ。
何でって、「君」で十分だし、それに、魂と名前は直結しているんだよ。名前を教えちゃったら、僕は君の意思に関係なく君の魂を奪えちゃうよー?
奪って何をするか、ねぇ。そうだなぁ、僕が一から育ててあげるよ! そしたら君に新しい名前も付けてあげちゃう。ふっふー、今度こそ失敗しないぞぉ。立派な青少年に育てるんだ!
んー、なんかねぇ、僕が育てると何処かねじ曲がった子になっちゃうんだ。そうそう、あの尖岩が代表例の一つだよ。
……全くねぇ。急に「俺はここから出ていく!」とか言って出て行ったと思ったらさぁ、猿使って皆に悪戯しだしてさ。何に味を占めたのか魔の者誑かして暴れさせちゃって。しかも本人に悪意はないし、遊びの範疇だって思っていたみたいなんだよ。
どうしてそんな感性に育っちゃったのかねぇ。まぁ、粗方僕のせいなんだろうけどさ。何がいけなかったのか、分かんないや。山砕も山砕で、尖岩の後追って行って、面白がってあの子の真似するし。僕には何でか分からないよ。
君だってそうだろ。何で自分がこんな目に合わないといけないのか、自分が何をしたと言うんだなんて事さ。僕の場合は、何でこうなっちゃうんだろーってなる事が多いんだ。
あの子たちもそう。それに、魔の者もさ。僕が救ってあげられたはずなのに、いつの間にか魔に呑まれて、あんな者に成り果てちゃう。醜い欲の塊なんか、誰も成りたくないはずなのにね。
超越者も、君の所でいう神や仏も、きっと案外君達と同じさ。事の因果はよく分からないし、全てを超越出来るからと言って、全てが完璧なわけではない。ほんと、肩書だけなんだ。
はは、ごめんね。いつの間にか僕の愚痴になっちゃったね。戻そうか。
とにかく、君の名前はまだいらないよ。知っちゃったら、等価交換として僕も君に名前を教えないといけないからね。
じっくり考えてくれていいよ。僕はゆっくり待ってるからさ。
んー、聞こえなーい。僕の耳は都合がいいんだよ。
ふふっ、君は本当。面白い子だ。
◆
堅壁では弟子達が今日の修行をこなしていた。心身共に鍛え、名の通りこの世の堅い壁となる為だ。
「師匠、ご報告が」
「どうした?」
「先程、街の者から近くを龍が飛んでいるとの報告を頂きました。念の為確認を」
「分かった、今行こう」
龍が地上に害を及ぼすことはほぼないが、可能性がないわけではない。一応確認しておかなければならないのだ。
目撃情報があった場所の近くまで行ってみると、確かにいた。龍にしてはやけにスローペースに、きょろきょろしている。何をしているのかは気になるが、こちらに害を及ぼす気配はない。
「あの龍、迷子なんですかね?」
「どうだろうか。しかし、悪巧みをしているようにも見えん。あちらから何かしてこない限り特に何もする必要もなかろう」
そう話した矢先に、龍は何かに気付いてその方角に下っていく。奇しくも師匠が天から目を離したタイミングで、それを目撃したのは共にした弟子であった。
「ん、師匠。今屋敷の方に行きませんでした?」
屋敷はからそうと説く離れた所に出たわけではない。師匠と弟子が屋敷の方に目をやると、まさに先程飛んでいた龍が門の前に降りたみたいだ。そしてどうやらそこに人も乗っていたようだ。
「おい覇白、何もこんな人が多いところに降りる必要はないだろ」
「仕方ないであろう、ここらの近場は全て人目があるのだ」
ざわつく辺りを無視して龍は人に化ける。龍は伝説上の生き物ではあるが、一般人に知られていないだけで存在は定かで、人に化ける事も確かとされる為、そこには驚かない。
ここに降りたと言う事は、堅壁に用だろうと師匠が声をかけようとすると、龍で隠れて見えなかった人が少し前に出た事により目に入る。
それは良く知った顔であるが、今ここにいる訳もない。
内心の衝撃は大きいが、まずは冷静にやって来た者達が何用で尋ねて来たかだ。何か困り事があっての事なら、手助けするのが堅壁の役目だ。
「ごほん。そこ者、堅壁に何か御用かね」
「わっ、ビックリした。もしかしてこの人が白刃のお師匠さん?」
「はい。私の知って居る師匠より少ししわが増えていますが、間違いなく師匠です」
数年前の弟子と同じ顔をしたその少年がはっきりとそう言うと、師匠に少しだけ刺さったようで。歳の割には若々しいとは自負しているが、まぁそりゃ老けている。
もう一度咳払いをして、まずすべき対処をしなければならない。
「とりあえず入りなさい。詳しい話は、聞くと長くなりそうだ」
応接間に通すと、彼らはそこに並んで座った。なんとなく誰かはこの時点で察しがついていたが、疑問点はいつくか出てくる。
「まず、私は大将。堅壁の師匠である。何となく察しは付くが、名をお聞かせ願おう」
「あ、はい。私は白刃です」
「龍ノ川第二王子、覇白である」
「俺は山砕。この子が鏡月だけど、本来はもっと大きい奴」
「こ、こんにちは……?」
「あー、まぁ俺が尖岩だ」
名を聞いて確証できた。天ノ下に行くのに共にしろと言ったあの曲者達だ。
「うむ。大悪党と言うから厳つい大男だと思っていたが、子どもみたいな奴なのだな」
どこかで聞いたような感想を聞き流して、尖岩は師匠を観察する。これはまさに堅壁の師匠にふさわしい風貌だ。
弟子が人数分出した茶を一口飲むと、師匠は本題を切り出す。
「まずは状況を説明してもらおうか。白刃は十分大人の身であったはずなのだが」
白刃と名乗った子は確かに白刃だ。しかし、彼がこの姿であったのは十数年前であり、現在身長を抜かされ色々な意味でも大分大きな子である。
「あぁ、私達もその件でこちらに来た。天ノ下に行く際にと十二下りの森を通ったのだが、その道中に白刃と鏡月の二人だけが、肉体と記憶共に十二歳遡ってしまった。幸い白刃は状況を呑んでくれているが、如何せん鏡月の方が幼子になってしまった為、どうにかできないかと考え尋ねさせていただいた次第だ」
覇白が答えた後に、白刃も付け足す。
「はい。師匠なら何かご存じかと思いまして。あと、鏡月くんが両親に会いたいみたいで。何か知っていないかと」
話題に出された鏡月は、白刃の隣でちょこんと座り、渡された大福をはむはむ美味しそうに食べている。今は上機嫌だが、またいつ泣き出すかは分からない。子どもという者は大人とは別の意味で怖い生き物なのだ。
「そうか。とりあえず、白刃。こちらへ」
「はい」
呼ばれた白刃が、師匠の前に正座をする。
「白刃、少し眩暈がするだろうが、我慢してくれ」
手に力を集め、白刃の胸に突き付ける。少ししてその手を引くと、体の中からずるっと蛇のようなモノがその手に付いて出て来た。
全てが抜けだした途端に、白刃が小さく唸って頭を押さえ、そのまま倒れてしまった。尖岩は焦ったが、見た所眠っているだけのようだ。
「やはりか……」
蛇を強い力で握ると、その一部が破損し、その瞬間に消えてなくなる。
「い、今のはなに? 蛇なの」
山砕が引き気味に訊く。蛇が嫌いなわけではないが、あぁも人の体内から出てきたら何だって気持ち悪い。
「魔の者の類いだ」
そう答えると、師匠は苦虫を嚙み潰したような顔で声を漏らす。
「下衆共が。どれだけ悪事を働けば気が済むのだ、忌々しい」
怒り心頭に、怒られているのは自分ではないが恐ろしく感じる。尖岩が反射で目を逸らすと、鏡月が尋常じゃない程に怯えて、泣きそうになっていた。山砕も平気そうな顔をしているが、己に抱き着いている鏡月の頭をしきりに撫で、内心は平気ではないのだろう。
「ちょ、大丈夫だぞ鏡月。おじちゃんはお前に怒っている訳じゃないから、な? 怖くないぞー?」
尖岩の宥める声を聞いて、師匠は子どもを怯えさせている事に気が付いて、慌てて感情を呑み込む。
「あぁ、すまない」
「その鏡月の方の処置は陰壁の者を呼ばなければならない、少し待っておれ。白刃も直ぐに目覚めるだろう。私は少し席を外す」
そう言って立ち上がると、白刃の様子を確認してから部屋の外に出る。
「師匠。陰壁の者に連絡をしたところ、そちらのお師匠が直ぐにでも向かうとの事です」
「あぁ、分かった。あと、先日の魔潜共の件だが」
「承知しております。そちらは陽壁が対処したとの事ですが、逃げた者が数名いるそうですので、それに関して、先程封壁より探索を始めるとの連絡がありました」
弟子が一通りの報告を終えると、師匠は「ご苦労」と告げ、廊下を渡る。変わりに報告を終えた弟子が失礼しますと一声かけて、部屋の中に入る。
お菓子を持ってきたそうで、様々なお菓子が入った籠を机の上に置く。鏡月が必死に手を伸ばしてそれを取ろうとしていた為、山砕が籠を近寄せてやると、嬉しそうに目当ての物を手に掴んだ。
その様子を横目に、尖岩が声をかける。
「なんか、忙しい所に来ちゃったみたいだな」
「いえいえ、問題ありませんよ」
「それに、十二下りの森のタネは今四壁が血眼にして探している魔潜にあるので、むしろ都合がいいと言うか何と言うか。こういう言い方したら、師匠に怒られてしまいますが」
弟子のその言葉の用語の意味は知らないが、察する事は出来た。
「あとこれ、肉まんです。どうぞお食べください」
そう言われた途端に寝転がっていた白刃が起き上がり、尖岩はビックリ箱でも開けたように驚く。しかし、その弟子は慣れたように微笑みかける。
「白刃くん、おはようございます」
その白刃はいつの間にか戻っていたのか、尖岩からしたらうざったい程に大きい大人の白刃だ。
「肉まん……」
夢に惚けているような声で呟くと、弟子はふふっと笑う。
「はい、こちらにありますよ。白刃くん、元に戻れたようで何よりです」
「……? えぇ、そうですね。ありがとうございます、安助さん」
多分、理解してはいないがとりあえずそれっぽい返答で誤魔化したのだろう。それを知っているかは定かではないが、安助と呼ばれたその彼は答える。
「お礼は俺ではなく師匠にですよ? では、俺はここらで」
部屋から去り、扉を締められると、白刃はお行儀よく座っている四人に目をやり、真っ先に肉まんを手に取って一口食べてから尋ねた。
「どういう状況だ」
白刃からすれば意味が分からないのだ。気が付いたら見知った屋敷の部屋で寝ていた。しかもそこにいた兄弟子は「元に戻れて何よりだ」と言ったのだ。全く何が何だか分かったものではない。
「あー。端的に言えば、道中で色々あってお前と鏡月が十二歳若返っちゃってさ。困ってたら子どものお前が師匠ならどうにか出来るかもっつったから来た訳だ。まぁ、無事お前は元に戻れたわけ」
「ん。そうか」
訊いといて微妙な反応だなと、尖岩が文句を言おうとすると、その言葉を阻止でもするように輪が絞められた。油断していた為、それなりに大きな声が漏れてしまった。
「なんでだよ!」
何故。何故いまそれをする必要があった。それらの意思を全て一言に込める。しかし白刃は平然と、迷いもなく答える。
「したかったから」
「お前は特に、面白い」
「全く褒められている気がしないんだが、それは」
「感性の違いだ」
「お前の性癖の歪みだよ」
これもまた感性の違いに含まれるのかもしれないが。まぁ、痛みも慣れれば快楽に変わるかもしれない。そんな事はお断りだが、否定しきれない未来ではないのが怖いのだが。とりあえずそれは良いとしても、尖岩が思うに、寝かせてくれないのだけはどうにかしてほしいのだ。
「毎晩子守りする俺の身にもなれ、たまには十時間寝かせてくれよ」
受け入れられない事が全体だったのだが、案外言えば聞いてくれる物で。
「分かった。じゃあ、山砕。今日はお前が付き合え」
「え、俺!? なんで今の流れで俺?!」
「鏡月は子どもで、覇白でもいいが身長がチビな方が色々とやりやすい。だから」
まさかに極めつけの理由は身長だ。チビだからやりやすいって、ただ夜中に駄弁っているだけだろう。身長の何が関係あると言うのだ。
「おっしゃ、頑張れよ三歳児! 今日はぐっすり寝れるぅ」
「まさか身長がこんな所でいかされるとはな。うむ、人並み以上の成長も損ではないな」
理由が意味わからないが、尖岩はあからさまに喜んでいる。
「しらはくん、あそぶならぼくもいっしょにあそびたい」
「あぁ、そうだな。お前は昼の間に遊ぼうか」
「うん!」
大きく頷いて、鏡月は白刃の膝の上に座った。そして白刃は、片手で鏡月の相手をしてもう片手で肉まんを食べている。
自分も肉まんを頬張りながら、尖岩が白刃を観察していた。なんと言うか、今まで他の食べ物を食べていた時とは違う。食いつきが違うというか、そもそも表情が違う。
「ふーん。お前、肉まん好きだったんだ」
「いや、特には」
そうは答えるが、絶対嘘だろと。あんな肉まんという言葉に反応するように目覚めといて、どの口が特にはと言うのだ。
しかし、肉まんか。可愛らしいところもあるじゃないかと尖岩が思っていると、白刃が尋ねてくる。
「ところで、お前等」
「子どもの俺は、何か変な事を言わなかっただろうな?」
心なしか心配そうだ。その変な事が何か、覇白は何となく思い当たる節があった。
「うむ、変な事か。友達が欲しいといった趣旨の言葉は変な事に入るか?」
いつもの仕返しがてら、皆の前でそう尋ねてみると、白刃の動きが一瞬だけ止まる。そして次の瞬間、目の前まで来られ手首を物凄い勢いで掴まれる。
「忘れろ。早急に」
若干震えた声で、何時ものように圧をかけてくるが、覇白にはちょっとした余裕があった。何故なら、白刃の言う「変な事」であり、聞かれたくなかった事がそれである事は本人が見せた反応で分かる。覇白が訊いたあの言葉だ。
「流石の龍でも己の記憶操作は出来んな」
「何を恥じる事がある。当然の欲求だろ。中々可愛らしいものだったぞ」
「そういう問題じゃない! 無理にでも忘れろ!」
珍しく大きな声で反応を示すものだ。いつも白刃が痛がる尖岩を見て楽しむ気持ちが、少しだけ理解できた。確かにこれは、いじりたくもなる。
尖岩もニヤニヤしながら白刃を見た。
「へー。白刃、友達欲しかったんだぁー、案外可愛いところあるじゃん。安心しろ、俺等が友達だからな!」
肩をバシンバシン叩いて、からかうようにそう言ってみると、流れるように白刃が手を握る。それはもう激痛だが、照れ隠しで与えられる痛みに関しては、尖岩は可愛い奴めと笑うことが出来る。
しかし、どうやらやりすぎてしまったようだ。
「お前等……後で覚悟しとけよ」
「そう言えば覇白。この前勝手に逃げた罰、まだ与えてなかったよな」
本気で遊ばれるフラグが、真っ直ぐと立ったのだ。
尖岩も白刃も心の中で「やべ」と呟き、そして山砕は完全に巻き込まれた形だ。
「え、まさか俺も?! ちょ、ちょっと白刃、巻き込まれは勘弁だよ」
「お前は飯につられて直ぐどっか行こうとする」
「ほぼ八つ当たりっ! 今咎める事じゃないじゃん!」
事実だが。美味しそうなものにつられてフラフラと言ってしまう事があるのは事実なのだが。今それを理由に出されてはただの八つ当たりだ。
「しらはくん、たのしそうだね」
「あぁ、すごく愉しいぞ」
答えると、鏡月はニコニコと笑っている。確かにまぁ、楽しそうではあるが。
白刃が鏡月に視線をやったついでに、部屋の入口の方を見てみる。そうすると、知らぬ前に開けられていて、そこに一人の男が立っていた。
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