楽園遊記

紅創花優雷

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中編

酒は飲んでも呑まれるな

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 杏明は門の前に立ち、軽く扉を五度叩く。それからそこに手を添え、声にした。
「『都乙女』杏明です」
 そうすると門が開き、中に招き入れてくれる。
 客人用の部屋に通し、杏明は「お師匠様を呼んできます」と一旦立ち去った。
「白刃、とおとめってなに?」
「さぁ、私も初めて聞きましたね」
 外での言葉遣いの方で答えられ少しだけビックリしたが、考えてみればここは影壁だ。いつの間にか背後にいたなんて事は簡単に予測できるから、白刃も誰に訊かれていてもいいようにそうしているのだろう。なんか、調子狂う。
 その後に、すっと後ろから人が問いに答える。
「都乙女と言うのは、陰壁に属する家系の一つの、女集団の事です」
 疑問に答えてくる声が突然現れ、驚いて全員がその方向を向く。
「ふふ、驚かれました?」
 微笑んだそれは一瞬女人に見えたが、よく見れば男だった。この際性別はどちらでもいいとしても、こいつもまたスッと現れた。
「わたしも一応、都乙女の血筋に産まれた者なのですよ。まぁ、見て分かる通り男ですので、都乙女と言うには違う感じがしますが」
「あぁ、申し遅れました。わたしは陰壁都乙女であり、長のお付き人である緑陽です」
「初めまして、私は白刃と申します」
 白刃も名乗ると、それから緑陽は微笑みながら話す。
「ええ、皆さんの事は存じております。先日、幻映様が嬉しそうに貴方達の事をお話なされました。甥っ子を助けてくれた、自分にとっても恩人であると」
「貴方のお陰で、幻映様の調子も少しだけ回復する兆しが見えたのです。もう、なんとお礼をすればいいものか……」
 心の底から嬉しそうで、見ただけで嘘ではないと分かる。なんだか、先程の杏明と同じ都乙女の者のはずなのに、随分と印象が違った。容姿端麗は同じだが。
 そこで尖岩は気が付く。考えてみれば、自分の周りに美形が多い。白刃もそうだが、龍だからかは知らないが覇白もいい面をしているのだ。
 まぁ、それはともかく、身長を分けて欲しい。自分も身長さえあればそれなりにイケメンになれるような気がする。そんな今関係ない事を考えていると、山砕も同じような事を考えていたような気がして少しだけ笑いそうになった。
 そして、そんな二人には気付かず、鏡月が心配そうに尋ねる。
「あの、叔父さんは体調が悪かったのですか?」
「体調と言うより、精神的な方かな。幻映様、ただでさえ心は弱い方なのに、あんな短期間で家族全員いなくなっちゃったから、堪えきれなかったみたいで……」
 流石に、全く関係ない事で笑えるような空気ではなかった。
 最初から肉親などいなかった身からすれば、それを失う悲しみというのはあまり分かりそうもない。親として見てもいいであろう超越者は、まぁ、あんなのであるから。殺しても死なないだろうし。兄弟同然であるこいつもまた、そう簡単に死ぬような奴ではない。
 あまり心地よくはなく空気の中、鏡月は全ての責任を感じていた。
「ごめんなさい、僕のせいで」
「君のせいじゃないよ。全て魔潜の奴等が悪いんだ。だから、気にしないで。そう言われてきっぱり切り捨てられは出来ないと思うけど、誰も君を責めるつもりはないって事だけは、分かってほしいな」
 優しく声を掛けた後、緑陽は少し考えてから問いかける。
「ところで鏡月。もう、お兄ちゃんとは呼んでくれないのかい?」
 一体、どこに脈拍がったというのだろうか。
「そう、呼んでいましたっけ?」
「呼んでたさ。冗談でお兄ちゃんって呼んでーって言ったらそれ以来ずっとそう呼んでくれるようになってさ、可愛かったんだから」
 思い出してほこほこしていると、ふと振り向いて言った。
「あ、幻映様が来るね」
 その一秒後に、その通り幻映がひょいと現れる。そして緑陽はすかさず一歩後ろに下がり、頭を下げる。
「お疲れ様です、幻映様」
 それに驚いた幻映は、ピクっと体を震わせて緑陽を見る。
「わっ、なんだ緑陽か。驚かせないでよ」
「ふふっ、いつも急に現れているのは貴方様でしょう?」
「私は別に驚かそうとしている訳じゃないんだけど。本当に君は、私の気配を感じるのが得意なんだね」
「何年貴方の御付きをしているとお思いで? 貴方の事なら何でも知っているつもりですよ。そんな事より、ほら。白刃さん達がお見えですよ」
「あぁ、うん。緑陽は?」
「ご安心ください、わたしもここにいますよ」
「分かった」
 一通りの会話を終えると白刃達の前に座り、小さく微笑んだ。突然の訪問ではあるが、歓迎している様子だ。そりゃ鏡月もいるから当たり前な訳だが。
 そして、少しの間だけ姿を消した緑陽が人数分のお茶を出し、幻映のより少し後ろの位置に腰を下ろした。
「いらっしゃい。杏明が連れて来たみたいで、ごめんね、君達もやる事あるだろうに」
 それにはまず、白刃が応答する。
「お気になさらず。特段急いでいる訳でもありませんし、どうせ陰壁の領地を通るのであれば、お尋ねした方がいいでしょう。貴方にはお世話になりましたのでね」
「いやいや、私はそんなお世話だなんて事はしてないよ。時間を戻す系統の術は、その時を知っている人しか解けないものだから……」
 大人な会話を他所に尖岩はお茶を飲み、思っていた以上の熱さで舌が火傷した。それを見て山砕が声にはせずに笑って、無駄に張り合って冷まさずに飲んで、尖岩と同じ反応を見せた。
 水と同じ勢いで飲むんじゃなかった、舌がヒリヒリする。
「お前等、茶くらい静かに飲まんか」
「しばらく熱いの飲んでなかったんだよ……舌いてぇ」
「これ、明日くらいまでヒリヒリしてるやつじゃん。こんなところでチビに張り合うんじゃなかった」
 地味な後悔をしていると、緑陽が水を出してくれて二人してそれを一気に飲む。タイミングが全く一緒だった。
 それが面白かったのか、白刃はいつものように笑っている。この「いつもの」は、尖岩達の前でのいつものだ。しかし、直ぐに気を取り直してしまった。
 それにしても、多分幻映は白刃のいつもの方を見た事がある。堅壁で会ったあの時、普通に目にしただろう。それでもノータッチなのは、気遣いか気が付いていないだけか。もしくはそういう物だと思っているのか。
 何にせよやっぱり外面は気色悪いなぁなんて尖岩が思っていると、どうしてバレたのかは知らなないが軽く輪を締められた。
 そんな事は知らずに、幻映はあっと思い出して話を切り出す。
「そうだ、今日は泊って行きますか? 先日、宴我さんからお酒を何瓶か頂いたのですが、生憎私は飲めないモノでして。陰壁でお酒を飲める人は少なくて、困っていたのです」
 お酒という言葉に一番反応をしたのは山砕だった。
「お、酒! 俺結構好きなんだよねぇ。ほら、昔廊下に落ちてたのジュースだと思って飲んでさぁ」
「んな事もあったなぁ、美味しかったよねあれ。俺はいけるけど、覇白は飲めるの?」
「無論、王子である以上客人と飲む事などざらにあったからな。私より白刃だろ、飲めるのか?」
「堅壁内は禁酒ですので、飲もうとした事もないですよ。しかし、頂けるのであれば喜んで頂きましょうか。勿体ないですし」
 こいつ飲んでみたいんだなと、それで何となく分かった。そして多分、飲もうとしたことはあるだろう。余計な推測をしていると、幻映は「助かるよ」と礼を言う。本当に処理に困っていたようだ。
 それから幻映はお茶を飲み終えると他の仕事がある為、緑陽と二人で部屋に戻った。帰り際に名残惜しそうに鏡月の頭を撫でていたが、緑陽に連れられて行った。やはりどこも師匠の立場は忙しいのだろう。
 そして肝心の晩ご飯の時だ。やけに気合の入ったメニューの数々は、おそらく鏡月の為なのだろう。何故なら彼の好物がメインのようで、いつもに増して食いつきが良いのだ。元より良く食べる子なのだが。
 子どもが出されたご飯を美味しそうに頬張る中、白刃はついにお酒とやらを飲んでみる事にしたようだ。
「おっ、白刃ついに飲むのかぁ? じゃあ俺もー」
「あ、尖岩。ついでに俺にも注いでよ」
「私にも頼む」
「はいよー」
 大人の奴等の個数だけ注いで、まずは一杯飲んでみる。久しぶりだが、やはり中々美味いものだ。
「お酒って美味しいんですか?」
 骨付きの肉をほぐしながら、鏡月が尋ねる。山砕は酒の入ったグラスを意味もなく揺らし、それに答える。
「んー、ぶっちゃけ人によるかな、種類にもよるし。けどこれは美味しいよ! 何なら、鏡月も飲んでみる?」
「未成年に飲まそうとするのは良くないぜ、三歳児。あ、だけどよく考えたらお前も飲んじゃダメじゃん!」
「何でさ?」
「そりゃだって、三歳児だからな!」
 そんな事でゲラゲラと笑い、山砕の頭をバシンバシンと叩く。
「俺が三歳ならお前は二歳だろうなぁ、このチビ助」
「お前だってチビだろうがよぉ。たった三センチ、たった三センチだぜぇ?」
 この様子、おそらく軽く酔っている。一杯目ではまだ全くな覇白は、そんな二人を見て呆れたような顔をした。
「お前等、まさか一杯目で酔ったんじゃなかろうな……」
「粗方、そうだろうな」
 白刃は何も変わっている様子はなく、少し安心する。覇白は酒に強く、どれ程飲んでも酔わないのだ。それなのに周りが酔ってしまった時の、あの感じ。あのなんか取り残されたあの感じは、あまり好きではない。あと、酔った大人はテンションが可笑しいのだ。正味、あまり関わりたくない。
「んで白刃、お酒の味はどうよ?」
「まぁ、そこそこだな」
 とか言いつつ、直ぐに飲み干してまた注いだ。好みだったのだろうか、しかし、そこで覇白は不安を覚えた。
 既視感の塊だ。
 酔い方は人それぞれで、露骨に顔に出る者や言動に出る者がいる中で、顔に全く出ずに言動も同じように見えるが……と言った系統の者がいる。例えば、白刃の祖父に値する、覇白からすれば叔母の旦那がそうだった。
 これ、止めさせるべきかななんて思ったりもしたが、面白いのが見られる予感がした為、あえて何も言わない事にして自身も酒を飲んだ。
 そして一時間と少し経った時。
「皆さんお食事の方は……って、おやおや」
「緑陽、どうかした?」
「どうやら、随分楽しんでくれたそうですよ」
 緑陽が示す先で、はしゃいだのであろう跡が残っており、ついでに三人ほど潰れている。そして用意した酒の数瓶だが、見事に空っぽだ。
 その光景に幻映がやっぱりと呟くと、酒を飲んだ中では由一ピンピンしている覇白が笑い交じりで二人に言う。
「あぁ、すまぬな。どうやらこ奴らは酒に弱かったようでな。ふっ、ふふっ」
「覇白さん、あまり笑いますとまた犬にされますよ、まぁ確かに、面白かったですけど」
 鏡月もまた思い出し笑いで体を震わせた。
「何か、面白い事になっていたようですね」
「そりゃもうな」
 最後に残った酒をグイっと行き、グラスを机に置く。
 何度思い出しても笑う。酒飲みでこのように楽しかったのは初めてだ。
 思っていた通り、白刃は言動が少し狂うタイプだった。見掛けいつのも彼だが、テンションが可笑しいしやけに喋る。
「しかし、まさか白刃がな」
 覇白が言葉を出しかけたところで、当の白刃が見た事のない速さで起き上がり、覇白に電撃を流した。
 それで怯んだ覇白を押し倒し、床に倒れたその肩を踏みつけた。
「覇白、さっきの時間俺が言った事は全て忘れろ」
「この前も言ったが、流石の龍も記憶操作は出来ぬのだ。それに……ふっ。忘れるなんて、勿体ないであろう」
 何故そうも火に油を注いでしまったのか。言ってから、白刃の雰囲気が変わり、そこでやっと不味いと気が付いた。
「知っているか覇白。電気の衝撃で記憶は飛ぶらしいぞ」
 その手に、力が電気の形を取ってバチバチと音を立てている。今から雷でも起こそうとでもしている程だ。これは、調子に乗り過ぎてしまったようだ。
 鏡月が心配そうにこちらを見ている中、今真っ先にすべき行動をとる。
「すまない、ちょっとした出来心だ。だから、そんな怒らないでくれ」
「怒ってはないぞ。あぁ、今は怒ってはいない。しかし、今からのお前の対応次第だ」
 そう言うと、足をどけてくれる。つまりまぁ、今からの行動次第で今夜の身の安否が決まる訳だ。
 覇白は、この場合白刃には服従を示すのが良いと考えた。古来より龍が使う服従の意を示す行動と言えば、己の鱗を一枚差し出す事だが、白刃がそれを知っているとは限らない。となると、やはりこれになるだろう。
「一つ、お前の命を何でも聞き入れよう。それで手を打ってはくれぬか」
 人間社会でもよくある手法だと思う。どんな願いでも聞き入れ、忠義を示すやつだ。
「一つか?」
「では、二つでどうだ」
「五つだな」
「いつっ……」
「じゃあ、譲渡してやる。三つだ」
 白刃が使った奴もまた、良くあるあれだ。分かってはいるが、この状況においてはそれを知っていたからと言って何だと言う話になる。
「分かった。聞き入れよう、命令は何だ?」
「まず一つ、犬になれ。そして一回、白刃様と言ってみろ」
 尋ねると、白刃は迷いなく答えた。
 言いたいことはあったが、口答えより先に命を実行しなければならない。不本意ながら、彼が主であるが故にこんな約束せずとも本気で命じられたら逆らえないのだが。
「白刃様……これで、良いのか?」
 普通に恥ずかしいのだが、白刃は満足気に犬の覇白を撫でた。
「うん。やっぱ良いなこれ、気分良い」
 怒りは収まったよう。全く、良い趣味をしているモノだ。
 楽しそうな白刃を見た後、鏡月はずっとそこにいた叔父に目をやる。
「白刃さん、叔父さん達いますけど、よかったんですか?」
「……え」
 気付いていなかったようだ。白刃はその二人を確認すると、一考してからすっと笑顔を浮かべた。
「如何なさいましたか?」
 なかったことにしようとしているみたいだ。少し、と言うか、大分無理がある。それは白刃だって分かっているみたいで、気まずそうに眼をそらす。
「……師匠にだけは、言わないでください。出来るなら、今のは見なかった事に」
「大丈夫、なんとも思ってないよ。世の中に綺麗な顔だけ持っている人って、そうそういないから」
「そうですよ。ここだけの話、都乙女の者も内面とんでもないもの隠し持っていたりしますしね。そんなモノです」
 これは明らかに気を遣われている。そういう問題ではないのだが、まぁ向こうとしてもそういうしかないのだろう。
「白刃、他人に気を遣わせるんじゃない」
「俺だってさせたくてさせてるわけじゃない。はぁ……もう絶対飲まねぇ」
 師匠がお酒は飲むものではないと言っていた意味が十年越しに分かった。少し頭も痛いし、確かにいい事はない。そりゃ、その時は楽しかったが。
 その分、今夜も寝むれそうにない。白刃は潰れて眠っている尖岩を見てから、覇白に言う。
「覇白、今夜付き合え。残りの一つの命令だ」
「了解した」
 どうせそうだと思っていた覇白は、それを了承した。
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