楽園遊記

紅創花優雷

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中編

人の「魔」

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 異世界の子は、またそこで座り込んでいた。その隣には超越者も一緒で、やけにルンルンと楽しそうだ。
「超越者」
『んー、なんだい?』
「実際、魔の者って何」
 その問いに、超越者は少し考えてから答える。
『魔の者が何か、ね。君はまだ知らなくていいよ』
 超越者が池の中に石を投げると、それは一回二回と水面を跳ね、三回目はならずにその中に沈んだ。誤魔化すように『あちゃー』と声を漏らした彼に、異世界の子は最早冷たいと言える程にきっぱりと言う。
「そういうの、マジでいらない」
『ははっ、これが通じる程君も子どもじゃないか』
『じゃあ、等価交換。君の事を教えてよ。そうだな、好物とか聞きたいな』
 ニコニコとそう訊くと、子は視線を水面に移し、小さな声で答える。
「……ない」
『ないの? 何か一つはあるでしょ、これが出されると嬉しいとか、そういうのさ』
「ないよ。大体、食事なんて生きるのに必要だからしてるだけ。食べなくていいのなら食べないよ」
 ふいっと冷たく答えられ、超越者は苦笑いを浮かべる。
『何それ、やさぐれてんねぇ。そういうところ可愛くないよー、君はさ』
『だけどねぇ、僕を誰だと思っているのさ。全てを超越する完全なる存在、超越者だよ。好物くらい知ってるに決まってるじゃん』
「じゃあ訊くなよ……」
『君の口から教えられるから意味があるのー。で、なぁに?』
 再び尋ねると、向こうが折れた。
「……ハンバーグ。昔、一回だけ母さんが作ってくれた、最初で最後の手料理」
『ふぅん。美味しかったの?』
「不味かったよ。いつも食べてたコンビニ弁当の方が十倍美味しかった」
「明らかにそこにあった調味料適当に練りこんだ味だった。だけど、美味しかったような気もする」
 やはり、この子の表情は中々に読みづらい。この手のタイプを育てるのが初めてな為、超越者は少し慎重になっていた。
『そっかぁ。んー、母の味は再現してあげられないけど、僕、料理の腕は確かだから。この僕のとびっきり美味しいハンバーグ食べさせてあげるよ! ふっふー、楽しみにしてなよ』
『さてと、等価交換成立! 教えてあげるよ、魔の者が何か』
 超越者は水面を眺めながら、子に語る。
『人間、誰にも感情がある。喜び、怒り、哀しい、楽しい。その他にも、言い切れない程沢山ね。魔の者っていうのはね、それらの感情に囚われ、自我を失う事から変化が訪れるのさ』
『本人が気付いていなくとも、知らぬ間に心が蝕まれるのはざらにあるさ。分かりやすい初期症状として、名前を忘れる事があげられる。言ったと思うけど、名は魂と直結している。これを失ったそれ即ち、自分を失ったという事になる』
『だけどね、これだけならまだ本人の意思や周りの協力で、戻ろうと思えば戻れるの。ように名前を思い出せばいいのさ』
『問題はここから。名前を忘れて、それを放っておくと、やがて本格的に我を無くす。魂の核は「魔」に乗っ取られ、その果てに肉体との調和が取れずに、魂ごと体が呑まれる。これが魔の者に堕ちる過程。時間は個人差が大きくてね、自我や心が弱い人は、堕ちるのにはそう時間がかからないさ』
『君は、まぁ、直ぐに堕ちてしまうだろうね』
 小さく笑って異世界の子を見ると、その判定に不服そうだ。まぁ、これは「お前は心が弱い」と言われているようなものだ、いい気はしないだろう。
『大丈夫だよ。僕がいるから』
 微笑んだ超越者から目をそらし、子は吐き捨てるように言う。
「子育て下手なくせに」
『もー、それは言わない約束でしょー。……少なくとも、君の母親よりかはマシな親のはずだよ』
「……今の母さんより、下の親がいてたまるか」
 異世界の子はその辺にあった石を掴んで池に投げてみる。石は跳ねずにただ水の中に落ちていった。
『はは、下手だねぇ。いいかい、水切りってのはコツがいるんだよ。こうして、こう!』
 彼が投げた石は五度も跳ね、向こうにある蓮の葉にぶつかり沈んでいく。異世界の子は納得できずにもう一度やってみたが、石は跳ねなかった。

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