楽園遊記

紅創花優雷

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中編

都乙女の狂愛

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 酔って潰れた尖岩と山砕も運んで、隣の部屋に用意してくれた布団の上に置く。白刃はいつも通り端の布団の上に座り、犬の覇白がその横に伏せた。
「チビはやっぱり軽いな」
 余裕で二人とも担いだ白刃だ、本人は軽かったと言っているが、いくら小さくてもそれでも十五歳ほどだろう。一人でもそこそこの重さはあるはずだが。
「いくら軽くても二人も持ち上げるのは結構凄いと思います」
 鏡月はそう言うと、すっと立ち上がる。
「じゃあ、私は部屋に行きますので。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
「早く寝るのだぞ」
「はい、勿論」
 鏡月はこの屋敷に幼い頃に使っていた自室がある。折角だからそちらで寝るという事だ。
 すっかり日は暮れた中、鏡月が部屋から去り、白刃はとりあえず覇白にお手をさせる。
「今日は余計に寝れそうにない。付き合えよ、覇白」
「あぁ、分かっておる」
 尖岩も山砕も眠っている、今相手が出来るのは覇白だけなのだ。まぁたまにはいいだろうと腹をくくり、主の為に指示されるがままに芸をしてやる。犬の代表的な芸をやると、それでとりあえずは良かったのか、人の姿に戻る許可をくれた。
 すかさず姿を戻して安心したが、それも束の間で、首輪を付けられる。
「何故人の姿で?」
「犬に首輪付けるのは当たり前だろ?」
 それはそうなんだけどと呟き、付けられた白い皮の首輪に触れる。何だろうか、人間に首輪付けられたという実績は龍の中では初めてだろう。逆にこれまでの歴史に中でそれはあってほしくないし、残したくもなかった。
「全く。父上が見たら何というモノやら……」
「安心しろ、適当に取り繕ってお前の名誉は守ってやる。俺は社交的だからな」
「それは自分で言うモノではないぞ」
 二人がそんなおふざけをしている横で、尖岩と山砕はすやすやと眠っていた。
 そして自室に移った鏡月は、もう覚えていない程久しぶりに自室に入り、懐かしさを感じていた。
 陰壁に戻ってから、あまりはっきりしなかった記憶が思い出して来たのだ。両親の事も、屋敷の弟子達と遊んだあの時の事も。修行中の弟子にちょっかいを出して、当時師匠の名を持っていた祖父に怒られた事もあった。自分も、無邪気な子どもだった。
 そして、あの婚約者の事も少しだけ思い出した。杏明。初めてあった時にそう名乗った少女は、都乙女だけあって確かに可愛らしく、この子なら結婚して一緒にいてもいいかなと、そう考えていた。
 年齢を考えれば、互いに十七だ。そろそろ結婚しても可笑しくない時期だろう。だけど、今直ぐしようと言われたら断るだろう。天ノ下に向かうと言うのもあるが、何となくまだ結婚はしたくないと言うのが本音だ。
 そんな事を考えながら横になっていると、部屋の中に人の気配が入って来るのを感じた。
 叔父だろうか、もしくは白刃が言い忘れていた事があったとか。何にせよ自分に用がある人だ。起きようとしたがその前に、その体重が上に乗って来た。
 噂をすればなとやら。確認してみれば、暗がりではっきりとは見えないが、そこには杏明がいた。
「えっ。あ、杏明?」
「あら、起こしてしまいましたか」
 彼女は可愛らしく微笑む。しかし、それを呑気に可愛い~だなんて思える余裕はない。だって、上に乗られているのだ。一体何がなんやら。普通に会いに来るだけだったら、こんな体制になる必要はないだろう。
 何だか、嫌な予感がする。
「お姉様から聞きましたの。『逃げる殿方には、まずは一晩なんとしてでも』と」
「ねぇ鏡月くん。貴方は、身重な女性を置いて逃げるような方ではないでしょう?」
 女が男を世間的に縛る方法、逃げられないようにするそれはつまり、そういう事だ。鏡月はそれを知らぬが、それでもこの状況が不味い事は理解した。
 それにしても、この華奢な体の何処にこんな力が入ると言うのだろうか。押さえつける力が退けられそうにない。
「ちょ、ちょっと待って、何を」
「そしたらまた、貴方が何処かへ行ってしまうわ。これ以上待たせる気なの? わたくしはこんなにも、貴方を愛していると言うのに……」
 女の子に泣かれそうになると、いくら何でも怯んでしまう。しかし、流されてはいけない。
 どうにかしないと、じゃあそのどうにかは? こんな事態は始めてな為、頭の処理が追いつかない。
 その次の一瞬だった。
 飛んできた力の弾が杏明の背に当たり、床に倒れる。
「お前は、嫌なら抵抗をしろ」
「白刃さん。すみません、いきなりの事で混乱してしまって……」
「まぁ、そりゃそうだよな。にしても、なんだ、一線超える事で繋ぎ止めようとするのは女の共通手段なのか」
 苦い顔をして、鏡月を招く。その後に、静かな足音で走る音が聞こえて、慌てた緑陽がやって来る。それと一緒に覇白が一緒にいる為、彼が声を掛けに行ったのだろう。
「あぁ、杏明こんな所に……! もう、誰の入れ知恵やら」
 緑陽は杏明に駆け寄り、状態を確認する。少し気絶しているだけだ、この分なら直ぐに目覚めるだろう。
「すみません、少々手荒だったかもしれないです」
「気にしないでください。最初にそうしたのはこの子ですから……」
 その妹を目にしてから、緑陽は白刃にお願いをする。
「白刃さん、やっぱりお願いできますか? その子を一人にさせるのはわたしとしても怖いモノですし」
「分かりました。鏡月、覇白、行くぞ」
「あ、はい」
「あぁ」
 白刃が鏡月と覇白を連れて泊っている部屋に戻ると、緑陽は杏明を揺さぶり、起こしてやる。
「ん……お兄様……」
「杏明。いきなり迫ったら断られるに決まってるでしょ?」
 あくまでも優しく注意をすると、杏明は罪悪感を抱きながらもその不安を露にした。
「だって、鏡月くんがまた何処かへ行ってしまうと思うと。わたくし、怖くて……」
 最もな話だ。好意を寄せるその人が、ある日突然姿を消し、安否も分からぬまま十二年も待った。そして戻って来たそれが、再び姿を消してしまうと思うのは変な話でもない。
「うん、そうだね。気持ちは分かるよ。だけどね、それじゃあダメだ。鏡月くん怖がってたじゃないか。獲物を怖がらせては欲しい心は手に入らないよ」
 緑陽は兄として、静かにアドバイスを送る。
「いいかい杏明。心を手に入れるには、まずはその心を開かせないといけない。そして、この身に依存させる。そのために与えるべきは、精神的な安らぎだ」
「分かるかい? 焦ってはいけないんだよ。じっくりと、的確に攻めれば、どんな心だってこの手の中に収まる。まぁ鏡月くんは、白刃くんに先を越されちゃったから、少し難しいかもしれないけど」
 美しい顔に含みを持った笑みを浮かべ、そう話す兄。杏明はそれから視線を外すと、拗ねたように言った。
「わたくし、思うのです。お姉様たちより、お兄様の方が余程質が悪いと」
「わたしはそんな寝込みを襲うような真似はしないよ。そんなことしたら怖がられちゃうじゃない。あのお方、結構な怖がりだからさ」
 あぁなんとも。本当に、質が悪い。杏明は心の中でそう言いながら、兄を見つめる。そうすると、緑陽は微笑み、杏明の頭を撫でた。

「白刃は女に寝込みを襲われた事でもあるのか?」
 鏡月を寝かせた後、覇白が藪から棒に訊いてくる。別に隠す事でもないと白刃はその問いに答えた。
「十三歳の時にな。その日は嵐になって、それで帰る事は難しくなった女が屋敷に泊ったんたんだ」
「その女が、夜中に俺の部屋に入って来てな。屋敷はそこそこ広いし、迷ったんだと思った」
「人が親切に案内でもしてやろうと思っていたのに、いきなり押し倒されるわ服は脱がされるわ……怖かったんだぞ」
 これは、ちょっとしたトラウマだ。まぁ、最近はその女自体が自分の事を怖がって避ける為、大した事ではないのだが。
 一つ嫌な事と言えば、それが己の初めてだと言う事だ。
「それは、気の毒な事だな」
 何故だろうか、今の覇白は人型だが、犬の姿をさせていたせいか尻尾が見えるような気がする。
 ぽふんと頭に手を乗せると、覇白が遺憾そうにこちらを見る。
「何故撫でる」
「いや、犬みたいだなって」
「龍だ!」
 大きな訂正を加えると、その声で起こしてしまったのか、尖岩が飛び起きて何事だと部屋中を見渡す。
「え、なんで俺、外出れてんの……?」
 寝ぼけているようだ。輪を締めてやるとそれで完全に意識が戻り、その痛みに転げた。
「いたたた……白刃ぁ、寝起きに絞めるの止めろって」
「お前が寝ぼけてるからだ」
「だってさ、夢の中でまたあの牢にいたんだぜ? ったくよ、一番退屈な時期を夢で見るなんて、夢のねぇ話だよな」
「まだこんな時間かぁ。俺また寝るわ。お休みー」
 そう言い捨て、再び布団に横になる。なんだか眠い。先程まで寝ていたはずなのに。だから寝ようとした。今日は覇白が遊び相手しているようだから、自分は寝てもいいだろうと。
 まぁ、それで許してくれる訳はないのだが。咄嗟の鋭い痛みから生じた声は、夜空に反響して消えていった。
 そして、その声に驚いた幻映は、飲んでいた白湯をこぼしそうになり、慌てて湯呑を握りなおす。
「わあっ、え、え。今の声なに?」
 この部屋から聞こえたのは、頑張れば声と認識できるような、濁ったような響き方の声だった。
「野良猿が鳴いただけでしょう。猿でなくても怖がるような物ではありませんよ、幻映様。怪しい物は感じませんのでね」
「そ、そっか。ごめんね。はは、私も、いい歳した大人なのになぁ……」
「世の中、怖がりな大人なんて五万といますよ、皆それを上手く繕っているだけです。もうお休みください、お体に障りますよ」
「そうだね。おやすみ、緑陽」
「えぇ、おやすみなさいませ」
 その瞬間に、時計の針が一番上までたどり着いた。
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