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中編
贖罪と青い鳥
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「ママ、おやつたべたい」
「えー、さっき食べたばっかじゃない。一個だけよ?」
「うん! いっこだけ」
母と娘の平和な会話を聞きながら、とりあえず尖岩で遊んでおく。止めろと目で訴えてきているが、気が付かないふりをしていた。
他人がいる前だ、いつものように痛がれない尖岩は声を抑え、なんとか耐え忍んでいる。そんな反応されたら、もっと虐めたくなってしまうだろう。
もっと強めてやろうかと企んでいると、大人しくしていた鏡月があっと声をあげ、白刃の袖を引く。
「白刃さん白刃さん! 見てください、青い鳥がいますよ」
「ほんとだー! ママ、パパ、ぴぃよ! ぴぃよがいる!」
この十七歳、この幼子とほぼ等しいきらきらと輝いた目で、外に見える青色の鳥を示していた。
確かにここまで青いのは珍しいが、それ一つでこんなに喜べるなんて、無邪気なモノだ。
微笑ましく思いながら、白刃は答える。
「おや、実際青っぽい鳥は見かけますが、ここまで鮮やかなのは珍しいですね」
鳥は逃げる様子もなく、むしろ興味を示されて嬉しそうにした。自身の羽を広げ、まるで「見て見て! 僕の羽はこんなに青いんだよ!」と言っているかのよう。
普通の鳥ではない事は一目瞭然だ。その事を尋ねる前に、忘杯が彼等の疑問を察知してか、それに答えた。
「この村には、五年くらい前から鳥使いが住んでいるのですが、そちらの方の鳥です」
「鳥使いですか」
動物を使役する者自体はそれなりにいる。なんせ白刃がついさっき遊んでいたオモチャは、紛れもない猿使いなのだから。
そこで、噂をすれば主が来る者だ。青い小鳥は主を見つけ、そこに向かって飛んでいく。
そしてその主は、手を振る美野を目にすると、開かれた窓から「よっ」と顔を出した。
「あ、こちらの方がその鳥使いです」
「あれ、お客さん? 珍しいな」
その顔は、はっきりと白刃達の目に入り込む。
「えっ……」
鏡月が漏らしたその声は聞こえなかったようで、彼は笑って、珍しい客人に名乗る。
「俺は念虚、忘杯は鳥使いなんて言うけどんな大それた者ではなくてな。ま、鳥のおっちゃんって所だな。そんでこいつは悔、珍しいだろ? 青い鳥なんだ」
悔は「ぴよ」と声を上げ、「よろしくね」とでも言いたいのだろう。しかし、今はそれどころではなかった。
「念虚さん、と言いましたか」
「うん。そうだよ」
「一つお訊きします。貴方は、この村に来る前、何処で何をしていらっしゃいましたか?」
その問いかけに目を丸くしてから、苦笑いをする。
「ごめんね。俺、ここにくる以前の記憶は無いんだ」
その答えに、鏡月が一瞬息を呑んだ。
三人は何も言わずに鏡月を宥め、白刃がどう出るかを見守っていた。
「何処かで会っていたらごめんな。俺、何故か森の中で倒れててさ。そこの夫婦が見つけて、助けてくれたんだ。ただ、なんでそんな所で倒れていたかは一切分からなくて」
「ふふ、そんな事ありましたねぇ。森の中で記憶喪失の人を拾うなんて、実際ある物なんだって、ビックリしちゃいましたよ」
「迷惑かけてすまないねぇ。いやはや、名前だけでも思い出せただけ吉ってもんだぜ」
どうやらその名前は思い出せた物のようだ。
彼の言っている事が嘘だとは思えない。感じて見れば、確かにその記憶には大きな空洞がある。
運命の悪戯か、はたまた気まぐれか。もしくは、超越者の何かしらの計らいか。その意はこれだけじゃ分からない。しかし、出来ればあまり出会いたくない偶然である事には間違いないだろう。
「青い鳥に興味があるなら、俺の借りている家においでな。忘れたお詫びと言っちゃアレだけどさ。じゃあ」
「ぴぃよー!」
鳥も元気に挨拶をして、念虚は去って行く。
その後に、美野が両親にねだり始めた。
「ねーねー、とりのおじちゃんとあそびたい!」
「えぇ、今から? 今お客さん来ているのよ」
「あそびたいの! ぴぃよいっぱい!」
こうなると、子どもは意地でも譲りたがらない。
「もう、この子ったら……」
呆れ半分で溜息を付き、どうしたモノかと考える。行きたいと言うなら一緒に行ってもいが、今は来客がいる。
「私達の事でしたらお構いなく」
「すみません。じゃあ、行きましょうか」
「あ、うん。すみません。では、失礼します」
娘の要望に応え、鳥のおじちゃんの後を追う三人。それを見送った後に、尖岩が心配そうに尋ねてくる。
「なぁ、行かせてよかったのか?」
「記憶が無いと言うのは嘘ではなかった、あの状態じゃそこらの一般人と同じだ」
そっかと呟き、山砕は鏡月の背中をさする。
「鏡月、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ただ、少しびっくりしちゃいました」
「まさか、『おとうさん』がいるなんて思ってもいなかった物ですから……」
小さく笑うと、白刃が「無理はするな」と言ってやる。それに、鏡月は「はい」とだけ答えた。
予想外の事態だ。まさか、こんな所で奴に会うとは。
鏡月を利用して数多くの命を潰した、魔潜中の一つの組織。その中のリーダーであり、そして鏡月が「おとうさん」と呼んでいた、彼そのものだ。
「しかし、どういう事だ? 生きている事自体は可笑しい話ではないが、記憶をなくしているのだぞ」
それは何故かを考えて、尖岩はふと思い出した。
「……そう言や昔、超越者が言ってたな。『魔に呑まれ罪を犯した魂は、そのままだと魔に憑りつかれたまま、もしも生まれ変わった時に同じ過ちを繰り返す。魂を浄化してからじゃないと、長い目で見れば何の意味もない』って」
そう聞いて山砕もあーっと呟く。そう言えば、そんな事も言っていた。罪人が罪人となった理由を考えれば、必然とそうする必要が出てくる。
「なるほど、そういう事か。理由は納得がいくが」
納得はいたが、覇白は微妙な反応。そこに、もやっとする何かを感じたのだ。しかし、それは覇白だけの話ではない。
「なんかなぁ。忘れられちゃ、怒るに怒れないじゃんか」
尖岩も、苦い顔をしてそう言う。
今この状態でこちらがその罪を咎めた所で、本人に記憶がない以上八つ当たりになってしまう。
「鏡月、訊くぞ。お前は、彼奴をどう思っている」
白刃のその問いかけへの返しは、鏡月の中で浮かび上がってこなかった。
恨みや怒り、本来抱くべき感情は沢山あるのだろう。しかし、思い当たる感情はそれよりも、自分の罪への後悔と失った悲しみだった。
鏡月が何も返さないでいると、白刃がその頭にぽんと手を置く。
「赦すも赦さないもお前次第だ。分からないのなら分からなくていい。幸い、お前は救われた。過去を見詰め続けるより、そこに戻って来た未来を見ろ」
「ただ、俺は俺として気に食わない所がある」
そう言って、白刃は窓から見えるただの鳥を目に映す。
気に食わないから、少し文句を言わせてもらおう。超越者の計らいを崩す事になるが、正直知った事ではない。自分は、自分のしたい事をするまでだ。
その日の夜の初めの頃、白刃はその家の前に付き、扉をノックする。
「はいはーい。お、さっきのお客さん」
「すみません、少々お話よろしいでしょうか」
「おう、いいぞ。お茶で大丈夫?」
「お気遣いなさらず。もう夜ですし、長居する気はありませんので」
「そう? ならいいんだけど」
あの家族の変わらない構造の家だ。この村一帯で統一された作りなのだろう。
白刃は靴を脱いで上がらせてもらい、念虚と向かい合って正座をした。
「念虚さん。魔潜はご存知でしょうか」
単刀直入に問いかけると、当然その事は知っているようだ。
「あー、最近噂の。悪さをする連中だとは聞かされているけど、それがどうした?」
「いえ、私達はその事についての調査をしておりまして。何か知っている事はないかと」
嘘は言っていない。実際調べないといけない事なのだ。
笑みを浮かべて問いかけると、念虚は考える。
「なるほど。悪いけど、俺は何も知らないよ。記憶が無いって言うのもあるけど、俺はこの村の温情で生きている、鳥だけに囲まれているオッサンだからね。ついでに記憶喪失ときたものだ、魔潜もそんな奴を狙いやしないさ」
こちらも、言っていること自体は間違いではない。今までの被害状況を見れば分かる情報だ。
白刃は表情を保ったまま、もう一度問いかける。
「本当に、何も知りませんか?」
「ははっ、わざわざそんな嘘つかないよ。一般的に知られている範囲内の事しか分からないんだ。この村はまだ実害が無いからさ」
何度訊いても答えはこれだろう。当たり前だ。今ここにいる彼は、念虚の名を持つただの一般人に過ぎない。
魂の根底に眠っているその記憶を、どう引き出すか。揺さぶればきっと目覚めるはずだが。
その時、白刃の雰囲気が変わった。
「……では、貴方ではなく、貴方の魂に問いましょうかね」
「起きなさい。私は今、『貴方』に訊いているのです」
その声に応え、念虚の中のそれが再び目覚めた。眠っていた記憶がたたき起こされ、目まいがする。
痛む頭を押さえながら、ゆっくりと目を見開く。
「……これは、俺のした事、なのか」
「えぇ、間違いなく」
魔に囚われていない正常な心は、その記憶を冷静に、そして客観的に受け入れ戸惑っている。
「その罪の重さ、魔に魅入られていない今の貴方なら分かるでしょう。よろしいですか。貴方が起こした行動で本来あるべき道を進めなかったのはあの子だけではない。赦される事ではありません」
そうして、ごもっともな説教にから笑う。
この罪、謝罪で済むモノではない。確か、異世界の言葉でそういうのがあった。
「ははっ、あんたの言う通りだな。ごめんで済めばケーサツはいらない、ってやつだろ?」
「まぁしかし、罪を憎んで人を憎まずとも言います。それに、貴方は償う為に忘れたのです。一度魔に染まった魂は、堕ちるか死ぬまでそのままですのでね。超越者の意向として、貴方を更生させたかったのでしょう」
「ただ、『私』は私個人として貴方に文句がある。よろしいでしょうか」
「いいぜ、好きに罵れ。赦されないなら何されても同じだ。それに、罪人に拒否権なんてないだろ」
念虚はどんな言葉も覚悟をしていた。同じ組織の仲間は殺されたと言うのに、自分だけ生かされているのが不思議なくらいなのだ。ここで罵倒されようとそれを拒む権利はないだろう、そう思っていた。
「そうですか。では、遠慮なく」
しかし、待ってもその言葉は聞こえない。わざわざ言葉を選んでいるのだろうか、そう思っていたが、突然やって来たそれは言葉ではなかった。
それは、突然体に走った大きな電撃だった。
不意打ちに情けない声を上げ、困惑している。
「もう一度訊く。魔潜について知っている事はあるか」
「え、あ、そうだな……」
思い出そうとしている途中に、早くしろと言わんばかりに電気を流される。これが結構痛い。
「ぃだあっ! 言うから! 全部言うからちょっと待ってくれ!」
「俺がいた所は、上から指示された事をやるだけだ! あの時は、陰壁を崩せって指示が出されていた。一応その中ではリーダーやってたから、もう一つ上の奴等とは会った事がある。ただ、向こうも更に上に指示されていそうだったから、最上層部ではない」
「ただ、一回そっちの方で『ボスからの指示』っていう言葉が聞こえた。俺の所ではボス直の命なんて無かったから、結構上の方だろうさ」
これは有力な情報だ。ここだけで考えれば、彼がいた組織は上から三番目の場所になると思われる。
そして、その一つ上は頭から直接命を下される訳だ。そこは最上層部と直結であると考えてもいい。
「ほう。じゃあ、その場所は何処だ」
「詳しい場所は俺も知らない。いつも迎えが来ていて、それに付いて行っただけだし、言ったのはホント一・二回なんだ」
この反応だと、嘘ではないだろう。肝心なそこは聞かされていないとは、所詮はこいつも使われていただけなのだろう。その要が金ではなかっただけだ。
白刃が今度の行動を考えていると、何かを察したのか念虚が言った。
「言っとくけど、俺がいた組織は俺以外全滅したからな。そこは探ってもなんもないぞ」
「なんだ、四壁の何処かにでも罰せられたか」
「知るかよ、起きたら全員死んでた。ついに陰壁が復讐しに来たのかとは思ったが、実際はどうだかな」
確証はないし、むしろその可能性は低いと思う。主犯である自分は殺されなかったし、それに鏡月もきちんとあの地下室で大人しくしていたのだ。復讐するのなら、真っ先に自分を殺し、子どもを取り返すだろう。
念虚が言える事は全て言ったようで、それ以上は何も言わなかった。床に置いている手に目を落とすと、青い鳥の悔が主を見上げている。
「ん、悔か。どうした、腹減ったか?」
パンをちぎって与えてみるが、悔はこれではないと言いたげに物悲しげな声を上げる。
「ぴぃ……」
「困ったな、飯ではないのか」
こういった様子は初めてで、何を求められているのかが分からなかった。
「お前はこいつの言葉分からないのか?」
問うと、念虚は何を言っているんだお前と言いたげな目を向ける。当然の反応と言えば当然の反応だ。人間が理解できる言葉は、人間の言葉のみなのだから。
「いや、分かる訳ないだろ……。何だと思ってるんだよ」
「俺の連れの猿使いは、猿の言葉が分かる。あと猪科の言葉が分かる奴もいる」
これが普通じゃないのか、その言葉は言われなくても分かってしまう。こちらもこちらで、真顔で随分とぶっ飛んだことを言うモノだ。
「それ、そいつ等が特殊だけな」
冷静にツッコんでみた。
そりゃ使役できるくらいだから他より意思疎通は出来るだろうが、言葉まで分かるのは普通ではない。
悔を手に乗せ、優しく撫でる。そうすれば少しは安心できたようで、悔は翼をぱたぱたと揺らした。
それを見て微笑み、念虚は白刃に視線をやる。
「心配せずとも、もう悪い事もするつもりはねぇし、あの陰壁の子どもに手を出そうとも関わろうとも思ってない。流石の俺もそこまで馬鹿じゃねぇからさ。大人しくここで、『鳥のおじちゃん』でいるよ」
その言葉に、白刃は一つだけ訂正を加える。
「彼奴は鏡月だ」
「知ってはいるよ」
名前を呼ばない理由は白刃も何となく分かっていたから、それ以上は何も言わずにいた。
「念虚と言ったか。その名前、絶対に忘れるんじゃないぞ。本来のお前は、間違いなく今のお前だ」
強力な電撃を一発打ち込み、白刃は「次はありませんよ」と笑う。
畏怖という言葉は、こういう事を指すのだろう。心臓を掴まれたに等しい感覚が念虚に現れ返事を出来ずにいると、白刃はその家から去って行く。
「死ぬかと思った……」
色々な意味で、そうだった。
手を握ろうとするが、しびれて上手く動かない。あの一瞬の余韻は、しばらく消えなさそうだ。
「ぴぃ」
「ははっ。贖罪ってやつだな」
「ぴ?」
念虚の呟きに、悔はそれななんだと言いたげに首をかしげる。
「俺がすべき事だよ。なぁ悔、もしかして、その為に俺と一緒にいてくれているのか?」
そんな冗談で小さく笑って、悔を元の場所に戻す。
「ぴぃよ!」
そこで、青い鳥は笑みを浮かべて頷いた。
「えー、さっき食べたばっかじゃない。一個だけよ?」
「うん! いっこだけ」
母と娘の平和な会話を聞きながら、とりあえず尖岩で遊んでおく。止めろと目で訴えてきているが、気が付かないふりをしていた。
他人がいる前だ、いつものように痛がれない尖岩は声を抑え、なんとか耐え忍んでいる。そんな反応されたら、もっと虐めたくなってしまうだろう。
もっと強めてやろうかと企んでいると、大人しくしていた鏡月があっと声をあげ、白刃の袖を引く。
「白刃さん白刃さん! 見てください、青い鳥がいますよ」
「ほんとだー! ママ、パパ、ぴぃよ! ぴぃよがいる!」
この十七歳、この幼子とほぼ等しいきらきらと輝いた目で、外に見える青色の鳥を示していた。
確かにここまで青いのは珍しいが、それ一つでこんなに喜べるなんて、無邪気なモノだ。
微笑ましく思いながら、白刃は答える。
「おや、実際青っぽい鳥は見かけますが、ここまで鮮やかなのは珍しいですね」
鳥は逃げる様子もなく、むしろ興味を示されて嬉しそうにした。自身の羽を広げ、まるで「見て見て! 僕の羽はこんなに青いんだよ!」と言っているかのよう。
普通の鳥ではない事は一目瞭然だ。その事を尋ねる前に、忘杯が彼等の疑問を察知してか、それに答えた。
「この村には、五年くらい前から鳥使いが住んでいるのですが、そちらの方の鳥です」
「鳥使いですか」
動物を使役する者自体はそれなりにいる。なんせ白刃がついさっき遊んでいたオモチャは、紛れもない猿使いなのだから。
そこで、噂をすれば主が来る者だ。青い小鳥は主を見つけ、そこに向かって飛んでいく。
そしてその主は、手を振る美野を目にすると、開かれた窓から「よっ」と顔を出した。
「あ、こちらの方がその鳥使いです」
「あれ、お客さん? 珍しいな」
その顔は、はっきりと白刃達の目に入り込む。
「えっ……」
鏡月が漏らしたその声は聞こえなかったようで、彼は笑って、珍しい客人に名乗る。
「俺は念虚、忘杯は鳥使いなんて言うけどんな大それた者ではなくてな。ま、鳥のおっちゃんって所だな。そんでこいつは悔、珍しいだろ? 青い鳥なんだ」
悔は「ぴよ」と声を上げ、「よろしくね」とでも言いたいのだろう。しかし、今はそれどころではなかった。
「念虚さん、と言いましたか」
「うん。そうだよ」
「一つお訊きします。貴方は、この村に来る前、何処で何をしていらっしゃいましたか?」
その問いかけに目を丸くしてから、苦笑いをする。
「ごめんね。俺、ここにくる以前の記憶は無いんだ」
その答えに、鏡月が一瞬息を呑んだ。
三人は何も言わずに鏡月を宥め、白刃がどう出るかを見守っていた。
「何処かで会っていたらごめんな。俺、何故か森の中で倒れててさ。そこの夫婦が見つけて、助けてくれたんだ。ただ、なんでそんな所で倒れていたかは一切分からなくて」
「ふふ、そんな事ありましたねぇ。森の中で記憶喪失の人を拾うなんて、実際ある物なんだって、ビックリしちゃいましたよ」
「迷惑かけてすまないねぇ。いやはや、名前だけでも思い出せただけ吉ってもんだぜ」
どうやらその名前は思い出せた物のようだ。
彼の言っている事が嘘だとは思えない。感じて見れば、確かにその記憶には大きな空洞がある。
運命の悪戯か、はたまた気まぐれか。もしくは、超越者の何かしらの計らいか。その意はこれだけじゃ分からない。しかし、出来ればあまり出会いたくない偶然である事には間違いないだろう。
「青い鳥に興味があるなら、俺の借りている家においでな。忘れたお詫びと言っちゃアレだけどさ。じゃあ」
「ぴぃよー!」
鳥も元気に挨拶をして、念虚は去って行く。
その後に、美野が両親にねだり始めた。
「ねーねー、とりのおじちゃんとあそびたい!」
「えぇ、今から? 今お客さん来ているのよ」
「あそびたいの! ぴぃよいっぱい!」
こうなると、子どもは意地でも譲りたがらない。
「もう、この子ったら……」
呆れ半分で溜息を付き、どうしたモノかと考える。行きたいと言うなら一緒に行ってもいが、今は来客がいる。
「私達の事でしたらお構いなく」
「すみません。じゃあ、行きましょうか」
「あ、うん。すみません。では、失礼します」
娘の要望に応え、鳥のおじちゃんの後を追う三人。それを見送った後に、尖岩が心配そうに尋ねてくる。
「なぁ、行かせてよかったのか?」
「記憶が無いと言うのは嘘ではなかった、あの状態じゃそこらの一般人と同じだ」
そっかと呟き、山砕は鏡月の背中をさする。
「鏡月、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ただ、少しびっくりしちゃいました」
「まさか、『おとうさん』がいるなんて思ってもいなかった物ですから……」
小さく笑うと、白刃が「無理はするな」と言ってやる。それに、鏡月は「はい」とだけ答えた。
予想外の事態だ。まさか、こんな所で奴に会うとは。
鏡月を利用して数多くの命を潰した、魔潜中の一つの組織。その中のリーダーであり、そして鏡月が「おとうさん」と呼んでいた、彼そのものだ。
「しかし、どういう事だ? 生きている事自体は可笑しい話ではないが、記憶をなくしているのだぞ」
それは何故かを考えて、尖岩はふと思い出した。
「……そう言や昔、超越者が言ってたな。『魔に呑まれ罪を犯した魂は、そのままだと魔に憑りつかれたまま、もしも生まれ変わった時に同じ過ちを繰り返す。魂を浄化してからじゃないと、長い目で見れば何の意味もない』って」
そう聞いて山砕もあーっと呟く。そう言えば、そんな事も言っていた。罪人が罪人となった理由を考えれば、必然とそうする必要が出てくる。
「なるほど、そういう事か。理由は納得がいくが」
納得はいたが、覇白は微妙な反応。そこに、もやっとする何かを感じたのだ。しかし、それは覇白だけの話ではない。
「なんかなぁ。忘れられちゃ、怒るに怒れないじゃんか」
尖岩も、苦い顔をしてそう言う。
今この状態でこちらがその罪を咎めた所で、本人に記憶がない以上八つ当たりになってしまう。
「鏡月、訊くぞ。お前は、彼奴をどう思っている」
白刃のその問いかけへの返しは、鏡月の中で浮かび上がってこなかった。
恨みや怒り、本来抱くべき感情は沢山あるのだろう。しかし、思い当たる感情はそれよりも、自分の罪への後悔と失った悲しみだった。
鏡月が何も返さないでいると、白刃がその頭にぽんと手を置く。
「赦すも赦さないもお前次第だ。分からないのなら分からなくていい。幸い、お前は救われた。過去を見詰め続けるより、そこに戻って来た未来を見ろ」
「ただ、俺は俺として気に食わない所がある」
そう言って、白刃は窓から見えるただの鳥を目に映す。
気に食わないから、少し文句を言わせてもらおう。超越者の計らいを崩す事になるが、正直知った事ではない。自分は、自分のしたい事をするまでだ。
その日の夜の初めの頃、白刃はその家の前に付き、扉をノックする。
「はいはーい。お、さっきのお客さん」
「すみません、少々お話よろしいでしょうか」
「おう、いいぞ。お茶で大丈夫?」
「お気遣いなさらず。もう夜ですし、長居する気はありませんので」
「そう? ならいいんだけど」
あの家族の変わらない構造の家だ。この村一帯で統一された作りなのだろう。
白刃は靴を脱いで上がらせてもらい、念虚と向かい合って正座をした。
「念虚さん。魔潜はご存知でしょうか」
単刀直入に問いかけると、当然その事は知っているようだ。
「あー、最近噂の。悪さをする連中だとは聞かされているけど、それがどうした?」
「いえ、私達はその事についての調査をしておりまして。何か知っている事はないかと」
嘘は言っていない。実際調べないといけない事なのだ。
笑みを浮かべて問いかけると、念虚は考える。
「なるほど。悪いけど、俺は何も知らないよ。記憶が無いって言うのもあるけど、俺はこの村の温情で生きている、鳥だけに囲まれているオッサンだからね。ついでに記憶喪失ときたものだ、魔潜もそんな奴を狙いやしないさ」
こちらも、言っていること自体は間違いではない。今までの被害状況を見れば分かる情報だ。
白刃は表情を保ったまま、もう一度問いかける。
「本当に、何も知りませんか?」
「ははっ、わざわざそんな嘘つかないよ。一般的に知られている範囲内の事しか分からないんだ。この村はまだ実害が無いからさ」
何度訊いても答えはこれだろう。当たり前だ。今ここにいる彼は、念虚の名を持つただの一般人に過ぎない。
魂の根底に眠っているその記憶を、どう引き出すか。揺さぶればきっと目覚めるはずだが。
その時、白刃の雰囲気が変わった。
「……では、貴方ではなく、貴方の魂に問いましょうかね」
「起きなさい。私は今、『貴方』に訊いているのです」
その声に応え、念虚の中のそれが再び目覚めた。眠っていた記憶がたたき起こされ、目まいがする。
痛む頭を押さえながら、ゆっくりと目を見開く。
「……これは、俺のした事、なのか」
「えぇ、間違いなく」
魔に囚われていない正常な心は、その記憶を冷静に、そして客観的に受け入れ戸惑っている。
「その罪の重さ、魔に魅入られていない今の貴方なら分かるでしょう。よろしいですか。貴方が起こした行動で本来あるべき道を進めなかったのはあの子だけではない。赦される事ではありません」
そうして、ごもっともな説教にから笑う。
この罪、謝罪で済むモノではない。確か、異世界の言葉でそういうのがあった。
「ははっ、あんたの言う通りだな。ごめんで済めばケーサツはいらない、ってやつだろ?」
「まぁしかし、罪を憎んで人を憎まずとも言います。それに、貴方は償う為に忘れたのです。一度魔に染まった魂は、堕ちるか死ぬまでそのままですのでね。超越者の意向として、貴方を更生させたかったのでしょう」
「ただ、『私』は私個人として貴方に文句がある。よろしいでしょうか」
「いいぜ、好きに罵れ。赦されないなら何されても同じだ。それに、罪人に拒否権なんてないだろ」
念虚はどんな言葉も覚悟をしていた。同じ組織の仲間は殺されたと言うのに、自分だけ生かされているのが不思議なくらいなのだ。ここで罵倒されようとそれを拒む権利はないだろう、そう思っていた。
「そうですか。では、遠慮なく」
しかし、待ってもその言葉は聞こえない。わざわざ言葉を選んでいるのだろうか、そう思っていたが、突然やって来たそれは言葉ではなかった。
それは、突然体に走った大きな電撃だった。
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「もう一度訊く。魔潜について知っている事はあるか」
「え、あ、そうだな……」
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「ただ、一回そっちの方で『ボスからの指示』っていう言葉が聞こえた。俺の所ではボス直の命なんて無かったから、結構上の方だろうさ」
これは有力な情報だ。ここだけで考えれば、彼がいた組織は上から三番目の場所になると思われる。
そして、その一つ上は頭から直接命を下される訳だ。そこは最上層部と直結であると考えてもいい。
「ほう。じゃあ、その場所は何処だ」
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この反応だと、嘘ではないだろう。肝心なそこは聞かされていないとは、所詮はこいつも使われていただけなのだろう。その要が金ではなかっただけだ。
白刃が今度の行動を考えていると、何かを察したのか念虚が言った。
「言っとくけど、俺がいた組織は俺以外全滅したからな。そこは探ってもなんもないぞ」
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「知るかよ、起きたら全員死んでた。ついに陰壁が復讐しに来たのかとは思ったが、実際はどうだかな」
確証はないし、むしろその可能性は低いと思う。主犯である自分は殺されなかったし、それに鏡月もきちんとあの地下室で大人しくしていたのだ。復讐するのなら、真っ先に自分を殺し、子どもを取り返すだろう。
念虚が言える事は全て言ったようで、それ以上は何も言わなかった。床に置いている手に目を落とすと、青い鳥の悔が主を見上げている。
「ん、悔か。どうした、腹減ったか?」
パンをちぎって与えてみるが、悔はこれではないと言いたげに物悲しげな声を上げる。
「ぴぃ……」
「困ったな、飯ではないのか」
こういった様子は初めてで、何を求められているのかが分からなかった。
「お前はこいつの言葉分からないのか?」
問うと、念虚は何を言っているんだお前と言いたげな目を向ける。当然の反応と言えば当然の反応だ。人間が理解できる言葉は、人間の言葉のみなのだから。
「いや、分かる訳ないだろ……。何だと思ってるんだよ」
「俺の連れの猿使いは、猿の言葉が分かる。あと猪科の言葉が分かる奴もいる」
これが普通じゃないのか、その言葉は言われなくても分かってしまう。こちらもこちらで、真顔で随分とぶっ飛んだことを言うモノだ。
「それ、そいつ等が特殊だけな」
冷静にツッコんでみた。
そりゃ使役できるくらいだから他より意思疎通は出来るだろうが、言葉まで分かるのは普通ではない。
悔を手に乗せ、優しく撫でる。そうすれば少しは安心できたようで、悔は翼をぱたぱたと揺らした。
それを見て微笑み、念虚は白刃に視線をやる。
「心配せずとも、もう悪い事もするつもりはねぇし、あの陰壁の子どもに手を出そうとも関わろうとも思ってない。流石の俺もそこまで馬鹿じゃねぇからさ。大人しくここで、『鳥のおじちゃん』でいるよ」
その言葉に、白刃は一つだけ訂正を加える。
「彼奴は鏡月だ」
「知ってはいるよ」
名前を呼ばない理由は白刃も何となく分かっていたから、それ以上は何も言わずにいた。
「念虚と言ったか。その名前、絶対に忘れるんじゃないぞ。本来のお前は、間違いなく今のお前だ」
強力な電撃を一発打ち込み、白刃は「次はありませんよ」と笑う。
畏怖という言葉は、こういう事を指すのだろう。心臓を掴まれたに等しい感覚が念虚に現れ返事を出来ずにいると、白刃はその家から去って行く。
「死ぬかと思った……」
色々な意味で、そうだった。
手を握ろうとするが、しびれて上手く動かない。あの一瞬の余韻は、しばらく消えなさそうだ。
「ぴぃ」
「ははっ。贖罪ってやつだな」
「ぴ?」
念虚の呟きに、悔はそれななんだと言いたげに首をかしげる。
「俺がすべき事だよ。なぁ悔、もしかして、その為に俺と一緒にいてくれているのか?」
そんな冗談で小さく笑って、悔を元の場所に戻す。
「ぴぃよ!」
そこで、青い鳥は笑みを浮かべて頷いた。
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