楽園遊記

紅創花優雷

文字の大きさ
53 / 87
後編

「白刃」と言う名の、ただの子ども。

しおりを挟む


 世の中には、親という存在がある。その言葉は主に、密かに交わって新たな肉体を作り、それを生んだ男女の二人の事を指す。
 この身がある以上、親と言う存在はあったはずだ。しかし、その存在は自分が生まれた時に亡くなってしまった。
 だから、それは最初からいなかったも同じなのだ。
 堅壁の屋敷での朝。起床時間丁度に目を覚まし、白刃は服を着替える。寝巻を脱ぐと、冬の冷えた空気で寒くなるが、服を着てしまえば少しは暖かくなる。
 少し伸びた髪を結び、部屋から出る。皆で集まってご飯を食べる部屋に行くと、まだ朝食の時間よりかは早いため、そこにいたのは食事を用意する女中達だけだった。
「あ、白刃くん。おはよう」
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げ彼女たちに挨拶をすると、丁度大将師匠もこちらに顔を出す。いち早くそれに気が付いた白刃は、表情を明るくして彼を呼ぶ。
「お師匠さま!」
「大将様、おはようございます」
「朝早くからご苦労。白刃も、おはよう」
 頭を下げた女中たちに挨拶を返し、今度は小さい白刃に視線をわせる。
「おはようございます、お師匠さま」
「あぁ。席に付け、そろそろ朝食の時間だ」
「はい」
 自分は、師匠の隣だ。そこにお行儀よく座り、出してくれた水を飲んで待っている。
 そこから兄弟子達もぞろぞろと集まり、師匠に朝の挨拶をしてから決められた場所に正座をする。
 朝食時間丁度には、既に皆そこに集まっていた。女中たちによって手際よく今日の朝食が配膳された。
 頂きますと一声かけてから、それらに手を付ける。
 堅壁では黙食が基本だ。それに倣って 、白刃もお行儀よく食事を行っていた。
 朝食終わり、しばしの自由時間。師匠と一緒に部屋から出て行った白刃を二人の弟子が目で追い、姿が見えなくなると同時に足を崩して「あー」っと声を漏らした。
「脚痺れちゃったよ、いってぇ……」
「俺もー」
 びりびりと痛む脚を伸ばして、痛みが引くのを待つ。弟子入りしてまだ間もない二人の少年からすれば、崩さず正座を続けるのは少し苦だ。
「しかし、白刃くんは凄いよな。あんな小さいのに、俺等より大人びてるんじゃね?」
「それは否定できないなぁ」
 ははっと笑って、多少痛みが引いたところで立ち上がる。この短めの自由時間の後は朝の修行がある。それの準備をしなければならないのだ。
 そうして今日も朝は過ぎ、昼頃の事。白刃は一冊の本を抱えて、師匠の数歩後ろを歩いていた。
 これから簡単な術について教えてもらうのだ。実戦に移すのはまだ難しいにしても、座学として教えてもらえる。自分と同年代の子どもは今この屋敷にいない為、一対一の贅沢な授業となる。
 少し嬉しくなりながら師匠の後を付いていると、ふと門の近くに人がいるのに気が付く。
「がははっ、生意気に大きくなりやがって! 縮めこのっ」
「もう、止めてよ父さん。本当に縮んだらどうしてくれるのさ」
「ふふっ、私の身長は越しちゃったねぇ。たった一年見ない間に、随分と大人になって」
 家族なのだろう。修行の為に屋敷に預けた子どもと、一年ぶりの再会の光景だ。
 それが目に映り、脚を止める。何故だろうか、自然とそうなった。
 親なんて最初からいなかったと同じ。自分が産まれたその日に殺されたのだ。
 いないと同じはずなのに、知らないはずなのに。何故、こんなにも胸が痛むのだろう。
 師匠は立ち止まった白刃に気が付くと、振り向いて声を掛ける。
「白刃」
 呼びかけると、白刃はハッとして師匠を見る。
「あ。すみません、何でもないです。行きましょ、お師匠さま」
 幼いその子どもはにこりと笑って、師の元に駆け寄った。

 そして、彼は七歳にして力を操り、術を熟せるようになる。その頃には周りでこう囁かれるようになった。白龍の聖刀の名をもつその子は、正に「待つ者」。そう、超越者に選ばれた魂であると。

 ここは何処だろうか。見える上空に広がるのは、雲一つない綺麗な春の空。美しい光景だ。しかし、ここには何もない。
 歩いても歩いても、同じ景色が続くばかり。実は歩けていないんじゃないかなんて、頭が可笑しくなりそうだ。
「はぁ……なんなんだこの術は……」
 白刃は溜息を付いて、その場に立ち止まる。
 ただ足の赴くままに進んでいたが、進展するような感じは一向にしない。せめて、この術が何かさえ分かれば対処の仕様があるのだが。
 仮想夢の術か。いや、あれは記憶を夢見せるモノだろう。こんな景色は知らない。
「疲れた……」
 そうぼやいて、芝生の上に座る。このくらいなら平気で歩けるはずだが、状況が状況なのだ。精神的な疲労を感じる。
 どうしたものかと思考を巡らせていると、先程までなかった風を感じる。暖かい、春の風だ。
 風がやってきた方に目をやると、いつの間にか、そこに大きな桜の木がある。桜の花は満開で、とても綺麗だ。
「……桜か」
 そう言えば、もう直ぐ自分の誕生日だ。これで、二十三歳になる。まぁ、どうでもいい話なのだが。
 白刃は息を吐いて目を瞑る。ゆるやかな風が心地よく、何だかうとうとしてきた。微睡む意識の中、柔らかな二つの声が頭に届く。
 頭の片隅で沈んでいた記憶。最初に聞いた二人の声だ。暖かく包み込むのようなそれが、ハッキリと脳内に届く。
 目を移すと、桜の木の下に二人の人がいる。
 それを目にすると、その二人が「おいで」と言ったように思えた。
 招かれ、白刃は自然とそちらに向かっていた。
 何も考えてはいなかった、ただ、呼ばれたからそうしただけ。おいでと言われたから。だって、はぐれたら迷子になっちゃう。
 足を進めると、後ろから肩を掴まれる。
「っ……!」
 驚いて振り向くと、そこには自分と同じ白髪の男がいた。
『惑わされてはいけません、あれは術により作られた幻影です』
『まだ、そちらに行ってはいけませんよ。貴方を待っている人がいるのです。早く起きて、その声を聞かせてあげなさい』
『大丈夫。私も、ここにいますから』
 その彼に子どものように撫でられ、呆然としてその顔を見る。しかし、その顔をはっきりと確認する前に、見える景色や体へ伝わる感覚が変わった。
 これは、布団の中だろうか。目を開け、ぼやけた視界の中で、仲間の姿を捉える。
「白刃! 起きたか!?」
「白刃さんっ! 良かった……僕、怖くて」
「だ、大丈夫?! 体とか、頭とか、何ともない?」
「あぁ、とりあえずは大事なさそうで良かった」
 四人がそれぞれ安堵した様子を見せ、そして鏡月が「羅宇さんに報告してきます」と一旦立ち去る。
 その言葉から考えるに、封壁の屋敷なのだろう。見ると、日が変わっている。しかも、一日飛んでだ。封壁にもこいつ等にも、とんだ迷惑をかけたみたいだ。
「……迷惑かけたみたいだな。すまない」
「そーだぜ! 全然起きないし、心配したんだぞ! 何が簡単に死んでやる気はないだ、お前さっきまで死にそうだったんだぞっ!」
 プンプンとした尖岩が、白刃をそれなりに強い力で叩く。心配させた分のお返しといた所だろうか。
「結構強めに行ったな、お前……」
 もはやこれは、殴ったレベルだ。痛みが残るその部分をさすって、白刃は状況を呑み込もうと頭を回す。しかし、寝起きだからか頭は上手く動いてくれなかった。
 そして、鏡月が羅宇を連れて部屋に戻って来る。羅宇は、起き上がっている白刃を目にして、声を掛ける。
「おはようございます、白刃くん。無事に目覚められたようで何よりです」
「羅宇さん。申し訳ありません、ご迷惑をおかけしたみたいで」
 謝るが、羅宇は迷惑とは思っていなさそうで。
「このくらいの失敗、若い子にはよくある事ですから。貴方も列記とした人間だったようなので、私は少し安心しましたよ」
 そういった羅宇は、少しだけ微笑んでいるように見えた。
 眼鏡をくいっと上げて息を吐くと、仕事的な話に移る。
「魔潜についていい物を掴めたようですね。そちらについてのお話もしたい所ですが、しばらく休んでいなさい。どちらにせよ、四壁の招集を行わなければならないのでね」
 要約すれば、まだここで休んでいろと言う事だ。白刃としてもそれはありがたかった。「分かりました」と笑みを浮かべ、鏡月に渡された水を飲む。
 喉が渇いていたようで、その一口だけで一気に潤った気がした。
「氷月の孫、えっと、鏡月と言いましたか。幻映を呼ぶのに貴方も必要なので、貴方達もここにいてください」
「あ、はい。あの、叔父さんって、そんなに来ない人なんですか?」
「えぇ。まるで兎を相手にしているかのようですよ。しかも、その隣には兎の面を被った狼がいるものですから。貴方の叔父は困ったモノです」
 微苦笑で答えてから、羅宇は四壁の招集の為に部屋を移る。
 その後に、鏡月が羅宇の不思議な発言に首を傾げた。
「狼……?」
 叔父は別に狼は飼っていないはずだけど、何の事だろうか。そんな心は言葉にされなくても大体分かった。
「それ、普通に比喩だと思うけど」
 山砕がそう言ってみるが、鏡月は猶更分からなくなっていそうだったから、とりあえず饅頭をあげた。
 貰った饅頭を頬張って幸せそうに頬を緩ませる鏡月。それを横目に、白刃が覇白に訊いた。
「何の術だか、分かるか?」
 自分がかかっていたあの術は、知らないモノだったのだ。
 もしかしたら龍なら知っているかもしれない、そう思った。しかし、覇白は首を横に振る。
「名称は分からぬ。ただ、死に誘う術であった事は間違いないであろう」
「そうか」
 視線を逸らして手を握る。その瞬間に尖岩が「いてっ」と短い声を上げた。
「しかしまぁ。お前も、親を望んでいるのだな」
「……うるさい」
 恥ずかしい物全てを誤魔化すために、白刃はまた手っ取り早く尖岩の輪を締める。勿論尖岩から「何すんだよ!」との苦情が出たが、完全に無視した。
「もう、別にそんな恥じる事じゃねぇだろ。相変わらずいってぇな……」
 そう口にして、締められた頭をさする。白刃の照れ隠しは全体的に尖岩が痛みを負う、困ったモノだ。しかしまぁ、最近その締め方でこいつの感情が分かるようになってきた。今日から使える無駄知識という奴だ。
 可愛いような可愛くないような。苦笑いを浮かべて尖岩も饅頭を食べようと手を伸ばす。
「やっほーす! 羅宇、さっそく宴我様が来てやったぞー!」
「うるさいぞ宴我! もっと静かに出来ないのか貴様は!」
 二人の声がここまで聞こえるモノだ。驚いてしまったが、饅頭を食べよう。そう思ったのに、その一瞬で山砕に取られていた。
 そして、宴我の次は大将も呼びかけに応じたようで。羅宇に挨拶をすると、真っ直ぐと白刃達のいる部屋にやってくる。
「話は聞いた、魔潜についてのいい情報を掴めたのだろう。よくやった」
 そう言って、大将は肉まんが入った包み紙を白刃に渡す。これは、ご褒美なのだ。
「ありがとうございます師匠。では、いただきます」
 まだほかほかしているそれを口に入れる。その時見せた嬉しそうな表情からして、やはり肉まんが好きなのだろう。
「やっぱ好きだよな? 肉まん」
「いいえ、特にそういう訳ではありませんよ」
 何故こんな事を頑なに否定し続けるのだろうか。そんな事されたら、こちらも無理にでも好きだと言わせたくなってしまう。
 大将は弟子が無事である事を確認すると、「始まったら声を掛ける」と言って会議に使っている部屋に移動した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...