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後編
「白刃」と言う名の、ただの子ども。
しおりを挟む世の中には、親という存在がある。その言葉は主に、密かに交わって新たな肉体を作り、それを生んだ男女の二人の事を指す。
この身がある以上、親と言う存在はあったはずだ。しかし、その存在は自分が生まれた時に亡くなってしまった。
だから、それは最初からいなかったも同じなのだ。
堅壁の屋敷での朝。起床時間丁度に目を覚まし、白刃は服を着替える。寝巻を脱ぐと、冬の冷えた空気で寒くなるが、服を着てしまえば少しは暖かくなる。
少し伸びた髪を結び、部屋から出る。皆で集まってご飯を食べる部屋に行くと、まだ朝食の時間よりかは早いため、そこにいたのは食事を用意する女中達だけだった。
「あ、白刃くん。おはよう」
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げ彼女たちに挨拶をすると、丁度大将師匠もこちらに顔を出す。いち早くそれに気が付いた白刃は、表情を明るくして彼を呼ぶ。
「お師匠さま!」
「大将様、おはようございます」
「朝早くからご苦労。白刃も、おはよう」
頭を下げた女中たちに挨拶を返し、今度は小さい白刃に視線をわせる。
「おはようございます、お師匠さま」
「あぁ。席に付け、そろそろ朝食の時間だ」
「はい」
自分は、師匠の隣だ。そこにお行儀よく座り、出してくれた水を飲んで待っている。
そこから兄弟子達もぞろぞろと集まり、師匠に朝の挨拶をしてから決められた場所に正座をする。
朝食時間丁度には、既に皆そこに集まっていた。女中たちによって手際よく今日の朝食が配膳された。
頂きますと一声かけてから、それらに手を付ける。
堅壁では黙食が基本だ。それに倣って 、白刃もお行儀よく食事を行っていた。
朝食終わり、しばしの自由時間。師匠と一緒に部屋から出て行った白刃を二人の弟子が目で追い、姿が見えなくなると同時に足を崩して「あー」っと声を漏らした。
「脚痺れちゃったよ、いってぇ……」
「俺もー」
びりびりと痛む脚を伸ばして、痛みが引くのを待つ。弟子入りしてまだ間もない二人の少年からすれば、崩さず正座を続けるのは少し苦だ。
「しかし、白刃くんは凄いよな。あんな小さいのに、俺等より大人びてるんじゃね?」
「それは否定できないなぁ」
ははっと笑って、多少痛みが引いたところで立ち上がる。この短めの自由時間の後は朝の修行がある。それの準備をしなければならないのだ。
そうして今日も朝は過ぎ、昼頃の事。白刃は一冊の本を抱えて、師匠の数歩後ろを歩いていた。
これから簡単な術について教えてもらうのだ。実戦に移すのはまだ難しいにしても、座学として教えてもらえる。自分と同年代の子どもは今この屋敷にいない為、一対一の贅沢な授業となる。
少し嬉しくなりながら師匠の後を付いていると、ふと門の近くに人がいるのに気が付く。
「がははっ、生意気に大きくなりやがって! 縮めこのっ」
「もう、止めてよ父さん。本当に縮んだらどうしてくれるのさ」
「ふふっ、私の身長は越しちゃったねぇ。たった一年見ない間に、随分と大人になって」
家族なのだろう。修行の為に屋敷に預けた子どもと、一年ぶりの再会の光景だ。
それが目に映り、脚を止める。何故だろうか、自然とそうなった。
親なんて最初からいなかったと同じ。自分が産まれたその日に殺されたのだ。
いないと同じはずなのに、知らないはずなのに。何故、こんなにも胸が痛むのだろう。
師匠は立ち止まった白刃に気が付くと、振り向いて声を掛ける。
「白刃」
呼びかけると、白刃はハッとして師匠を見る。
「あ。すみません、何でもないです。行きましょ、お師匠さま」
幼いその子どもはにこりと笑って、師の元に駆け寄った。
そして、彼は七歳にして力を操り、術を熟せるようになる。その頃には周りでこう囁かれるようになった。白龍の聖刀の名をもつその子は、正に「待つ者」。そう、超越者に選ばれた魂であると。
ここは何処だろうか。見える上空に広がるのは、雲一つない綺麗な春の空。美しい光景だ。しかし、ここには何もない。
歩いても歩いても、同じ景色が続くばかり。実は歩けていないんじゃないかなんて、頭が可笑しくなりそうだ。
「はぁ……なんなんだこの術は……」
白刃は溜息を付いて、その場に立ち止まる。
ただ足の赴くままに進んでいたが、進展するような感じは一向にしない。せめて、この術が何かさえ分かれば対処の仕様があるのだが。
仮想夢の術か。いや、あれは記憶を夢見せるモノだろう。こんな景色は知らない。
「疲れた……」
そうぼやいて、芝生の上に座る。このくらいなら平気で歩けるはずだが、状況が状況なのだ。精神的な疲労を感じる。
どうしたものかと思考を巡らせていると、先程までなかった風を感じる。暖かい、春の風だ。
風がやってきた方に目をやると、いつの間にか、そこに大きな桜の木がある。桜の花は満開で、とても綺麗だ。
「……桜か」
そう言えば、もう直ぐ自分の誕生日だ。これで、二十三歳になる。まぁ、どうでもいい話なのだが。
白刃は息を吐いて目を瞑る。ゆるやかな風が心地よく、何だかうとうとしてきた。微睡む意識の中、柔らかな二つの声が頭に届く。
頭の片隅で沈んでいた記憶。最初に聞いた二人の声だ。暖かく包み込むのようなそれが、ハッキリと脳内に届く。
目を移すと、桜の木の下に二人の人がいる。
それを目にすると、その二人が「おいで」と言ったように思えた。
招かれ、白刃は自然とそちらに向かっていた。
何も考えてはいなかった、ただ、呼ばれたからそうしただけ。おいでと言われたから。だって、はぐれたら迷子になっちゃう。
足を進めると、後ろから肩を掴まれる。
「っ……!」
驚いて振り向くと、そこには自分と同じ白髪の男がいた。
『惑わされてはいけません、あれは術により作られた幻影です』
『まだ、そちらに行ってはいけませんよ。貴方を待っている人がいるのです。早く起きて、その声を聞かせてあげなさい』
『大丈夫。私も、ここにいますから』
その彼に子どものように撫でられ、呆然としてその顔を見る。しかし、その顔をはっきりと確認する前に、見える景色や体へ伝わる感覚が変わった。
これは、布団の中だろうか。目を開け、ぼやけた視界の中で、仲間の姿を捉える。
「白刃! 起きたか!?」
「白刃さんっ! 良かった……僕、怖くて」
「だ、大丈夫?! 体とか、頭とか、何ともない?」
「あぁ、とりあえずは大事なさそうで良かった」
四人がそれぞれ安堵した様子を見せ、そして鏡月が「羅宇さんに報告してきます」と一旦立ち去る。
その言葉から考えるに、封壁の屋敷なのだろう。見ると、日が変わっている。しかも、一日飛んでだ。封壁にもこいつ等にも、とんだ迷惑をかけたみたいだ。
「……迷惑かけたみたいだな。すまない」
「そーだぜ! 全然起きないし、心配したんだぞ! 何が簡単に死んでやる気はないだ、お前さっきまで死にそうだったんだぞっ!」
プンプンとした尖岩が、白刃をそれなりに強い力で叩く。心配させた分のお返しといた所だろうか。
「結構強めに行ったな、お前……」
もはやこれは、殴ったレベルだ。痛みが残るその部分をさすって、白刃は状況を呑み込もうと頭を回す。しかし、寝起きだからか頭は上手く動いてくれなかった。
そして、鏡月が羅宇を連れて部屋に戻って来る。羅宇は、起き上がっている白刃を目にして、声を掛ける。
「おはようございます、白刃くん。無事に目覚められたようで何よりです」
「羅宇さん。申し訳ありません、ご迷惑をおかけしたみたいで」
謝るが、羅宇は迷惑とは思っていなさそうで。
「このくらいの失敗、若い子にはよくある事ですから。貴方も列記とした人間だったようなので、私は少し安心しましたよ」
そういった羅宇は、少しだけ微笑んでいるように見えた。
眼鏡をくいっと上げて息を吐くと、仕事的な話に移る。
「魔潜についていい物を掴めたようですね。そちらについてのお話もしたい所ですが、しばらく休んでいなさい。どちらにせよ、四壁の招集を行わなければならないのでね」
要約すれば、まだここで休んでいろと言う事だ。白刃としてもそれはありがたかった。「分かりました」と笑みを浮かべ、鏡月に渡された水を飲む。
喉が渇いていたようで、その一口だけで一気に潤った気がした。
「氷月の孫、えっと、鏡月と言いましたか。幻映を呼ぶのに貴方も必要なので、貴方達もここにいてください」
「あ、はい。あの、叔父さんって、そんなに来ない人なんですか?」
「えぇ。まるで兎を相手にしているかのようですよ。しかも、その隣には兎の面を被った狼がいるものですから。貴方の叔父は困ったモノです」
微苦笑で答えてから、羅宇は四壁の招集の為に部屋を移る。
その後に、鏡月が羅宇の不思議な発言に首を傾げた。
「狼……?」
叔父は別に狼は飼っていないはずだけど、何の事だろうか。そんな心は言葉にされなくても大体分かった。
「それ、普通に比喩だと思うけど」
山砕がそう言ってみるが、鏡月は猶更分からなくなっていそうだったから、とりあえず饅頭をあげた。
貰った饅頭を頬張って幸せそうに頬を緩ませる鏡月。それを横目に、白刃が覇白に訊いた。
「何の術だか、分かるか?」
自分がかかっていたあの術は、知らないモノだったのだ。
もしかしたら龍なら知っているかもしれない、そう思った。しかし、覇白は首を横に振る。
「名称は分からぬ。ただ、死に誘う術であった事は間違いないであろう」
「そうか」
視線を逸らして手を握る。その瞬間に尖岩が「いてっ」と短い声を上げた。
「しかしまぁ。お前も、親を望んでいるのだな」
「……うるさい」
恥ずかしい物全てを誤魔化すために、白刃はまた手っ取り早く尖岩の輪を締める。勿論尖岩から「何すんだよ!」との苦情が出たが、完全に無視した。
「もう、別にそんな恥じる事じゃねぇだろ。相変わらずいってぇな……」
そう口にして、締められた頭をさする。白刃の照れ隠しは全体的に尖岩が痛みを負う、困ったモノだ。しかしまぁ、最近その締め方でこいつの感情が分かるようになってきた。今日から使える無駄知識という奴だ。
可愛いような可愛くないような。苦笑いを浮かべて尖岩も饅頭を食べようと手を伸ばす。
「やっほーす! 羅宇、さっそく宴我様が来てやったぞー!」
「うるさいぞ宴我! もっと静かに出来ないのか貴様は!」
二人の声がここまで聞こえるモノだ。驚いてしまったが、饅頭を食べよう。そう思ったのに、その一瞬で山砕に取られていた。
そして、宴我の次は大将も呼びかけに応じたようで。羅宇に挨拶をすると、真っ直ぐと白刃達のいる部屋にやってくる。
「話は聞いた、魔潜についてのいい情報を掴めたのだろう。よくやった」
そう言って、大将は肉まんが入った包み紙を白刃に渡す。これは、ご褒美なのだ。
「ありがとうございます師匠。では、いただきます」
まだほかほかしているそれを口に入れる。その時見せた嬉しそうな表情からして、やはり肉まんが好きなのだろう。
「やっぱ好きだよな? 肉まん」
「いいえ、特にそういう訳ではありませんよ」
何故こんな事を頑なに否定し続けるのだろうか。そんな事されたら、こちらも無理にでも好きだと言わせたくなってしまう。
大将は弟子が無事である事を確認すると、「始まったら声を掛ける」と言って会議に使っている部屋に移動した。
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