真面目くさった女はいらないと婚約破棄された伯爵令嬢ですが、王太子様に求婚されました。実はかわいい彼の溺愛っぷりに困っています

綾森れん

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第四幕:愛し合う二人の幸せを求めて

38、アルカンジェロの決意

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 賊の頭を櫂で殴って沈めるしかない!

 新たな作戦を胸に舟を漕ぐ。だが大勢の漕ぎ手を乗せた騎士団の船の方が圧倒的に速かった。船の上から男がアルを指さして叫んだ。

「殿下だ! あの黒髪のお方がアルベルト殿下なのだ!」

 赤地に金ボタンの並んだ制服は王宮近衛兵に違いない。

「了解した」

 答えた冷静な声は騎士だろう。船を至近距離まで近づけると、騎士の一人が賊の頭に向かって矢を放った。

「うっ」

 小さな悲鳴を上げて賊は力を失い、夜の海へと消えてゆく。

「リラ、無事か!?」

 同時に私の名を呼んだのは、アルではなくお父様だった。

 一番立派な船が、海に沈みかけたアルベルト殿下とグイード公爵令息の横をすり抜けて、私の方へ向かってくる。船隊のうち一艘は、逃げた賊を追って夜の海をすべって行った。

「怪我をしているじゃないか!」

 月明かりがグイードの返り血を照らし出したのだろう。父が悲鳴を上げた。騎士団の船から私の小舟へ飛び移ると、

「リラ、なんてことだ!」

 涙を流しながら男装姿の私を抱きしめた。

 父から逃げていた私は、力強い腕の中でぽかんとする。激怒されると思っていたのに、皺の刻まれた父の頬には滂沱ぼうだの涙が流れている。

「どこを怪我したのだ? 痛むのか?」

 ずらりと並んだ漕ぎ手と騎士団員たちが見つめる中、父は必死の形相で尋ねた。

「大丈夫ですわ。賊の血を浴びただけですから」

「おお、リラ。無事であったか! お前の声が聞こえて飛んできたのだ」

「あまりの恐怖に、貴族女性にあるまじき大声を出してしまいました」

 はしたないと怒られる前に私は言い訳した。

 だがお父様は首をかしげた。

「大声だったかね? わしはどこにいてもお前の声なら聞こえるのだよ」

 私を見つめる父の慈愛に満ちたまなざしに、私はハッとした。お父様は私を愛していたのだ――お父様なりのやり方で。貴族社会のルールに従っていただけで、私の幸せを願っていないわけではなかった。むしろ窮屈な世界の中で、必死で私のために動いてくれていた。それが見えなかった私こそ、あまりに子供だったというだけ。

 急に照れくさくなって、ひっくり返った小舟のほうを振り返ると、アルは騎士団の船に救助されたところだった。

「アルベルト殿下、どこもお怪我はございませんか!?」

 寄ってたかって心配する近衛兵二人に、

「安心しろ。水に濡れただけだ」

 凛とした青年の声が響いた。それが地声でしゃべったアルの声なのだと理解するのに、やや時間がかかった。テノールの声も悪くない。というか、むしろ良い。甘い響きに思わず心を奪われていたら、

「騎士団長」

 また涼やかなテノールの美声が響いた。

「はっ」

 お父様が背筋を伸ばして、アルの方を振り返る。

「そちらへ参ります、殿下」

「構わぬ。私が小舟バルカへ移る」

 威厳を漂わせるアルの声に私の胸は高鳴った。同じ人に三回、恋に落ちそうだわ。

 騎士団から借りたらしい乾いたマントを羽織ったアルは、私と父が乗っている小舟にひらりと飛び移った。頬に垂れた巻き毛から水滴がしたたり落ちる。

「騎士団長、なぜここが分かった?」

「近衛兵から騎士団に、アルベルト殿下を見失ったと連絡が入りました。周辺への聞き取り調査の結果、海へ出たのではと考え、船を出す用意をしていたところ、娘の声で場所を特定できました」

 敬礼する父の答えに重なって、騎士団の船から驚きの声が上がった。

「こいつはグイード・ブライデン様じゃないか!」

 見れば騎士の一人が、海から引き揚げたグイードの不気味な仮面を剥ぎ取ったところだ。

「グイードだと?」

 それまで余裕すら感じさせたアルの表情が一変した。

「では事件の首謀者は――」

 茫然自失のままつぶやく彼に、お父様が重々しく首肯した。

「十年前、グイードはほんの子供でした。首謀者は父親であるブライデン公と推察されます」

 アルの端正な横顔に沈痛な影が落ちた。彼はブライデン公の人柄に惚れこんでいたが今、公爵の誠実な振る舞いはすべて演技で、騙されていたことが分かったのだ。

「そうか。だから父上は――」

 アルはかすれた声でつぶやき、島に灯る王都の明かりを見つめた。憂いを帯びた彼のまなざしは、選択すべき未来を問うているようだ。

 大きく息を吸い込んだアルの唇が、かすかに動いた。

 ――俺が、国王になる。

 私には彼がそうつぶやいたように見えた。

 彼はゆっくりと顔を上げ、島の上にぽっかりと浮かんだ満月を見つめた。長いまつ毛に縁どられた瞳が、次第に力強い光を帯びてゆく。覚悟を決めたようにひとつうなずいた口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。

「愛するものを守るために」

 今度は明確に聞き取れた。思わず口を開いた私の腕を、お父様が握った。

「ところでリラ、その髪はどうしたのだ?」

 息を呑んだ私に代わって、答えたのはアルの静かな声だった。

「すべて私の計画ゆえなのだ。あなたの愛娘まなむすめを危険にさらしたことは謝罪しよう」

 アルはまっすぐお父様を見つめて言葉を紡いだ。

「騎士団長も知っての通り、私は明日、国民の前に姿を現すことになっている。だが今後、つねに毒殺や暗殺の危険におびえて生きるのは本望ではない」

 そこまで話して、彼はふと、黒々とした翼のようなまつ毛を伏せた。

「だから今夜までに暗殺者を捕らえる計画だったのだ」

 嘘をつくとき相手の目を見られないのは、正直な彼の癖だ。

「暗殺者の一味が運河に舟を浮かべ、私の部屋を見張っていることに、私は気づいていた。だからおびき寄せるためにわざと外へ出たのだ」

「なんと――」

 嘘とは微塵も疑わない父は、王子の危険な行いに息を呑んだ。

「リラ嬢とはブライデン公爵邸の夜会で出会い、王族暗殺事件解決のため、共に行動する計画を立てていた」

 彼は窮地に陥った私を、嘘で救ってくれるつもりなのだ。実際はブライデン公爵邸の夜会で出会った日、私を危険から遠ざけたかった彼は、なかなか事件の話をしてくれなかったのだが。

「リラ嬢は社交界でも真面目な令嬢として名高い。私も信用して仕事を任せられると考えたのだ」

「光栄でございます」

 父がでれっと相好を崩した。

「わしの自慢の娘ですから」

 いらないことまで付け加える。アルはつんとした表情のまま、

「大建国祭中もたびたび会って話し合っていたのだが、あなたの誤解を招いてしまったようだな?」

 冷たく言い放った。私を軟禁したことを許してはいないようだ。

「ま、まさか、あの歌手が――」

 お父様は運河に浮かんだ死にかけの魚みたいに口をパクパクさせた。

「その話は極秘ですぞ、騎士団長殿」

 騎士団の船から近衛兵の声がした。騎士たちがグイードを縛り上げる中、二人の近衛兵だけはこちらを注視していたようだ。

 秘密を理解した父が慌ててひざまずいたので、小舟がぐらりと揺れた。

「事情を知らなかったとはいえ、殿下の計画を邪魔するようなことをしてしまい、申し訳ありません!」

「ふん。リラ嬢は軟禁されながらも私の言いつけを守って、秘密を守り通してくれた。彼女は強く賢く勇気にあふれた女性だ」

「そんなこととは知らず、わしはなんという過ちを犯してしまったのか」

 父はすっかり憔悴している。

「リラ嬢は私に忠誠を誓い、カストラート歌手との浮き名などという、貴族令嬢にとって不名誉な誤解にも耐えてくれた」

 アルはひざまずいてこうべを垂れている父を見下ろした。

「美しい髪を切り、男装に身をやつして、滅私の精神で協力してくれたリラ嬢の忠誠心に報いるため、私は騎士団長に頼みたい」

「はっ、なんなりとお申し付けください!」

「ご息女リラ・プリマヴェーラ伯爵令嬢を私の妃にしたい。婚約を承諾してもらえるかな?」
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