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第03話、はじまりの朝
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「起きて――」
誰かが耳もとでささやく。少しだけ冷たい指先が、ふわりと頬をかすめる。
「樹葵ったらまつ毛長いのね。寝顔かわいい……」
少女の華やいだ声に、俺の意識はゆっくりと目覚めてゆく。重いまぶたをわずかに持ち上げると、となりに寝そべった玲萌が、俺の肩に生えたツノをのぞきこんでいる。
「透明できれい……」
ん? そういえばなんで玲萌が添い寝してるんだ!?
「水晶みたい」
ちょんちょんと指先でつつく姿は好奇心旺盛でかわいいのだが――
「玲萌? くすぐったいよ……」
「うわわっ! ごめん、起こしちゃった! いや、起こしにきたんだった!」
玲萌は寝台の上に飛び起きた。
ここは王立魔道学院の学生寄宿舎。魔術を究めるために集まった十代の若者たちが寝食を共にしている。
「樹葵、おはよう!」
やわらかい朝の光の中、玲萌がきらきらとした笑顔を見せる。
そのうしろ、開け放した障子戸の向こうには秋の庭が広がっている。誰かが練習で術をかけたまま解き忘れたのか、紅葉した雪柳の低木がゆらりゆらりと散歩している。
朝から元気な玲萌の声に、俺もようやく身を起こした。
「二度寝しちまった」
くしゃっと前髪をかきあげる。寮の食堂で朝食をとったあと、部屋に戻ってちょっと横になったのだが―― となりの寝台はすでにもぬけのから。同室の寮生はとうに出かけたようだ。
寝台の上で目をこすりながら俺は、はたと気付いた。
「おい玲萌、ここ男子寮だぜ」
一階のいちばん入り口に近い部屋とはいえ、女の子が入ってきちゃまずいだろ!
「だって桜の木の下で待っててもいっこうに来ないから、もしやと思って見に来たのよ。そしたらやっぱり寝てるんだもん!」
桜の木とは寮の庭――男子寮と女子寮の分かれ道に枝を伸ばしている大きな木のことだろう。今はどの葉も紅く色づいて燃えるようだ。
「いや、時の鐘が鳴ったら出ようと思ってたんだよ。その証拠に俺、着替えてるじゃんか」
と言っても袖なしの長半纏に巻き帯を結んだだけ。いまの季節はちょいと寒いので、大判の布を羽織って首元で組み紐を結ぶ。
「着替えたまんま、しっかり寝てたじゃない」
と、ジト目を向ける玲萌。「復学試験に遅刻したら困るでしょ?」
「試験ったって授業前にちょっと腕前見るだけだろ? 形式的なものだから大丈夫だよ」
「むしろ樹葵が強すぎて、教えることないって言われちゃったりしてね」
いたずらっぽく笑って、俺の寝台からすとんと降りた。
「樹葵、魔術剣は持った?」
姉のように世話を焼いてくるが、玲萌は俺より一歳半くらい年下だったはず。巻き帯につるぎをさしこんでいると、
「それにしても樹葵が剣技専攻だったなんて意外だわ。居中派な像影だから。ちなみにあたしは創作魔術専攻よ!」
訊いてもいないのに自分の話をする玲萌。魔道学院では三回生になると、魔術剣技・召喚魔術・回復魔術・創作魔術の四つから専攻を選択するのだ。
「居中というか――」
俺はやわらかい銀髪をふわりとかきあげ、
「生来の芸術家だからな、俺は。剣舞なんてぇのもあるし、剣技は舞踏に通ずるのさ」
「なんかカッコつけてるけど、呪文を覚える労力が少なくてラクそう、とか思ったんでしょ」
「くっ」
思いっきり図星だ。俺は玲萌みたいに試験前、教科書一冊丸暗記できる脳みそなんざぁ持ち合わせてねーんだよ。
だがそれも過去の話。今の俺が呪文を唱えて本格的な魔術を組み立てたら、学院の建物が吹き飛ぶかもしれねぇ。
「ほら、行きましょっ」
片手に巾着袋をさげた玲萌が、もう一方の手で俺を引っ張った。手をにぎられると覚えず鼓動が早くなる。数か月前は裸で抱きあったってぇのに――
「あんときゃあ非常事態だったからな……」
「なんの話?」
「なんでもねぇよ」
玲萌に手を引かれて外へ出ると、朝日のまぶしさに目がくらむ。イチョウの枝は金色に透け、寮の池には赤や黄色に色づいた葉が浮かんでいる。ふりかえる玲萌の笑顔もまぶしい。
「そうそう、あたし生徒会やってるんだけど樹葵も入らない?」
「めんどくせっ」
反射的に本音をもらした俺に、
「めんどくさくないわよっ。楽しいから。ねっ」
片瞬ひとつ、俺の手をぎゅっとにぎった。
なんでこんなに誘ってくるんだ? なにか裏でもあるんじゃねえか?
「樹葵の力が必要なの!」
上目づかいにみつめる瞳は、赤みがかったあたたかい茶色。朝の陽ざしにきらめいている。その魅力的なまなざしに俺は思わず首をたてにふった。「じゃあ手伝える範囲でな」
「やったぁ!」
透き通る秋の日差しの下、玲萌が歓声を上げた。「樹葵、獲得ー!」
よく通るその声に、時を告げる鐘の音が重なる。
「もうそんな時間!?」
玲萌は俺と手をつないだまま走り出す。
「復学試験は実技だから中庭ね! 直接行くわよ!」
「魔道学院の庭って普段から結界が張ってあるんだっけか? 魔術稽古ができるように」
「そうよ。学院の敷地は街から離れてるけど、学生の魔力弾がまわりの田んぼ焼いたらまずいからねっ」
息を切らせながら説明する玲萌の手をこちらへ引く。
「どしたの!? ――きゃっ」
俺はしゃがむと同時に彼女を抱き上げ、空へ舞い上がった。水浅葱色の外套が朝の風を受けてはためく。
「走んのきついだろ? 飛んでくぜ」
「でも樹葵だって復学試験前なのに――って、きみの魔力は無尽蔵なんだっけ」
「そういうこと!」
俺はにっと笑って、彼女を支える腕に力をこめた。秋の澄んだ空気の中、小さな鎮守の森をこえて魔道学院を目指す。俺たちの新しい生活を祝福するかのように、小鳥がさえずっていた。
誰かが耳もとでささやく。少しだけ冷たい指先が、ふわりと頬をかすめる。
「樹葵ったらまつ毛長いのね。寝顔かわいい……」
少女の華やいだ声に、俺の意識はゆっくりと目覚めてゆく。重いまぶたをわずかに持ち上げると、となりに寝そべった玲萌が、俺の肩に生えたツノをのぞきこんでいる。
「透明できれい……」
ん? そういえばなんで玲萌が添い寝してるんだ!?
「水晶みたい」
ちょんちょんと指先でつつく姿は好奇心旺盛でかわいいのだが――
「玲萌? くすぐったいよ……」
「うわわっ! ごめん、起こしちゃった! いや、起こしにきたんだった!」
玲萌は寝台の上に飛び起きた。
ここは王立魔道学院の学生寄宿舎。魔術を究めるために集まった十代の若者たちが寝食を共にしている。
「樹葵、おはよう!」
やわらかい朝の光の中、玲萌がきらきらとした笑顔を見せる。
そのうしろ、開け放した障子戸の向こうには秋の庭が広がっている。誰かが練習で術をかけたまま解き忘れたのか、紅葉した雪柳の低木がゆらりゆらりと散歩している。
朝から元気な玲萌の声に、俺もようやく身を起こした。
「二度寝しちまった」
くしゃっと前髪をかきあげる。寮の食堂で朝食をとったあと、部屋に戻ってちょっと横になったのだが―― となりの寝台はすでにもぬけのから。同室の寮生はとうに出かけたようだ。
寝台の上で目をこすりながら俺は、はたと気付いた。
「おい玲萌、ここ男子寮だぜ」
一階のいちばん入り口に近い部屋とはいえ、女の子が入ってきちゃまずいだろ!
「だって桜の木の下で待っててもいっこうに来ないから、もしやと思って見に来たのよ。そしたらやっぱり寝てるんだもん!」
桜の木とは寮の庭――男子寮と女子寮の分かれ道に枝を伸ばしている大きな木のことだろう。今はどの葉も紅く色づいて燃えるようだ。
「いや、時の鐘が鳴ったら出ようと思ってたんだよ。その証拠に俺、着替えてるじゃんか」
と言っても袖なしの長半纏に巻き帯を結んだだけ。いまの季節はちょいと寒いので、大判の布を羽織って首元で組み紐を結ぶ。
「着替えたまんま、しっかり寝てたじゃない」
と、ジト目を向ける玲萌。「復学試験に遅刻したら困るでしょ?」
「試験ったって授業前にちょっと腕前見るだけだろ? 形式的なものだから大丈夫だよ」
「むしろ樹葵が強すぎて、教えることないって言われちゃったりしてね」
いたずらっぽく笑って、俺の寝台からすとんと降りた。
「樹葵、魔術剣は持った?」
姉のように世話を焼いてくるが、玲萌は俺より一歳半くらい年下だったはず。巻き帯につるぎをさしこんでいると、
「それにしても樹葵が剣技専攻だったなんて意外だわ。居中派な像影だから。ちなみにあたしは創作魔術専攻よ!」
訊いてもいないのに自分の話をする玲萌。魔道学院では三回生になると、魔術剣技・召喚魔術・回復魔術・創作魔術の四つから専攻を選択するのだ。
「居中というか――」
俺はやわらかい銀髪をふわりとかきあげ、
「生来の芸術家だからな、俺は。剣舞なんてぇのもあるし、剣技は舞踏に通ずるのさ」
「なんかカッコつけてるけど、呪文を覚える労力が少なくてラクそう、とか思ったんでしょ」
「くっ」
思いっきり図星だ。俺は玲萌みたいに試験前、教科書一冊丸暗記できる脳みそなんざぁ持ち合わせてねーんだよ。
だがそれも過去の話。今の俺が呪文を唱えて本格的な魔術を組み立てたら、学院の建物が吹き飛ぶかもしれねぇ。
「ほら、行きましょっ」
片手に巾着袋をさげた玲萌が、もう一方の手で俺を引っ張った。手をにぎられると覚えず鼓動が早くなる。数か月前は裸で抱きあったってぇのに――
「あんときゃあ非常事態だったからな……」
「なんの話?」
「なんでもねぇよ」
玲萌に手を引かれて外へ出ると、朝日のまぶしさに目がくらむ。イチョウの枝は金色に透け、寮の池には赤や黄色に色づいた葉が浮かんでいる。ふりかえる玲萌の笑顔もまぶしい。
「そうそう、あたし生徒会やってるんだけど樹葵も入らない?」
「めんどくせっ」
反射的に本音をもらした俺に、
「めんどくさくないわよっ。楽しいから。ねっ」
片瞬ひとつ、俺の手をぎゅっとにぎった。
なんでこんなに誘ってくるんだ? なにか裏でもあるんじゃねえか?
「樹葵の力が必要なの!」
上目づかいにみつめる瞳は、赤みがかったあたたかい茶色。朝の陽ざしにきらめいている。その魅力的なまなざしに俺は思わず首をたてにふった。「じゃあ手伝える範囲でな」
「やったぁ!」
透き通る秋の日差しの下、玲萌が歓声を上げた。「樹葵、獲得ー!」
よく通るその声に、時を告げる鐘の音が重なる。
「もうそんな時間!?」
玲萌は俺と手をつないだまま走り出す。
「復学試験は実技だから中庭ね! 直接行くわよ!」
「魔道学院の庭って普段から結界が張ってあるんだっけか? 魔術稽古ができるように」
「そうよ。学院の敷地は街から離れてるけど、学生の魔力弾がまわりの田んぼ焼いたらまずいからねっ」
息を切らせながら説明する玲萌の手をこちらへ引く。
「どしたの!? ――きゃっ」
俺はしゃがむと同時に彼女を抱き上げ、空へ舞い上がった。水浅葱色の外套が朝の風を受けてはためく。
「走んのきついだろ? 飛んでくぜ」
「でも樹葵だって復学試験前なのに――って、きみの魔力は無尽蔵なんだっけ」
「そういうこと!」
俺はにっと笑って、彼女を支える腕に力をこめた。秋の澄んだ空気の中、小さな鎮守の森をこえて魔道学院を目指す。俺たちの新しい生活を祝福するかのように、小鳥がさえずっていた。
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