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第04話、水龍王の力を受け継ぐ少年、魔道学院へ復学する
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玲萌をかかえて空から魔道学院の庭に降り立つと、気付いた学生たちが騒ぎ出した。
「あれって生徒会副会長の七海玲萌じゃね?」
魔術剣を手にした者もいれば、手ぶらで校舎の外壁に寄りかかってだべっているやつもいる。彼らは玲萌のように剣技を専攻していない学生だろう。
「魔道学院一の美少女とうわさされる玲萌ちゃんか!」
「いや、学院一位は成績だろ?」
うわさ話が聞こえた玲萌、ふんぞり返って俺を見る。
「樹葵、いまの聞いてた!?」
「うん、やっぱりあんたすごいんだな」
「ほめてほめて」
俺の腕にすがりついてくる玲萌の頭をやさしくなでてやると、
「えへへ」
とくすぐったそうに笑った。だがその様子を見ていた誰かが舌打ちして、
「なんだあの真っ白い魔物みてぇなの。肩からツノなんか生やして」
と、俺を横目で見ながらとなりの男に耳打ちした。
「妖怪のくせして玲萌せんぱいの頭なでてるぞ!?」
小声で悪口言ってるつもりらしいが、こうもりのような俺の耳にはしっかり届いている。
「でも玲萌ちゃんうれしそうだけどねえ。あの男の白蛇みたいな不気味な腕、抱きしめちゃって」
「本人は美少女なのに、男の趣味が残念とは」
気の毒にあいつら、俺のこの姿の美しさが理解できないようだ。美的感覚のにぶいやつらにあわれみの視線を向けていると、
「ちょっとあんたたち、さっきから全部聞こえてるのよっ!」
となりの玲萌が声を張り上げた。「樹葵はめちゃくちゃ強くて、いつもあたしを守ってくれて―― 正統派なイケメンじゃないけどっ……」
と、なぜか頬を朱く染め、
「猫ちゃんみたいなちょっとつり上がった目も、笑うとのぞく牙も、すっごくかわいいんだからっ!」
両手のこぶしを握りしめてさけんだ。
「そんなこと言う玲萌のほうが――」
よっぽどかわいいぜ、と言いかけたとき、
「あの妖怪みてぇなやつ、もしかしたら今年度から復学するっていうヤツじゃ――」
「これからあんなのといっしょに学ぶわけ?」
学生たちのむれから意地の悪い声が聞こえてきた。
「そうやって樹葵を傷つけてると――」
言うなり玲萌は胸の前で印を結ぶ。
「翠薫颯旋嵐、無数の鋭利なる刃となりて――」
「玲萌さぁぁぁん、待ったーっ!」
どことなく間のびした男の声が中庭に響いた。
「ちぇっ、瀬良師匠」
木造校舎のうしろから走ってきた長身の男は寂しそうに、
「玲萌さんいま舌打ちしましたね?」
「あらやだまさか」
満面の笑みで否定すると、俺の方に向きなおった。「樹葵、紹介するわ。去年から魔術科教授をされてる瀬良師匠よ!」
薄墨色の羽織りの背につややかな濃紺の髪を流した彼は、教授というより書生のような雰囲気だ。俺は背の高い瀬良師匠を見上げて笑いかけた。「橘樹葵です。学院長から聞いてると思うけど俺、今日から――」
「夏に卒業した先輩から聞いてるぜ」
と答えたのは瀬良師匠ではなかった。熊のような体躯に縮髪風の見るからに暑苦しい男が、抜き身のつるぎを片手にぶる下げて近づいてくる。
「おい、ちびくせぇ白いの」
おめぇがでかすぎんだよ。
「お前本当は二年前の卒業予定生だったんだろ? 卒業試験の旅に出たまま課題すっぽかして二年間学院へ音沙汰なかったんだってな」
実家には文出してたんだけどなぁ。
「どうせ卒業課題がこなせずに逃げ出したんだろ? 落ちこぼれで友達もいなかったって先輩言ってたぜ」
そいつぁ否定しねぇが、いまとなっちゃあ過去の話だ。
「その後一体なにがあってそんなみっともねぇ化け物になったんだか知らねえが――」
「は? どこ見てんだよ。目ぇついてる?」
ここはゆずれない。本来バカを相手にするのは好かねぇんだが、俺は速攻言い返した。「てめぇのような凡人にはちと早すぎたみてぇだが、俺はただ美を求めてこの姿になったのさ」
いま思えば、魔道学院に通っても特別な存在になるどころか孤独が深まるばかりだった俺は、どうにかして自分を変えたかったのかもしれない。
「ちょーっと放してよ師匠!」
玲萌の声に振り返ると、瀬良師匠が必死で玲萌を止めている。「対人攻撃魔術はいけませんって、玲萌さん!」
「ムカつく相手にぶっ放せなくてなんのための魔術よっ! あのだっさい縮髪風を今すぐ風の刃で切り刻んでやるのよ!!」
怒っていつもより高くなった玲萌の声、かわいいなあ。――とひたっていたら、
「ンだとこのアマァ! 顔がかわいいからって容赦しねぇぞ!」
熊みてぇな縮髪風が手にした魔術剣を振り上げた。
俺は無言で、庭の端に見える上水井戸を指さすと心の中でつぶやいた。
――水よ、奔れ。
俺の意思にしたがって逆流した水が、間欠泉のごとく井戸から立ち上がったかと思うと、空から縮髪風めがけて直撃した。
「おぶぅっ!?」
聞き慣れない悲鳴をあげて校舎の方まで転がる。
「玲萌に手ぇ上げんなよ?」
「樹葵ったらかっこいい!」
玲萌が目を輝かせる。かわいい。
学生たちがざわつく中、瀬良師匠も目を見張る。「橘くん、いまの術は――」
だがその言葉は立ち上がった熊っぽい男の嘲笑に中断された。
「ハハハ、おもしれぇ。化け物なのは姿だけじゃなかったか。ならこっちも本気で行かせてもらう!」
「いけない! よけて、橘くん!!」
「我が魔力を喰らいて目覚めよ、魔刀地獄斬!」
師匠がさけんだのと、熊が野太い声で吠えたのは同時だった。
闇をまとった魔術剣が迫りくる。
三方を植栽に囲まれた秋の庭に、一陣の風が吹き抜けた。
俺は微動だにせず、ただ心に念じる。
――結界――
その瞬間、
「うぎゃっ」
見えない何かにはね返されて、熊は大きく後ろへ飛ばされた。でかい体がぶざまに土の上をころがる。
「くそっ 腰打った!」
地面に尻をついたまま毒づく。「今度はなにをしやがった、化け物め!」
「いまの結界だよな? でもいつ呪文唱えてた?」
「それ言ったらさっきの水の術だって――」
「地獄斬を使うあいつが一瞬でやられるなんてやべぇな……」
学生たちのざわめきがしだいに大きくなるなか、
「オレはまだやられてねぇぇぇっ!」
はいつくばったまま絶叫すると印を結んだ。
「紅灼溶玉閃、願わくは其の血と等しき色成す烈火を以て――」
「くっ、みなさん巻き添えをくわないよう、こっちに寄って!」
眉根を寄せた瀬良師匠は熊を止めるかわりに、玲萌たち見物の学生を集めて防御結界を張った。俺のことは守らなくて平気だと判断してくれたようだ。
「――我が敵影、燠とせんことを!」
完成した炎弾系魔術が飛んでくる。俺はその場に高下駄をぬぎすてると、両足で地面をけって猫のように舞い上がる。くるぶしから生えた小さな羽のようなヒレが白く発光している。ちょこんと一階のひさしに腰かけて見下ろすと、
「身体能力まで魔物並みじゃあ誰も勝てねえな」
という話し声。熊の野郎にも聞こえたんだろう。
「こんなとこでやられてたまるかぁ!」
顔を真っ赤にしてがなり立てた。「魔刀地獄斬、冥府の焔を降らせよ!」
「――なんてことを!」
師匠の切迫した声に嫌な予感がする。
「なにあれ!?」
大きく枝を広げた松の下で、玲萌が空を指さしている。「炎がたくさん――」
見上げると、暗い紫の炎が次から次へと出現してゆく。
ボッ、ボゥッ――
と不気味な音を立てながら、どんどん暗い炎が灯りだす。
「あんなのが降ってきたら学院の建物が――」
「いや、まわりの田んぼや民家だってただじゃすまないぞ!」
冷静に分析する者、悲鳴をあげる者、なかには瀬良師匠とともに防御術を詠唱する者もいる。
俺は空をあおぎ両手を広げると、大きく息を吸って気をためた。
「天空よ――」
一声、高く呼びかけると見る見るうちに黒雲が生まれ青空を覆っていく。
「けがれなき慈雨にて、怒れる炎を洗い清め給え!」
祈るように語りかける。
ザアアァァアアアァァ……
激しい音を立てて、あたり一帯を土砂降りの雨が襲った。
う~ん、俺もびしょぬれだ…… 結界を張る余裕なんてとてもじゃないけど、なかったもんな。水のしたたる銀髪をかきあげて見上げれば、禍々しい炎はすべて消えている。ふぅっと安堵のため息をつくと、急にあたりが明るくなってきた。雨はやみ、黒雲がとけ消えてゆく。
「助かった――」
誰かがつぶやいた。
「あの白蛇の化身みたいな子が助けてくれたの?」
「そうみたい。あの子、空に話しかけてたよ」
大きな松の下に避難していた学生たちが、一階のひさしに座って足をぶらぶらしている俺を見上げている。なんとなく照れくさくて、にっこり笑って手を振ってみる。俺は無表情だと目つきが悪いと怖がられるので、こういうとこちぃとばっかし気にするんだ。
「あの子、笑うとかわいいかもね」
「樹葵はかわいいしかっこいいのよっ!」
玲萌が力強くうなずいてから、こちらに走ってくる。「だいじょぶ? まさか登ったはいいけど降りられないとか――」
そんな子猫みてぇなことがあるかよ。屋根の上の俺を見上げる玲萌からぷいっと顔をそらして、地面に飛び降りた。魔術剣に魔力を吸い尽くされた熊みてぇな男が気を失って倒れているのを堂々とまたいで、玲萌が俺の胸に飛び込んできた。「樹葵、みんなを守ってくれてありがと!」
「あっ、玲萌、ぬれちまうから――」
「ほんと。樹葵、風邪ひいちゃうわ」
そう言うとふところから出した手ぬぐいで、俺のぬれた髪をやさしくなでた。されるがままになっていると、ふと手を止めて俺をみつめる。
「ん?」
ちょっと首をかしげる俺。玲萌の頬がぽうっと紅潮する。ぎこちなく目をそらし、小声でつぶやいた。「髪がぬれてる樹葵、なんだか色っぽい……」
はぁぁ!? かわいいんだが!? 玲萌をぎゅっと抱きしめたい衝動にかられる。が、俺、全身びしょぬれだしな。いやいや早く風の術で乾かそう。玲萌に手ぬぐいでふいてもらってる場合じゃない。
「素晴らしいですね!! 橘くん!」
がばあっ!
と、うしろから誰かが抱きついてきた。
「ちょっとやめてよ!」
玲萌が俺のうしろの人物を見上げ、抗議の声をあげる。「あたしだって我慢してるのに、なんで師匠が樹葵を抱きしめてんのよっ!」
師匠…… あんたか。おっさんに抱きつかれても全然うれしくないんだが。
「樹葵の目が死んでるからやめてあげて!」
玲萌の懇願は無視して、師匠は感動にふるえる声で続けた。
「呪文詠唱もなしに水の精霊を従わせたり、結界を張ったりできるとは―― きみのおかげで魔道学院の学生たちも教職員も助かりました!」
「じゃあ俺、復学試験合格かな?」
頭をうしろに倒して見上げると、満面の笑みを浮かべた師匠と目が合った。「当然です! きみがこの学院に復学してくれて本当に感謝していますよ!」
やったぜ! かつては劣等生として送った魔道学院生活、最強になって戻ってきたいま、もう一度やり直せるとは。めいっぱい楽しんでやる!
「樹葵、見て。虹――」
玲萌がすっかりもとに戻った青空を指さす。秋の高い空に七色の太鼓橋がかかっていた。
「あれって生徒会副会長の七海玲萌じゃね?」
魔術剣を手にした者もいれば、手ぶらで校舎の外壁に寄りかかってだべっているやつもいる。彼らは玲萌のように剣技を専攻していない学生だろう。
「魔道学院一の美少女とうわさされる玲萌ちゃんか!」
「いや、学院一位は成績だろ?」
うわさ話が聞こえた玲萌、ふんぞり返って俺を見る。
「樹葵、いまの聞いてた!?」
「うん、やっぱりあんたすごいんだな」
「ほめてほめて」
俺の腕にすがりついてくる玲萌の頭をやさしくなでてやると、
「えへへ」
とくすぐったそうに笑った。だがその様子を見ていた誰かが舌打ちして、
「なんだあの真っ白い魔物みてぇなの。肩からツノなんか生やして」
と、俺を横目で見ながらとなりの男に耳打ちした。
「妖怪のくせして玲萌せんぱいの頭なでてるぞ!?」
小声で悪口言ってるつもりらしいが、こうもりのような俺の耳にはしっかり届いている。
「でも玲萌ちゃんうれしそうだけどねえ。あの男の白蛇みたいな不気味な腕、抱きしめちゃって」
「本人は美少女なのに、男の趣味が残念とは」
気の毒にあいつら、俺のこの姿の美しさが理解できないようだ。美的感覚のにぶいやつらにあわれみの視線を向けていると、
「ちょっとあんたたち、さっきから全部聞こえてるのよっ!」
となりの玲萌が声を張り上げた。「樹葵はめちゃくちゃ強くて、いつもあたしを守ってくれて―― 正統派なイケメンじゃないけどっ……」
と、なぜか頬を朱く染め、
「猫ちゃんみたいなちょっとつり上がった目も、笑うとのぞく牙も、すっごくかわいいんだからっ!」
両手のこぶしを握りしめてさけんだ。
「そんなこと言う玲萌のほうが――」
よっぽどかわいいぜ、と言いかけたとき、
「あの妖怪みてぇなやつ、もしかしたら今年度から復学するっていうヤツじゃ――」
「これからあんなのといっしょに学ぶわけ?」
学生たちのむれから意地の悪い声が聞こえてきた。
「そうやって樹葵を傷つけてると――」
言うなり玲萌は胸の前で印を結ぶ。
「翠薫颯旋嵐、無数の鋭利なる刃となりて――」
「玲萌さぁぁぁん、待ったーっ!」
どことなく間のびした男の声が中庭に響いた。
「ちぇっ、瀬良師匠」
木造校舎のうしろから走ってきた長身の男は寂しそうに、
「玲萌さんいま舌打ちしましたね?」
「あらやだまさか」
満面の笑みで否定すると、俺の方に向きなおった。「樹葵、紹介するわ。去年から魔術科教授をされてる瀬良師匠よ!」
薄墨色の羽織りの背につややかな濃紺の髪を流した彼は、教授というより書生のような雰囲気だ。俺は背の高い瀬良師匠を見上げて笑いかけた。「橘樹葵です。学院長から聞いてると思うけど俺、今日から――」
「夏に卒業した先輩から聞いてるぜ」
と答えたのは瀬良師匠ではなかった。熊のような体躯に縮髪風の見るからに暑苦しい男が、抜き身のつるぎを片手にぶる下げて近づいてくる。
「おい、ちびくせぇ白いの」
おめぇがでかすぎんだよ。
「お前本当は二年前の卒業予定生だったんだろ? 卒業試験の旅に出たまま課題すっぽかして二年間学院へ音沙汰なかったんだってな」
実家には文出してたんだけどなぁ。
「どうせ卒業課題がこなせずに逃げ出したんだろ? 落ちこぼれで友達もいなかったって先輩言ってたぜ」
そいつぁ否定しねぇが、いまとなっちゃあ過去の話だ。
「その後一体なにがあってそんなみっともねぇ化け物になったんだか知らねえが――」
「は? どこ見てんだよ。目ぇついてる?」
ここはゆずれない。本来バカを相手にするのは好かねぇんだが、俺は速攻言い返した。「てめぇのような凡人にはちと早すぎたみてぇだが、俺はただ美を求めてこの姿になったのさ」
いま思えば、魔道学院に通っても特別な存在になるどころか孤独が深まるばかりだった俺は、どうにかして自分を変えたかったのかもしれない。
「ちょーっと放してよ師匠!」
玲萌の声に振り返ると、瀬良師匠が必死で玲萌を止めている。「対人攻撃魔術はいけませんって、玲萌さん!」
「ムカつく相手にぶっ放せなくてなんのための魔術よっ! あのだっさい縮髪風を今すぐ風の刃で切り刻んでやるのよ!!」
怒っていつもより高くなった玲萌の声、かわいいなあ。――とひたっていたら、
「ンだとこのアマァ! 顔がかわいいからって容赦しねぇぞ!」
熊みてぇな縮髪風が手にした魔術剣を振り上げた。
俺は無言で、庭の端に見える上水井戸を指さすと心の中でつぶやいた。
――水よ、奔れ。
俺の意思にしたがって逆流した水が、間欠泉のごとく井戸から立ち上がったかと思うと、空から縮髪風めがけて直撃した。
「おぶぅっ!?」
聞き慣れない悲鳴をあげて校舎の方まで転がる。
「玲萌に手ぇ上げんなよ?」
「樹葵ったらかっこいい!」
玲萌が目を輝かせる。かわいい。
学生たちがざわつく中、瀬良師匠も目を見張る。「橘くん、いまの術は――」
だがその言葉は立ち上がった熊っぽい男の嘲笑に中断された。
「ハハハ、おもしれぇ。化け物なのは姿だけじゃなかったか。ならこっちも本気で行かせてもらう!」
「いけない! よけて、橘くん!!」
「我が魔力を喰らいて目覚めよ、魔刀地獄斬!」
師匠がさけんだのと、熊が野太い声で吠えたのは同時だった。
闇をまとった魔術剣が迫りくる。
三方を植栽に囲まれた秋の庭に、一陣の風が吹き抜けた。
俺は微動だにせず、ただ心に念じる。
――結界――
その瞬間、
「うぎゃっ」
見えない何かにはね返されて、熊は大きく後ろへ飛ばされた。でかい体がぶざまに土の上をころがる。
「くそっ 腰打った!」
地面に尻をついたまま毒づく。「今度はなにをしやがった、化け物め!」
「いまの結界だよな? でもいつ呪文唱えてた?」
「それ言ったらさっきの水の術だって――」
「地獄斬を使うあいつが一瞬でやられるなんてやべぇな……」
学生たちのざわめきがしだいに大きくなるなか、
「オレはまだやられてねぇぇぇっ!」
はいつくばったまま絶叫すると印を結んだ。
「紅灼溶玉閃、願わくは其の血と等しき色成す烈火を以て――」
「くっ、みなさん巻き添えをくわないよう、こっちに寄って!」
眉根を寄せた瀬良師匠は熊を止めるかわりに、玲萌たち見物の学生を集めて防御結界を張った。俺のことは守らなくて平気だと判断してくれたようだ。
「――我が敵影、燠とせんことを!」
完成した炎弾系魔術が飛んでくる。俺はその場に高下駄をぬぎすてると、両足で地面をけって猫のように舞い上がる。くるぶしから生えた小さな羽のようなヒレが白く発光している。ちょこんと一階のひさしに腰かけて見下ろすと、
「身体能力まで魔物並みじゃあ誰も勝てねえな」
という話し声。熊の野郎にも聞こえたんだろう。
「こんなとこでやられてたまるかぁ!」
顔を真っ赤にしてがなり立てた。「魔刀地獄斬、冥府の焔を降らせよ!」
「――なんてことを!」
師匠の切迫した声に嫌な予感がする。
「なにあれ!?」
大きく枝を広げた松の下で、玲萌が空を指さしている。「炎がたくさん――」
見上げると、暗い紫の炎が次から次へと出現してゆく。
ボッ、ボゥッ――
と不気味な音を立てながら、どんどん暗い炎が灯りだす。
「あんなのが降ってきたら学院の建物が――」
「いや、まわりの田んぼや民家だってただじゃすまないぞ!」
冷静に分析する者、悲鳴をあげる者、なかには瀬良師匠とともに防御術を詠唱する者もいる。
俺は空をあおぎ両手を広げると、大きく息を吸って気をためた。
「天空よ――」
一声、高く呼びかけると見る見るうちに黒雲が生まれ青空を覆っていく。
「けがれなき慈雨にて、怒れる炎を洗い清め給え!」
祈るように語りかける。
ザアアァァアアアァァ……
激しい音を立てて、あたり一帯を土砂降りの雨が襲った。
う~ん、俺もびしょぬれだ…… 結界を張る余裕なんてとてもじゃないけど、なかったもんな。水のしたたる銀髪をかきあげて見上げれば、禍々しい炎はすべて消えている。ふぅっと安堵のため息をつくと、急にあたりが明るくなってきた。雨はやみ、黒雲がとけ消えてゆく。
「助かった――」
誰かがつぶやいた。
「あの白蛇の化身みたいな子が助けてくれたの?」
「そうみたい。あの子、空に話しかけてたよ」
大きな松の下に避難していた学生たちが、一階のひさしに座って足をぶらぶらしている俺を見上げている。なんとなく照れくさくて、にっこり笑って手を振ってみる。俺は無表情だと目つきが悪いと怖がられるので、こういうとこちぃとばっかし気にするんだ。
「あの子、笑うとかわいいかもね」
「樹葵はかわいいしかっこいいのよっ!」
玲萌が力強くうなずいてから、こちらに走ってくる。「だいじょぶ? まさか登ったはいいけど降りられないとか――」
そんな子猫みてぇなことがあるかよ。屋根の上の俺を見上げる玲萌からぷいっと顔をそらして、地面に飛び降りた。魔術剣に魔力を吸い尽くされた熊みてぇな男が気を失って倒れているのを堂々とまたいで、玲萌が俺の胸に飛び込んできた。「樹葵、みんなを守ってくれてありがと!」
「あっ、玲萌、ぬれちまうから――」
「ほんと。樹葵、風邪ひいちゃうわ」
そう言うとふところから出した手ぬぐいで、俺のぬれた髪をやさしくなでた。されるがままになっていると、ふと手を止めて俺をみつめる。
「ん?」
ちょっと首をかしげる俺。玲萌の頬がぽうっと紅潮する。ぎこちなく目をそらし、小声でつぶやいた。「髪がぬれてる樹葵、なんだか色っぽい……」
はぁぁ!? かわいいんだが!? 玲萌をぎゅっと抱きしめたい衝動にかられる。が、俺、全身びしょぬれだしな。いやいや早く風の術で乾かそう。玲萌に手ぬぐいでふいてもらってる場合じゃない。
「素晴らしいですね!! 橘くん!」
がばあっ!
と、うしろから誰かが抱きついてきた。
「ちょっとやめてよ!」
玲萌が俺のうしろの人物を見上げ、抗議の声をあげる。「あたしだって我慢してるのに、なんで師匠が樹葵を抱きしめてんのよっ!」
師匠…… あんたか。おっさんに抱きつかれても全然うれしくないんだが。
「樹葵の目が死んでるからやめてあげて!」
玲萌の懇願は無視して、師匠は感動にふるえる声で続けた。
「呪文詠唱もなしに水の精霊を従わせたり、結界を張ったりできるとは―― きみのおかげで魔道学院の学生たちも教職員も助かりました!」
「じゃあ俺、復学試験合格かな?」
頭をうしろに倒して見上げると、満面の笑みを浮かべた師匠と目が合った。「当然です! きみがこの学院に復学してくれて本当に感謝していますよ!」
やったぜ! かつては劣等生として送った魔道学院生活、最強になって戻ってきたいま、もう一度やり直せるとは。めいっぱい楽しんでやる!
「樹葵、見て。虹――」
玲萌がすっかりもとに戻った青空を指さす。秋の高い空に七色の太鼓橋がかかっていた。
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