【完結】誓いの指輪〜彼のことは家族として愛する。と、心に決めたはずでした〜

山乃山子

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24 不安の影①

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翌日。

約束通り、康介は朝一で病院を訪れた。
楓にはまだ必要な検査や診察が残っていたので、終わるまで病室で待機していた。
そうして、検査結果に大きな問題が無いことを確認して、今後の治療方針について医師と話し合い、晴れて退院の運びとなった。

病院を出て、改めて息をする。
軽く見上げると、澄んだ青空にすじ雲がたなびいていた。

「退院おめでとう。治療はまだ続くけど、一応の区切りだな」
「うん。ありがとう」

康介の言葉に楓が小さく頷く。
退院したばかりの顔は、白く不安げだ。
乾いた風が肌に触れて走り抜ける。
康介は「少し冷たい風だな」と思った程度だったが、横にいる楓は身を縮こまらせて震えていた。
もともと小柄で細身だったのに、入院中に更に体が薄くなってしまったのだろう。
それを見て、康介は持っていた紙袋を開けて中の物を取り出した。
それは、毛布生地の肩掛けだった。

「はい、これ」
「え?」

柔らかく暖かい感触が、寒がっていた楓を包む。

「こんなこともあろうかと思って買っておいた。退院祝いってとこか。
 ……うん、思った通りだな。よく似合ってる」

康介の手によって、楓の体はベージュ色の毛布に包まれた。
生地のふわふわ感を手で楽しむ。
そうして楓は、康介に向かって嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。大切にする」

久しぶりに楓の心からの笑顔が自分に向けられたような気がして、康介は満足そうに頷いた。

こうして二人は、小さな歩幅でゆっくりと歩き、一緒に自宅に帰っていった。



「ただいま……いや、おかえりだな。楓」
「うん。ただいま」

康介に促されて、楓は玄関を上がる。
下駄箱の上に飾っている花瓶の中のガーベラはすっかり枯れていた。
およそ10日ぶりの自宅だった。
見慣れたリビング、生活感のあるテーブル、ソファ、テレビ……
今となっては懐かしくさえ思える自宅の光景に、心が安らぐ。
ほっとしたついでに体から力が抜けて、楓はその場に蹲った。

「おいおい、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。なんか、ちょっと気が抜けちゃって」
「そっか。やっと帰ってこれたんだもんな」

康介の手を借りながら楓はゆっくりと立ち上がる。

「とりあえず荷物を部屋に置いておいで。良い時間だし、お茶にしよう」
「うん。あ、お茶の用意を……」
「今日ぐらいは俺がやるよ」
「大丈夫?」
「おいおい、俺だってそれぐらいは出来るって」
「じゃあ、お願い」

まさか、お茶を淹れる程度のことを心配されるとは……
これまで家のこと全てを楓に任せてきたからだろうが、
ここは一つ、最高の緑茶を淹れてやろうではないか。
そう意気込んで、康介は湯を沸かし、茶葉の用意をする。
が、ふとその手が止まった。

(あれ? お茶っ葉てどれぐらい入れるのが正解なんだっけ?)

適当に袋を振ると、急須からこぼれ落ちるぐらいの茶葉がドサリと落ちてしまった。



「熱いっ! 苦いっ! 何だこれ!」
「…………」

自分で淹れたお茶を飲んで、康介は吹き出した。
お湯の温度、茶葉の量がめちゃくちゃ過ぎて、極苦の緑茶に仕上がっていたのだ。

「すまん、楓。俺はいつの間にか、お茶の一つも満足に淹れられない大人になってたみたいだ」
「ううん、大丈夫。ちょっと味が濃いけど」
「無理しなくて良いぞ。つーか、俺が無理だわ。何この不味いの」
「少しずつお湯で薄めれば何とかなるよ。大丈夫」
「そ、そうか。じゃあ、このカステラと一緒にいくか。
 あ、これは買ってきたやつだから、安心してくれ」
「あはは」

午後3時過ぎ
苦々しい緑茶と甘いカステラを囲み、和やかな時を過ごす。
これから一週間はこうやって二人で過ごせるものと思われる。
楓の自宅療養に合わせて、康介も有給休暇を取得していた。
刑事という職業柄、そんなものはあってないようなものなのだが、今回は特例で取得できた。

「僕が入院してる間、食事はどうしていたの?」
「外食とかコンビニ弁当とか、そういうので済ましてた」
「ああ……栄養が偏りそう」
「だよなあ。そういうわけだから、明日からバランスの良い食事を頼むよ」
「明日から? 今日は?」
「今日ぐらいは俺が……て、このやり取りさっきもあったな」
「…………」
「焼きそばぐらいなら俺でも出来ると思ってたけど、何か自信無くなってきた」
「昔は作ってくれたじゃない」
「楓がチビっこい頃だろ? あの頃の俺は曲がりなりにも自炊してたから。
 お前に頼りきになってる今の俺は、もうダメかも……」
「まあまあ、大丈夫だよ。多分」
「なあ、楓」
「何?」
「手伝ってくれないか?」
「分かった。一緒に作ろう」

外にいる時とは打って変わって情けない顔をする康介に、楓は優しく微笑んだ。
かと思うと、突然彼の顔から表情が消えた。
さっきまで康介を映していた目が虚空を彷徨っている。
「ああ、まただ」と康介は憂いた。

「楓?」
「…………」
「どうした? 大丈夫か?」
「…………」

呼びかけただけでは反応しない。
軽く肩を揺さぶって、ようやく楓は我に返る。

「あ、ごめん。ぼうっとしてた」
「うーん。最近よくあるよな、それ」
「そう、かな」
「本当にただぼうっとしてただけか? 何か隠してないか?」
「そんなこと……ない」

小刻みに震えながら首を横に振る。
そんなことないはずがなかった。
だが、懸命に否定する楓の顔が今にも泣き出しそうだったので、
康介はそれ以上は追求しなかった。

「今は無理に聞き出したりしないから。もし、話せるようになったら教えてくれ」
「ごめん……なさい」
「いやいや、良いんだよ。謝らなくて」

すっかり俯いてしまった楓を励ますように、康介は優しい手つきで彼の肩をポンと叩いた。
それから、康介は雰囲気を変えようと違う話題を振ってみた。

「あ、ところでさ。ゴミの分別ってどうなってる?」
「どうなってるって、どういうこと?」

康介の言葉の意図が分からず、楓は顔を上げてキョトンとする。

「いやー、カップ麺の容器とかコンビニ弁当のカラとか、ゴミを溜めまくっててさ。
 正直、どうしたものかと思ってたんだよ」
「え……まさか、この10日分?」
「うん。10日分」
「…………」
「それから、実は洗濯物の方もちょっと溜まってたりしてて」
「え……」
「だって、今の洗濯機の使い方とか分からないから。
 普段は全部楓にやってもらってたし」
「ええ……」
「一応、下着とかは手洗いで何とかしてたけど」
「わ、分かった! 今すぐ溜まってる分を何とかしてくる!」

見た目よりずっと家の中がヤバいことになっていると察して、楓は慌てて立ち上がる。
そして、とりあえず洗濯機のある洗面所へ向かった。

「ああ、待って。俺も行く。俺にも手伝わせて。あと、やり方教えて」

未だに足取りが不安定な楓の後ろに康介が付く。
そうして、10日分の洗濯・ゴミのまとめに二人で取り掛かったのだった。
ついでに、玄関にある花瓶の中の枯れたガーベラも処分した。

退院早々、楓に働いてもらって申し訳ないと思いつつ、
その楓が生き生きと家事をこなしているのを見て、康介は少しばかり安心したのだった。
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