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浅い法華経25(法華経第九章授学無学人記品①)
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…おばさんが転んだお坊さんを助けた光景…
誰もがこんな経験をする。
転んだ人を見たら手を差し伸べるか声を掛ける。
高齢者や障がい者、妊婦を見たら座席を譲る。
眼の不自由な人を見たら腕を差し出す。
などなど。
これは誰もが「やってしまう」行為だ。
ここには信仰心があるからとかいうご立派な理由はない。
やってしまうのだ、なぜか。
これこそ仏がすでにあるという証ではないか?
そこへ半日蓮のメモだ。
蓮はこんなニュアンスのことを書いたメモがあったなと思った。
取っておいたメモのコピーを引っ張り出した。
「あった」
「無宗教こそ法華経。俺は何をやっていたんだ。おばさんに教えられた」
これだ。
「おばさん?あ、あの一瞬の光景はこれかも」
蓮はメモの端に
「①無宗教こそ法華経か?」
と記した。
それと蓮はひとつ気になっていることがあった。
それはここでの法華経の大盤振る舞いにおいて釈迦は「来世の成仏」を約束していることだ。これは何か意味があるのだろうか?
釈迦の時代からかなりの時が流れているから、ここで成仏を約束された者たちはもう仏になっているのだろうか?
いや、それは法華経の中にある蓮が目指す「法華経と言われるもの」的に言えば、その言い方はそれこそ方便、謎かけで、実は来世とは今のことで、今を生きる人すべてが仏=美しい心を持っているということではないか?
まだぼんやりした思考だが、蓮はそこにも何か鍵があるなと思った。
さて大盤振る舞いはまだ続く。
「授学無学人記品」
このタイトルが気になる。
誰もがこんな経験をする。
転んだ人を見たら手を差し伸べるか声を掛ける。
高齢者や障がい者、妊婦を見たら座席を譲る。
眼の不自由な人を見たら腕を差し出す。
などなど。
これは誰もが「やってしまう」行為だ。
ここには信仰心があるからとかいうご立派な理由はない。
やってしまうのだ、なぜか。
これこそ仏がすでにあるという証ではないか?
そこへ半日蓮のメモだ。
蓮はこんなニュアンスのことを書いたメモがあったなと思った。
取っておいたメモのコピーを引っ張り出した。
「あった」
「無宗教こそ法華経。俺は何をやっていたんだ。おばさんに教えられた」
これだ。
「おばさん?あ、あの一瞬の光景はこれかも」
蓮はメモの端に
「①無宗教こそ法華経か?」
と記した。
それと蓮はひとつ気になっていることがあった。
それはここでの法華経の大盤振る舞いにおいて釈迦は「来世の成仏」を約束していることだ。これは何か意味があるのだろうか?
釈迦の時代からかなりの時が流れているから、ここで成仏を約束された者たちはもう仏になっているのだろうか?
いや、それは法華経の中にある蓮が目指す「法華経と言われるもの」的に言えば、その言い方はそれこそ方便、謎かけで、実は来世とは今のことで、今を生きる人すべてが仏=美しい心を持っているということではないか?
まだぼんやりした思考だが、蓮はそこにも何か鍵があるなと思った。
さて大盤振る舞いはまだ続く。
「授学無学人記品」
このタイトルが気になる。
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