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第一章 雑魚狩り、商人、襲撃者
第12話
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”賢王”キースは晩年、自身の築いた国を一望できる丘の上で静かに暮らしていた。
「辛気臭いわね。 部屋自体がもう辛気臭いわ。 まるで病人が死を待つために作られたような雰囲気。 あなた、今日死ぬつもり? でなければ、もうちょっと明るくできないのかしら。 ねぇキース?」
「わしは、まだ元気じゃよ……」
一人の少女が賢王を訪ねた。見知った仲なのだろうか、少女の言葉に尊敬の意は微塵も汲み取れない。
「マナちゃん、わしはもう長くない。 おい先短い老人には、もう少し優しい言葉を掛けるものじゃよ」
「私、優しさは態度で示すものだと思うの。 そうね。 今日はあなたの骨でも拾ってあげようかしら」
「わしまだ死んどらんよ……」
彼女には、自分は既に死んでいるように見えるのだろうか。マナちゃんと呼ばれた少女は、床に臥すやんごとなき存在に対し、歯に衣着せぬ物言いである。
「それと、気安く名前を呼ばないでくれるかしら。 私のことは親しみを込めて”マナっち”と呼びなさい」
「気安くしないで欲しいのか親しんで欲しいのか、わしゃ年寄りじゃから難しいのぉ。 そうじゃマナっち、代わりにわしのことは”王様”と…」
「ねぇキース」
「マナちゃん……」
マイペースな少女に取り合ってもらえない、情けない姿を見せるこの男こそが、西の国「シュルフト」の歴代最高と謳われた”賢王”、キースである。彼の達成した偉業の数々は、その人格と人望により、彼の死後も人々の間で語り継がれる事はもはや約束されたものだった。
「私、結婚しようと思うの」
「うぅぅおおうえぇ!!??」
キースは驚きのあまり起き上がっていた。
もともと彼は病人ではない。既に百八歳を数える高齢ではあったが、身体は健康そのものであった。しかし、どんなに元気にしていても、どんなに善行を重ねても、全ての生命に平等に死は訪れる。
キースに残された時間は、十四日。死因は老衰。
その約束された最期を、ただ彼は待っていた。誰もが知ることの出来ない自身の最期を、何故か彼は知っていたのだ。
「あら、何よキース、今日は随分元気なのね」
「マナちゃん今、結婚って……」
「そりゃあ女の子だもの。 私だって王子様との出会いに、憧れたりもするわ」
マイペースな少女は車椅子を用意しながら話す。
「それだけ元気なら、外でお話ししましょう。 ここの空気を吸っていたら、私の婚期まで遠のいてしまいそう」
「酷い言いようじゃのぉ……」
二人は小屋を出て、街を見下ろせる丘に出た。
「普通、逆だと思うじゃろう……」
車椅子には少女が座っていた。
「何か言ったかしら、キース?」
「いやマナちゃん。 普通、こういう時は老人が車椅子に座って、若者が押すものじゃないかと思うのじゃが」
「あらキース、いつの間に自分の身体の扱いもままならなくなってしまったのかしら? ”スターン”と名高いあなたの等級が泣いてるわよ?」
「”スターン”とはいえ老人。 最期くらい、可愛い少女に車椅子を押してもらいたい人生じゃったよ……」
言いながらキースは、街を見下ろして感慨に耽る。
「色んなことがあったのう」
「あらやだキース、独り言なら一人の時にしてちょうだい」
「今は一人じゃないから、独り言じゃなかったんじゃが……」
無力だ。キースはこの少女に対していつも無力である。
どこまでもマイペースなこの少女は、自分の話にしか興味がない。
それを知っているキースは、先程の話題に渋々戻ることにする。
「して、マナちゃんはどんな男と結婚するんじゃ?」
「んー、なんて言ったらいいかしら。 そうね、一言で言ったら強い人よ」
「ほう」
聞いてキースは意地悪な笑みを浮かべる。
「その男は、わしより強いかの?」
既に百を越える高齢であるが、その霊指数から現在でも国内屈指の強者であるキースは言う。
キースの”マリアランキング”は三位である。
彼を凌駕する存在は二人の人間しかこの星には存在しない。
───強さの話題から自分の過去の栄光に繋げて、この少女に盛大に自分語りしてやろう。
そんな小さな野望を、この偉大な”賢王”は抱いていた。
「もちろん、あなたの何倍も強いわよ?」
「ほぇあ?」
キースは間の抜けた返事をしてしまった。
この少女は失礼な物言いこそするものの、下らない嘘は決して言わない。つまり今までの非礼の数々も本心から出ているのだが、今ここにおいてそんな事はどうでも良かった。
「わ、わしの、何倍も……?」
「そうよ?」
またしても、少女は短く言い切った。
どうもこの少女は本気らしい。
───少し甘やかし過ぎて、夢見がちな女の子に育ってしまったか……?
「マナちゃん、よく聞きなさい。 残念じゃがそれは、叶わぬ望みじゃよ。 わしはこれでも”序列三位”。 それの”何倍も”強いとなれば、この星の精霊が尽きる程の力じゃよ」
キースは、無知な少女に優しく諭すように話した。
厳しい現実ではあるかも知れないが、ここは大人として、しっかりと真実を話すべきであると考えていた。
しかし、少女はそれを聞いてもなお、微笑みの表情を崩さない。
「全くその通りね。 笑っちゃうくらい馬鹿げた力よ。 でも、それが実際に現れるの。 それももうすぐよ」
「なんとや……」
恐ろしいことを聞いた、それを表情にしてキースは表現する。
キースはまだ、全てを飲み込めている訳ではない。それほど衝撃の事実なのだ。
しかし、この少女の言うことは信用に値する。他の同年代の少女の言葉であれば、簡単に笑って聞き流すことができたであろう。先程キースが言ったように、現実を教えるつもりで諭したかも知れない。
しかし、この少女は違う。
彼女は霊視の”天才”なのだ。
キースは彼女のその才能について、誰よりも深く理解している自負があった。何故なら、その才能を見出した者こそ、他でもないキースなのである。
彼女の霊視は特別なのだ。その”特異”さは、精度の高さだけに留まらない。本来人間には見えないもの、見えてはいけないものをも見通すことが出来る。
はじめはただ、少女の才能を喜んだ。娘のように接してきた少女が見せた才能に、感動をも覚えた。
しかし現実とは、得てして悲劇と共に突きつけられるものである。
結果、キースは彼女を隠すことになる。
強過ぎる力、他と違う異質な力ともなれば、民衆の恐怖の対象となってしまうことは目に見えていた。
彼女を狙った誘拐犯まで現れたのは、つい先日の事である。その目的と、刺客を差し向けた黒幕の正体は未だわかっていない。
無闇に人と関わらせないように。そうして少女は育てられた。
そんな人生を歩んできた彼女には、現在でも親しい同年代の友人がいない。
キースに対する明け透けな態度も、本来は友人へと向けられるはずのものであった。それを、自分は奪ってしまった。
キースはそれを悔やんでいた。
「マナちゃん……」
「謝らないで、キース」
キースの心中を察するかのように、少女は言う。
これである。
この、まるで全てを見通すかのような彼女の才に、どれだけ振り回され、どれだけ頼ってしまい、その存在をどれだけ憎んだことだろう。
この才がなければ、自分が気付かなければ、愚かなふりをして見て見ぬふりをしていれば。
そんなことを、キースはこれまで何度も考えては苦悩した。
「私、これでも結構幸せよ? ”序列三位”の”賢王”に車椅子を押させることが出来るのは、世界広しと言えども私だけね。 それに、心外だわ。 私の幸せは私が決めるものよ。 勝手に不幸にしてくれるなんて、例え貴方でも許さないわ」
そして、どれだけ救われてきたことだろう。
少女の表情は、一貫して笑顔である。
自分に残された時間は少ない。
”序列三位”の自分が死ぬことで、世界には少なくない影響が出るだろう。
それが少女に迫った時、自分はこの世にいない。歯痒いばかりである。その余波の、ほんの一部であってもこの美しい笑顔の少女に触れぬようにと、キースは切に願う。
そして意を決したように口を開く。
「マナちゃん、よく聞いておくれ。 君の母親について、話しておかねばならぬ」
「聞きたくないわ」
珍しく少女は、きっぱりと発言を拒否した。
興味のない話題は簡単に無視する少女であるが、発言そのものを拒否することはこれまでも数える程しかなかった。いずれも、母親についての話題である。
「私の親はあなただけよ、キース」
彼女は今も笑顔である。
「話し過ぎたわね。 そろそろイレーヌさんが来る頃ではないかしら?」
「なぬ!? もうそんな時間か!?」
賢王は狼狽えた。
話題に上がったイレーヌこそ、この賢王キースを陰で支えた王宮の筆頭侍女である。
彼女は若くして賢王の右腕となるや、メキメキとその頭角を表し、今やこのシュルフトの実質的な指導者となっている。
キースは、生涯独身であった。
そんな彼を、公私共に最も近くで支えた彼女に、賢王は今も頭が上がらない。
───残された時間を、王宮の外で静かに過ごしたい。
一国の王にはとても許されないわがままであったが、それを聞き入れ、根回しをし、環境を整えて実現に至らしめた立役者こそが彼女、イレーヌである。
当然、言いつけられた約束も多い。その内一つ、「イレーヌの目の届かない所では絶対安静」を、”賢王”は現在進行形で破っている。
「衛兵も付けずに丘で長話なんて、怒られてしまうのではなくて?」
「怒られるなんてものではないぞ!!」
「あら、噂をすれば、あそこに見えるのはイレーヌさんではないかしら?」
「ひいっ!!」
既に泣きそうな表情で膝を震わせているこの男こそ、この星の”序列三位”の”賢王”である。
少女に遇らわれ、侍女の尻に敷かれ、自分は本当にこの国の王なのだろうかと、キースは自問する。
「あの、マナちゃん……」
「嫌よ」
少女はまたしても、きっぱりと発言を遮る。
「私、この後お城で人と会うの。 悪いけど、一人で怒られてくれるかしら」
「そんな……」
いとも簡単に切り捨てられてしまった。
しかし、一向に少女は立ち上がらない。見ると、その肩が小刻みに震えているのがわかった。
少女の笑顔がやや引きつるのを、その背筋がピンと伸びている後ろ姿から感じ取ると、賢王は音を立てて口内の唾を飲み込んだ。
約束された最期が、一方的に契約内容を書き換えられ、急遽今日へと変更されたらしいことを、賢王はその卓越した”霊視能力”で悟った。この上ない能力の無駄遣いであった。
「……マナちゃん、骨は拾ってくれるんじゃったな?」
「えぇ」
まるで言霊のように、少女の言ったことが現実へと変わった。
少女と賢王は共に、同じ一点を見つめて冷や汗をかいていた。
向かってくるのは、絶対零度の無表情を一切崩さず、可視化されていると錯覚する程の怒気によって金色にたなびく長髪を空へと逆立ちさせながら、悠然と歩みを進める一人の女性。
二人はじっと、その姿をただ見ていた。
「その、出来ればで良いんじゃが」
賢王は静かに覚悟を決めた。
「骨は砕いて、静かな草原へとばら撒いてくれんかの……」
「そうね」
少女は既に光を失ったかのような目で、どこか遠い空を見ながら呟く。
「……骨、残ると良いわね」
その日、シュルフトでは実に五百年ぶりに落雷が観測され、人々を大いに恐れさせた。
「辛気臭いわね。 部屋自体がもう辛気臭いわ。 まるで病人が死を待つために作られたような雰囲気。 あなた、今日死ぬつもり? でなければ、もうちょっと明るくできないのかしら。 ねぇキース?」
「わしは、まだ元気じゃよ……」
一人の少女が賢王を訪ねた。見知った仲なのだろうか、少女の言葉に尊敬の意は微塵も汲み取れない。
「マナちゃん、わしはもう長くない。 おい先短い老人には、もう少し優しい言葉を掛けるものじゃよ」
「私、優しさは態度で示すものだと思うの。 そうね。 今日はあなたの骨でも拾ってあげようかしら」
「わしまだ死んどらんよ……」
彼女には、自分は既に死んでいるように見えるのだろうか。マナちゃんと呼ばれた少女は、床に臥すやんごとなき存在に対し、歯に衣着せぬ物言いである。
「それと、気安く名前を呼ばないでくれるかしら。 私のことは親しみを込めて”マナっち”と呼びなさい」
「気安くしないで欲しいのか親しんで欲しいのか、わしゃ年寄りじゃから難しいのぉ。 そうじゃマナっち、代わりにわしのことは”王様”と…」
「ねぇキース」
「マナちゃん……」
マイペースな少女に取り合ってもらえない、情けない姿を見せるこの男こそが、西の国「シュルフト」の歴代最高と謳われた”賢王”、キースである。彼の達成した偉業の数々は、その人格と人望により、彼の死後も人々の間で語り継がれる事はもはや約束されたものだった。
「私、結婚しようと思うの」
「うぅぅおおうえぇ!!??」
キースは驚きのあまり起き上がっていた。
もともと彼は病人ではない。既に百八歳を数える高齢ではあったが、身体は健康そのものであった。しかし、どんなに元気にしていても、どんなに善行を重ねても、全ての生命に平等に死は訪れる。
キースに残された時間は、十四日。死因は老衰。
その約束された最期を、ただ彼は待っていた。誰もが知ることの出来ない自身の最期を、何故か彼は知っていたのだ。
「あら、何よキース、今日は随分元気なのね」
「マナちゃん今、結婚って……」
「そりゃあ女の子だもの。 私だって王子様との出会いに、憧れたりもするわ」
マイペースな少女は車椅子を用意しながら話す。
「それだけ元気なら、外でお話ししましょう。 ここの空気を吸っていたら、私の婚期まで遠のいてしまいそう」
「酷い言いようじゃのぉ……」
二人は小屋を出て、街を見下ろせる丘に出た。
「普通、逆だと思うじゃろう……」
車椅子には少女が座っていた。
「何か言ったかしら、キース?」
「いやマナちゃん。 普通、こういう時は老人が車椅子に座って、若者が押すものじゃないかと思うのじゃが」
「あらキース、いつの間に自分の身体の扱いもままならなくなってしまったのかしら? ”スターン”と名高いあなたの等級が泣いてるわよ?」
「”スターン”とはいえ老人。 最期くらい、可愛い少女に車椅子を押してもらいたい人生じゃったよ……」
言いながらキースは、街を見下ろして感慨に耽る。
「色んなことがあったのう」
「あらやだキース、独り言なら一人の時にしてちょうだい」
「今は一人じゃないから、独り言じゃなかったんじゃが……」
無力だ。キースはこの少女に対していつも無力である。
どこまでもマイペースなこの少女は、自分の話にしか興味がない。
それを知っているキースは、先程の話題に渋々戻ることにする。
「して、マナちゃんはどんな男と結婚するんじゃ?」
「んー、なんて言ったらいいかしら。 そうね、一言で言ったら強い人よ」
「ほう」
聞いてキースは意地悪な笑みを浮かべる。
「その男は、わしより強いかの?」
既に百を越える高齢であるが、その霊指数から現在でも国内屈指の強者であるキースは言う。
キースの”マリアランキング”は三位である。
彼を凌駕する存在は二人の人間しかこの星には存在しない。
───強さの話題から自分の過去の栄光に繋げて、この少女に盛大に自分語りしてやろう。
そんな小さな野望を、この偉大な”賢王”は抱いていた。
「もちろん、あなたの何倍も強いわよ?」
「ほぇあ?」
キースは間の抜けた返事をしてしまった。
この少女は失礼な物言いこそするものの、下らない嘘は決して言わない。つまり今までの非礼の数々も本心から出ているのだが、今ここにおいてそんな事はどうでも良かった。
「わ、わしの、何倍も……?」
「そうよ?」
またしても、少女は短く言い切った。
どうもこの少女は本気らしい。
───少し甘やかし過ぎて、夢見がちな女の子に育ってしまったか……?
「マナちゃん、よく聞きなさい。 残念じゃがそれは、叶わぬ望みじゃよ。 わしはこれでも”序列三位”。 それの”何倍も”強いとなれば、この星の精霊が尽きる程の力じゃよ」
キースは、無知な少女に優しく諭すように話した。
厳しい現実ではあるかも知れないが、ここは大人として、しっかりと真実を話すべきであると考えていた。
しかし、少女はそれを聞いてもなお、微笑みの表情を崩さない。
「全くその通りね。 笑っちゃうくらい馬鹿げた力よ。 でも、それが実際に現れるの。 それももうすぐよ」
「なんとや……」
恐ろしいことを聞いた、それを表情にしてキースは表現する。
キースはまだ、全てを飲み込めている訳ではない。それほど衝撃の事実なのだ。
しかし、この少女の言うことは信用に値する。他の同年代の少女の言葉であれば、簡単に笑って聞き流すことができたであろう。先程キースが言ったように、現実を教えるつもりで諭したかも知れない。
しかし、この少女は違う。
彼女は霊視の”天才”なのだ。
キースは彼女のその才能について、誰よりも深く理解している自負があった。何故なら、その才能を見出した者こそ、他でもないキースなのである。
彼女の霊視は特別なのだ。その”特異”さは、精度の高さだけに留まらない。本来人間には見えないもの、見えてはいけないものをも見通すことが出来る。
はじめはただ、少女の才能を喜んだ。娘のように接してきた少女が見せた才能に、感動をも覚えた。
しかし現実とは、得てして悲劇と共に突きつけられるものである。
結果、キースは彼女を隠すことになる。
強過ぎる力、他と違う異質な力ともなれば、民衆の恐怖の対象となってしまうことは目に見えていた。
彼女を狙った誘拐犯まで現れたのは、つい先日の事である。その目的と、刺客を差し向けた黒幕の正体は未だわかっていない。
無闇に人と関わらせないように。そうして少女は育てられた。
そんな人生を歩んできた彼女には、現在でも親しい同年代の友人がいない。
キースに対する明け透けな態度も、本来は友人へと向けられるはずのものであった。それを、自分は奪ってしまった。
キースはそれを悔やんでいた。
「マナちゃん……」
「謝らないで、キース」
キースの心中を察するかのように、少女は言う。
これである。
この、まるで全てを見通すかのような彼女の才に、どれだけ振り回され、どれだけ頼ってしまい、その存在をどれだけ憎んだことだろう。
この才がなければ、自分が気付かなければ、愚かなふりをして見て見ぬふりをしていれば。
そんなことを、キースはこれまで何度も考えては苦悩した。
「私、これでも結構幸せよ? ”序列三位”の”賢王”に車椅子を押させることが出来るのは、世界広しと言えども私だけね。 それに、心外だわ。 私の幸せは私が決めるものよ。 勝手に不幸にしてくれるなんて、例え貴方でも許さないわ」
そして、どれだけ救われてきたことだろう。
少女の表情は、一貫して笑顔である。
自分に残された時間は少ない。
”序列三位”の自分が死ぬことで、世界には少なくない影響が出るだろう。
それが少女に迫った時、自分はこの世にいない。歯痒いばかりである。その余波の、ほんの一部であってもこの美しい笑顔の少女に触れぬようにと、キースは切に願う。
そして意を決したように口を開く。
「マナちゃん、よく聞いておくれ。 君の母親について、話しておかねばならぬ」
「聞きたくないわ」
珍しく少女は、きっぱりと発言を拒否した。
興味のない話題は簡単に無視する少女であるが、発言そのものを拒否することはこれまでも数える程しかなかった。いずれも、母親についての話題である。
「私の親はあなただけよ、キース」
彼女は今も笑顔である。
「話し過ぎたわね。 そろそろイレーヌさんが来る頃ではないかしら?」
「なぬ!? もうそんな時間か!?」
賢王は狼狽えた。
話題に上がったイレーヌこそ、この賢王キースを陰で支えた王宮の筆頭侍女である。
彼女は若くして賢王の右腕となるや、メキメキとその頭角を表し、今やこのシュルフトの実質的な指導者となっている。
キースは、生涯独身であった。
そんな彼を、公私共に最も近くで支えた彼女に、賢王は今も頭が上がらない。
───残された時間を、王宮の外で静かに過ごしたい。
一国の王にはとても許されないわがままであったが、それを聞き入れ、根回しをし、環境を整えて実現に至らしめた立役者こそが彼女、イレーヌである。
当然、言いつけられた約束も多い。その内一つ、「イレーヌの目の届かない所では絶対安静」を、”賢王”は現在進行形で破っている。
「衛兵も付けずに丘で長話なんて、怒られてしまうのではなくて?」
「怒られるなんてものではないぞ!!」
「あら、噂をすれば、あそこに見えるのはイレーヌさんではないかしら?」
「ひいっ!!」
既に泣きそうな表情で膝を震わせているこの男こそ、この星の”序列三位”の”賢王”である。
少女に遇らわれ、侍女の尻に敷かれ、自分は本当にこの国の王なのだろうかと、キースは自問する。
「あの、マナちゃん……」
「嫌よ」
少女はまたしても、きっぱりと発言を遮る。
「私、この後お城で人と会うの。 悪いけど、一人で怒られてくれるかしら」
「そんな……」
いとも簡単に切り捨てられてしまった。
しかし、一向に少女は立ち上がらない。見ると、その肩が小刻みに震えているのがわかった。
少女の笑顔がやや引きつるのを、その背筋がピンと伸びている後ろ姿から感じ取ると、賢王は音を立てて口内の唾を飲み込んだ。
約束された最期が、一方的に契約内容を書き換えられ、急遽今日へと変更されたらしいことを、賢王はその卓越した”霊視能力”で悟った。この上ない能力の無駄遣いであった。
「……マナちゃん、骨は拾ってくれるんじゃったな?」
「えぇ」
まるで言霊のように、少女の言ったことが現実へと変わった。
少女と賢王は共に、同じ一点を見つめて冷や汗をかいていた。
向かってくるのは、絶対零度の無表情を一切崩さず、可視化されていると錯覚する程の怒気によって金色にたなびく長髪を空へと逆立ちさせながら、悠然と歩みを進める一人の女性。
二人はじっと、その姿をただ見ていた。
「その、出来ればで良いんじゃが」
賢王は静かに覚悟を決めた。
「骨は砕いて、静かな草原へとばら撒いてくれんかの……」
「そうね」
少女は既に光を失ったかのような目で、どこか遠い空を見ながら呟く。
「……骨、残ると良いわね」
その日、シュルフトでは実に五百年ぶりに落雷が観測され、人々を大いに恐れさせた。
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